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8章

 さて、早いもので、今日は終業式。高校二年生も終わりだ。

「桐谷っお誕生日おめでと!」

 そして俺の誕生日でもある。
 佐伯は朝、駅まで迎えに来ていた俺の姿を見つけるなりそう言って駆け寄ってきた。

「お、おはよう、ありがとう」
「あっおはよ~。ぎりっぎりだねえ、誕生日」
「まあね」

 3月18日。大体春休みのはじまりと被る。こんな時期に誕生日を迎えるので、同級生に祝われるというのは殆どなかったし、なんだかくすぐったかった。

「桐谷ん家、やっぱパーティーとかするの?」
「うーん、まあ、夜にケーキは食べるよ。パーティーってほどのことはしないな」

 母はお祝いしてくれるけど、小学校の頃、同級生の誕生パーティーにお呼ばれしたことはあるが、ああいうのは経験がない。
 友人にさあ祝えと誕生日を主張するのもなんとなく気後れするんだよな。俺だけかもしれないけど。

「あれ、そういえば佐伯の誕生日っていつだっけ」
「七月三日だよー。まだまだ先だね」
「えっ……そうなんだ……言ってくれればよかったのに」

 三日といえば夏休みでもないし、佐伯のことだからもっとみんなでお祝いにかこつけて遊んだりとかすると思ったのだが、思い返せば佐伯の誕生日を祝うことも祝われている様子も記憶になかった。

「うーん、あの時期はねえ、雨多いからねえ。折角プレゼント用意して貰っても学校これないこと多いから、申し訳なくてさ。あんまり自分から言わないかなー」

 ……ああ、そうか。雨の日は佐伯は学校を休むのだった。女の体になってからは雨が平気になったようだから、すっかり忘れていた。

「じゃあ今年は祝えるじゃん」
「えー? 覚えてられるかなー? 忘れられたら拗ねちゃうよ」
「忘れるわけないよ。記憶力はいい方だし」

 さすがに彼女の誕生日を忘れられるほどとぼけた男ではない。

「ま、オレの話は良いよ! まだまだ先だもん。ねえ、プレゼント、今欲しい?」
「えっ! あるの!?」
「当たり前じゃ~ん」

 佐伯は得意げに鞄を持つ腕を振った。この中にありますよ、という主張らしい。
 どうしよう、今欲しい。けど学校終わってからの楽しみにとっておくのもいいよな。

「佐伯おはよー」
「あっおはよっ」

 うんうん唸りながら歩いていると、後ろからの声に佐伯が反応する。クラスの女子が俺たちを追い越していった。

「……帰りに渡すね」

 こそっと佐伯は声を潜めた。そうだな、人目を避けてゆっくり満喫するなら放課後がいい。

---

 学校では河合さんも声をかけてくれた。

「佐伯が教えてくれたのよ。危うく忘れるところだったわ。これ、オススメの本。おめでとう」

 余計なことを言いながら河合さんはハードカバーの分厚い本を鞄から取り出して渡してくれた。

「お、重かったでしょ」
「重いわよ。まあ、今日は授業もないから別にいいでしょ」

 まあ、たしかにそうなんだが……これを持って帰るのか。いや、でも河合さんのオススメなら読んで損はない。楽しみにしよう。
 和泉からはお菓子の大袋を貰った。多分本人は適当に買ったんだろうが、地味に嬉しい……。部屋に隠してこっそり食べよう。
 そんなやりとりを見て、クラスの連中も気付いてくれたらしくおめでとうと声をかけてくれたり、手持ちのお菓子をくれたりと祝ってくれた。意外と嬉しい。自分が祝われて素直に喜べるタイプだとは思わなかった。
 式の方は特に変わったこともなく、HRでもクラス替えもないし、受験生になるにあたって~みたいなちょっとした説教があった程度で二年生最後の登校日は終わった。まあ、ちょっとした課題は出たけど。春休みくらいなにも考えずに休ませてほしいよな……。

