このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

8章

「すごい花びら。これじゃすぐに散っちゃいそうだね」

 佐伯は桜並木の下で、雪が降ったときのように手を上にして見上げていた。
 お花見に行こう、と言い出したのは佐伯だった。
 毎日電車の窓から見かけていた桜を、すぐそばまで見に行きたかったのだという。
 同じく花見をしている人もいるが、遠くを年配の方が散歩がてら歩いているという程度だ。春休みなのに人通りがほぼない。
 駅からだいぶ離れているし、近所には小学校があったくらいで、残りは田んぼの間にぽつぽつと民家があるだけの、これぞ田舎という地域だったからだろう。俺が住むあたりも都会的とはとても言えないが、ここと比べると街中だ。
 遠くで写真を取り合っている女性グループを見つけて、そうだと思い出して携帯を出す。

「お、珍しいね、撮る?」

 佐伯が近寄ってきて、俺はさらに距離をとる。

「オレ? いーよ。どんなポーズして欲しい?」
「じゃあ、グラビアアイドルっぽく」
「えーっ! わかんないよー」

 ぎこちなくそれっぽいポーズをつけていたが、結局途中で通行人に微笑ましげに見られ、顔を赤くしてピースだけの写真を撮った。
 うん。ようやく撮れた。どうも佐伯を目の前にすると写真を撮るなんてこと頭からすっぽ抜けてしまうのだ。

 そうやっているうちに、いつの間にか道を外れていた。やや傾斜でレジャーシートを広げるには向かないが、まあ元々そんな遠足セットのようなものは持ってきていないし、適当なところに隣り合って座る。
 途中で買ったおにぎりを食べる。お弁当持ってくればよかったね、と佐伯が言うが、あんまり花びらが舞うもんだから、きっとお弁当箱は花びらまみれになっていたことだろう。このぐらいが丁度いい。
 花見なんて、はじめは興味なかったのだ。ただ出かける口実としてはありがたかった。佐伯が誘わなくても俺が誘っていたと思う。
 佐伯の様子を盗み見る。
 ちっとも減っていないおにぎりを持つ手を膝の上に下ろして、ぼんやりと桜を見上げていた。
 多分、佐伯も桜自体には興味がないのだ。

「次は和泉たちも誘おうよ。きっとこういうの好きだよ」

 和泉は桜と河合さんの写真を撮ったりするんだろう。河合さんはきっと桜がよく似合う。お花なんかも好きなようだし。

「そうだね……」

 佐伯はぼうっとした表情のままこちらを向いた。
 それから微笑むような顔をして、またすぐに表情が消える。表情を保のが、とても難しいことのようだった。

「……オレ、何してるんだろ」
「……え?」
「あ、いや……」

 佐伯はゆっくり首を振る。

「ほんとは今日……家族との約束があって……」
「えっ!? いいの? こんなとこにいて」
「うん……あ、ううん、よくは、ないんだけど……。予定自体は夜だし……、でもオレがいなくなってびっくりはしてる……かも」
「家族に言わなかったの?」

 佐伯はこくんと小さく頷いた。
 その表情は辛そうなものに変わっていた。さっきまではしゃいでいたのが嘘のようだった。
 いや、あれは現実逃避だったのだろうか。
 佐伯が家族との話をしてくるなんて初めてのことだ。あとから、電話をしたとか家族会議したとか聞くことはあったが……。あまり約束したり、予定を組んで家族と行動をする家庭ではないのだと思っていた。

「なんか、ね。桐谷に、会いたくなっちゃって……」

 佐伯は笑ったが、顔がひきつっていた。少し気を緩めると、悲しい顔になるように。
 俺はどうしたらいいのかわからない。
 俺がどうにかできることではないのだとなんとなく察せてしまった。きっと、佐伯は自分を励ますために俺を呼んで、今ほんの少しだけ笑って見せた。きっとこれが俺にできる最大限のことなのだと、わかってしまった。

