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8章

 佐伯の体調はムラがあるようで、学校に来れる日も、デートに誘ってくれる日もあったが、常に少し元気がなかった。手は常に氷のように冷たい。
 日記に書くことがない日がどんどん増えていた。
 明るく振る舞っている日があっても、むしろ日を追うごとに悪くなっていているような気がする。体育は最近ずっと休んでいるようだったし、授業中も机に突っ伏しているときも多い。本当にホルモンバランスがどうこう、みたいな理由なんだろうか。
 いくら聞いても、病院に行こうと説得してもよい返事は返ってこない。
 もしかして、今になって違う体になったことによる問題が出てきているのではないかとか、そういう心配が湧き出てしまう。

「ちょっとねー……、家で色々……ほら、戸籍のこととかで家族会議もあったから、ストレスだったのかも」

 苦笑いをしながらそう言われたら、あまり強くは言えなかった。

 しかしそういった矢先、佐伯は一週間と少し、学校を休んだ。
 連絡するとインフルだから見舞いにはくるなという。
 ここしばらく、佐伯は殆ど外に出ていないのに。見舞いに行った俺はなんともなってないのに。
 久しぶりに学校に来た佐伯は、まあ、以前よりは少し顔色も良さそうな気もする。

「心配かけてごめんね」

 何回その言葉を聞いただろう。別にいいって言ってるのに。
 俺は早めに家を出て、駅から佐伯と登校していた。この際もう俺は人目につこうがどうでもよかった。佐伯は嫌がったけど。

「今日は大丈夫そう?」
「うん、いっぱい休んじゃったからねー。補習とかいかなきゃだけどさ」

 ぶんぶんと腕を振って元気さをアピールする。
 その様子に安心した。一時期は本当に生命力を失っているようで、無駄な動きひとつできないほどしんどそうなときもあったくらいだ。

「あの、あのさ。これ……」

 急に、少し言いづらそうに、佐伯は気まずそうに手提げの中から小さな袋を取り出した。

「バレンタイン……すぎちゃったけど……」
「あ、ああ……! ありがとう、別に、気にしなくてもよかったのに……」

 体調が優れない中、わざわざ見繕わせてしまったのか。
 昼休みにでも食べようと、鞄にしまう。
 佐伯はその様子をぼうっと見ていた。

「桐谷……」
「えっ?」
「ううん、呼んでみただけ」
「ええ? 何」

 そういう冗句、佐伯はあまり言わない。

「桐谷……オレのことまだ好き?」

 やっぱり、呼んだだけじゃないじゃん、と思った。

「……好きだよ」

 淀みなく、躊躇なく言えた。俺らしくないな。でも口にするのになんの抵抗もなかった。
 佐伯はちゃんと嬉しそうな顔をした。ほっとしたような。その顔に俺もほっとする。

「ありがと。オレも……好き」

 佐伯は歩きながら続けた。

「ごめんね、最近全然恋人らしいことできてないね」
「なんだそれ、そんなの今だってしてるじゃん」
「そうかな」
「そうだよ、わざわざ迎えに行って二人で登校なんてさ、恋人じゃなきゃしないよ」
「ああ……ふふ、そうだね。……あれ? 前は河合さんのところにも迎えに行って登校してたんじゃなかったかな?」
「そ、それは……ど、道中だから! こんなわざわざ学校通り過ぎてまで迎えに行ったりしないよ。ほんと、今日俺何時に家出たか知ってる? 真っ暗だったんだからね」
「あはは、ごめんごめん」

 佐伯は茶化すように笑うが、やっぱり少し力ない。河合さんと佐伯とは俺にとって全然違う存在なのだ。これはちゃんと伝えられているはずだ。気にしていたら佐伯だってわざわざ言わないだろうし。
 そして笑顔はすぐに霧散してしまう。佐伯の神妙な空気に、俺はまるで話を逸らすように饒舌になった。逃げるように。

「今も今でさ、まったりしてて楽しいよ。佐伯もそうだろ」
「……うん……」
「そう、そうだよ、頻繁にあちこち遊びに行くのは俺も結構疲れちゃうし、財布も大変だからさ、丁度いいよ。出かけるのはここぞってときと、あとはバイトとかできるようになってからでも十分だし」
「それ、一年以上先じゃん」
「そうだけど、一年なんてあっという間だよ。今は今で他にも楽しめることいっぱいあるって」
「桐谷……」
「夏だってさ、去年は全然夏らしいことできなかったし。せっかくの二年の夏だったのにね。今年は受験だけど……でも息抜きに祭り行ったり、プールとか海とかも行こうよ。そのくらいはしても罰当たらないよ。それに……」
「……桐谷~」

 呆れたような、笑っているような声だった。
 もうやめてと訴えているようで、俺は口を閉じる。

「ごめんね、桐谷……」
「やめなよ、謝るの。ほら。いくよ」
「でもオレ……」
「……ほら、人いないし、手繋ごうよ」
「……うん」

 強引に手を引くと、佐伯は少し照れるような嬉しそうな顔をした。それに安堵する。俺はそうしてひとつずつ確かめるように接していた。
 それでも歩いていくうちに弱気な声が訴えはじめる。

「ねえ……桐谷聞いてよ……」
「謝るんだったらやだ」
「……」

 そういうと佐伯は黙ってしまった。
 ほらな。
 悪くない相手からの謝罪なんて聞きたくない。
 佐伯がきっと何か嫌な話をしようとしているのは、いくら鈍感な俺でもわかった。
 ちゃんと聞くべきなんだろうか。
 佐伯が話そうとしているなら、聞くべきだと、頭の冷静な部分はそう判断している。でも感情の面では聞きたくないとそう訴えていた。
 嫌なことは、嫌なのだ。いつもの佐伯のようにそっとそれを感じ取って、諦めて欲しかった。
 ひどいワガママである。
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