8章
「なんかお腹がもやもやする……」
佐伯が苦い顔をしながらお腹をさすって言った。
1月の末の話だ。
「えっと……、せ、生理……?」
「お姉ちゃんが生理前からお腹痛くなることあるって教えてくれたから、多分それだと思う」
「薬とかは?」
「痛み止めしかないもん、痛くない状態じゃ飲めないよ」
先月は上手に飲めたから痛みは殆どなかったんだと佐伯は自慢げに言ったが、そもそも飲まなければいけない状態なのがなんだか痛ましい。
「じゃああんまり歩いたりはしない方が良いよね。カフェとか寄ろうか」
「すみませんのう」
俺はあまりこういうとき、うまい気の利かせ方ができない。
一応知識としては調べて、ざっくりと頭には入っているが、実感を伴った女性の意見というのはなかなか耳に入ることではないし、人によるらしいし、佐伯から直接どうしたらいいとか何が嫌だとか聞く他ないという結論に至ったのだ。
さて、じゃあ一体どこにするか。あまり回転率の良いところよりも居心地のいい場所がいいだろう。
そうしていると佐伯が突然ぽん、と手を叩いた。
「動物見たい」
と急に言い出し、慌てて調べて猫カフェに訪れることとなった。初である。
佐伯はご機嫌だった。朝から体調のせいか若干テンションが低かったのだが、それを吹き飛ばすくらい機嫌がよかった。
「久しぶりのデートだねっ」
「そうだね」
先々週遊園地行ったばかりだけどな。それ以来寒さを理由にがっつりと出掛けられていないのは事実である。最近本格的に冬の寒さが出てきて、下校の歩きがきつくなってきたのだ。というと、最近脂肪が落ちてきたから寒さに弱くなったのでは、と佐伯に指摘された。嬉しいような恥ずかしいような……。
とにかく、学校の教室は暖房が聞いているし、なんだかんだ外に出るのが気が削がれて教室に居残っているうちに時間が遅くなってしまい、寄り道ができなくなるというのが続いていた。
佐伯は冷たい手で俺の手を握る。それから何度も頷いた。
「うん。うん」
「なに?」
「桐谷の手あったかいんだよねえ」
佐伯は嬉しそうに俺のてのひらを包む。
いつもは基本的に他人に見られても勘違いされない程度の距離感を保ってきていたのだが、今はぴっとりとひっついて歩いている。休日、私服姿になるとたまにこうして普段ではあり得ないくらい引っ付いてくることがあった。どうやら本人はオシャレやメイクのお陰で普段とはまるきり違う姿になれていると思っているらしい。正直ちょっとオシャレな佐伯でしかないのだが、嬉しいので黙っている。
これはもう誰に見られても恋人同士にしか見えないだろう。照れる。恥ずかしいから離れて、なんて口が裂けても言えない。言いたくない。
「そーだ、そろそろバレンタインのこと考えないとね」
「え。気が早くない?」
「でも最近バレンタイン特集すっごく多いよー。桐谷はどんなチョコ好き?」
当然のように俺に渡すチョコの話を振ってくる。くれるのか。そうか。そうだよな。
今まで母親からしか貰えずにずっと過ごしてきたのに……今年は憧れの大好きなチョコを大好きな子から貰えるんだ! 勝ち組だ……。
「や、焼き菓子系のチョコが好きだな。ケーキとか、クッキーとか」
「へえーっ! そうなんだ。よかったー聞いといて~」
ものすごく恋人らしいことをやっている。とてつもない充実感だった。
---
「……可愛いっ! 可愛いよ……」
佐伯は声を押し殺しながら猫に埋もれていた。
猫たちもなんの警戒もせず佐伯に好きにされたり、我も我もとすり寄っていったりしている。大人気だ。
「大好き~、大好きだよー」
「なんだそれ」
佐伯は俺には目もくれず猫に愛の言葉を囁いていた。猫の方も満更ではなさそうだ。なんでだ。猫ってもっとツンデレなんじゃないのか。
「他にこの子たちへの気持ちの表現の仕方がわからないのさ」
「初対面なのに」
「そうなの。初対面だけどさ。この子たちのピンチのときは身を挺して守っちゃうね」
「お前の身は猫以下なのか?」
「何言ってんの、命に貴賤なしでしょー」
佐伯にしては難しい言葉知ってるな。
「お餅焼かなくても、桐谷のこともいざというときはちゃんと守ってあげるよ」
「焼き餅ね。別に焼いてなんかないけどさ……」
そこで俺の方こそお前のことは命に代えても守ってみせるぜ、なんて言える気障さは俺にはない。和泉ならさらっと言っちゃうんだろうけど。
「佐伯、なんか飲み物頼もうよ」
「はぁ~ふわふわ……ホットミルク……!」
絶対今触ってる白猫見て思いついただろ。
佐伯ほどではないが俺のところにも、さも元から自分のベッドである、というようなふてぶてしさで膝に鎮座する猫はいた。