「桐谷といると、嬉しいんだ。桐谷がオレのこと好きでいてくれるの、最近わかるから、ほんとに嬉しい……」

 佐伯の猫のような目から、ぽろぽろと涙が落ちていた。俺はハンカチを渡す。
 そのまましゃくりあげながら、佐伯は「でも」と続ける。

「でも、オレ、桐谷がオレのこと好きじゃなくても、桐谷のこと好きだよ。ずっと好きだよ」
「うん……」

 そっと佐伯の肩を抱く。佐伯もこちらに体を預けてくる。小さい肩だと、いつも触れる度に思う。

「あのね、桐谷と一緒にいると、すごく幸せな気持ちになるよ」
「うん、俺も同じだよ」
「そう、……そうだよね……、うん……」

 ちゃんと、伝わってると思う。伝えられていると思う。
 そして、佐伯の気持ちもちゃんと伝わってきている、と思う。
 佐伯は俺のことが好きだ。俺も佐伯が好きだ。同じだけ。
 佐伯はこちらを見ようとして、やめて、何もないところを見るようにして、ごくんと唾を飲む。

「きっ、桐谷……おっ、おわ、……お別れしよう」

 佐伯は何度もつっかえながら、過呼吸気味に浅い呼吸を繰り返して、ようやくそう言った。
 それを、すぐに否定することはできなかった。
 背中をさするが、落ち着く気配はない。ハンカチでは足りなくなって、俺はティッシュを渡した。佐伯は受け取ろうとして、泣きながら表情をゆるめる。

「は……ふふ……お、おにぎり持ったまま、泣いちゃってた」

 佐伯は、残り食べていいよ、とおにぎりをこちらに手渡し、代わりに受け取ったティッシュで鼻をかむ。
 少しだけ、空気がほぐれたようだった。
 佐伯が、俺のことを好きだと思ってくれているのも、心を許してくれているのも伝わった。
 それでもなお、別れたいのだという。

 正直最近、ひしひしとそういった雰囲気は伝わってきていた。必死に先延ばしして、誤魔化して、何度も話を遮った。毎日、死刑宣告を待つような気分でいたのだ。
 もしかしたら勘違いかもしれないと自分に言い聞かせながら。
 それでも、もし佐伯が別れたがるとしたら、どんな理由なのか何度も考えた。やはり、最近の体調の変化で、前のように遊んだり、恋人らしいことができないことへ負い目を感じているのではと思った。それが一番可能性が高いと思っていた。最近元気な様子に戻ってきていたと思うけど。
 しかし、今の佐伯の口振りからすると、そういった後ろ向きな考えによるものではない気がした。
 きっと、自分を責めているのだとしたら、もっと違う形をとると思うのだ。もう好きじゃないと嘘をついたり、そんな風に。佐伯は嘘が巧い。

「理由、教えてもらえる?」

 佐伯がひとしきり落ち着くまで、たっぷり待って、お茶を飲ませる。できるだけ詰め寄るような言い方にならないようにゆっくりと聞いた。
 ペットボトルをなぞりながら、佐伯はやや俯き加減にぽつりと話し始めた。

「……引っ越しするの。どこか遠くのところ」

 息を短く飲み込む。
 どうしてと聞きたかったが、佐伯の続きの言葉を待った。

「今日、家を出る予定で……、桐谷には、電話で……できなければ、そのまま……お別れする予定だったの」
「……そうか……」

 終業式の日の別れ際を思い返す。なんとなく納得がいった。佐伯はあれっきり別れるつもりでいたのだ。
 それは、さすがにきついな。
 でも、これまで何度も話そうとしていた佐伯に耳を貸さなかったのは俺なのだ。

