8章
三学期がはじまって二週間が経った。
二学期に比べて行事もないし、テストがあるくらいで平穏な日々が過ぎた。休みの日には佐伯と遊びに行ったし、この前なんて遊園地に行ってしまった。お年玉が出たお陰で少し財布の紐が緩んだのである。
真冬の遊園地というのはなかなかしんどそうだと思ったのだが、意外と待ち時間も少なかったし、屋内のアトラクションも充実していて悪くなかった。
そして約束通りお弁当も作ってきてくれたし! なんと裕子さんが直々に教えてくれたらしい。お陰で失敗らしい失敗などなかった。どんなものが出てきても彼氏としてきちんとおいしそうに平らげねばと心に決めていたのだが、杞憂に終わった。
よく考えれば元々器用だったし、こういうときも要領が良いらしい。
ただ朝からばたばたするの嫌だからもう作りたくないと言ってたけど。その気持ちはものすごくわかるので俺もワガママは言えない。
とにかく、順調であると言える。
佐伯の情緒も安定している。
ラブホテルはやっぱり、いくらそうそうバレないからといっても未成年が行ってはいけないんだって、と説得するとつまらなそうな顔をしながらも納得してくれた。なので相変わらず二人きりになりたいときは佐伯家に赴くしかないのである。すっかりそれ用の場所扱いしてしまって申し訳ないったらないな。
……しかし、毎日のことではないとはいえ、佐伯がいつも自転車で通っている自宅と駅の距離を往復して、さらに家に帰るという長距離移動のお陰でちょっと体力がついてきたような気がする。そして佐伯家に行ったらそれはそれで運動するしな! へへっ!
はじめのうちは結構へろへろになってたから、俺も俺なりに成長しているみたいだ。ものすごく不純な理由で。
「吉田大丈夫? 見学する?」
「ん~……それもそれでだるいんだよなー、寒いし」
「ね、風強いもんね。でも歩いてるのもだるいでしょ。保健室行ったほうがいいかもね」
「あー……そうするかあ……」
「先生に言っとくよー」
佐伯が吉田さんに心配げに声をかけながら移動する姿が見えた。
最近の体育はもっぱらマラソンだ。特に大会があるわけでもないのに。
女子と男子ではスタート地点も折り返し地点も違うので、なかなか接点はない。もっと男女混合にしてくれればいいんだけどな。
多分佐伯は河合さんのペースに合わせて走ることだろう。
和泉がうきうきとしながら横にやってきた。こいつは普段体育は見学させられているのだが、こうした道具を使わない個人競技は参加できるのである。
「嬉しそうだな」
「まあなー、おれの健脚見せつけてやるぜ!」
「マラソンだから、途中でへばるなよ」
なんて、人のことを心配する余裕なんて俺にはないんだが。
先生のやる気のない合図により、だらだらと男たちは走り始める。前のやつらがつっかえているせいで、走る、ってほどのスピードは出せない。
段々とまともに走る組とやる気なくほとんど歩く組、やる気はあるのに体力がない組に分かれていくはずである。俺はもちろん毎年最後尾、なんなら女子に追い抜かれたり途中で先生にストップをかけられてリタイアする組である。
和泉もやる気はあるものの、前の人間を押しのけてまで走ろうとはせず俺と同じペースで横を走っていた。
「河合たちは頑張ってっかね~」
「どうかな。でも河合さん、佐伯が一緒だから体育楽しいって言ってたよ」
「へえー、くそう、おれも混ざりてえぜ」
「混ざったって、男女じゃ合わせられっこないよ」
「ちぇ」
和泉は口をへの字にする。気持ちはわかるけどな。女子の歩みは想像以上に遅いのである。おまけにすぐに疲れてしまう。俺はそれを学んだのだ。
まだそれほどみんな距離は空かず、もちゃもちゃと入り乱れている。
ぼんやりと、数ヶ月前までは佐伯もこの中の一員だったんだよな、と考える。一年の頃は別のクラスだったから、マラソンに参加している姿なんて知らないけど。多分あいつのことだから俺のペースに合わせて走ってくれただろうなと思う。
あの頃はなにも考える必要なんてなくて、気楽なもんだった。佐伯は裕子さんが好きで、俺はそれを応援してて。
