挿話
人に寝顔を見られるのは好きではない。
多くの人もそうだろうと思いつつも、小さな頃、幼なじみの家に泊まりに行って、布団に籠もって顔を隠すと無理矢理引きずり出されたことを思い出す。するとやはり自分は人より変なところで警戒心が強い気がした。
人より遅くまで起きていたかったし、人より早くに起きていたかった。
じっと目の前の顔を見る。子供のような顔だった。
人の寝顔を見るのも、思えば人生で数えるほどしかない。自分がそうであったように、それだけ自分に心を許してくれる人はいなかったということだろう。
ほっぺたをつん、と触ってみる。柔らかい。自分はあまり肉がないから、きっとこんな感触ではないだろう。
起こさないようにそっと。でも、起きてもいいと思いながら。
「んー……」
いやいやをするように首を振られて、なんだか面白くなってつい笑う声を押さえきれずにいると、もったりとした瞼が緩くあいた。
ぱちんぱちんと何度か瞬きをして「あっ」と声を上げる。
「桐谷ってもしかして、どこでも寝れる人?」
「ああー……ごめん……そうかも」
まだ少しぽやぽやした受け答えに、やっぱりおかしくなった。
「うわ、人の家で裸で寝るなんて……」
なにやら自分の行動にショックを受けているようだ。顔を赤くして、布団にくるまったままこそこそとパンツを履いている。
未だ裸を見られるのは恥ずかしいらしい。
「俺どのくらい寝てた……?」
「十五分くらいだよ」
自分も夢心地でぼんやりしていた。それでも眠ってしまうほど疲れたわけではなかったけれど。今回は運動量にも差があったから仕方がないかもしれないなと思う。主導権を握りたがっていたから、いつもより動かずに済んだ。
桐谷はちらちらと視線を動かす。
「……目のやりどころに困るから……佐伯も服着なよ」
「困らなくても、好きなだけ見ていいのに」
おどけて言うと複雑そうな顔をされてしまったので、そろそろと体を起こす。
やっぱり、あまりこういうことに慣れた様子を出すと彼は傷つくようだ。下着を身につけつつひっそりと反省した。
もちろん、好きな人が他の相手と関係を持っていたことを感じさせる振る舞いなんて、誰だって気分のいいものではないというのはわかる。男としての記憶が残っているのだから、なおさらその感覚はわかるつもりでいる。
しかしそれを言うならそもそも自分と付き合うこと自体嫌なはずなのに、それは平気らしい。おかしな人だと思いながらも、そのややこしさを面倒だとは不思議と思わない。
「わっ」
服を着終わったと思えば少し強い力加減で抱き寄せられた。相変わらずタイミングや距離感がなんだかおかしい。少しだけバランスを崩して桐谷の体に寄りかかる。まるで喜んで抱きついたみたいだ。
「あ、ごめん、急に」
「ううん」
「や、やっぱさ、裸だとどうしても、ほら、エロい感じになっちゃうじゃん」
「そうかなあ。まだ満足してないの?」
「そ、そういう意味じゃなくて……」
言い訳のように並び立てる桐谷の言葉を聞き流しながら、こっそりと目を閉じて首もとの匂いを嗅いだ。汗のような、しかし嫌な匂いではない、優しい匂いがした。
はじめのうちはただこうして抱き合う意味はよくわからなかった。直接的な快感が得られるわけもなく、ただどういう風に時間を過ごせばいいのかわからない。
仏壇や墓前で手を合わせるとき、何を考えていいのかわからずに必死に大人が祈りをやめるのを待っていたときのような、気まずい行為でしかなかった。
しかし何度も繰り返しやられるたび、最近は少しだけわかるような、わかりそうな気がする。
ただ桐谷の真似をしているだけにすぎないかもしれないけれど、彼といると17年間でも、一人でいても、ただ体だけ重ねていてもわからなかったことが、もう少しで見えてきそうな予感がするのだ。
佐伯は、そっと顔を擦り付けた。
