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挿話

 物心ついたときから心の中心にあったものが、とろとろと解けていくように佐伯は感じていた。
 認めるつもりもなかったけど、もしかしたらそれは性愛も混ざっていたのかもしれない、と自覚せざるを得なかった。
 いいや、と思い直す。きっと、夢が叶ったから、野望を持つ必要がなくなったのだとも考えられた。
 ずっと憧れていた、家族になりたかった、笑っているところを一番見たかった人が、まるで舞台を降りるように、自分の心の中心からのいてしまった。

(すぐ隣で寝てるのに、ちっともドキドキしない)

 一緒に寝よう、と言い出したのは裕子である。
 はじめの内はどことなくぎくしゃくとしていたが、ほんの数日しかない裕子の滞在期間で、あっというまにこの十数年で空いた距離は縮まっていた。
 人と一緒に寝るなんて、いつぶりだろう。小学校の低学年くらいのうちは幼なじみと遊び疲れて昼寝をしたり、お泊まりにきて一緒のベッドで寝たりなんかしていたけれど、もはや遠い思い出だ。
 人の気配がこんなにそばにあるところで寝るなんて。そんなに心を許せる人がいるなんて。
 嬉しいのに、どこかもの悲しかった。

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「本当に誰からの接触もないの?」
「な、ないよ~、一応オレだって今警戒してるんだから」
「そうか……そうだよな」

 桐谷はふむ、という様子で手で顎に触れる。そうして顔を触る癖がある、とぼんやり佐伯は考えていた。
 ふと、彼の視線がちらちらと自分の足元に向いているのに気がつく。それでいつもと違って少し足の間が心許ないことを思い出した。初めて女子の制服を着てきたのである。まるで下着が丸見えになっているように錯覚してしまって、頻繁にスカートの裾を指でなぞらなければ安心できずにいた。
 その仕草が目に付いたのだろうか。それともやはりスカート姿がおかしいのだろうか、と不安な気持ちが沸き上がってきた。
 鏡に映った自分の姿というのは、なんともおかしかった。立ち姿のせいだろうか、全身女性の姿であるはずなのに、下手くそな女装にしか見えなかった。しかし男の格好よりよっぽどいいという周りに流されて、生まれつきの女性のようなふりをして学校までやってきたのである。

「……まあ、犯人が能力者であるなら子供であることは確定しているわけだし、明らかなおじさんだったらちゃんと逃げるとか、助けを求めるとかしなきゃだめだよ。ただの変態だから」
「わ、わかってるよ。オレのこと小さい子かなにかだと思ってない?」
「警戒心なさそうだからさ」

 失礼しちゃうな、と小声で佐伯は文句を言った。
 しかしその裏で満更その口うるささが嫌いではないのだ。
 桐谷は近頃、やたらに関わってくる。饒舌な人ではないから、何を考えているのかよくわからないことも多々あったが、どうも自分の心配をしているらしいということは伝わってきていた。他の友人だってみんな気にしてくれているけれど、あくまでも病気の心配をするような距離感だ。自分のことのように心配されたって、佐伯は申し訳なくなるだけなのだが、桐谷の場合少し様子が違うと佐伯は捉えていた。
 まるでそれが自分の仕事だとでも言うように、当然のような顔をして悩んでいるのだと感じた。恩着せがましくなくて、とても気が楽なのだった。
 スカートを着ることに最後に踏ん切りがついたのも、桐谷の反応を見てみたかったという気持ちも少しある。
 結果としてあまり目立ったリアクションは得られなかったが、嫌悪されていないのなら十分だと思うことにした。


(桐谷は、やっぱり男のオレの方がいいんだろうな)

 当然のことだ。今までずっとそうして、男友達として仲良くなったのだから。
 しかしそれを意識すると、残念な気持ちになった。
 見た目が変わるだけで簡単に崩れてしまう関係なのだと思うと、虚しくなるのだ。そしてその度に自分の裕子への感情も同じようなものじゃないかと考え、さらに気分は沈んだ。
 裕子への気持ちがじんわりと馴染んでいくように溶けて消えてしまったのと、入れ替わるように桐谷への思考が頭を占拠しはじめていた。
 おそらく、彼に嫌われたくないのだと思う。
 身の回りの友人は幼なじみと、あとは女子ばかりだ。幼なじみが今更反応をあからさまに変えてくるという心配なんてわざわざしない。仲のいい女子は数日もすればすんなりと佐伯の姿に慣れてしまった。
 そう思うと、気がかりなのは数少ない男友達の桐谷である。
 嫌われたくないのだ。しかし、彼が自分のことを気にしてくれるのが嬉しかった。
 相手は心配してくれているのだ。それを喜ぶなんて不謹慎だと思う。

(こんなのまるで、桐谷のこと好きみたいじゃないか)

 そう気付いて、怖くなった。
 裕子への感情が凪いだように、自分の心の中まで女性に近づいているのではと、先日和泉に言われたことを思い出した。意識の変化というものが、自分の知らないところで気付かないうちに起こっているようで、不気味だった。

 早く戻らなくては。
 これ以上この姿のままでは、自分でも思ってもない行動をしてしまうのではないかと恐ろしかった。明日の自分は今の自分とは違う考え方をしているようで、知らないうちに別の何かに体を乗っ取られていくような恐怖感があった。
 早く、戻る手段を見つけて、『いつも』に戻らなくては。
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