7章
「おわ~時間ぎりぎりだよ! なんで頭洗っちゃったのさ!」
「く、癖でつい……」
ばたばたとしながら忘れ物がないか確認して、俺たちはホテルをあとにした。なんせ二人ともはじめて利用するので勝手がわからず、佐伯は時間に厳しかった。
濡れた頭が風に吹かれてすぐに冷たくなる。
もう日は暮れかけていた。
「もう、桐谷体弱いんだから、すぐ風邪引いちゃうよ。あ、そうだ! 電気屋さん寄ってドライヤーのお試しで乾かすってどう?」
「そんな恥ずかしいことできないよ! だ、大丈夫だから、このくらい……」
しかし、このまま帰ったら確実に親に怪しまれるな。自然乾燥で頑張らないと……。
夕方とはいえ、疲れているとはいえ、ここですぐ解散なんていうのはさすがに味気ないだろう。ヤるためだけに会ったみたいじゃないか。どこか屋内でゆっくりできるところを探したいんだけど……。
「とりあえずタオル買って、喫茶店かどっか寄ろうよ。あったかいの飲も」
佐伯はてきぱきと目的地を定め、俺の腕を引いて歩き出す。気が付いたら俺の荷物も佐伯が半分持っていた。
慌てて謝って荷物を受け取る。
なんだかちょっと懐かしい感覚だ。俺は一年遅れて高校に入学したから、本当は一個上なのに、たまに佐伯がお兄さんのように頼もしく感じることがあった。久しぶりにそれを思い出した。
最近の佐伯はすっかり元気になったと思っていたけど、それでも昔に比べるとやや控えめだったかもしれない。元気だけど、主張が少ないというか……。やっぱり、今でもたまにぼんやりしている瞬間はあるし。
さっきの会話で少し胸のつかえみたいなものが少しでもとれただろうか。だったらいいなと思う。
佐伯はシンプルで値段も安いハンドタオルを見つけだして、わざわざ買ってよこしてくれた。すぐに袋から出しながら、あらあらと苦笑して見守る老婦人なんかに「この人頭に鳥の糞落とされちゃって!」なんて言い訳して、なんにせよ俺は恥ずかしくて小さくなっていた。
そうして街中でお風呂上がりスタイルの俺が誕生した。擦れ違う人がちらちら見てくる。くそう。
やがて客がまばらな古そうな喫茶店にたどり着いた。
「よ、よし。ここは俺がおごるよ」
「おおっ、男前~」
どさくさに紛れてタオル買って貰っちゃったしな。ラブホ代も結局佐伯が多めに払ってしまったし。ここくらいは華を持たせてもらおう。
中は静かで、ピアノのBGMだけが小さく流れていた。
うん。うってつけだ。クリスマスデートっぽい。
奥の席に案内され、佐伯はうきうきした顔でメニューを開いた。
俺の髪もだいぶ乾いたと思う。このまま暖房の力でなんとかなりそうだ。
「オ……あ、たしはクリームソーダ!」
店員の目を気にして、佐伯は一人称を改めた。似合うのに違和感がある。
「寒いのに。冷たいのでいいの? アイスだよ?」
「喫茶店と言ったらクリームソーダでしょ」
いや、コーヒーじゃないのか? まあいいか。俺は俺でココアを頼んだ訳だが。
「あ、そだそだ。クリスマスプレゼント、さっきのだけじゃないんだよ」
「え」
佐伯はごそごそとずっと手に持っていた小さな紙袋を取り出した。
たしかに、バッグの他になにか持ってるなーとずっと気になってたけど……。
「そんな期待しないでね。クッキー焼いたの。帰ったら食べて」
「え! 佐伯が!?」
「そーだよぉ? すごいでしょー」
すごい。料理なんて一切興味を持ってなかったのに。
茶色い紙の包みでぐるぐる巻きになっている固まりが入っている。あんまり包装はプレゼントっぽくないけど、すごいことだ。
「明日はきっと桐谷のお母さんが料理とかケーキとか作ってくれてるんでしょ? だから今日渡しとこーって思って。……あ、もしかして今日もご馳走かな?」
「いや、いやいや。クッキーは出てこないよ、きっと。ありがとう」
受け取って、あっと思い出す。
俺もプレゼントあるんだった。完全に忘れていた。
「俺も、明日渡しそびれたら困ると思って持ってきてたんだ」
「えっ、え! プレゼント!? 桐谷が……?」
「なんで驚愕するんだ……!?」
うわあうわあとオーバーなリアクションで目を見開きながら、俺が差し出した袋を受け取る。