きっと、その方が幸せになれるから。
多くの人もそうだろうと思いつつも、小さな頃、幼なじみの家に泊まりに行って、布団に籠もって顔を隠すと無理矢理引きずり出されたことを思い出す。するとやはり自分は人より変なところで警戒心が強い気がした。
人より遅くまで起きていたかったし、人より早くに起きていたかった。
じっと目の前の顔を見る。子供のような顔だった。
人の寝顔を見るのも、思えば人生で数えるほどしかない。自分がそうであったように、それだけ自分に心を許してくれる人はいなかったということだろう。
ほっぺたをつん、と触ってみる。柔らかい。自分はあまり肉がないから、きっとこんな感触ではないだろう。
起こさないようにそっと。でも、起きてもいいと思いながら。
「んー……」
いやいやをするように首を振られて、なんだか面白くなってつい笑う声を押さえきれずにいると、もったりとした瞼が緩くあいた。
ぱちんぱちんと何度か瞬きをして「あっ」と声を上げる。
「桐谷ってもしかして、どこでも寝れる人?」
「ああー……ごめん……そうかも」
まだ少しぽやぽやした受け答えに、やっぱりおかしくなった。
「うわ、人の家で裸で寝るなんて……」
なにやら自分の行動にショックを受けているようだ。顔を赤くして、布団にくるまったままこそこそとパンツを履いている。
未だ裸を見られるのは恥ずかしいらしい。
「俺どのくらい寝てた……?」
「十五分くらいだよ」
自分も夢心地でぼんやりしていた。それでも眠ってしまうほど疲れたわけではなかったけれど。今回は運動量にも差があったから仕方がないかもしれないなと思う。主導権を握りたがっていたから、いつもより動かずに済んだ。
桐谷はちらちらと視線を動かす。
「……目のやりどころに困るから……佐伯も服着なよ」
「困らなくても、好きなだけ見ていいのに」
おどけて言うと複雑そうな顔をされてしまったので、そろそろと体を起こす。
やっぱり、あまりこういうことに慣れた様子を出すと彼は傷つくようだ。下着を身につけつつひっそりと反省した。
もちろん、好きな人が他の相手と関係を持っていたことを感じさせる振る舞いなんて、誰だって気分のいいものではないというのはわかる。男としての記憶が残っているのだから、なおさらその感覚はわかるつもりでいる。
しかしそれを言うならそもそも自分と付き合うこと自体嫌なはずなのに、それは平気らしい。おかしな人だと思いながらも、そのややこしさを面倒だとは不思議と思わない。
「わっ」
服を着終わったと思えば少し強い力加減で抱き寄せられた。相変わらずタイミングや距離感がなんだかおかしい。少しだけバランスを崩して桐谷の体に寄りかかる。まるで喜んで抱きついたみたいだ。
「あ、ごめん、急に」
「ううん」
「や、やっぱさ、裸だとどうしても、ほら、エロい感じになっちゃうじゃん」
「そうかなあ。まだ満足してないの?」
「そ、そういう意味じゃなくて……」
言い訳のように並び立てる桐谷の言葉を聞き流しながら、こっそりと目を閉じて首もとの匂いを嗅いだ。汗のような、しかし嫌な匂いではない、優しい匂いがした。
はじめのうちはただこうして抱き合う意味はよくわからなかった。直接的な快感が得られるわけもなく、ただどういう風に時間を過ごせばいいのかわからない。
仏壇や墓前で手を合わせるとき、何を考えていいのかわからずに必死に大人が祈りをやめるのを待っていたときのような、気まずい行為でしかなかった。
しかし何度も繰り返しやられるたび、最近は少しだけわかるような、わかりそうな気がする。
ただ桐谷の真似をしているだけにすぎないかもしれないけれど、彼といると17年間でも、一人でいても、ただ体だけ重ねていてもわからなかったことが、もう少しで見えてきそうな予感がするのだ。
佐伯は、そっと顔を擦り付けた。
きっと、その方が幸せになれるから。