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6章

 結局のところ、何日か普通の学校生活を経たものの実際の関係性の変化というものはそれほどなかった。
 人前では恋人らしい振る舞いなんてできないし、家に行けるほど時間の余裕がある日は限られている。放課後も、河合さんたちと一緒に行動している分にはやっぱりいちゃつくなんて到底できるわけない。土日に期待しつつもなんともやきもきする距離感だ。
 ただまあ学校での移動教室とか、ちょっとした二人でいる時間の空気感は少しだけ違う……かな。俺が勝手に違う気がしているだけかもしれない。

 とにかくわかったことは、こいつの学校での明るい振る舞いは鉄壁だということだ。先日の佐伯の落ち込んだり泣いたりの有様を説明したって、誰も信じてはくれないだろう。
 男時代からそういうところはあった。ちょっとした言い合いをして、喧嘩っぽくなってしまっても翌日学校では平然と話しかけてくるのだ。本人としてはなかったことにしようというつもりではないらしい。自分たちの都合で関係ない人を心配させたくないのだという。大した演技力である。
 しかしおかげで俺がなんだもう喧嘩したこと忘れてるのか~なんて思って接すると余計こじれることだってあるわけで、ほどほどにしてほしいと思うのだが。
 ……まあ、言って改善されることでもないと思うけどさ。
 とにかく、ちょっと不安になるくらい変化がなかった。
 ほ、本当に……付き合ってますよね……?
 避妊具がどうのとか言ってたし、むこうだってあれっきりだと思ってないのは一応わかってるのだが……。
 別に俺だって人目をはばからずいちゃいちゃしたいわけではない。
 ただなにかこう……、なんだろう……。
 もっと何かしてやりたいのだ……。
 う、なんか自分で自分が気持ち悪い。なんだよ、お前。浮かれやがって。

「桐谷この前からヘンだよ!」

 みんながいる教室の中で普段通りの声で佐伯がそんなことを言うもんだから、咄嗟に口を塞いでやろうかと焦ってしまった。もちろん手でだぞ。

「な、なに? なにが」
「なんか、すごい余裕があるみたいな顔してる。一歩引いてさ、保護者面してない? ちょっとムカつく」
「え、ええ……ああー、そ、そうかな……」
「ほら、今だって濁らそうとしてるでしょ」

 お茶を濁すみたいなことを言いたいんだろうか。
 言われてみみると、たしかにそんな気もしてきた。
 なんだろう、童貞卒業したことによって精神的に余裕が生まれたんだろうか。ちょっとしたことは気にならない気もしなくもない。それ以上に佐伯の行動が逐一気になるようになってはいるのだが、そっちは表には出ていないと思う。
 横から石橋がバカにするような顔で口を挟んだ。

「つーか最近佐伯のことばっか見てね? お前狙われてんだよ」

 バ、バレてる……!?
 いや、狙ってるとか狙ってないとかじゃないけどな!
 ふふん! バカめ! もうそんな段階とっくに超えてるんだよ!
 なっ佐伯!

「えー、そうなのー? やめてよね、他にいけそうな子いないからって」

 こ、こいつ……!
 いや、このニヤニヤしている顔はわざと言っている……! くそ、佐伯のくせに! 人をいじめるなんて! めちゃくちゃ反応に困るいじりかたしやがって!

「ま、まあ、最近女子力に磨きがかかってきたみたいだから、石橋のようなクズ男に引っかからないよう見守っているんだよ」
「誰がクズだよ」

 佐伯は「ふう~ん」と言いながら、ニヤニヤ笑うのを堪えるような口をしている。嬉しがってるのか、面白がってるだけなのか……。
 授業が終わり、俺はすぐ佐伯を廊下に連れ出し文句をつけた。最近こういうこと多いな。

「あ、あんなこと人前で言うなよ、バレたらどうするんだ。お前が隠したいって言ったくせに」
「ご、ごめん。だって桐谷、結構あからさまだよ?」
「え。嘘」

 ほんとー、と佐伯は少し申し訳なさそうにしつつも譲りはしなかった。

「昭彦だって言ってたじゃん。桐谷最近オレを見る目、すっごーく穏やかだよ? オレがボケたりしても前みたいにズバッと切り捨てたりしないしさ。アレ滑ったみたいで結構恥ずかしいんだから」

 そ、それは別にいいじゃん……と言いたいが、たしかに、急に態度が軟化したら何かあったと思われるに決まってるか……。
 まったくそんな意識なかったので、妙に恥ずかしい。
 先日佐伯にも言われたことだが、俺は割と人によって態度が露骨に違うらしい。そんなつもりは毛頭ないのに。みんな平等だ。石橋以外。

「でも、そんなこと言われてもなあ……」
「でしょ? だからみんな聞いてるところで適当に理由でっちあげてくれれば、あんまり怪しまれないですむかなって思ったの」
「ええ……意外とお前策士だな……」
「でっしょ〜?」