自分から動物に触るのは苦手なのだが、こうして我が物顔で向こうからやってこられると受け入れるしかなくなる。
「オレ動物のお世話できる仕事目指そっかなあ」
「お、いいじゃん。天職じゃない?」
「だよねえ。やっぱ猫カフェの店員?」
「ブリーダーとか、獣医とか、あと犬の散髪とかする……」
「トリマー?」
「そうそう。そういうのもいいんじゃない?」
「そっかあ、そうだねえ……」
思わぬところで佐伯の将来の夢が定まりそうだ。でもいいんじゃないか。世話するの好きそうだし。向いてないってことはないだろう。
そうしていると飲み物が届き、遊び場のようなスペースからテーブルの席に移る。ついてきた猫に邪魔されないよう飲み物にありついた。
「あ。おいしい」
「いい牛乳?」
「んーん、そういうのはわかんないけど。なんか最近味覚も敏感になってたのかな、味が強いものとか食べると気持ち悪くて……。でもこれはおいしい! 次からは牛乳飲もーっと」
「……そんなに酷いの?」
「うーん、酷いかはわかんないけど、友達にもそういう子いるよ。ジャンキーな食べ物受け付けなくなって、普段は食べない体にいいもの欲しくなるんだって。温野菜とか。すごいよね。人体の神秘」
そんなに色んな症状が出るものなのか? いや、当の佐伯はもっと色んな人に話を聞いているんだから、俺が何を言ってもしょうがないんだが。
だって、毎月あるんだろ? みんな。でもそんな気配は誰も見せない。俺は佐伯がいなければ一生知らなかったかもしれない。
だけど佐伯が休んだり見学しているとき、不思議そうにしている女子はいなかった。いつもの騒がしさはなく、なんとなく察した様子で心配だけしていた。つまり大なり小なり理解しているということだ。
全くなんの不調もない、または相当軽い人もいるらしいが、佐伯の様子を見てしまうとそれもそれで信じられなかった。何がいったいそこまで違うというのか。
そりゃあ、俺だって他の男どもとは違う。他のやつらとは違って、生まれ持っての体質で手術を受けたし入院もしたけどさ。他のみんなだってそれぞれ平均とは違う部分をどこかひとつくらいは抱えているもんだろう。それはわかってるけど、でも、あんまりじゃないか?
まったく、どれもこれも、やってらんないよな。
佐伯が苦い顔をしながらお腹をさすって言った。
1月の末の話だ。
「えっと……、せ、生理……?」
「お姉ちゃんが生理前からお腹痛くなることあるって教えてくれたから、多分それだと思う」
「薬とかは?」
「痛み止めしかないもん、痛くない状態じゃ飲めないよ」
先月は上手に飲めたから痛みは殆どなかったんだと佐伯は自慢げに言ったが、そもそも飲まなければいけない状態なのがなんだか痛ましい。
「じゃああんまり歩いたりはしない方が良いよね。カフェとか寄ろうか」
「すみませんのう」
俺はあまりこういうとき、うまい気の利かせ方ができない。
一応知識としては調べて、ざっくりと頭には入っているが、実感を伴った女性の意見というのはなかなか耳に入ることではないし、人によるらしいし、佐伯から直接どうしたらいいとか何が嫌だとか聞く他ないという結論に至ったのだ。
さて、じゃあ一体どこにするか。あまり回転率の良いところよりも居心地のいい場所がいいだろう。
そうしていると佐伯が突然ぽん、と手を叩いた。
「動物見たい」
と急に言い出し、慌てて調べて猫カフェに訪れることとなった。初である。
佐伯はご機嫌だった。朝から体調のせいか若干テンションが低かったのだが、それを吹き飛ばすくらい機嫌がよかった。
「久しぶりのデートだねっ」
「そうだね」
先々週遊園地行ったばかりだけどな。それ以来寒さを理由にがっつりと出掛けられていないのは事実である。最近本格的に冬の寒さが出てきて、下校の歩きがきつくなってきたのだ。というと、最近脂肪が落ちてきたから寒さに弱くなったのでは、と佐伯に指摘された。嬉しいような恥ずかしいような……。
とにかく、学校の教室は暖房が聞いているし、なんだかんだ外に出るのが気が削がれて教室に居残っているうちに時間が遅くなってしまい、寄り道ができなくなるというのが続いていた。
佐伯は冷たい手で俺の手を握る。それから何度も頷いた。
「うん。うん」
「なに?」
「桐谷の手あったかいんだよねえ」
佐伯は嬉しそうに俺のてのひらを包む。
