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8章

 三月は授業が少ない。入試で休みにもなるし、授業も大方終わったらしく、自習が続いていた。
 佐伯が元気そうに過ごしていると思えば、和泉がぶすっとしていた。
 俺はなんとなくそれが佐伯絡みのような気がして、こっそり話を聞こうと近づくのだが、そうすると佐伯はついてくるし、さらに和泉のそばには河合さんがひっついているのだ。
 あまり根ほり葉ほり聞くことができない。気づけば四人顔を合わせていた。
 相変わらず、佐伯は周りに俺たちの関係を知られたくはないらしい。
 そのおかげで俺は四人でいると少し悶々とした気持ちを抱えてしまうのだが、河合さんはご機嫌そうだった。彼女は和泉に懐いているけど、やっぱり四人がいいのだという。嬉しい。
 結局ホワイトデーのお返しだとか、佐伯と河合さんのバレンタインの分の交換だとか、個別に渡し合ったりするのが面倒だからと河合さんが言うので、各自人数分のお菓子を持ち寄るという結果に落ち着いた。こうなるともはやホワイトデーでもなんでもないような気もするが、不平不満は生まれまい。
 机の上に集められたお菓子の中から、佐伯作のカップケーキを手にとり、河合さんは緩んだ表情になった。

「三年になってもクラス替えないのはラッキーよね。嬉しい。もしみんなバラバラになったら、わたし寂しくてやっていけないわ」
「わあ、河合さんがデレ期だ」
「河合は最近デレデレだもんな~。ほれ、二人にも見せてやれよ」
「何もないわよ! デレてないし!」

 河合さんが話し出すと、和泉は笑って、いつもの調子で話し出す。河合さんもそれをみて安心しているようだった。
 和泉の影響力はでかいのだ。空気がガラッと変わるのだから、しっかりしていて欲しい。
 河合さんは最近、さらに明るくなったような気がする。といっても、クラスに馴染めているかというとなんとも言えないのだが、それでも、仲のよくない子に話しかけられても喧嘩腰のようにはならない。
 そういえば、小野さんはめっきり主張しなくなっていた。河合さんへの嫌みもなくなっている。
 俺が気付いていないだけかもしれないが。

「トイレ行ってくるわー」
「あ、俺も行こう」

 席を立つ和泉に続く。そうだ。俺たちは男同士だ。男しか立ち入れないところで話せばいいのだ。

ーーー

「で、なんの用だい坊ちゃん」

 和泉はニヒルな笑みを浮かべ、腕を組んで壁に寄りかかった。トイレで。いまいちカッコつかないやつだ。
 しかし、まさか俺が話を聞きたがっていると察してトイレに来たのか? こいつ、どれだけ察しがいいんだ?
 よかった。ぼさっと和泉のトイレを見送らないで。

「いや、まあ、用ってほどじゃないんだけど、なんか難しい顔してるから気になってさ」
「ああ、そういうことか」

 どういうことだと思ったんだろう。
 和泉は煙草でも吸いだしそうな、けだるげな様子だった。

「これはな」

 続けて口を開こうとした和泉は、途中で言葉に詰まり、首を捻る。

「女にフラれた」
「はっ?」

 女!? いつのまに!? 何故!? 誰に!? しかもフラれた!?

「そ、それ、それって河合さんに……?」
「はあ?」

 ああ、いや、それはないか。
 河合さんだって振った相手とあんなに楽しげに話したりはしないもんな。じゃあ、誰だ? 小野さん? でも小野さんが和泉のこと好きなんだよな? 押してダメなら作戦が効いたのだろうか。

「だ、誰……?」
「……」

 和泉は何も言わず、深くため息をついてその場にしゃがんだ。床には足しかついていないとはいえ、なんとなくちょっと汚い。

「……友也」
「はああっ!?」

 なんで!? 今までそんな素振りは一切見せなかったのに! いや、そりゃ、振られるだろうけど……。

「まあ、今のは全部冗談だ」
「は?」

 和泉はしれっとした顔をしている。
 変だ。こんな冗談をいう奴ではない。テンションも少しおかしい。
 俺はおずおずと隣にしゃがんでみた。異様な光景だ。頼むから今は誰もトイレに入ってこないで欲しい。

「なんかあったの? あっただろ」
「んー」

 和泉の肩を揺する。それほど身長差はないのに、こいつは肩の厚みが俺とはまるきりちがう。結構な力を入れないと動かない。
 むしろ俺が自分の力を支えきれず、バランスを崩して床に手をついてしまった。

「げ」
「きったね! 触らないでくださる?」
「く、くそう……」

 すぐ横の水道で手を洗った。
 何してるんだ、俺。

「おれら、何してんだろうな、一体」

 和泉は、顔を背けて奥の小窓の方を見ているようだった。黄昏ているみたいな姿がなんだか面白くなってくるが、今は心配しておくべきだろう。
 言葉の意味がわからず、俺はただ泡を水で流す。

「はあ、なんでこんな時間かかっても、いつまで経っても大人になれねえんだろ……」
「……それは……、今は子供だから長く感じるだけだよ。大人になってみれば子供時代なんてあっという間、なんてよく聞くだろ?」
「なってからじゃ遅ぇんだよ、今なんねえと、意味ねえ」

 それは、そりゃあ、逸る気持ちはわかる。が、何とも言えない。どうせいつかなるんだ。今すぐ大人になれないように、ずっと子供でいることもできない。
 和泉のいう大人というのが何を指すのか、よくわからないが……。

「……気持ちは、わかるよ」

 和泉は鼻をフンとならした。

「河合が泣くとこは、見たくねえよなあ……」
「……河合さん? 河合さんが関係してるの?」
「……や、まあ……、別に、直接は関係ねえよ。副産物っつーの?」
「よくわからないな」
「おれもどう説明していいのかわからん」

 和泉は開き直ってしまった。……まあ、こいつがそういうなら、本当にうまく説明できないのだろう。あれこれ知恵を巡らせて思わせぶりなことをいう人間ではない。
 河合さんは泣き虫だ。河合さんの泣き顔は何度見ても胸が苦しくなる。佐伯だってそうだ。
 河合さんが泣くようなことが、何かあるんだろうか。それなら、佐伯はどうなんだろうか、俺はどうなんだろうか。

「なあ流」

 和泉はぽつりと言う。

「お前友也のこと好きだろ」

 どくんと心臓が跳ねた。
 そうだよ。
 そう言ってしまいたかった。

「……友達としてね」

 和泉はこちらを見ていた。
 相変わらず、派手な顔だと思う。
 河合さんの前ではよく動く顔が、石像のようにこちらを見ていた。

「そうかあ」

 それならこの話は終了だと言うように、和泉は立ち上がる。
 俺はもう何も聞けなかった。

ーーー

「あ、おかえりー」

 佐伯と河合さんは、ふたりで携帯を見ていたらしい。明るい声だった。

「見て、和泉、桐谷、この猫ちゃん可愛いんだから」
「お前らまた動物の動画かよ、飽きねえなあ」
「飽きるってものじゃないよ! 癒しだよ癒し!」

 佐伯と目が合う。すると佐伯はにっこり笑う。ずっとそうだ。
 そういうとき、俺はうまく笑って返せないのだ。
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