少し騒ぎすぎて店の雰囲気を壊していないかと心配になってマスターの方をちらりとみると、何故か微笑ましいものをみるような顔をしていた。
ま、まあいいよ。そこで見てればいいさ。
「え、これ、開けてもいい?」
「ああ、うんいいよ」
食べ物じゃないし、ゴミが出るものでもないからいいよな。
佐伯は一度落ち着こうとしたのかソーダを飲み、ほっぺたを上気させていそいそと袋の中を覗く。袋の中に手を入れて箱を開けたようだ。
「マグカップ! 猫の柄だ~可愛い! えー! 桐谷が選んだの? センスいいじゃーん!」
佐伯のリアクションはいちいち気持ちがよかった。俺もこんな風に感動してみせれただろうか……。心の中では本当に喜んだんだが。
佐伯は全身から嬉しい、嬉しい、というのを滲み出していたし、口にも出していた。
なるほどな。キャバ嬢に貢ぐ男の気持ちがわかる。これは破産してでも喜ばせたい。
たっぷり休憩して、髪も大体乾いた頃、喫茶店を出た。
それから駅まで送って別れるまで、佐伯はずっと上機嫌だった。
俺もあらゆる意味で充実した気分だった。これは、ちょっとやばいと思うほどに。
こんな嬉しい気持ちとか、好きな気持ちがいつか消えるとはとても思えない。でも世の中ではたくさんのカップルが付き合っては別れていて、その多くが付き合った当初はきっと同じような気持ちだったんだろうと思う。
気分のいい自分と、そういう自分を落ち着かせようとする自分がいた。
きっと佐伯が言う、幸せだと不安になるというのもこんな感覚の延長なんだろうな。もしこの幸せが消えてしまっても、自分がだめになってしまわないように保険をかけてしまう、そういう気持ちだ。でもそれで謳歌できないのはもったいないとも思う。
倦怠期とか、そういうのもいつか来るんだろうか。本人次第でどうにかなるものなのかな。でも本人ったって、俺がよくても佐伯がダメだったら成り立たないだろうし。なるほど、難しいな。
まあでも、そんなこと今考えたってどうしようもないんだ。なるようになる。ならないときはならない。
……俺ってやっぱり、頭で考えているよりも楽天家なのかな……。
とにかく今は佐伯が横で笑ってるから、十分なのだ。
「く、癖でつい……」
ばたばたとしながら忘れ物がないか確認して、俺たちはホテルをあとにした。なんせ二人ともはじめて利用するので勝手がわからず、佐伯は時間に厳しかった。
濡れた頭が風に吹かれてすぐに冷たくなる。
もう日は暮れかけていた。
「もう、桐谷体弱いんだから、すぐ風邪引いちゃうよ。あ、そうだ! 電気屋さん寄ってドライヤーのお試しで乾かすってどう?」
「そんな恥ずかしいことできないよ! だ、大丈夫だから、このくらい……」
しかし、このまま帰ったら確実に親に怪しまれるな。自然乾燥で頑張らないと……。
夕方とはいえ、疲れているとはいえ、ここですぐ解散なんていうのはさすがに味気ないだろう。ヤるためだけに会ったみたいじゃないか。どこか屋内でゆっくりできるところを探したいんだけど……。
「とりあえずタオル買って、喫茶店かどっか寄ろうよ。あったかいの飲も」
佐伯はてきぱきと目的地を定め、俺の腕を引いて歩き出す。気が付いたら俺の荷物も佐伯が半分持っていた。
慌てて謝って荷物を受け取る。
なんだかちょっと懐かしい感覚だ。俺は一年遅れて高校に入学したから、本当は一個上なのに、たまに佐伯がお兄さんのように頼もしく感じることがあった。久しぶりにそれを思い出した。
最近の佐伯はすっかり元気になったと思っていたけど、それでも昔に比べるとやや控えめだったかもしれない。元気だけど、主張が少ないというか……。やっぱり、今でもたまにぼんやりしている瞬間はあるし。
さっきの会話で少し胸のつかえみたいなものが少しでもとれただろうか。だったらいいなと思う。
佐伯はシンプルで値段も安いハンドタオルを見つけだして、わざわざ買ってよこしてくれた。すぐに袋から出しながら、あらあらと苦笑して見守る老婦人なんかに「この人頭に鳥の糞落とされちゃって!」なんて言い訳して、なんにせよ俺は恥ずかしくて小さくなっていた。
そうして街中でお風呂上がりスタイルの俺が誕生した。擦れ違う人がちらちら見てくる。くそう。
やがて客がまばらな古そうな喫茶店にたどり着いた。