いつもは基本的に他人に見られても勘違いされない程度の距離感を保ってきていたのだが、今はぴっとりとひっついて歩いている。休日、私服姿になるとたまにこうして普段ではあり得ないくらい引っ付いてくることがあった。どうやら本人はオシャレやメイクのお陰で普段とはまるきり違う姿になれていると思っているらしい。正直ちょっとオシャレな佐伯でしかないのだが、嬉しいので黙っている。
これはもう誰に見られても恋人同士にしか見えないだろう。照れる。恥ずかしいから離れて、なんて口が裂けても言えない。言いたくない。
「そーだ、そろそろバレンタインのこと考えないとね」
「え。気が早くない?」
「でも最近バレンタイン特集すっごく多いよー。桐谷はどんなチョコ好き?」
当然のように俺に渡すチョコの話を振ってくる。くれるのか。そうか。そうだよな。
今まで母親からしか貰えずにずっと過ごしてきたのに……今年は憧れの大好きなチョコを大好きな子から貰えるんだ! 勝ち組だ……。
「や、焼き菓子系のチョコが好きだな。ケーキとか、クッキーとか」
「へえーっ! そうなんだ。よかったー聞いといて~」
ものすごく恋人らしいことをやっている。とてつもない充実感だった。
---
「……可愛いっ! 可愛いよ……」
佐伯は声を押し殺しながら猫に埋もれていた。
猫たちもなんの警戒もせず佐伯に好きにされたり、我も我もとすり寄っていったりしている。大人気だ。
「大好き~、大好きだよー」
「なんだそれ」
佐伯は俺には目もくれず猫に愛の言葉を囁いていた。猫の方も満更ではなさそうだ。なんでだ。猫ってもっとツンデレなんじゃないのか。
「他にこの子たちへの気持ちの表現の仕方がわからないのさ」
「初対面なのに」
「そうなの。初対面だけどさ。この子たちのピンチのときは身を挺して守っちゃうね」
「お前の身は猫以下なのか?」
「何言ってんの、命に貴賤なしでしょー」
佐伯にしては難しい言葉知ってるな。
「お餅焼かなくても、桐谷のこともいざというときはちゃんと守ってあげるよ」
「焼き餅ね。別に焼いてなんかないけどさ……」
そこで俺の方こそお前のことは命に代えても守ってみせるぜ、なんて言える気障さは俺にはない。和泉ならさらっと言っちゃうんだろうけど。
「佐伯、なんか飲み物頼もうよ」
「はぁ~ふわふわ……ホットミルク……!」
絶対今触ってる白猫見て思いついただろ。
佐伯ほどではないが俺のところにも、さも元から自分のベッドである、というようなふてぶてしさで膝に鎮座する猫はいた。
自分から動物に触るのは苦手なのだが、こうして我が物顔で向こうからやってこられると受け入れるしかなくなる。
「オレ動物のお世話できる仕事目指そっかなあ」
「お、いいじゃん。天職じゃない?」
「だよねえ。やっぱ猫カフェの店員?」
「ブリーダーとか、獣医とか、あと犬の散髪とかする……」
「トリマー?」
「そうそう。そういうのもいいんじゃない?」
「そっかあ、そうだねえ……」
思わぬところで佐伯の将来の夢が定まりそうだ。でもいいんじゃないか。世話するの好きそうだし。向いてないってことはないだろう。
そうしていると飲み物が届き、遊び場のようなスペースからテーブルの席に移る。ついてきた猫に邪魔されないよう飲み物にありついた。
「あ。おいしい」
「いい牛乳?」
「んーん、そういうのはわかんないけど。なんか最近味覚も敏感になってたのかな、味が強いものとか食べると気持ち悪くて……。でもこれはおいしい! 次からは牛乳飲もーっと」
「……そんなに酷いの?」
「うーん、酷いかはわかんないけど、友達にもそういう子いるよ。ジャンキーな食べ物受け付けなくなって、普段は食べない体にいいもの欲しくなるんだって。温野菜とか。すごいよね。人体の神秘」
そんなに色んな症状が出るものなのか? いや、当の佐伯はもっと色んな人に話を聞いているんだから、俺が何を言ってもしょうがないんだが。
だって、毎月あるんだろ? みんな。でもそんな気配は誰も見せない。俺は佐伯がいなければ一生知らなかったかもしれない。
だけど佐伯が休んだり見学しているとき、不思議そうにしている女子はいなかった。いつもの騒がしさはなく、なんとなく察した様子で心配だけしていた。つまり大なり小なり理解しているということだ。
全くなんの不調もない、または相当軽い人もいるらしいが、佐伯の様子を見てしまうとそれもそれで信じられなかった。何がいったいそこまで違うというのか。
そりゃあ、俺だって他の男どもとは違う。他のやつらとは違って、生まれ持っての体質で手術を受けたし入院もしたけどさ。他のみんなだってそれぞれ平均とは違う部分をどこかひとつくらいは抱えているもんだろう。それはわかってるけど、でも、あんまりじゃないか?
まったく、どれもこれも、やってらんないよな。