8章
お年玉が手には入ったことだし、遊ぶぜ! と意気込んだものの、冬休みは短い。そのくせ課題はしっかりでる。
もちろん俺は暇な帰省中に終わらせていたのだが、四人揃って初詣で会った際和泉に泣きつかれてしまった。
年末年始ばたばたしていて取りかかれず、始業式まで残り僅かになってようやく課題に取り組もうにも、答えがわからず一向に進まないのだと……。
可哀想な生き物だと思った。
この時期雪も降らないうちの地域の冬休みは短い。その分、量も難度もそれなりに手加減されているはずである。その上似たような内容の期末試験を乗り越えたあとだというのに、もう忘れてしまったのかとちょっと脱力した。
そして和泉の勉強を見てやることで貴重な冬休みの一日が消えることとなった。
リビングの机にプリントを広げて和泉と向かい合う。
本来であればプリントだけで十分だが、和泉に1から説明しなくてはならないので自前の問題集とノートも出しているのでぎゅうぎゅうだ。
和泉は自分のことなのに「うへー」という顔をしていた。殴りたい。
どうせ答えだけぱっぱと埋めてしまおうと思ってたんだろうが俺はそんなこと許さないぞ。ちゃんとお前に習得させてみせるからな!
「なあこれ、この前の試験のときに教えたとこなんだけど……」
「あ? あー……っ言われてみれば! これか!?」
和泉はプリントの横に公式を書く。
「そう! それだ! なんだ、ちゃんと覚えてるじゃないか」
「言われればわかるぜ」
言われなきゃわからんと。
和泉はバカだが、致命的なレベルではないのだ。ただ自力で記憶を引き出すのが苦手なようだ。忘れているわけではないのなら、時間をかければわかると思うんだが……試験のときはそうも言ってられないしな……。
「和泉、映画をみていたら、こうきたらこうくる、みたいなお決まりのシーンっていうのが出てくるものだろ?」
「うん?」
「ほら、静かになったら、そのあとは、わっと驚かせてくる、とか」
「ああ、メタ読みできる展開ってことか?」
「そうそう。テストでもそういうところあるんだよ。実際に式を見なくても、先生の癖とかもあるし……、ほら、わざわざ一番最後で基礎的な問題出さないだろ?」
「あーたしかに」
和泉はきっと勝負めいたことが好きなのだ。素直にこれを解きましょうね、といっても張り合いがないのだろう。どうも数列を見た瞬間モチベーションが下がっている気がする。文章題より基礎問題の方がケアレスミスが多いし、文脈みたいなものがあった方が注意力が増すのかな。
ううむ、特性から和泉がどういう勉強方法をすればいいか見いだしてやるとか、そういうことができればいいんだけどな……。
あとはもっとすんなり式が出てくるように反復練習させるしか思いつかない。でももっと教える人間が優秀であればこいつは伸びる気がする……。
昼すぎ、母親が用意してくれた軽めの昼食を食べ終わった頃にチャイムが鳴った。
「おじゃましまーす!」
「お、おじゃまします……」
現れたのはすっかり我が家の空気が慣れた様子の佐伯と、やや息を切らせながら緊張に身を縮こませている河合さんであった。河合さんは初めてうちにくる。玄関までの坂道に疲れ果てたのだろう。
佐伯は今日はおしゃれより防寒重視という感じだろうか。ダウンに身を包んでいる。が、足はやっぱり出てるな。
河合さんは可愛らしいおいしそうな色合いのコートにワンピース、足は黒いタイツだ。安心感がある。
二人を出迎えてリビングに通すと、父がよそ行きの格好で降りてくるところだった。
「おや、これはどうも。息子がお世話になってます」
「はじめまして、お邪魔します!」
「は、はじめまして……」
河合さんは佐伯の陰に隠れておどおどと挨拶している。佐伯はハキハキとしているが、それでもなんとなく気後れしているのか、いつものようにペラペラと話しかけはしない。人懐っこく、ちょっと失礼なくらい親しげに話しかけるのが佐伯の大人に可愛がられる部分なのだが、やっぱり俺の父親ということで遠慮してしまうのかもしれない。まあ、ぐいぐい行って嫌われたくなんてないよな。
父はなんとなく河合さんをちらちら見ている気がする。
……違うぞ? パパ? そっちじゃないぞ?