 その後四人でカラオケに行った。かなり久しぶりなことだ。佐伯は音痴だと言ってあまり歌いたがらないし。
 それでもその日は佐伯も歌った。別に酷い音痴ってわけじゃなかった。上手ってわけでもなかったけど。
 CDなんかもいくつも持っていて、俺よりずっと音楽に詳しいだろうに、選曲が子供向けのアニソンばかりで笑ってしまった。

 喉が少し枯れるくらい歌って、そこで解散した。……いや、普通に解散すると俺は河合さんと帰ることになるわけだが、どうにかして佐伯とあとで落ち合おうと考えていると、河合さんは自分からちょっと野暮用が……と抜けていった。
 ……別に……バレてないよな? ちゃんと隠せてるよな?
 ……まあ、確かめたって藪蛇にしかならないし、と考えることをやめて俺と佐伯は駅前の適当なベンチに座った。
 さすがにこの時期、この時間となっては学生の姿はまばらだった。

「久しぶりにあんなに歌ったなあ……」
「桐谷声ちょっと低くなってるよ。元々低いのにさ」

 佐伯はくすくすと笑う。佐伯は普段から声を出し慣れているせいか、疲れた様子はない。

「あ、プレゼントね」

 俺が佐伯の様子を伺っているのを勘違いしたのか、佐伯は鞄をごそごそと漁り始めた。袋を取り出し、ううーと鳴いてそれを胸元に抱えて難しい顔をする。

「どうしよ。自信なくなってきた」
「え。何? 手作り?」
「そう~柄にもないことするでしょ? お金あるくせに」
「そんなこと思ってないって」

 佐伯はなにやらひよっているようだった。手作り。クリスマスはクッキーをくれたし、バレンタインはケーキをくれた。どちらもおいしかった。
 それにやっぱり手作りって嬉しいしな。佐伯にそういうものを貰うようになってから気持ちがこもっているっていうことを実感する。
 俺が期待に満ちた目で見ているのに気付いたのか、佐伯はちらちらとこちらを見て、やがて観念したように袋を差し出した。それを丁重に受け取る。
 持った感じ重みはない。手作りというから、食べ物かと思ったのだが違うようだ。他に自作するものといえば定番はマフラーとか、手袋なんかだと思うのだが、時期的にはもう必要ないしな……とあれこれ想像しながら中身を取り出した。

「テディベア?」
「……そ、そう……。あ、あのねっ、ほらっ桐谷の部屋ぬいぐるみいくつか飾ってあったから、なしじゃないのかなあって思って……」
「え、すごい。これ作ったの!? 自分で!?」
「あっ、うっ、うん、まあ、その型紙とかあるし……あーでもほんとっ色々へたくそでさっ、なんか形曲がってるし、腕も左右で大きさ違うし、突っ張ってるとこも糸飛び出てるとこもあるし、顔もちょっと間抜けっていうか……」
「いや、いいよそんなの、むしろそういう個性があるのがいいんじゃん」
「そ、そう……?」

 佐伯は終始自信なさげにあわあわと言い訳していた。確かにお世辞にもプロっぽい出来とはとても言えないが、味があるし、顔だって不細工ってほどバランスがおかしいわけでもない。ちゃんと可愛い。

「佐伯が裁縫もできるなんて思わなかったな」
「もう、やめてよ、全然だよ。家庭科の授業でやったっきりだもん」

 佐伯は照れくさいのか、顔を押さえながらやたら周りをきょろきょろ見回してる。

「ありがとう、ちゃんと部屋に飾るよ」
「……へ、へへへ。……あのね、有名な漫画であるんだよ、好きな人にテディベア送りあうの」
「え。俺も作った方がいい?」
「いやいや! オレが勝手に影響受けて送りたくなっただけだから。貰ってもオレぬいぐるみ飾ったりするタイプじゃないしさ」

 たしかに、佐伯の部屋は鑑賞目的のものは一切なかったしな。ポスターなんかも見るために飾ってるんじゃなくて、保管に困って貼ってるだけとか言ってたし。どこかで貰ったらしいぬいぐるみは逆さまになって転がって埃を被っていた。
 俺だって別にぬいぐるみが好きってわけじゃないのだが、赤ん坊の頃なにかの記念の度に贈られていたようで、ちょっとしたコレクション程度にはなっている。正直この年になると部屋に飾るのは恥ずかしいところがある。でも折角貰ったものを仕舞い込むのも抵抗あるし、可愛がって遊んでいるというのとは違うから気にしないことにしているのだ。佐伯にもばっちり見られていたらしいというのは、ちょっと今になって恥ずかしくなってきたが。

