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9章

 河合さんはいつも通り河合さんの自宅の前で待っていた。河合さんのおじいさんが経営する、いろは堂という骨董品店の入り口のところだ。
 俺がバスに乗っていくだとか、今日は休むだとかのメールをしなければいつもそこで待っていて、合流したらすぐ目の前のバス停で二人でバスを待つのがよくある流れだった。
 河合さんは今日もいつもの無表情だった。

 結局、春休み中の河合さんからのメールの殆どを適当に返事し、最後は無視していたのだ。怒ってさっさと先に行っているんではないかと思いながらも、もしも待たせていたらと考えてここまで来た。
 ほっとした気持ち半分、少し面倒な気持ちもあった。
 いくらもうだいぶ落ち着いたとはいえ、いつも通りに振る舞える自信などない。だって河合さんといるときは殆ど佐伯もいたのだ。佐伯がいないときだって、なんだかんだ佐伯に関する話をしていた。そういった記憶が過ぎってしまうのは今の俺には辛かった。
 しかしどちらにしろ見て見ぬ振りはできない。学校に行けば、佐伯がいないことにみんなが気付く。そんなとき、俺はどんな風に反応してみせればいいのか、未だに見当がつかなかった。驚く演技なんてするつもりはないが、正しい友人関係としての動揺の仕方もわからない。

「おはよう桐谷」
「……おはよう……ごめん、連絡してくれたのにあんまり返信できなくて……」
「いえ、別に気にしないわ」

 言葉少なに、次のバスを二人で並んで待つ。
 そんな今まで何度も繰り返してきた動作ひとつで、佐伯と帰りのバスを待っていたときを思い返して視界が滲んだのだ。咄嗟に顔を逸らして、目をしばたたかせる。大丈夫だ、このくらいなら気付かれはしないだろう。違うことを考えよう。

「佐伯に会ったわ」

 思わぬ河合さんの言葉に振り返った。
 必死に思考の外に追いやろうとしていたことを放り込まれて、うまく反応できなかった。

「春休みがはじまってすぐくらいにうちに来たのよ。桐谷をよろしくって。あと和泉も」
「そ、そう……そうか……」

 あいつ、河合さんにもちゃんと別れを告げていたのか。
 河合さんは少しだけ鼻の頭が赤くなって、瞳も潤んでいるように見えた。それでも隠そうともせず、そして結局、泣きもしなかった。

「だから桐谷のこと心配してたの。でもよかった、ちゃんと出てこれて」
「……そりゃあ、まあ、学校には行くよ」

 あれが登校日だったら、相当な心配をかけただろうけど。

「あの子、ちゃんとあなたにもお別れ言えたのね」

 河合さんは微笑んでいた。
 佐伯が河合さんとどんな会話をしたのかわからないが、あいつもあいつで河合さんに心配をかけたようだ。

「……なんか、色々気遣って貰ってたみたいで、ありがとう……」
「どういたしまして」

 河合さんはすん、と鼻をならして、それでも笑っていた。いつもは無表情なのに、俺を励ますように。

---

 学校は相変わらずだった。三年目だ。すっかり通い慣れた、いつもの学校だった。
 下駄箱の位置や、教室の場所が変わりはしたが、他に大きな変化はない。教室なんてどこも同じようなものだし。クラス替えもないので本当にそのまま。
 ただ俺の後ろの席は佐伯じゃなかった。
 担任からの説明は特になかった。そして先生に説明を求めるということも誰もしなかった。
 クラスメイトの反応は様々で、吉田さんは泣いていたし他の女子はそれを慰めていた。それでも彼女たちはもちろん、やはり仲のいい面々には春休み中に別れを告げていたらしい。
 それほど親交がなかったメンツは、女子たちの様子でなんとなく察したり、まったく興味を示していなかったりだ。
 うちは私立の学校だし、退学もあり得ないことじゃない。停学だってあるし、留年だってある。転校や転入というのは今までいなかったが、まあ大体そのどれかだと察しはつくんだろう。
 俺は後ろの席を向いても佐伯がいないというのにがなかなか堪えた。一年、ずっとそうしていたのに。何かあれば後ろを振り返っていた。
 まあ、一番前の席なのはよかった。こっちを振り返る奴はいない。顔をまじまじ見られないのはありがたいことだった。先生はどう思ったかは知らないけど。
 さすがに泣いてなんかなかったが、ひどい顔をしていたとは思うから。