そして父はどうぞごゆっくりと声をかけて出かけていった。
ちょっと! 違うからな! 河合さんじゃないからな! 河合さんを汚すんじゃないぞ! いやっ違うっ佐伯だって汚れてなんかないぞ! なんてこというんだ!
……やっぱり、はたから見ると俺と佐伯が付き合ってるなんて思わないよな。でも和泉と河合さんが仲がいいとも思わないだろう。父の目には和泉と佐伯、俺と河合さんがカップルに見えたんだろうか……。
---
「四人で勉強会するの久しぶりだね!」
嬉しそうに佐伯が筆記用具を取り出しながら言った。俺と二人での勉強会ではやる気ゼロだったくせに。
勉強会というか、残った課題を片付けるだけだけどな。俺は見守り係である。
居残りしていた和泉にちょこちょことアドバイスはしたものの、しっかり四人で膝を突き合わせての勉強会は随分久しぶりだ。試験があるわけでもないのに。でもみんな久しぶりにこういう集まりをしたかったんだろうと思う。
「そうね、やっぱり桐谷がいないと期末は散々だったわ」
「おれと河合二人でテスト勉強やったらよお、わかんねえ問題一生わかんねえままなの! ありゃあ世界一意味ない勉強会だったなあ」
「ええ、言ってくれればよかったのに」
そういうと河合さんは、そうねえとなぜかこちらを向いて遠い目をした。な、なんだよ。
そういえば、試験期間前なんかは特に佐伯と付き合いたててで、ちょっとふわふわしてたな。周りにバレるほどあからさまだった自覚はないけど、変に気を回されたりしていたんだろうか……。
「そういえばあなたち、進路ってもう決まってるの?」
河合さんが漢字の書き取りのマス目を埋めながら言った。
進路か……たしかに、きちんと将来を見据えているやつはとっくに決まっているんだろうけどさ。
「お前進学しないんだっけ」
「そうよ。おうちの仕事継ぐつもり。特に学びたいことがあるわけではないし」
随分消極的な理由だ。河合さんはやる気とか、夢とか希望とかあまり興味なさそうだもんな。生きてるだけで偉いからいいのだ。
たしか河合さんの家は古物商みたいなお店だった。河合さんが遅刻しかけて迎えに行った際、ちらっとしか見ただけだが、だいぶ本の割合が多かったかな。
「とりあえず生活できればいいもの。やりたいことが見つかれば家の仕事やりながら資格でもなんでも取ればいいし」
「へえ~、いいな~。河合さん本好きだから、本に囲まれたお店って天職じゃん!」
「……どうも」
佐伯の言葉に、河合さんは照れくさそうに肩を竦めた。
たしかに、就職活動だってしなくていいしな。羨ましい。
「おれは海外の大学行く~」
「昭彦英語できないじゃーん」
「ちょっとは上達したんだぜ! ……まあ、無理ならイギリスの写真の先生んとこ弟子入りいくつもり。別に学歴いらねえし」
「なるほど」
とりあえず海外に行きたいわけか。数学はいまだに弱いが、なんだかんだで順調に成績は上がってきているし、あり得なくは……ないのか? 英語はどうだろうな……修学旅行のときは俺よりよっぽどコミュニケーションはとれていたけど、テストはそんなにだもんな……。ううーむ。三年になったらこいつは勉強漬けになりそうだな。和泉は意外と、やるときめたらかなり熱中するタイプだし、もしかしたら可能性はあるか。
「桐谷は?」
「俺は~……、うーん、大体の目星はつけてはいるけど、どうかな……。一応うち文系のクラスだし、そっち方面にいくつもりだったんだけど……」
「あら。理系に進みたいの? 医大とか?」
「いやいやそこまではさすがに。体力的にも厳しそうだしね」
父親が医者だし、昔から病院の世話になっているからその大変さはさすがに察する。他にも教師とか、気になるんだけどやっぱり俺の体が持たない気がするんだよな……。