 佐伯はへへーんと得意げに笑った。
 しかし、そこまであからさまなのか、俺……。なんか、普通に嫌な奴じゃないか?
 それに引き替え佐伯は本当に変化がない。
 ……よく考えたら、先輩とそういう関係になっていたってのに表にはおくびにも出さなかったわけだし、五組のやつに騙されたときだってそうだ。結局一番近くにいるであろう和泉だって、全く気付いていないだろう。
 それを思うと、もしかすると普段ニコニコと機嫌の良さそうにしている姿は本心ではないんじゃないかと思えてくる。

「あ、あのさ」

 どうにも気になって、声を潜めて身を寄せた。
 佐伯は顔を傾けて耳をこちらに向ける。なんだかそんな何気ない仕草が今となっては可愛く思えた。

「はじめて……その……したときとか……、その前に色々話をしたとき、すごく落ち着いてたけど、あっちが佐伯の素? 学校で楽しそうにしてるのって、無理してるの?」

 落ち着いていたというか、表情や反応が薄かった。今の佐伯からは考えつかないくらい。顔立ちも相まって、河合さんよりもクールに見えた。普段のリアクションが大きすぎるんだけどさ。
 しかし佐伯は体を離すと、あんぐり口を開けたあと顔をひきつらせるようにちょっとだけ笑った。

「真面目な話してるときまでヘラヘラしてたらオレただのバカじゃない!」

 た、たしかにそうなんだけど!
 お見舞いに来てくれたときだってそうだ。佐伯のテンションが低いときというのはすごく珍しいんだ。いつもと雰囲気が違う、と一瞬でわかるのだ。独特の雰囲気がある。そういうとき、俺はいつも圧倒されてしまうのだ。
 機嫌が悪いとかそういう感じでもなくて、本当に淡々としてるんだ。そりゃあ気にもなるだろ。
 佐伯は怒ってるぞというように腕を組んだ。

「あのねえ、オレ、あのとき一応フラれて傷ついてたんだからね。明るく振る舞えっていわれても無理だよ。そんなの感情ない人だよ」
「お、おっしゃるとおりです……」
「……まあ、たしかに、どういう反応していいかわかんないせいもあるけどさ。色々考えてたらやっぱりリアクションできないことあるじゃん。それだけ。一応いつも素のつもりだよ。わかんないけど」

 わかんないのかよ。
 全く失礼しちゃうなあ、と佐伯はぼやいた。
 無理して明るく振る舞っているわけではないのか。未だに俺は佐伯のことをあまり知らないのだと実感する。
 自分のことそんなに喋らないしな。まあ、これは俺も同じか。
 でも俺が佐伯の知っていることに比べて、佐伯の方が俺のことをずっと把握しているような気がする。
 それは俺が今まで佐伯のことをきちんと見ていなかったからだろうか。

「でもやっぱり明るくて楽しい方がいいよね」
「……楽しい方がいいということには同感だけど、それは無理して常に明るく振る舞えという意味ではないことはわかってるよね?」
「わ……わかってるよ……」

 絶対うそだ。
 ちょっと目を逸らしたし。
 油断するとすぐこれだ。こいつの思考の癖がわかってきた気がするぞ。
 人の気持ちには敏感なくせに、他人は自分に対して気にしていないと思っているようだ。いくら俺が鈍感だからってあんまり舐めないでもらいたい。
 急に、和泉が河合さんにたまにするように、わしゃわしゃと頭を撫でてやりたい感覚に襲われた。
 頭ぽんぽんとか、少女漫画ではときめくだの、現実でやられたらキモいだの、散々言われてきた謎の行為だが、何故かそのとき猛烈にやりたくなったのだ。撫でやすい身長差というわけでもないのに。
 困るだろうか。照れるだろうか。
 そんなことを想像しながらそろそろと手をあげている途中で我に帰り、いかんいかんと目を覚ます。あんなもん和泉と河合さんだからこそ許されてるんだ。俺がやったら変質者だ。佐伯が気にしなくとも、人に見られたらきっと俺の人権は失われる。
 見てて気持ちのいいもんでもないしな……危ないところだった。
 佐伯の目の高さあたりまであげた手をすぐに下ろすこともできず、少し空中でうろうろさせたあと苦し紛れに自分の頭を掻いて誤魔化す。
 その一連の様子をぽけーっと見ていた佐伯は、またにまっといたずらっぽい表情を浮かべる。

「桐谷、授業はじまっちゃうよ!」

 よく通る声を出しながら佐伯は俺の手首を掴んで引っ張った。
 焦るほど教室から離れているわけでもないのに。
 俺は拒絶することなんてできず、ただ引っ張られてあとに続くしかできない。少し下にある後頭部を眺めて。
 俺が人目を気にして触れるのを躊躇したからだろうというのはすぐにわかった。俺からの接触は不自然でも、佐伯からなら自然だと踏んだのだ。
 やっぱりこいつ、筋金入りだな。
 本当に自分がやりたいことだけをやればいいのに、周りの顔色を伺うのがもう染み付いてしまっているらしい。そんなことに今更気づいて、少しだけ寂しかった。
 果たして、こいつはどれだけのことを察しているんだろうか。
 大した接触でもないのに、こんなことくらいで結局俺がまんまとドキドキしてしまっていることには気付かないでほしいと思った。
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