「うん、嬉しいよ。大変だったでしょ、作るの」
「まーねえ。でも学校休んでる間とか手動かす時間はあったからね。おばさんが作り方の本持ってたし、教えてもらえたし、桐谷が思ってるほどじゃないよ。次はもっとうまく作れると思う!」

 佐伯はぐっと拳を作って見せた。佐伯は器用なやつだが、こういうちまちました制作はあんまり得意じゃなさそうだと勝手に踏んでいた。できないというより、性格上あんまりやりたがらないと思っていたのだ。まあ、元々興味はあったが昔は目が悪くてやりたくてもできなかった、と言ってたけど。
 でもわざわざ作ろうと思い立ってくれたのが嬉しかった。
 佐伯の誕生日でこのお返しに俺も手作りして贈ったらさぞ驚くだろうな。頑張ってみようか。柄じゃないと笑われるだろうか。いや、佐伯のことだから喜んでくれるはずだ。

「まあ、その子をオレと思って……」

 結構ロマンチックなことを言うな、とクマから視線を外して佐伯に目を向けると、何故か佐伯は固まっていた。

「な、なななんてね! 何言ってんだろオレ」
「佐伯と思って今夜抱いて寝るよ」
「やめてよーもー! うわー変なこと言っちゃった」

 そんなに気にするほどのことだろうか。慌てる佐伯はなんだかおかしかった。変なところで恥ずかしがるんだよな。
 顔を赤くして、ぱたぱた手で仰いでいる。なんだか目がうるうるしているような気さえする。そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。
 俺はクマを丁寧に袋に包み直して、鞄に入れていたら潰れてしまいそうなので、手に下げて持って帰ることにした。

「さて、もう帰ろうか」
「あ。うん……そうだね」

 たっぷりカラオケしたのもあって、もういい時間だ。ここから電車に乗って帰宅すれば途中でもう日は落ちている頃だろう。あんまり引き留めるべきじゃない。

「あ、あの、ちょっとこっち……」

 改札まで見送ろうと歩き出した俺の手を引いて、佐伯は道を外れる。
 人通りの多い正面側から逸れ、壁際の、少し奥まったところに連れて行かれる。別に人の視界を遮れるほどの場所ではないのだが、まああまり目には付かない場所だろう。
 そこまでくると佐伯はくるっと振り返って、少しあたりを見回し、正面から俺に抱きついてきてそのままキスしてきた。
 突然のことに体が動かなかった。
 えっなんで? 今まであんなに外でひっつくの嫌がってたのに、自分から? 解禁ってこと?
 内心であれこれ考えているうちに佐伯は納得したように離れてしまっていた。

「プレゼントってことで……。じゃ、じゃあねっ」

 軽く手を振り、俺の横をすり抜けて佐伯はさっさと駅に戻っていく。少し惚けていた俺が慌てて後を追いかけたときにはすでに姿はなかった。
 一体どうしたんだ急に……。
 嬉しい気持ちと、なんだかそわそわするような気持ちを抱えて俺は自分の帰路についた。
 テディベアも、キスも嬉しい。佐伯らしくないけど、でも特別なんだと思うとやっぱり嬉しい。
 人生で一番いい誕生日だったと言って良いと思う。みんなに祝ってもらえたし、一番祝って欲しい人にも目一杯祝ってもらえた。
 幸せ者だと思う。
 でも、なぜだか不安な気持ちがいつも胸のどこかにあるのだ。
 ちゃんと、俺が幸せなように、俺も佐伯を幸せにできているだろうか。なんの曇りもなく、ただ期待や楽しさだけを抱えて、子供が無邪気に笑うように、そんな気持ちになっていてほしい。どうしてだろう、恵まれた気持ちになるほどそんな焦燥感が湧いてくるのだった。

 そうやって、三学期は終わった。
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