すっかり今は元気、と言いたいところなのだが、まあ、数ヶ月に一回は風邪引いちゃうしな……。
それに生まれたときから弱い体で生きているので、どうにも少し身体的にハードルが高そうなことには過剰に躊躇してしまうところがある。どうせ無理なんじゃないか、と思ってしまうのだ。よくない癖だと思う。でも無理は絶対にしたくないのだ。今の学校だって妥協で選んだし。負け惜しみのようになるが、進学クラスだって十分臨める実力はあったのだ。でも、授業量だとか、出席率だとかを考えると後込みしてしまい、普通科を選んだ。
「まあ、無理のない範囲で……」
「意識低めね」
河合さんは辛辣だ。
「友也どうすんだよ」
「ポケモンブリーダーになる」
「あほか」
佐伯はテーブルにべったりほっぺたをつけてやる気なくプリントを埋めている。また集中力が切れたようだ。こいつ、ゲームは十時間くらいやるくせに。
「ん~、男だったときは親父の母校に大学通うってなってたんだけど~、そのあと会社員? とか? わかんないけど。でも女だとね~、んーって感じ」
「んーって?」
「女は割と好きにしな~って感じの家なんだよね。お嫁に行っちゃうからかなあ。行かなくていいならオレも無理して難しい学校行きたくないし……」
ふうむ。まあその家によって色々方針があるのだろう。
「いいじゃないか、その方が自由で」
「急に自由になってもなー。なんも考えてなかったから……」
「まあまだ将来決まってないやつなんていくらでもいるし、なんとかなるんじゃね?」
「だよね~」
ま、年齢制限あるような職業以外なら割となんとでもなるよな。知らんけど。
とりあえず大学に行くつもりではあるらしい。佐伯はそこそこ勉強はできるが、あんまり頑張るタイプじゃない。父親の母校を目指す、ということで文系クラスにいたようだが、佐伯の得意科目は理数系だ。これはもしかしたら同じ大学にいくことも可能なんじゃ……? という考えがよぎるが、やめておこう。そういう理由で選ぶものじゃないよな。
でもこれという職業が決まっていないなら、夢に向かってどこか遠くに進学就職するってことはなさそうだ。和泉みたいなこと言い出したらさすがに泣いてしまう。止めはしないけどさ……。
「あなたたち進学するなら予備校とか通わないの?」
「おれ時間ねえよー。今だって家事やって空いたときに課題やってんのに」
「そんな意識の低さで大丈夫かよ……」
「まっ桐谷先生がついてるからな!」
「俺だって受験勉強するんだよ!」
勝手なことを言ってくれる。
俺も一応通った方がいいのかなあと思っているのだが、それほど必要性を感じていない。勉強なんてやりたい時間にやりたい項目をやるのが一番楽しい。とりあえず高校で習う範囲は理解できていると思うし、授業で復習しながら試験対策していけば問題ないよな……?
ううんでも大学受験はしたことがないし、特有の攻略法なんかがあるんだろうか。だったらきちんと聞いておくに越したことはないよな……。
俺は正直受験や試験に向けた勉強が得意ってわけでもないし……今までなんとかなっていたからって油断するもんじゃないかもしれない。
「俺は三年になってから考えるよ。面白そうだったら行ってみたい」
「面白いわけねえだろ塾なんてよお」
和泉は酒のようにココアをあおった。
「じゃあ今年はみんな勉強に忙しくて遊んでくれなくなるのね」
河合さんは残念そうに呟く。
むむっそうだよな……。それぞれ進学したら時間も合わなくなるし、和泉なんてうまいこと希望通りに進めば海外だ。学校生活は限られているっていうのに、勉強してる暇なんてないんじゃないか? 河合さんを寂しがらせてまで叶える夢なんてあるのか?
