2章
月曜日になった。今頃佐伯はどうしているだろうか。
まあ、まず休むだろう。病院だって行くだろうし、登校するにしても色々と説明する時間が必要だろうし。
そして高い確率で女でいる間はそのまま休むだろうと思っていた。だって普通そうだろう。どんな目で見られるかわからないじゃないか。
誰だって好奇の目でなんか見られたくないだろう。
「えっ……佐伯……?」
一緒にバスを降りた河合さんが息を呑むように小さな声をあげて、俺も耳を疑った。
バス停のそばで、ひっそりと人目を忍ぶように佐伯は立っていたのである。ちらちらと他の生徒の視線を受けながら、鞄を抱いてぴっとりと建物にひっついて必死に擬態していた。
俺たちの顔を見つけて佐伯はあわあわと、らしくない狼狽え方をしながら言い訳してきた。
「お、おはよう……なんかね、そ、そういう病気? みたいなんだって」
その姿はただのボーイッシュな女の子にしか見えなかった。
「お、お前病院は……? ちゃんと行った?」
「あ、え、えーと。うん。大丈夫」
何が大丈夫なんだろうか。絶対行ってない反応なんだが。
大体、そういう病気ってどういう病気だよ。誤魔化し方下手すぎだろ……。
というか、急に女になった生徒が登校してきて、大丈夫なのだろうか。その辺ちゃんと話を通しているんだろうな……?
先生は保護者が連絡を入れているとしても他の生徒は……どういう反応をするのか、全く想像つかないし恐ろしいんだが、そこのところわかっているんだろうか。
そろそろと他の生徒たちの波に合流して、三人固まって学校へ向かい始める。
「……もしかして俺たちが来るの待ってたの?」
「へへ……一人で行く勇気はなくて……」
あ、一応そういう感覚はあるのか。
ていうか、そういうことするならちゃんと連絡しといてほしいんだけどな……。
「あ! 昭彦!」
「うわあ、女!」
ほんの少し離れたところで、佐伯が駆け寄るのと同じだけ飛び退く和泉の姿が見えた。
「病気〜? そりゃまた、けったいだな」
そういう和泉と頷く佐伯の間には少しだけ距離があいている。
一方河合さんはそこまで気にしていないようだ。少しやりとりをすると、いつもの佐伯ね、と安心したように頷いていた。さすがである。
「そう腫れ物に触るようにしてやるなよ」
ちらちらと和泉に警戒するような目を向けられているのがなんだか居た堪れなくなって、つい口を挟む。
「うーん。あんまりにも見た目と中身が似合いすぎてて、ちょっとおれの女センサーが反応しちまう」
「何そのやらしい響き〜」
茶化すが、本人は真剣だ。
和泉はきゃぴきゃぴした女子が苦手なのだ。
河合さんのおかげか最近はそれほど過剰反応はしなくなったけど、一年の時は蕁麻疹を見せてくれたから本物である。
……ちなみに、見た目というが佐伯の格好はズボンを履いている。
流石に自分に合うサイズの制服を手に入れることはできなかったんだろう、制服風の格好であった。
ズボンはシンプルで黒色だが、制服のスラックスではない。カーディガンは、学校指定のものは特にないので置いといて。ネクタイだけは正式なものらしい。間に合わせという感じだが一応男の制服に合わせているようだ。
佐伯は元々ネクタイはしてなかったはずけど、せめてそのくらいはきちんと学校のものを身につけたかったのだろうか。
かなり小柄で成長の遅い一年生ならギリギリ通るような無理なような……。……いや、無理だな。髪長いし。
校舎に近づくにつれ、少しずつ周りの反応が耳に入るようになってきた。
「あれっ……え、もしかして佐伯?」
「おは……ええっ?」
佐伯とよくつるんでいる女子たちが疑問を浮かべながら遠巻きに声をかけてきた。
佐伯は慌てて駆け寄りかくかくしかじか……と必死に説明している。
結果として、佐伯は受け入れられた。
一部では何故か長年の夢が叶い性転換手術に成功したかのように受け取られていたが、まあどちらにせよ、学校のみんなの反応は軒並み好意的だった。なんという素晴らしい学校だ。
俺や和泉じゃこうはいかなかっただろう。
それにもし一部の男子がからかったとしても、周りの女子たちが寄ってたかって糾弾してくれることだろう。
外敵に対する女子たちの結束は強いのだ。あの和泉が恐れるんだから間違いない。
ただ当の佐伯は複雑そうだった。
「男のオレの意味ってあったのかな……」
と虚しそうな目をしていた。
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男子トイレにて、俺は世にも下らない集会に呼び出されていた。
その名も佐伯に頼み込んで女子の女子らしい部分を拝ませてもらおうという作戦会議だ。
最低すぎる。
元男なら男の気持ちがわかるはず! とかなんとか言っているが、アホなんだろうか。
俺も似たような理屈を唱えていた気もしなくもないが、こいつらと一緒にはされたくない。
客観的に見るとクズだった。
よく考えると、いや考えなくても、そんなことをして佐伯にはなんのメリットもないのだ。なんでそんな話が通ると思うのか。全く、恥を知れ!