「クラス替えなくてラッキーって思ってたけど、新学期なのに代わり映えしないのはなんか損した気分だよな」

 教室前の廊下。和泉が河合さんの隣に並んで壁に身を寄せ、つまらなそうにそう言った。
 もうそろそろ始業式が始まるため体育館へ移動する準備をはじめていた。、小学生のようにきちんと担任が並ばせて取り締まるようなことはない。比較的緩んだ空気感で、自由に時間をつぶしている。時間が来たら全員で適当に順番を整えながら移動するだけだ。

「いらないわよ別に。知らない人がいたら疲れちゃうもの」
「そりゃそうだけどさー」

 俺は積極的に会話には参加せず、それでもすぐ隣にいた。
 俺だって、クラスに友達がこいつらしかいないわけじゃない。
 それなりに話せる相手は一応他にも何人かいる。そっちの方が佐伯との記憶を刺激しなくて気は楽かもしれないと思いつつ、こんなときばかりわざわざ寄っていくのもずるい気もする。
 なんだか宙ぶらりんな気分だった。
 俺は元々趣味が少ないし、お喋りな気質ではない。必要な会話ならいくらでもできるが、他愛のない雑談というのは特段する意味を見つけられないタイプだ。面白いことなんかがあれば話しかけるけど……。
 人の目を引く人種でもないから、そうやって大人しくしている以上、わざわざ話しかけてくるやつも滅多にいない。和泉だって、河合さんに話しかけるために色々喋るだけで、そうでないときは割と無口だし。やたらに話しかけてきたのは佐伯くらいのものだ。

「つっても、三人になっちまったしなあ。きり悪ィじゃん」

 和泉がなんでもないことのように呟く。俺の視線に気付いた河合さんが少し慌てたような反応をした。

「もう、それが何よ。いいじゃない三人だって」
「でも割り切れねえし」
「いやよ、わたし。きりが悪いから友達増やそうなんて」
「そりゃそうだけど」

 なんとなく。
 俺ってお邪魔虫なんじゃないだろうかと思えてきた。
 今更だろうか。
 無理矢理会話に入る必要だって感じられないし。二人で完結している。
 ふとなんで一緒に行動していたのかがわからなくなった。
 いや、意味なんて必要ないってわかっているんだ。でも、なんだかおかしいことのように思えてきた。疎外感だろうか。
 ……よくないな。あまりいい思考回路ではない。
 佐伯がもし俺に対してそんな風に思っていたら、何言ってんだお前、と思っていただろう。河合さんも和泉もそう思うはずだ。

「桐谷、桐谷もそうでしょ」

 河合さんが首を伸ばし、和泉を飛び越えて俺に話しかける。
 気を遣われているような気がする。

「……そうだね。河合さんが嫌がる以上はなしでしょ」
「おれだってわかってるってば。ただこー、一人だけあぶれたらやだなっつー」
「わかったわよ。その場合和泉はわたしか桐谷どっちかと行動してればいいわよ。しょうがない子ねえ」
「おれを寂しがり屋扱いするな」

 河合さんはふふと笑った。
 しばらくして予鈴がなり、みんななんとなく番号順にざっくりと並びながら体育館に移動する。
 ……やっぱり、佐伯がいないと会話は少しだけ大人しい。
 佐伯はいつでもずっと俺たちと一緒にいるわけではなかった。河合さんは俺たちしか仲のいい相手はいないし、和泉も男子の輪に混ざることはあっても、特定のメンバーとつるむということはない。俺はこんなだし。そんな中佐伯だけは他にも一緒に行動する仲間みたいなのがいた。吉田さんたちのグループとか、もう少し真面目そうな女子グループに混ざっているときもあったし、石橋たちと行動することもあった。佐伯だけが抜けている状態は、それほど異常事態でもないのに、それでもなんだかぽっかりと穴が空いている。
 ああー、やっぱりだめだ。学校に来るとぶり返すだろうとは思っていたけど。
 思ったよりもだ。
 やっぱり、クラスメイトとしても友達としても存在感が大きかったせいで、喪失感がただ彼女に振られたっていう範疇に収まらないんだよな……。
 なんだかんだ、生まれて初めてできた親友みたいなもんだったし……。
 始業式の内容はひとつも頭に入ってこなかった。まあ、それはいつものことか。