「よ、よし。ここは俺がおごるよ」
「おおっ、男前~」
どさくさに紛れてタオル買って貰っちゃったしな。ラブホ代も結局佐伯が多めに払ってしまったし。ここくらいは華を持たせてもらおう。
中は静かで、ピアノのBGMだけが小さく流れていた。
うん。うってつけだ。クリスマスデートっぽい。
奥の席に案内され、佐伯はうきうきした顔でメニューを開いた。
俺の髪もだいぶ乾いたと思う。このまま暖房の力でなんとかなりそうだ。
「オ……あ、たしはクリームソーダ!」
店員の目を気にして、佐伯は一人称を改めた。似合うのに違和感がある。
「寒いのに。冷たいのでいいの? アイスだよ?」
「喫茶店と言ったらクリームソーダでしょ」
いや、コーヒーじゃないのか? まあいいか。俺は俺でココアを頼んだ訳だが。
「あ、そだそだ。クリスマスプレゼント、さっきのだけじゃないんだよ」
「え」
佐伯はごそごそとずっと手に持っていた小さな紙袋を取り出した。
たしかに、バッグの他になにか持ってるなーとずっと気になってたけど……。
「そんな期待しないでね。クッキー焼いたの。帰ったら食べて」
「え! 佐伯が!?」
「そーだよぉ? すごいでしょー」
すごい。料理なんて一切興味を持ってなかったのに。
茶色い紙の包みでぐるぐる巻きになっている固まりが入っている。あんまり包装はプレゼントっぽくないけど、すごいことだ。
「明日はきっと桐谷のお母さんが料理とかケーキとか作ってくれてるんでしょ? だから今日渡しとこーって思って。……あ、もしかして今日もご馳走かな?」
「いや、いやいや。クッキーは出てこないよ、きっと。ありがとう」
受け取って、あっと思い出す。
俺もプレゼントあるんだった。完全に忘れていた。
「俺も、明日渡しそびれたら困ると思って持ってきてたんだ」
「えっ、え! プレゼント!? 桐谷が……?」
「なんで驚愕するんだ……!?」
うわあうわあとオーバーなリアクションで目を見開きながら、俺が差し出した袋を受け取る。
少し騒ぎすぎて店の雰囲気を壊していないかと心配になってマスターの方をちらりとみると、何故か微笑ましいものをみるような顔をしていた。
ま、まあいいよ。そこで見てればいいさ。
「え、これ、開けてもいい?」
「ああ、うんいいよ」
食べ物じゃないし、ゴミが出るものでもないからいいよな。
佐伯は一度落ち着こうとしたのかソーダを飲み、ほっぺたを上気させていそいそと袋の中を覗く。袋の中に手を入れて箱を開けたようだ。
「マグカップ! 猫の柄だ~可愛い! えー! 桐谷が選んだの? センスいいじゃーん!」
佐伯のリアクションはいちいち気持ちがよかった。俺もこんな風に感動してみせれただろうか……。心の中では本当に喜んだんだが。
佐伯は全身から嬉しい、嬉しい、というのを滲み出していたし、口にも出していた。
なるほどな。キャバ嬢に貢ぐ男の気持ちがわかる。これは破産してでも喜ばせたい。
たっぷり休憩して、髪も大体乾いた頃、喫茶店を出た。
それから駅まで送って別れるまで、佐伯はずっと上機嫌だった。
俺もあらゆる意味で充実した気分だった。これは、ちょっとやばいと思うほどに。
こんな嬉しい気持ちとか、好きな気持ちがいつか消えるとはとても思えない。でも世の中ではたくさんのカップルが付き合っては別れていて、その多くが付き合った当初はきっと同じような気持ちだったんだろうと思う。
気分のいい自分と、そういう自分を落ち着かせようとする自分がいた。
きっと佐伯が言う、幸せだと不安になるというのもこんな感覚の延長なんだろうな。もしこの幸せが消えてしまっても、自分がだめになってしまわないように保険をかけてしまう、そういう気持ちだ。でもそれで謳歌できないのはもったいないとも思う。
倦怠期とか、そういうのもいつか来るんだろうか。本人次第でどうにかなるものなのかな。でも本人ったって、俺がよくても佐伯がダメだったら成り立たないだろうし。なるほど、難しいな。
まあでも、そんなこと今考えたってどうしようもないんだ。なるようになる。ならないときはならない。
……俺ってやっぱり、頭で考えているよりも楽天家なのかな……。
とにかく今は佐伯が横で笑ってるから、十分なのだ。