8章
佐伯の様子がおかしい。
いや、ここ半月くらいずっとおかしくはあったけど。
インフルだと言って長いこと休んでから、ことさらおかしい。
そして俺もちょっとおかしかった。
今までの俺ならこういうとき、何が何でもその原因を突き止めなければ納得行かなかったはずだ。ここ数ヶ月色々あったおかげで、俺が一人で必死になっても都合よく事は運ばないのだということを学んだが、それでも頭のどこかではあれこれ推察したりなんだりしていた。
しかし、どうも今は考えようとすればするほど、心の方がブレーキをかけているような気がする。気乗りしないのだ。けだるい気持ちになるのだ。
俺らしくない。
佐伯の調子は、一時期ほど酷くはないようだった。それは喜ばしいことだ。
クラスの女子たちも当然心配しているしな。
今日は久しぶりに河合さんも一緒に教室に居残り駄弁っていた。和泉が部活の集まりで遅くなるためだ。
「それでね、和泉ったらね、袖をひっかけてるの気付かないまま歩き出したから、肩から全部ビリビリに破けちゃったのよ。帰りすごい恥ずかしそうに切れ目を押さえながら歩いてて恥ずかしいったらなかったわ」
「あはは、そこまでいったらもう腕丸出しで帰ればよかったのにね」
「わたしが嫌よ、そんな人の隣歩くの」
「あいつほんと動きが雑なんだよなあ……」
河合さんは佐伯の分も努めて明るく振る舞ってくれているように感じる。彼女は意外とこういうときに気を遣うのだ。ちょっと無理をしている感じが健気だった。
佐伯は膝掛けで下半身を覆って、椅子にはクッションを敷いてなるたけ暖かく工夫をしていた。河合さんはわざわざ持ってくるのが面倒くさいとなにもしていないが、結構こういう防寒対策をしている女子は多い。先生も試験時以外であれば特に文句も言わないし。
暖房があるから寒くてたまらないということはないけど、移動教室から帰ったあとなんかや空気の入れ換え時はどうしたって寒さからは逃れられないからな。
「昭彦さあ、オレにまでバレンタインチョコせがんでくるんだよ。今年は河合さんからも貰えたくせにさ、おれのモテ度はこんなもんじゃねえ! って言って。普段女扱いしないくせに」
「厚かましい奴だな」
「あの人小野さんから貰えるつもりでいたから、見込みが外れたのよ」
「へえ。意外だな」
「最近小野さん大人しいのよ。それはそれで和泉は気になるみたい」
押してダメなら……という奴だろうか。小野さんがそんなテクニック使えるとは思えないけど。
それにしても和泉のやつ、河合さんのチョコで満足しないなんて、生意気な奴だ。結局佐伯は俺にくれたケーキの切れ端を食べさせておいたらしい。俺も河合さんから和泉の分のついでに貰ったからお互い様だ。
「ほんとはわたし佐伯の分も用意してたのよ」
「え。うそ! ごめん、無駄にさせちゃった?」
「いや、いいのよ、体調はしかたないもの。代わりにわたしが食べといたから全然無駄じゃないわ」
佐伯が欠席続きで、残念そうな河合さんお手製のチョコブラウニーを和泉と三人で並んで食べたのを思い出す。
和泉が渡そうかと言っていたのだが、体調不良なところに手作りで賞味期限短そうなものはちょっと、と河合さんが辞退したのだ。
「もったいないことしちゃった〜。河合さんの手作りって、超レアじゃん!」
「ホワイトデーに交換してあげてもいいのよ」
「マジ!? やった〜! おいしいの作れるよう練習しよ〜」
佐伯はうきうきとして楽しそうに笑っている。習作は俺のところに持ってきてほしい。
一方で河合さんは少し難しい顔をした。
「よく考えたら、あなたほんとに体調は問題ないの? しんどかったら別に頑張らなくていいのよ。交換は軽い気持ちで言っただけだから、わたしからは何もなくたって渡すし」
そう言われて、佐伯は少し気まずそうに「あー」と呟く。
「平気だよ? さすがにそんな長引いたりしないよ〜」