「まあまあ、そんなこと言わずに。河合もおれの勉強に付き合わせてやるよ」
「せっかく勉強しないで済むのに、巻き込まないでほしいわ」
河合さんはふう、と息をついて、何気なく見た自分の手が真っ黒に汚れているのに気付いて、わ、と驚いた。
もちろん俺は暇な帰省中に終わらせていたのだが、四人揃って初詣で会った際和泉に泣きつかれてしまった。
年末年始ばたばたしていて取りかかれず、始業式まで残り僅かになってようやく課題に取り組もうにも、答えがわからず一向に進まないのだと……。
可哀想な生き物だと思った。
この時期雪も降らないうちの地域の冬休みは短い。その分、量も難度もそれなりに手加減されているはずである。その上似たような内容の期末試験を乗り越えたあとだというのに、もう忘れてしまったのかとちょっと脱力した。
そして和泉の勉強を見てやることで貴重な冬休みの一日が消えることとなった。
リビングの机にプリントを広げて和泉と向かい合う。
本来であればプリントだけで十分だが、和泉に1から説明しなくてはならないので自前の問題集とノートも出しているのでぎゅうぎゅうだ。
和泉は自分のことなのに「うへー」という顔をしていた。殴りたい。
どうせ答えだけぱっぱと埋めてしまおうと思ってたんだろうが俺はそんなこと許さないぞ。ちゃんとお前に習得させてみせるからな!
「なあこれ、この前の試験のときに教えたとこなんだけど……」
「あ? あー……っ言われてみれば! これか!?」
和泉はプリントの横に公式を書く。
「そう! それだ! なんだ、ちゃんと覚えてるじゃないか」
「言われればわかるぜ」
言われなきゃわからんと。
和泉はバカだが、致命的なレベルではないのだ。ただ自力で記憶を引き出すのが苦手なようだ。忘れているわけではないのなら、時間をかければわかると思うんだが……試験のときはそうも言ってられないしな……。
「和泉、映画をみていたら、こうきたらこうくる、みたいなお決まりのシーンっていうのが出てくるものだろ?」
「うん?」
「ほら、静かになったら、そのあとは、わっと驚かせてくる、とか」
「ああ、メタ読みできる展開ってことか?」
「そうそう。テストでもそういうところあるんだよ。実際に式を見なくても、先生の癖とかもあるし……、ほら、わざわざ一番最後で基礎的な問題出さないだろ?」
「あーたしかに」
和泉はきっと勝負めいたことが好きなのだ。素直にこれを解きましょうね、といっても張り合いがないのだろう。どうも数列を見た瞬間モチベーションが下がっている気がする。文章題より基礎問題の方がケアレスミスが多いし、文脈みたいなものがあった方が注意力が増すのかな。
ううむ、特性から和泉がどういう勉強方法をすればいいか見いだしてやるとか、そういうことができればいいんだけどな……。
あとはもっとすんなり式が出てくるように反復練習させるしか思いつかない。でももっと教える人間が優秀であればこいつは伸びる気がする……。
昼すぎ、母親が用意してくれた軽めの昼食を食べ終わった頃にチャイムが鳴った。
「おじゃましまーす!」
「お、おじゃまします……」
現れたのはすっかり我が家の空気が慣れた様子の佐伯と、やや息を切らせながら緊張に身を縮こませている河合さんであった。河合さんは初めてうちにくる。玄関までの坂道に疲れ果てたのだろう。
佐伯は今日はおしゃれより防寒重視という感じだろうか。ダウンに身を包んでいる。が、足はやっぱり出てるな。
河合さんは可愛らしいおいしそうな色合いのコートにワンピース、足は黒いタイツだ。安心感がある。
二人を出迎えてリビングに通すと、父がよそ行きの格好で降りてくるところだった。
「おや、これはどうも。息子がお世話になってます」
「はじめまして、お邪魔します!」
「は、はじめまして……」
河合さんは佐伯の陰に隠れておどおどと挨拶している。佐伯はハキハキとしているが、それでもなんとなく気後れしているのか、いつものようにペラペラと話しかけはしない。人懐っこく、ちょっと失礼なくらい親しげに話しかけるのが佐伯の大人に可愛がられる部分なのだが、やっぱり俺の父親ということで遠慮してしまうのかもしれない。まあ、ぐいぐい行って嫌われたくなんてないよな。
父はなんとなく河合さんをちらちら見ている気がする。
……違うぞ? パパ? そっちじゃないぞ?