……いや、俺だって人のことを非難できる人間なのかと言われると、そりゃあ、どちらかというとこっち側の人間なのかもしれないけど……。
でも俺はこうして大勢であれこれ企てたりしない。佐伯がNOと言える状況で俺個人としてセクハラ発言をするのである。奴らとは覚悟が違うのだ。
あんまり内容がエスカレートしてきたのでいよいよ付き合ってられないと脱退した時、偶然やってきた石橋が集会を蹴散らして、陰険童貞ブラザーズは解散した。
石橋はモテない男どもにとっては天敵なのだ。
「おいおい、お前もどうせあいつらの仲間だろ。あわよくばってのが顔に出てんぜ」
石橋に煽るように言われてぎくりとした。こいつが嫌味をいうのは今に始まったことじゃない。
しかし果たして本当に嫌味のつもりで言ってるのか、俺の行動にそういう下心が透けて見えているのか、自分では判断がつかないのが情けないところだ。
「さ、佐伯は佐伯だし。中身は歴とした男なんだから、関係にヒビが入るようなことしないよ」
「ほー。どうだかなあ。どうも言葉を選んでる気がするなあ」
「そのくらいいいだろ! ジェンダーに関することは、慎重になるべきだと思う」
「そんな話してねーよ」
確かに。
やっぱり俺も若干やましい気持ちがあるんだろうか。いや、あるにはあるけど、あくまでもからかうような話であって、本気でどうこうなんて考えてない。あいつらとは違うのだ。
そもそも、さっきの連中は佐伯とはそんなに仲良くないんだ。本当にただの体目当てってやつだ。ついでに言えば実行する勇気もなく面白おかしく影で話の種にしているだけだろう。
今までは女子と仲良い佐伯を羨んだり、からかったり、遠巻きに眺めるしかしてなかったんだ。
佐伯が話しかけると、あからさまに他の男子と話す時より距離を取ったりして。そんな奴らが調子のいいこと言ってるのとは、流石にまとめられたくない。……ていうか、当の佐伯と仲の良い俺をよくこの輪に呼んだよな……。
そういった背景を考えると、いけすかないが佐伯とは仲が良かった石橋の方が好感を持てるくらいだ。
「なあ石橋はどう思う? 佐伯。大丈夫かな」
「しらねーよ。……ま、正直危なっかしさしかねーな。学校なんか休んで、家で引きこもっといた方がいいと思うぜ」
その通りだと思う。
しかし、かといって家ですることは何もない。一向に解決しなくて休み続けて留年ってことになったら困るのは佐伯だし。
「俺は誰かが故意に佐伯を女に変えたと思うんだ。その犯人を見つけないと、元に戻るのは難しいと思う」
「いるかどうかもわかんねー犯人を見つけようって話?」
「そうだけど……。治るかどうかわからないのに待ってるのと、並行してできるのはそのくらいじゃない?」
フン、と石橋は鼻を鳴らす。
話を切り上げようとする雰囲気はないので、俺は続ける。
「誰かが佐伯を女にしたくてやったとしたら、絶対接触してくるだろ? それに賭けるしかないと思ってるんだ」
「はー。なるほど? 性犯罪の匂いがすんなぁ」
まあ犯人の意図はそう言うことだろう。しかしまだ犯罪自体は起きていないのである。
正直言って、こういう場合警察というのはあまり当てにならない。
特殊能力を利用した犯行の場合、犯罪を犯罪であると立証することがほぼ不可能であるということが非常に多いのだ。
もし人の性別を変えられる人間がいたとして、その人間がその力の持ち主であるということを認めるのは難しい。本人が第三者の前で、さまざまな条件で実演して、テストや検査を行ったのち、確かに、と決定づけられる。
しかし犯罪者が犯行に使った道具を自ら人前に晒すわけがない。
大人による犯罪は楽だ。大人(30前後以降)は特殊能力を持たない。子供の頃使えていた者も、ほぼその頃には完全に力は失われている。
法律は大人を基準に作られている。数十年前まで大人のような人間ばかりだったからだ。俺たちは新参者なのだ。
たびたびニュースで新時代の子供たち、という名目で、特殊能力を持つ子供に対応する法律を議題に討論が行われているし、時間をかけて少しずつ新しい法案が加わったりはしている、が、まだまだだ。
現代の科学レベルで観測可能な範囲はそこそこ手が回りつつあるが、例えば時間を止めるとか、テレポーテーションとか。今のところ消去法でそう言う能力だろう、という推測するしかできない力もあるのだ。
俺のように物理法則を無視して宙に浮く、とかもギリギリだ。俺が凶器を宙に浮かせて人を殺すなんてことができるのか、それともできないのかという証明は誰にもできない。
実際俺は物を浮かばせて動かすことなんてできないが、その能力を隠している! と指摘されても、容易には否定することができないのだ。
現代の人間の科学力も知恵も追いついていないのだから、わからないことを適当なルールで縛ることはできない。対策はできず、起こってから対応するしかないのである。
まあつまり、その能力を持つ人間の良心に頼るしかない。
佐伯を女に変えた犯人がいるとして、自由に人の性別を変えられたとして。
全人類の性別を男に変えてしまったら、それでもう人類の歴史は終わりだ。俺の知る限りでは人工的に無から女性を作ることはできない。
どの範囲のことが人にできて、できないのか、それすらわからない。
この世界はだいぶ不安定で不平等にできているのだ。
まったく、災難な話である。