「そう言って、さっきだってトイレに籠もってたじゃない」
「今はほら、病み上がりだから」
「長すぎだろ、病み上がり。インフルってそんなに尾を引くっけ」
そう突っ込んで聞くと、佐伯は困った顔をする。まるでいじめているみたいな気持ちになってしまう。
一瞬だけ河合さんと目があった気がする。
なんとなく、気づいてはいるのだ。インフルというのは嘘ではないかと。佐伯がたまにする嘘のような気がしてならなかった。そして必要ない嘘などつかないのだ。
例えば何か重大な病気を隠してるとか、そういう。……いや、それにしては悲壮感とかは感じられないし、どうも掴みきれない。
「とにかく、無茶なんてしないからさ、心配しないでよ」
今度こそしっかりと俺と河合さんは顔を見合わせた。
誤魔化そうとしている……。
どうしたものかと思っているとがらりと教室のドアが開いた。
「おまた〜」
和泉はだらだらとした歩みで現れた。
「部長の地位はどんな感じ?」
「めんどい……」
部員はたった一人なんだから面倒がる仕事も大してないだろうに。
和泉はどかっと自分の席に座る。
その様子を眺めて、いつもと変わりないようだと認識する。
もしも佐伯がとんでもない大病を患っているとしたら、和泉にもその情報が渡っているはずである。さすがに同居している和泉の家族にまで詳しい事情を隠すことはできないだろうし、そこから和泉に情報共有はされるだろうと思う。
でも特に変わった様子はない。
和泉は隠し事がうまいとはとても思えないし。
じゃあ本当になんでもないのか? 理由が未だにわかっていないだけな可能性も十分あると思うけど。
「あのね、河合さんとホワイトデーにチョコの交換するんだー」
「お、いいじゃん。失敗作おれにくれよ」
む!
いいや俺が食べるんだ! と名乗り上げたかったが、必死で我慢した。
でも顔に出てたらしい、余ったらあげるからね、と帰り際佐伯がなだめるように言ってくれた。
その言葉に俺はなんだか安心したのだ。
いや、ここ半月くらいずっとおかしくはあったけど。
インフルだと言って長いこと休んでから、ことさらおかしい。
そして俺もちょっとおかしかった。
今までの俺ならこういうとき、何が何でもその原因を突き止めなければ納得行かなかったはずだ。ここ数ヶ月色々あったおかげで、俺が一人で必死になっても都合よく事は運ばないのだということを学んだが、それでも頭のどこかではあれこれ推察したりなんだりしていた。
しかし、どうも今は考えようとすればするほど、心の方がブレーキをかけているような気がする。気乗りしないのだ。けだるい気持ちになるのだ。
俺らしくない。
佐伯の調子は、一時期ほど酷くはないようだった。それは喜ばしいことだ。
クラスの女子たちも当然心配しているしな。
今日は久しぶりに河合さんも一緒に教室に居残り駄弁っていた。和泉が部活の集まりで遅くなるためだ。
「それでね、和泉ったらね、袖をひっかけてるの気付かないまま歩き出したから、肩から全部ビリビリに破けちゃったのよ。帰りすごい恥ずかしそうに切れ目を押さえながら歩いてて恥ずかしいったらなかったわ」
「あはは、そこまでいったらもう腕丸出しで帰ればよかったのにね」
「わたしが嫌よ、そんな人の隣歩くの」
「あいつほんと動きが雑なんだよなあ……」
河合さんは佐伯の分も努めて明るく振る舞ってくれているように感じる。彼女は意外とこういうときに気を遣うのだ。ちょっと無理をしている感じが健気だった。
佐伯は膝掛けで下半身を覆って、椅子にはクッションを敷いてなるたけ暖かく工夫をしていた。河合さんはわざわざ持ってくるのが面倒くさいとなにもしていないが、結構こういう防寒対策をしている女子は多い。先生も試験時以外であれば特に文句も言わないし。
暖房があるから寒くてたまらないということはないけど、移動教室から帰ったあとなんかや空気の入れ換え時はどうしたって寒さからは逃れられないからな。