でも戻りたいかと言われるとNOだ。色々と不安も心配も尽きないけどさ。
「そういやさ、友也さー、うちの養子にしようって話あんだよ」
「えっ?」
大してスピードは出ていないのだが、呼吸が少し乱れてきた。和泉は平然とした様子で続ける。
「まあ、前からそういう話は出てたんだけどな。お母さんもお父さんももっと友也のことに口出ししてえんだけど、でも他人じゃん? 親父さんは金だけ出してほったらかしだし。だったらうちのがいくね? つって」
「それは、また、すごいね」
「なー。おれとしては大歓迎だけど。弟みたいなもんだし」
今は妹か。と和泉は付け足す。
なるほど。名実ともに和泉家の子供になるのか。それはいい話だと思う。
大人がちゃんと佐伯のことを考えてくれているのは嬉しいことだった。
「でも友也本人が渋ってんだよな~」
「えっなんで」
佐伯はあまり自分の家族に執着がないようだった。ただ寝床が同じ家なだけ、というような距離感だ。仲が良くないとは言っても険悪というほどではなさそうだけど。
「なあんかな~、迷惑かけたくないみたいな水臭えこと言うの、今更じゃん? なんで甘えてくんないんだろうな」
「……ああー、言いそう~」
佐伯は迷惑をかけたくないとか心配かけたくないというようなことを本当によく言う。
それも仲がいい……というか佐伯が懐いている相手にはより顕著だ。それほどでもない相手にはギブアンドテイクがそれなりにできていると思う。いや、迷惑ってほどの行動はそもそもしないけどさ。
それでも佐伯は、人と仲良くなるときに、わざと少しわがままを言ってみたりしているらしい。なんでも言うことを聞くいい子より、そういう方が人を楽しませられるのだそうだ。佐伯は意外と、そういうことを自覚して振る舞っているのだと教えてくれた。ほんとはオレ、悪いんだよ、なんて言って。
まあ、ようするに勝手なことやってるようで気ぃ遣いってことだよな。
そういうところだけ、奴は結構頑固だ。
これが虐待でも受けてるんであれば一刻も早く和泉家に助け出して貰いたい話だし、強硬手段にもでられるんだろうが、そういうわけでもないし。そんなだったらこんな悠長にデートなんてしてらんないけど。
養子になるんだったら今後のお金だって和泉家が担うことになるんだろうし、もうあと数年で成人という立場で他人の家に甘えるのに抵抗あるのも頷ける。
「うーん……。和泉くらいわかりやすい人間だったらよかったのにな……」
「失礼な! おれだってなあ、色々複雑なんだぞ!」
「はいはい……。まあ、そうだなあ……、どれだけ繋がりが薄くても、家族の輪から外れるのはなかなかできることじゃないんじゃない? 本人が抜けたがってるならともかくさ……あーちょっと横っ腹痛くなってきた」
「……まあ、そりゃそうだよなあ……。親父さんも正志くんたちも、別に悪人ってわけじゃねえし……」
まったくの外野である俺だって、佐伯は和泉家の方が似合うと思うし、そこであれば大事にされるだろうと思う。和泉のご両親が養子に取ろうとするなんて行動にでるというのはちょっと意外だったが、でもだからってそんな簡単な話じゃないんだよな。
でも、そんなに真剣に佐伯のこと考えてくれるなんて嬉しいじゃないか。佐伯がどういう反応を示しているのかは知らないが、少なくとも俺はそれがとても安心したのだ。
「お前、結構ついてきてんじゃん」
「え。そ、そう? もう割と限界だけど」
「一年ときは折り返す前に距離はなれてたろ」
い、言われてみれば……。
コースは一年の頃と変わっっていない。
たしか一周できなかったのだ。歩くのすらしんどくて、先生におんぶして貰って酸素スプレーが必要となった記憶がある。恥ずかしすぎて封印してた記憶だけど。他のやつらはもう一周追加で走ったり、雑談に興じる余裕があったのに悔しくてたまらなかった。
それが今はちょっとしんどくなってきたけどまあ、なんとか……、後半は歩きになるかもしれないけど、リタイアするってほどの危機感はまだない。
「お、俺、成長してる!?」
「してんじゃね」
や、やったあ!
ずっと変わってないような気がしてたけど、やっぱりちゃんと俺は健康に育ち始めているのだ!