「……でも引っ越すからって、別に地球の裏側に行くってわけじゃないんだろ? だったら、頑張れば会えないってことはないし、電話もメールもあるじゃないか」

 そう言うが、佐伯はゆっくりと首を振る。

「だめなんだ。新しいところに行ったら、もうオレは佐伯友也じゃなくなるの。別の、普通の女の子になるんだよ」

 言っている意味がすぐには理解できなかった。
 別れを告げられるよりずっと。

「え……そ、それは…………佐伯は……それでいいの?」

 佐伯友也じゃなくなる。
 それは今までの経歴全部を捨てるってことか? 友達も彼氏も? そんなことをする意味がわからなかった。だって、別に佐伯はなにも悪いことなんてしていない。そんな、今まで生きてきた証を全部消してしまうようなこと、普通しないしできるものではないと思う。

「そうしたい訳じゃ、もちろんないよ。でも家族のこととか、みんなのこととか考えて……そうしたら、そうした方がいいんだって……思えたから……」

 佐伯はもう泣いていなかった。

「迷ったんだ……、逃げたくなったし……誰とも離れたくない……でも、逃げたら、オレはもう、自分のこと嫌いになると思う。桐谷と一緒にいれても、もうなにも乗り越えられなくなると思う……」

 佐伯が、なんの話をしているのかよくわからなかった。話が見えない。逃げるというのは、何からなのか。
 それでも佐伯は心に決めたような顔をしていた。

「桐谷と一緒にいたいからって、迷ってる自分も、ほんとは嫌なんだ。……ごめんね、こんな話されても、わかんないよね。困るよね。わかってるんだ……すごく勝手なこと言ってるって」
「……いや……、困る……というか、よく、わからなくて……いや、でも……何も知らないままより、いい……と思う、よ」

 わからないけど、わからないことがあるということすら知らないままでいるより、多分いいはずだ。そして、佐伯が俺にそれを言いたくないということが、はっきりとわかるのも……。
 佐伯が別れようとしているのは、どうしたって変えられそうにないということは、わかった。
 でも、そんなのは嫌だ。嫌だし悲しい。納得できない。何度考え直そうとしても、そんなの嫌だという気持ちで思考は停止する。

「そうか。……そうか……うん……」

 それでも、まるで我が儘を言って駄々をこねているような気持ちになる気がして、物わかりがいい振りをした。
 本当は、そんなわけのわからないことどうでもいいから、どこにも行かないで欲しいと言いたかったのに。駆け落ちでもしようとか、うちに来ればいいとか、現実的ではないことでも、言ってしまいたかったのに。きっとそのどれもが佐伯に拒否されるんだとわかってしまった。

「どんなに嫌で、苦しくても、いいんだ。嫌で苦しいのを、ちゃんとやりたい」

 佐伯が言うと、すごくおかしかった。
 いつも飄々としていて、お気楽で、要領がよかった佐伯が、だ。わざわざ避けられる困難を選ぶような性質ではないだろうに。もし避けられなくともどうにかうまい具合に楽しむ、そんな奴だと俺は思っていたのに。その表情は至極真面目だった。
 でもその台詞で、そうか、と思ったのだ。俺も同じだからだ。安全圏で離れたところにいるより、傷ついてもいいから佐伯の側にいたかった。そんな気持ちで付き合い始めたのだ。

「大丈夫、自分にわざと意地悪しようとしてるんじゃないんだよ。そんなんじゃない」
「……うん……」

 大丈夫、大丈夫と俺を励ますように何度も呟いた。
 さっきまでボロボロと泣いていたのに、まるで覚悟が決まったかのように。俺を置いてけぼりにする気らしい。

ーーー

 帰り道、さっきまでの会話なんてすべて夢だったみたいに、佐伯は明るくなっていた。ずっと心につかえていたであろう話ができてすっきりしたのだと思う。俺もその方が気を楽にしていられた。
 数十分歩いて、バスに乗って、それから電車だ。
 畑のかかしを見つけて怖がったり、道に迷って犬の散歩をしている人に教えてもらったり、いつの間にか手を繋いで歩いていた。
 誰とすれ違っても放したりしなかった。