そして父はどうぞごゆっくりと声をかけて出かけていった。
ちょっと! 違うからな! 河合さんじゃないからな! 河合さんを汚すんじゃないぞ! いやっ違うっ佐伯だって汚れてなんかないぞ! なんてこというんだ!
……やっぱり、はたから見ると俺と佐伯が付き合ってるなんて思わないよな。でも和泉と河合さんが仲がいいとも思わないだろう。父の目には和泉と佐伯、俺と河合さんがカップルに見えたんだろうか……。
---
「四人で勉強会するの久しぶりだね!」
嬉しそうに佐伯が筆記用具を取り出しながら言った。俺と二人での勉強会ではやる気ゼロだったくせに。
勉強会というか、残った課題を片付けるだけだけどな。俺は見守り係である。
居残りしていた和泉にちょこちょことアドバイスはしたものの、しっかり四人で膝を突き合わせての勉強会は随分久しぶりだ。試験があるわけでもないのに。でもみんな久しぶりにこういう集まりをしたかったんだろうと思う。
「そうね、やっぱり桐谷がいないと期末は散々だったわ」
「おれと河合二人でテスト勉強やったらよお、わかんねえ問題一生わかんねえままなの! ありゃあ世界一意味ない勉強会だったなあ」
「ええ、言ってくれればよかったのに」
そういうと河合さんは、そうねえとなぜかこちらを向いて遠い目をした。な、なんだよ。
そういえば、試験期間前なんかは特に佐伯と付き合いたててで、ちょっとふわふわしてたな。周りにバレるほどあからさまだった自覚はないけど、変に気を回されたりしていたんだろうか……。
「そういえばあなたち、進路ってもう決まってるの?」
河合さんが漢字の書き取りのマス目を埋めながら言った。
進路か……たしかに、きちんと将来を見据えているやつはとっくに決まっているんだろうけどさ。
「お前進学しないんだっけ」
「そうよ。おうちの仕事継ぐつもり。特に学びたいことがあるわけではないし」
随分消極的な理由だ。河合さんはやる気とか、夢とか希望とかあまり興味なさそうだもんな。生きてるだけで偉いからいいのだ。
たしか河合さんの家は古物商みたいなお店だった。河合さんが遅刻しかけて迎えに行った際、ちらっとしか見ただけだが、だいぶ本の割合が多かったかな。
「とりあえず生活できればいいもの。やりたいことが見つかれば家の仕事やりながら資格でもなんでも取ればいいし」
「へえ~、いいな~。河合さん本好きだから、本に囲まれたお店って天職じゃん!」
「……どうも」
佐伯の言葉に、河合さんは照れくさそうに肩を竦めた。
たしかに、就職活動だってしなくていいしな。羨ましい。
「おれは海外の大学行く~」
「昭彦英語できないじゃーん」
「ちょっとは上達したんだぜ! ……まあ、無理ならイギリスの写真の先生んとこ弟子入りいくつもり。別に学歴いらねえし」
「なるほど」
とりあえず海外に行きたいわけか。数学はいまだに弱いが、なんだかんだで順調に成績は上がってきているし、あり得なくは……ないのか? 英語はどうだろうな……修学旅行のときは俺よりよっぽどコミュニケーションはとれていたけど、テストはそんなにだもんな……。ううーむ。三年になったらこいつは勉強漬けになりそうだな。和泉は意外と、やるときめたらかなり熱中するタイプだし、もしかしたら可能性はあるか。
「桐谷は?」
「俺は~……、うーん、大体の目星はつけてはいるけど、どうかな……。一応うち文系のクラスだし、そっち方面にいくつもりだったんだけど……」
「あら。理系に進みたいの? 医大とか?」
「いやいやそこまではさすがに。体力的にも厳しそうだしね」
父親が医者だし、昔から病院の世話になっているからその大変さはさすがに察する。他にも教師とか、気になるんだけどやっぱり俺の体が持たない気がするんだよな……。
すっかり今は元気、と言いたいところなのだが、まあ、数ヶ月に一回は風邪引いちゃうしな……。
