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6章

 さて、俺は放課後から一体どんな恋人らしいことをしようとウキウキ考えていた。
 別にいちゃいちゃしなくたっていい。恋人だという前提があるなら今まで通りの遊びだって全く気持ちが変わってくるのである。現に俺は後ろの席に彼女が座ってるんだぜという優越感だけで今日の授業は1.75倍ほど楽しめた。
 でもお金はそれほど余裕があるわけじゃないし、冬に外をぶらぶらするのも限界がある。やっぱり屋内がいいか。学校帰りとなると行ける場所も限られてくるし、駅なんかは同級生も多いから下手なことはできないよな、とか。
 ちょっとくらい浮かれてもいいだろ。
 だって長いこと頭を悩まされてきたことは解決した。解決っていうか、まあ受け入れるしかなくなった。
 佐伯の精神状態については、まだなんとも言えないけど。
 でもこれからは俺は正々堂々佐伯の心配をしていいわけで、立ち入ってもいいわけだ。それが許された。十分じゃないか。時間はいくらでもあるわけだし!

「あ、ごめん。今日吉田たちと遊びに行く約束してて」
「そ、そっか。なるほど……」

 俺の妄想はあっさりと打ち砕かれた。
 ま、まあ、元から約束していたならそれは守らないとな。ドタキャンはよくない。それも恋人を優先させるためなんて、最悪だ。調子乗ってると思う。俺がやられたら。
 別に今日どうしてもという予定はなかったわけだし。これから先いくらでも機会はあるし。
 ごめんねえ、と謝る佐伯に俺は漢気と余裕のある顔で気にするなよ、と言った。何故かその表情は佐伯に不評だったけど。

「桐谷、帰りましょ」

 そして俺はいつもの流れで河合さんと帰宅することになったのだ。
 なんだか随分と久しぶりに感じる。
 ……あ、昨日の帰りも今朝の登校も別々だったからか。

「佐伯、元気そうでよかったわね。男に戻れないってなったときはもっと気落ちして、しばらく出てこないかと思ったわ」
「そうだね、この前解散したときはどうなるかと心配だったもんね」

 バスに揺られながら河合さんは当然のように佐伯の話題を振る。俺といえば佐伯というように。
 しかしその話題はちょっと古いな。最新の佐伯情報を教えたい気持ちをぐっと堪えながら話をあわせる。
 昔は二人で帰っていても佐伯の話なんて滅多にしなかったんだけどな。
 そう考えて、またチクリと罪悪感のようなものが沸き上がってくる。こういうところが佐伯を傷つけてしまったらしいというのは自覚したのだ。

「ねえ、河合さんは男の佐伯のこと覚えてる?」

 何気なく訊ねる。
 河合さんは佐伯とのつきあいの長さが俺と同じくらいだ。幼なじみの和泉とはまた違った感覚を持っているだろう。

「あなた、薄情なこと言うのね。忘れる訳ないじゃない!」

 おっと……痛いところを突かれてしまった……。

「わたしはこれまで人と深く付き合ったことがなかったから、今年みんなと仲良くなってからはすっごく色濃い思い出よ。みんなが話しかけてくれたこと、細かいことでも大体思い出せるわ」
「それは……すごいね。光栄というか……」
「でも桐谷からしたら長い人生の中の一瞬にしか過ぎないのねえ……」
「そ、そんなこと言ってないじゃん!?」

 慌てて否定する。失礼な。
 俺だってあまり決まった仲のいい面子というのをこれまで作ってこなかったから、今年に入ってからの学校生活は新鮮なはずなんだ。
 ただ、その記憶の殆どが河合さんで占められているだけで。そんなこと口が裂けても言えないが。
 河合さんはやっぱり、改めて考えても可愛い。美人だし、動きも小動物っぽいし、クールに見えてたまにこっちを頼ってくるのがすごく気分が上がる。それは変えようもない事実だ。
 でもだからって河合さんと二人っきりで誰にも邪魔されなくても、じゃあ告白しよう! とはならない。
 付き合いたいかっていわれると、いやでも和泉がいるし……というのが真っ先に出てくるのだ。
 そりゃ、河合さんに好きよって言われたら、めちゃくちゃ嬉しいし昨日までだったら即OKしそうだけど、でもそれって裕子さんに置き換えても同じな気がするんだよな。
 現実味のない妄想とか、都合のいいことだけを考えている夢のような話だ。
 河合さんには和泉がいるし、それが俺も、俺がいるより安心する。佐伯には誰もいないし、誰かいてもいなくても俺がそばにいたいのだ。危なっかしくても。
 ……うーん、どうも俺は少し舞い上がっている気がするな。
 調子に乗って、卒業したら結婚しようねとか言い合っちゃって、キスしてるプリクラとっちゃって、あいつに手出したら誰であろうが許さねーとか言っちゃって、ネットにやたらとポエムを書き込んじゃったりして、俺がお前を守る、なんて存在しない敵から守ろうとしちゃう、そんな痛々しい姿になっている気がする。
 ……いや似たようなことは言ったか!? は、恥ずかしい……。
 こんなところ、絶対表に出さないようにしないと。きっと過去の俺が指さして笑うだろう。
 そう誓っていると、河合さんが難しい顔でこちらを見ていた。

「まあ、写真や動画ならあるんだから、それを見返せばいいじゃない。大事にとっておかないとね」
「え、あるの? 写真や動画」
「……ねえ、逆にあなたはないの? ひとつも?」

 そ、そんなことは……、いや……。

「……お、俺が写真撮ろうとしたとこほとんど見たことないでしょ……」
「言われてみればそうね」

 はーあ、と河合さんはわざとらしくため息を付いた。
 やっぱり俺は薄情なのか……? 人への関心が少なすぎるのだろうか……。昔佐伯にも、佐伯のようにうまく雑談ができないと相談したら、相手に興味ないからじゃない? となかなか心にくることを言われたのだ。そんなつもりないと思っていたのに。
 河合さんはぽちぽちと携帯をいじっている。
 河合さんだってそれほど写真をよく撮る姿はそれほどみないけど、俺ほどではなかったのか。
 ……いや、よく考えたら四人で出かけたときなんかは和泉の隣で携帯を構えている姿を見かけたような気がする。
 佐伯みたいにはいチーズ、なんて言わないから意識したことはなかったけど。……じゃあほんとに俺だけか。ろくに写真だのに思い出を納めていないのは。

「ほら。これは本を読む桐谷」
「隠し撮りじゃないか」
「……の、向こうにいる和泉を撮ったらたまたま桐谷が入ったのよ」

 適当な言い訳を連ねながら河合さんは写真をどんどん切り替えていく。
 ふと、指が止まった。

「あ」

 気の優しそうな男がいた。スラッと線が細い感じの。優しそうだけど、どこか軽薄そうな感じの、今時っぽい男が、塀の上でくつろぐ猫と一緒に写真に収まっていた。
 多分、何も知らずに出会ったら、第一印象は俺とはあわなそうな奴だな、と思うだろう。人生楽しいことばっかなんだろうな、こいつの悩みなんてきっと大したことないんだろうなって感じの。
 じっくりと姿を見ると、なんだ、いつもの佐伯だ。と思う。
 しかし、自分の恋人なのかと思うとまったく実感が湧かなかった。同じ佐伯なのに。頭の中では何度もずっと同じ佐伯だと反芻していたのに。
 でももう何ヶ月も見ていない。そしてこれからももう二度と見ることはない。
 別に、本人はそばにいるし、大した差はないと思ってた。けど。

「俺も写真撮っておけばよかったかなあ」

 ほんとよ。と河合さんは少し怒ったように言った。
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