「一年前はさ、こんなの考えても見なかったよね」
「そりゃあね……、性別変わっちゃったしね」
「ほんと。あり得ないよ」

 今まで何度もした会話だ。くすくすと二人で笑う。
 本当に、誰にも想像つかないだろう。
 出会ったときは男同士で、それでだって仲良くなれる気なんかしなかった。趣味も行動も見た目もまるで違うんだから。
 そりゃあ、少しは憧れたり羨ましい気持ちを持つこともあったけど、それと一緒に妬ましい気持ちもあったのだ。
 それが付き合うなんて。
 佐伯が俺を好きになるなんて、想像できるか? 裕子さんにぞっこんで、女友達ばっかりつれてて、いくらでも相手なんて他にいそうだったのに。女になったって、和泉とか、石橋だって佐伯には優しいし、他にも俺の知らないところで知り合いがたくさんいるんだろうと思う。それなのにだ。
 俺自身に対してもびっくりしている。人に好きだなんて恥ずかしいこと何度も言って、なんの抵抗もなしに手繋いで歩くなんて、そんなこと絶対できないと思っていた。
 でも、今では佐伯と一緒にいるのが当然になっている。
 触ってもなんの文句も言われないし、触られても驚いたりしない。
 すごく不思議なことだと思う。
 俺と佐伯との間にしか存在しない関係のような気がした。だって、こんなの、そうそうあってたまるもんか。

「佐伯はさ、俺のどこが好きなの」

 人のいないバス停。
 気付けば、今まで何億の人も言ってきたんじゃないかっていう、陳腐な質問をしていた。
 佐伯は照れくさそうに笑った。

「ええ~? どこだろな~」

 俺だって聞かれてほいほいと答えられない。和泉なんかは得意なんだろうが。どうしたって俺はああいう人間にはなれないのだ。

「ずっとずーっと、みんなのこと考えてくれるとこ」

 ベンチでぷらぷら足を揺らして、佐伯は言った。

「うそ。考えてなくても好き」
「はは」

 まるで浮かれた会話だった。付き合いたてのバカップルだ。
 もっと最初のうちにやるべきだったな。
 佐伯が俺に同じ質問をしてこないのは、正直ありがたかった。とても俺の知っている言葉では説明できないからだ。
 ただ、もし佐伯が俺にとって許せないことをしたとしても、きっとそれでも嫌いにはならないだろうと確信できた。

 多分、運命的なものではないのだ。
 誰もお膳立てしてくれないし、何かに引き寄せられるように出会えたりなんかしない。
 きっと何かがズレてたら、全然違う関係になっていた。何度生まれ変わっても、という自信はない。
 ただなんとなくタイミングがあって、なんとなく助けたくなって、なんとなく好きになった。
 それでも、今なんとなく付き合ってるわけじゃない。
 離したくない。ちゃんとつなぎ止めておきたい。なんでそれが上手くできないんだろう。

「俺、多分この先誰とも付き合えないよ」

 バスに揺られながら、小さな声で言った。
 他の客はいなかったけど、佐伯にしか聞こえない声がいいと思ったのだ。

「……そんなこと、言わないで。桐谷はいい奴なんだからさ。もったいないよ」
「もったいないってなんだよ」
「桐谷が誰かと一緒にいて、幸せだったらいいなーって、思うのさ」
「……単純にモテなくて一生一人かもしれないけどね」
「あはは。そこは桐谷の頑張りどころだねー。大丈夫、ここ数ヶ月でだいぶかっこよくなったよ。オレのお陰」

 たしかに、異性に対して余裕持って接せられるようになってきた……気はする。それでもやっぱり、気が利かなかったりするところは多いと思うのだが。

「佐伯も…………いや……ううん」
「ちょっと、オレの幸せも祈ってよ」
「いや。うん。それはそうだけどさ……わかってるけど、やっぱ、すぐには無理だよ」

 俺は全く別れたくなどないのだ。そんな状態で、他の人とお幸せになんて、正直考えたくもない。誰かと一緒にいて笑顔になって、その人の手をとる佐伯は、嫌だ。

「そうだ、別の人になるとしてさ、すぐは無理かもしれないけど、佐伯は俺のこともこの場所も覚えてるわけだろ。じゃあ、また帰ってきてよ。それで新しい別の誰かとしてまた会って、付き合おうよ。それなら誰も文句は言わないだろ?」