「昭彦さあ、オレにまでバレンタインチョコせがんでくるんだよ。今年は河合さんからも貰えたくせにさ、おれのモテ度はこんなもんじゃねえ! って言って。普段女扱いしないくせに」
「厚かましい奴だな」
「あの人小野さんから貰えるつもりでいたから、見込みが外れたのよ」
「へえ。意外だな」
「最近小野さん大人しいのよ。それはそれで和泉は気になるみたい」
押してダメなら……という奴だろうか。小野さんがそんなテクニック使えるとは思えないけど。
それにしても和泉のやつ、河合さんのチョコで満足しないなんて、生意気な奴だ。結局佐伯は俺にくれたケーキの切れ端を食べさせておいたらしい。俺も河合さんから和泉の分のついでに貰ったからお互い様だ。
「ほんとはわたし佐伯の分も用意してたのよ」
「え。うそ! ごめん、無駄にさせちゃった?」
「いや、いいのよ、体調はしかたないもの。代わりにわたしが食べといたから全然無駄じゃないわ」
佐伯が欠席続きで、残念そうな河合さんお手製のチョコブラウニーを和泉と三人で並んで食べたのを思い出す。
和泉が渡そうかと言っていたのだが、体調不良なところに手作りで賞味期限短そうなものはちょっと、と河合さんが辞退したのだ。
「もったいないことしちゃった〜。河合さんの手作りって、超レアじゃん!」
「ホワイトデーに交換してあげてもいいのよ」
「マジ!? やった〜! おいしいの作れるよう練習しよ〜」
佐伯はうきうきとして楽しそうに笑っている。習作は俺のところに持ってきてほしい。
一方で河合さんは少し難しい顔をした。
「よく考えたら、あなたほんとに体調は問題ないの? しんどかったら別に頑張らなくていいのよ。交換は軽い気持ちで言っただけだから、わたしからは何もなくたって渡すし」
そう言われて、佐伯は少し気まずそうに「あー」と呟く。
「平気だよ? さすがにそんな長引いたりしないよ〜」
「そう言って、さっきだってトイレに籠もってたじゃない」
「今はほら、病み上がりだから」
「長すぎだろ、病み上がり。インフルってそんなに尾を引くっけ」
そう突っ込んで聞くと、佐伯は困った顔をする。まるでいじめているみたいな気持ちになってしまう。
一瞬だけ河合さんと目があった気がする。
なんとなく、気づいてはいるのだ。インフルというのは嘘ではないかと。佐伯がたまにする嘘のような気がしてならなかった。そして必要ない嘘などつかないのだ。
例えば何か重大な病気を隠してるとか、そういう。……いや、それにしては悲壮感とかは感じられないし、どうも掴みきれない。
「とにかく、無茶なんてしないからさ、心配しないでよ」
今度こそしっかりと俺と河合さんは顔を見合わせた。
誤魔化そうとしている……。
どうしたものかと思っているとがらりと教室のドアが開いた。
「おまた〜」
和泉はだらだらとした歩みで現れた。
「部長の地位はどんな感じ?」
「めんどい……」
部員はたった一人なんだから面倒がる仕事も大してないだろうに。
和泉はどかっと自分の席に座る。
その様子を眺めて、いつもと変わりないようだと認識する。
もしも佐伯がとんでもない大病を患っているとしたら、和泉にもその情報が渡っているはずである。さすがに同居している和泉の家族にまで詳しい事情を隠すことはできないだろうし、そこから和泉に情報共有はされるだろうと思う。
でも特に変わった様子はない。
和泉は隠し事がうまいとはとても思えないし。
じゃあ本当になんでもないのか? 理由が未だにわかっていないだけな可能性も十分あると思うけど。
「あのね、河合さんとホワイトデーにチョコの交換するんだー」
「お、いいじゃん。失敗作おれにくれよ」
む!
いいや俺が食べるんだ! と名乗り上げたかったが、必死で我慢した。
でも顔に出てたらしい、余ったらあげるからね、と帰り際佐伯がなだめるように言ってくれた。
その言葉に俺はなんだか安心したのだ。