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8章

 短い二月が終わろうとしていた。
 ここまで来てしまえばあっという間だったが、佐伯のことが心配でとてつもなく長く感じた二月でもあった。
 佐伯の様子は相変わらず元気いっぱいとはとても言えないが、精神的な不安定さは消えているようだった。
 そして俺はむしろ、それに少しだけ怯えていた。まるで吹っ切れてしまったかのようじゃないか。佐伯の心の内で何が起こったのか、それが怖かった。
 弱っているよりよっぽどいいのに、自分勝手な考えが抜けなかった。
 でも少なくとも飽きられたり、嫌われたりしている気配は感じられないので、そこを頼りに自分を落ち着かせていたのだった。
 放課後、俺たちは近頃食堂にちょうどいいスポットを発見していた。壁を背にすれば周りに人がいるかひとめでわかるし、風が入らず西日が差すので暖房がついていない割にそれほど寒くもない。膝掛けがあれば十分な環境らしい。
 放課後の食堂はもちろんすでに食べ物は販売していないのだが、一部開放されているのである。
 人は殆どいない。特にうちの教室から下駄箱へ向かうルートからは外れるせいか、わざわざ寄り道するやつは全くといっていいほどいないらしい。

「あ、そうだ佐伯、ホワイトデーなにがいい? 好きなものとかある?」
「ええ? くれるのー?」
「当たり前だろ」

 俺はしばらく悩んでいたことを直接本人に聞くことにした。プレゼント選びは向いていないとクリスマスのときよくわかったし。
 佐伯の声は若干ぼんやりした感じはあったが、弱々しいというほどではなかった。
 最近教室ではほとんど寝たり、ぼーっとして過ごしている。不調というわけではなさそうだが、あまり活発に動き回りたいという気分にはならないらしい。しかし鬱屈した雰囲気はないから、だいぶマシだろう。

「んー……食べ物じゃなくて……物がいいな。ハンカチとか」
「ハンカチなんて使わないだろ、お前」
「プレゼントしてくれたら使うよー」
「ふむ。ああでもたしか、ホワイトデーのときのハンカチってあんまりいい意味じゃなかった気がする」
「え。定番だと思ってたのに」

 佐伯は指を顎にあてて考える仕草をする。
 最近の佐伯は、どうにも表情や言葉に申し訳なさをはらんでいる気がしてならない。
 普段通りなときもあるけど、でもこうしてなんてことない会話をするときどこかで俺はほっとしてしまっているのだ。つまり、そうではないときどこか緊張しているということである。
 なんだろうな。何を考えているのかわからないのが問題な気がする。元々なんでもかんでも打ち明けるようなタイプでないことはわかっているけど、俺に予測のできない何かを考えなければいけない状態に陥っている、ということ自体が不安を誘うのだ。
 そして俺はそんな佐伯は俺から離れようとするのではないかと、俺は焦っていた。佐伯のことをそういう奴だと思っている。
 俺の思い違いである可能性も十分あるけど。それを確かめるというのは相変わらず、腹が括れない。
 かといって、俺は佐伯のネガティブな何かに関する思考を吹き飛ばすくらい元気にさせる言葉というのは思いつかない。
 佐伯の悩んでいることすべてに、大丈夫だよと言って回りたかった。そしてそのすべてを解決したかった。でも実際には、佐伯の不調のひとつたりとも取り除けないのだ。
 だけど、俺が佐伯をつなぎ止めておきたいという欲と、ごちゃまぜになっているような気もする。
 俺は佐伯に、変な後ろめたさみたいなものを捨てて、なんの遠慮もせず迷惑をかけてほしいのだ。和泉たちも同じ気持ちだと思う。
 人を頼ることができない相手に、頼れというのはわがままなのかもしれないけど。
 その上で佐伯がお前となんか付き合ってられるかというのなら、しょうがないと思うえるが、そうじゃないならどれだけでも振り回してくれていいと思っているのだ。
 和泉を見習おう。和泉は自分がいいと思ったことをする。河合さんのことをちゃんと見て、無視なんてしないけど、びくびくと顔色を伺ったりしない。そんな奴だから河合さんは心を許したんだと思う。