 佐伯は困った顔をしていた。笑っていたけど。
 窓の外に視線を移し、「ごめんねえ」と呟いた。
 きっとまた会えるから、とか、帰ってくるから待ってて、とか、そういう言葉を期待していたんだと思う。会いに来て、でもいい。どうにか頑張って探し出す。
 でも佐伯はそんなことを望まなかった。

ーーー

「昭彦たちと、仲良くやってね。勉強、頑張ってね。河合さんが困ってたら助けてあげてね」
「う、うん」

 駅。俺と佐伯は反対方向の電車に乗る。俺たちは佐伯が乗る電車を待っていた。
 家まで送っていくと言ったが、来るなとはっきり拒絶された。きっと家族がかんかんに怒っているからだという。それならなおさら心配なのだが、彼氏といると知れたらもっと収拾がつかなくなるんだそうだ。そこまで言われると諦めるしかなかった。
 佐伯は心配げに、まるで母のようにあれこれ言ってきた。
 本当なら、知らない土地へ行く佐伯に、俺が言うべきなのに。

「さ、佐伯も……健康に……気をつけて……、どこか悪いところがあったら、我慢せずすぐ病院に行きなよ……」
「あはは、桐谷らし~」

 本当に、出てくるのは気の利かない言葉ばかりだ。絶対にあとから、ああ言えばよかったなんて散々後悔するんだろう。
 今までだって、全然言葉が足りていない自覚があるんだ。
 それでも電車はやってきた。ホームにアナウンスが響き、追い立てられるような気持ちになる。

「ねえ……俺、やっぱ、佐伯がいないなんて、ダメかもしれない……」
「……」

 佐伯は黙って俺に抱きついた。周りに人がいるのに。それでも俺が思ったほど、人は俺たちのことを気にしてはいなかった。髪の毛が顔に触れて、シャンプーの匂いを吸い込む。

「人の匂いかがないの」
「……ごめん」
「ううん。オレの方こそごめんね。たくさん振り回して。……ありがとね」

 ぱっと佐伯は離れ、そのまま数歩離れる。

「じゃあねっ」
「……じゃあ……また……」

 あまりに普段通りの言葉に、いつものように返そうとして止まる。
 またはないのに。
 それでも佐伯は何も言わずに微笑んで、振り返って電車に乗り込み、ドアは閉まった。


 そこから、あまり覚えていない。ただ、発車する電車を追いかけたり、窓越しに別れの言葉を叫んだりなんてことはしなかった。ただ力なく見送って、俺はそのまま帰宅したらしい。
 気付いたらベッドに突っ伏していた。ここまでの道を一切覚えていない。
 ドアの向こうから母親が何か話しかけてきたが全部無視した。心配されても、何も説明できないから。
 改めて佐伯の話を反芻しても、信じられなかった。
 電話したら出てくれるんじゃないか。メールしたら返ってくるんじゃないか。春休みが明けたら、平気な顔をしておはようって言ってくるんじゃないのか。
 それでも確かめる気力はとても湧かない。
 他の人だったらどうしたんだろうか。
 和泉だったら、もっといい結果にできたんじゃないだろうか。無理矢理佐伯の家に乗り込んで、家族を説得するとか。
 そんなことを考えつくのに、行動には移せない。傷つくのが怖いんだろうか。今だって傷ついているはずなのに。
 佐伯は傷ついてはいないだろうか。俺は佐伯を追いつめたり、苦しめたりしなかっただろうか。自分のことを考えていたのに、いつの間にか佐伯のことばかり考えていた。
 こんな風に考えることは、これからどんどん減っていくんだろうか。
 いつか、一度も佐伯のことを考えていない日が来るのだろうか。
 そんなの、想像できるわけがなかった。
14/15ページ
スキ