和泉とは少しずつ距離が空いたものの、なんとか集団に大きな遅れをとることはなく、女子集団とすれ違って佐伯と河合さんと手を振りあったりなんかしてしまった。
好成績とはとても言えないが、誇らしい気持ちになった。
二学期に比べて行事もないし、テストがあるくらいで平穏な日々が過ぎた。休みの日には佐伯と遊びに行ったし、この前なんて遊園地に行ってしまった。お年玉が出たお陰で少し財布の紐が緩んだのである。
真冬の遊園地というのはなかなかしんどそうだと思ったのだが、意外と待ち時間も少なかったし、屋内のアトラクションも充実していて悪くなかった。
そして約束通りお弁当も作ってきてくれたし! なんと裕子さんが直々に教えてくれたらしい。お陰で失敗らしい失敗などなかった。どんなものが出てきても彼氏としてきちんとおいしそうに平らげねばと心に決めていたのだが、杞憂に終わった。
よく考えれば元々器用だったし、こういうときも要領が良いらしい。
ただ朝からばたばたするの嫌だからもう作りたくないと言ってたけど。その気持ちはものすごくわかるので俺もワガママは言えない。
とにかく、順調であると言える。
佐伯の情緒も安定している。
ラブホテルはやっぱり、いくらそうそうバレないからといっても未成年が行ってはいけないんだって、と説得するとつまらなそうな顔をしながらも納得してくれた。なので相変わらず二人きりになりたいときは佐伯家に赴くしかないのである。すっかりそれ用の場所扱いしてしまって申し訳ないったらないな。
……しかし、毎日のことではないとはいえ、佐伯がいつも自転車で通っている自宅と駅の距離を往復して、さらに家に帰るという長距離移動のお陰でちょっと体力がついてきたような気がする。そして佐伯家に行ったらそれはそれで運動するしな! へへっ!
はじめのうちは結構へろへろになってたから、俺も俺なりに成長しているみたいだ。ものすごく不純な理由で。
「吉田大丈夫? 見学する?」
「ん~……それもそれでだるいんだよなー、寒いし」
「ね、風強いもんね。でも歩いてるのもだるいでしょ。保健室行ったほうがいいかもね」
「あー……そうするかあ……」
「先生に言っとくよー」
佐伯が吉田さんに心配げに声をかけながら移動する姿が見えた。
最近の体育はもっぱらマラソンだ。特に大会があるわけでもないのに。
女子と男子ではスタート地点も折り返し地点も違うので、なかなか接点はない。もっと男女混合にしてくれればいいんだけどな。
多分佐伯は河合さんのペースに合わせて走ることだろう。
和泉がうきうきとしながら横にやってきた。こいつは普段体育は見学させられているのだが、こうした道具を使わない個人競技は参加できるのである。
「嬉しそうだな」
「まあなー、おれの健脚見せつけてやるぜ!」
「マラソンだから、途中でへばるなよ」
なんて、人のことを心配する余裕なんて俺にはないんだが。
先生のやる気のない合図により、だらだらと男たちは走り始める。前のやつらがつっかえているせいで、走る、ってほどのスピードは出せない。
段々とまともに走る組とやる気なくほとんど歩く組、やる気はあるのに体力がない組に分かれていくはずである。俺はもちろん毎年最後尾、なんなら女子に追い抜かれたり途中で先生にストップをかけられてリタイアする組である。
和泉もやる気はあるものの、前の人間を押しのけてまで走ろうとはせず俺と同じペースで横を走っていた。
「河合たちは頑張ってっかね~」
「どうかな。でも河合さん、佐伯が一緒だから体育楽しいって言ってたよ」
「へえー、くそう、おれも混ざりてえぜ」
「混ざったって、男女じゃ合わせられっこないよ」
「ちぇ」
和泉は口をへの字にする。気持ちはわかるけどな。女子の歩みは想像以上に遅いのである。おまけにすぐに疲れてしまう。俺はそれを学んだのだ。
まだそれほどみんな距離は空かず、もちゃもちゃと入り乱れている。
ぼんやりと、数ヶ月前までは佐伯もこの中の一員だったんだよな、と考える。一年の頃は別のクラスだったから、マラソンに参加している姿なんて知らないけど。多分あいつのことだから俺のペースに合わせて走ってくれただろうなと思う。
あの頃はなにも考える必要なんてなくて、気楽なもんだった。佐伯は裕子さんが好きで、俺はそれを応援してて。
でも戻りたいかと言われるとNOだ。色々と不安も心配も尽きないけどさ。