「ゆっ指輪、とか、どう?」
「へっ? 桐谷が? 指輪?」

 佐伯はぽかーんと口を開けた。

「お、重いって言うんだろ……」
「重い……、重いねえ」

 佐伯は苦笑している。
 和泉を見習おうと決めた矢先だが、和泉が散々やめとけと忠告してくれたアクセサリーだ。
 それでも事前に本人に言うのはやっぱり自信がないからである。サプライズで渡して心の底から喜んで貰えると思えはしない。アクセ興味ないのはわかっているし、完全に自己満足だ。でもそういうテンプレート的なアイテムでないとうまく気持ちが伝わらないと思った。

「折角貰ってもなかなかつけられないと思うし、悪いよ」
「お、俺が渡したいと思うんだけど……だめかな……」
「渡したいの? そういうのつけてほしい?」
「つけてほしいっていうか……こ、こう、ほらっ、俺の気持ちを表現するにはそのくらいじゃないと足りないって言うか……!」
「あはは……そっかそっか。でもそれなら大丈夫だよ、ちゃんと伝わってるから」
「そうかな……、全然伝わってないと思うんだけど……」

 んー、と佐伯は笑いながら視線を逸らした。

「オレが桐谷を好きなのと同じくらい、オレのこと好きでしょ」

 ……そう言われると、何も言えなかった。
 多分俺の顔は赤くなっていたと思う。

「へへ、なんかすごく恥ずかしいこと言ったね。オレ」
「そ、そうかもね」

 佐伯は足をぷらぷらと跳ね、膝掛けが揺れる。

「ねー、初めて会ったとき、こんなの想像しなかったよね」
「そりゃあまあ……そりゃあまあね」

 なんせ、男同士だったわけだし。
 思いもしないと言うか、眼中にないというか……。

「何が起こるかわかんないね。仲良くなってから一年も経ってないのにこんななんだもん。三年後とか、五年後はどうなってるんだろう……」
「……別に、変わんないよ。だって今まではずっと似たような一年を過ごしてたもん。去年が激動だっただけ」
「オレとの出会いが特別だって~?」
「う、うるさいな! 茶化すな!」

 佐伯はにやにや笑って、肘でこちらをつついてくる。
 照れ臭いのに、嬉しい気持ちがふわふわとのぼってくる。

「うーん、やっぱり指輪はいいよ。なくしちゃったらやだもん。それにホワイトデーだよ? バレンタインに渡したのはケーキだよ? もっと釣り合うのがいいよ」
「……そ、そっか……」

 一理ある。少し、俺が一人で暴走していたようだ。
 別にケーキに釣り合わないほど高価な指輪を贈るつもりなんてなかったけど。
 俺が少し落ち込んだのが伝わったのか佐伯は苦笑して、励ますようにぽんぽんと俺の腕を叩いた。

「ごめん、自分で物がいいって言ったけど、やっぱり食べ物がいいな。ゼリーでね、食べたいのあるんだ」
「……わかった」

 やっぱりちょっと意気込みすぎた。引かれてしまったんだろうか。
 指輪、贈られても困るよな。学校にはつけてこられないし。俺だってしたことないから、もしかしたら日常的につけると邪魔かもしれないし。

「もー、落ち込まないでよ。桐谷がくれたマグカップ、毎日使ってるんだよ? あれで十分なの」

 なんとか佐伯の気分を上げようとしていたのが、いつの間にか立場が逆になっている。
 でも、いつもの佐伯だ。それが嬉しい。
 嬉しいってことも全部伝えたかったが、それだとまた不調がぶり返したとき佐伯がすまなそうな顔をするのかと思うと、俺は黙っているしかできなかった。
 とにかく、俺はこのままがよかった。
 もし佐伯の調子がよくならないなら、それは嫌だけど、嫌なことも俺が飲み込みたかったのだ。
 それが伝わっているといいなと思う。
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