それに生まれたときから弱い体で生きているので、どうにも少し身体的にハードルが高そうなことには過剰に躊躇してしまうところがある。どうせ無理なんじゃないか、と思ってしまうのだ。よくない癖だと思う。でも無理は絶対にしたくないのだ。今の学校だって妥協で選んだし。負け惜しみのようになるが、進学クラスだって十分臨める実力はあったのだ。でも、授業量だとか、出席率だとかを考えると後込みしてしまい、普通科を選んだ。
「まあ、無理のない範囲で……」
「意識低めね」
河合さんは辛辣だ。
「友也どうすんだよ」
「ポケモンブリーダーになる」
「あほか」
佐伯はテーブルにべったりほっぺたをつけてやる気なくプリントを埋めている。また集中力が切れたようだ。こいつ、ゲームは十時間くらいやるくせに。
「ん~、男だったときは親父の母校に大学通うってなってたんだけど~、そのあと会社員? とか? わかんないけど。でも女だとね~、んーって感じ」
「んーって?」
「女は割と好きにしな~って感じの家なんだよね。お嫁に行っちゃうからかなあ。行かなくていいならオレも無理して難しい学校行きたくないし……」
ふうむ。まあその家によって色々方針があるのだろう。
「いいじゃないか、その方が自由で」
「急に自由になってもなー。なんも考えてなかったから……」
「まあまだ将来決まってないやつなんていくらでもいるし、なんとかなるんじゃね?」
「だよね~」
ま、年齢制限あるような職業以外なら割となんとでもなるよな。知らんけど。
とりあえず大学に行くつもりではあるらしい。佐伯はそこそこ勉強はできるが、あんまり頑張るタイプじゃない。父親の母校を目指す、ということで文系クラスにいたようだが、佐伯の得意科目は理数系だ。これはもしかしたら同じ大学にいくことも可能なんじゃ……? という考えがよぎるが、やめておこう。そういう理由で選ぶものじゃないよな。
でもこれという職業が決まっていないなら、夢に向かってどこか遠くに進学就職するってことはなさそうだ。和泉みたいなこと言い出したらさすがに泣いてしまう。止めはしないけどさ……。
「あなたたち進学するなら予備校とか通わないの?」
「おれ時間ねえよー。今だって家事やって空いたときに課題やってんのに」
「そんな意識の低さで大丈夫かよ……」
「まっ桐谷先生がついてるからな!」
「俺だって受験勉強するんだよ!」
勝手なことを言ってくれる。
俺も一応通った方がいいのかなあと思っているのだが、それほど必要性を感じていない。勉強なんてやりたい時間にやりたい項目をやるのが一番楽しい。とりあえず高校で習う範囲は理解できていると思うし、授業で復習しながら試験対策していけば問題ないよな……?
ううんでも大学受験はしたことがないし、特有の攻略法なんかがあるんだろうか。だったらきちんと聞いておくに越したことはないよな……。
俺は正直受験や試験に向けた勉強が得意ってわけでもないし……今までなんとかなっていたからって油断するもんじゃないかもしれない。
「俺は三年になってから考えるよ。面白そうだったら行ってみたい」
「面白いわけねえだろ塾なんてよお」
和泉は酒のようにココアをあおった。
「じゃあ今年はみんな勉強に忙しくて遊んでくれなくなるのね」
河合さんは残念そうに呟く。
むむっそうだよな……。それぞれ進学したら時間も合わなくなるし、和泉なんてうまいこと希望通りに進めば海外だ。学校生活は限られているっていうのに、勉強してる暇なんてないんじゃないか? 河合さんを寂しがらせてまで叶える夢なんてあるのか?
「まあまあ、そんなこと言わずに。河合もおれの勉強に付き合わせてやるよ」
「せっかく勉強しないで済むのに、巻き込まないでほしいわ」
河合さんはふう、と息をついて、何気なく見た自分の手が真っ黒に汚れているのに気付いて、わ、と驚いた。