 今日は式だけで終わりだった。自己紹介なんて必要ないし、明日からはすぐに通常の授業がはじまるようだ。それでも身体測定だとか、試験もあるし、しばらくバタバタするだろうけど。まあこれも今年で高校最後だもんな。面倒臭がらずに受け入れるしかない。

「桐谷、帰りましょ」

 河合さんと和泉がわざわざ俺の席に寄って声かけてきた。
 いつもは俺が一番に帰りの準備を終えるのに。
 三人で帰るのはかなり久しぶりだ。何をしていたか思い出せないくらいに。

「まだ桜残ってんなー」
「ほんとね。この学校、桜並木結構すごいわよね」

 確かに、うちの学校は中庭もそうだし、学校の周りに植えられた木々はかなりのものだ。秋はイチョウが綺麗だし、紫陽花もある。その規模はなかなかにでかい。
 桜を見ると正直花見に行ったことを思い出すのだが……。いや、もう今更だな。きっと紫陽花をみてもひまわりを見ても紅葉を見ても佐伯を思い出してしまうんだろう。一緒に見たことや、一緒に見たかったことを。

「なあークレープ食べにいかね? 時間あるし」
「あら、いいわね」
「流もいいだろ? 金あるか?」
「まあ……クレープくらいなら」

 もしかして、二人とも気を遣ってくれているんだろうか。
 和泉はそれほど積極的に買い食いに誘ったりしなかった気がする。河合さんと二人の時はわからないけど、食費を自分で管理しているから、結構そういうところは厳しい。
 登下校のルートから少し外れたスーパーの入り口付近に、いつも移動販売車が止まっている。前に一度来たことがあった。

「おれチョコバナナ」
「わたしイチゴ」
「……俺はチョコクリーム……」

 明らかに俺の声だけ雰囲気が鬱蒼としている。
 いけない。どう考えても。これは。
 俺はよくクールだね、ポーカーフェイスだね、と言われるが、きっと仲のいいヤツからすればダダ漏れなんだろう。怒ったらすぐにわかるし、嬉しいときはにじみ出ているらしい。ただ自分から表現できないから、俺に興味がない人は気付かないだけで、心配してくれている人には丸わかりなのだ。
 それは、よくない。
 知らない奴にどう思われようとなんだっていいが、身近な人に気を遣わせるのは嫌だ。
 クレープは甘かった。少なくとも、甘さを感じる程度には回復したのだ。

「あのさあ……」

 思ったより声が震えたし、小さな声だった。
 それでも二人はクレープを食べる手を止めて、こちらを見る。
 俺が今日自分から話かけるのははじめてのことだった。

「あのさあ、ふ、ふたりはさあ、へこんだときって、どうやったら立ち直ってる?」

 情けない声だ。じわじわと視界が濡れてくる。それでもなんとか踏ん張る。人前で泣くのは嫌だ。

「わたしは……そうね……寝るくらいしか思いつかないわ」
「おれぁそうだなあ、とにかく疲れてなんも考えられなくなるくらい走ったり、サンドバッグ殴ったりすっかなあ……。あ、比喩じゃなくて、ガチのな」
「はは……熱血じゃん」

 河合さんの案は多分俺も試したし、俺もそれが思いついた。でも和泉のは、俺は思いつかなかったな。

「走るかあ~……」

 疲れ果てるまで走ったことなど当然ない。マラソンは全力疾走とは違うし。無茶をして寝込んだりしたら母親が心配するし、自分がつらい思いをするのはよく知っているから。
 それでも今は体がよくても、精神の方が持たない。

「一緒に走ってやろうか」
「うん……ああ、……いや、大丈夫。多分俺すぐ力尽きるし。家の周り走るからさ」
「ああ。あそこはいいよなあ、人目気にせず走り放題だもんな」

 和泉は穏やかに笑った。大人みたいに。
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