「そういやさ、友也さー、うちの養子にしようって話あんだよ」
「えっ?」
大してスピードは出ていないのだが、呼吸が少し乱れてきた。和泉は平然とした様子で続ける。
「まあ、前からそういう話は出てたんだけどな。お母さんもお父さんももっと友也のことに口出ししてえんだけど、でも他人じゃん? 親父さんは金だけ出してほったらかしだし。だったらうちのがいくね? つって」
「それは、また、すごいね」
「なー。おれとしては大歓迎だけど。弟みたいなもんだし」
今は妹か。と和泉は付け足す。
なるほど。名実ともに和泉家の子供になるのか。それはいい話だと思う。
大人がちゃんと佐伯のことを考えてくれているのは嬉しいことだった。
「でも友也本人が渋ってんだよな~」
「えっなんで」
佐伯はあまり自分の家族に執着がないようだった。ただ寝床が同じ家なだけ、というような距離感だ。仲が良くないとは言っても険悪というほどではなさそうだけど。
「なあんかな~、迷惑かけたくないみたいな水臭えこと言うの、今更じゃん? なんで甘えてくんないんだろうな」
「……ああー、言いそう~」
佐伯は迷惑をかけたくないとか心配かけたくないというようなことを本当によく言う。
それも仲がいい……というか佐伯が懐いている相手にはより顕著だ。それほどでもない相手にはギブアンドテイクがそれなりにできていると思う。いや、迷惑ってほどの行動はそもそもしないけどさ。
それでも佐伯は、人と仲良くなるときに、わざと少しわがままを言ってみたりしているらしい。なんでも言うことを聞くいい子より、そういう方が人を楽しませられるのだそうだ。佐伯は意外と、そういうことを自覚して振る舞っているのだと教えてくれた。ほんとはオレ、悪いんだよ、なんて言って。
まあ、ようするに勝手なことやってるようで気ぃ遣いってことだよな。
そういうところだけ、奴は結構頑固だ。
これが虐待でも受けてるんであれば一刻も早く和泉家に助け出して貰いたい話だし、強硬手段にもでられるんだろうが、そういうわけでもないし。そんなだったらこんな悠長にデートなんてしてらんないけど。
養子になるんだったら今後のお金だって和泉家が担うことになるんだろうし、もうあと数年で成人という立場で他人の家に甘えるのに抵抗あるのも頷ける。
「うーん……。和泉くらいわかりやすい人間だったらよかったのにな……」
「失礼な! おれだってなあ、色々複雑なんだぞ!」
「はいはい……。まあ、そうだなあ……、どれだけ繋がりが薄くても、家族の輪から外れるのはなかなかできることじゃないんじゃない? 本人が抜けたがってるならともかくさ……あーちょっと横っ腹痛くなってきた」
「……まあ、そりゃそうだよなあ……。親父さんも正志くんたちも、別に悪人ってわけじゃねえし……」
まったくの外野である俺だって、佐伯は和泉家の方が似合うと思うし、そこであれば大事にされるだろうと思う。和泉のご両親が養子に取ろうとするなんて行動にでるというのはちょっと意外だったが、でもだからってそんな簡単な話じゃないんだよな。
でも、そんなに真剣に佐伯のこと考えてくれるなんて嬉しいじゃないか。佐伯がどういう反応を示しているのかは知らないが、少なくとも俺はそれがとても安心したのだ。
「お前、結構ついてきてんじゃん」
「え。そ、そう? もう割と限界だけど」
「一年ときは折り返す前に距離はなれてたろ」
い、言われてみれば……。
コースは一年の頃と変わっっていない。
たしか一周できなかったのだ。歩くのすらしんどくて、先生におんぶして貰って酸素スプレーが必要となった記憶がある。恥ずかしすぎて封印してた記憶だけど。他のやつらはもう一周追加で走ったり、雑談に興じる余裕があったのに悔しくてたまらなかった。
それが今はちょっとしんどくなってきたけどまあ、なんとか……、後半は歩きになるかもしれないけど、リタイアするってほどの危機感はまだない。
「お、俺、成長してる!?」
「してんじゃね」
や、やったあ!
ずっと変わってないような気がしてたけど、やっぱりちゃんと俺は健康に育ち始めているのだ!
和泉とは少しずつ距離が空いたものの、なんとか集団に大きな遅れをとることはなく、女子集団とすれ違って佐伯と河合さんと手を振りあったりなんかしてしまった。
好成績とはとても言えないが、誇らしい気持ちになった。