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5章

 佐伯に彼氏ができたらしい。なんてめでたいことだろう。
 やっぱりせっかく女になったなら彼氏の一人や二人、作らないとな。

「いや、なんで? 聞いてないんだけど」

 俺の行動は珍しく大胆だったと思う。
 休み時間になるなり、佐伯の腕を引っ張って、廊下の隅までやってきた。もし女子に俺がこんな風に連れ出されたら、絶対告白だと思うだろう。実際は真逆なのだが。

「だ、だからあ、違うって……」

 壁に追いつめられた佐伯は小さくなっていた。
 別に、こんな状況でなにうつつ抜かしてんだ、とか言うつもりはないのだ。すっかり女子として満喫していたわけだし、これからもしていくんだし。それに佐伯は人に気に入られやすい人だとも思うから、あり得なくはない。
 男の時だって、裕子さんのことがなければ彼女を作るくらい造作もないことだっただろう。
 それでも、佐伯が女になってから、俺の思考や行動はかなり佐伯に向いていて、ほかの奴らが知らないところで悩んでいることも俺は知っていると自負していた。

 つまり、なんだろう。
 俺の知らないところで、俺より親密になっている男がいるとしたら、俺は、なんというか、すごく嫌な気分だった。だってすごく滑稽じゃないか? 間抜けじゃないか?
 いや、そこまで仲がいいつもりでなくたってせめて、報告は欲しいだろ。友達として。

「あ、相手って……誰」

 佐伯は何か弁解や説明をしようとしたのか、一度口を開いて、飲み込み、観念したかのように弱気な声で言った。

「兄貴の……友達の人……」

 俺が知るはずもない人間だ。
 なんだったっけか、以前遊びにいったときだ。兄貴の友達が夜な夜な集まってうるさいだの言ってなかったか。
 え? あのときから? 彼氏いるのに俺とデートみたいなことしたのか?
 俺って浮気相手? いやいやいや、違うけどさ。
 ひとつもそんなことはしてないけどさ。

「でも、違うんだよ、好きとか、そんなのひとつもなくて……デートとかもしたことないし……ほんとに、違うんだよ……」
「じゃあなんで和泉は彼氏だって言ったの?」
「そ、それは……」

 和泉は安直に色恋沙汰へ結びつけるような奴ではない……と思う。なにより佐伯の否定のしかたが少し……いやだいぶ、怪しかった。
 佐伯は視線をうろつかせて言い淀む。もう少しで泣いてしまいそうな弱々しさで、急に罪悪感に襲われた。今俺は困らせている。虐めている。
 佐伯はたまに、平然と嘘をつく。
 ただそれはいつも、少なくとも俺が知る限りは相手をフォローするとか、余計な負担をかけまいと話を誤魔化すときだけで、見栄を張ったり人を傷つけたり、保身のための嘘というのはつかない、はずだ。わからないけどさ……。
 この状況で、嘘をついて逃げようとすればさすがに俺だって勘付く。だから煙に巻くのを躊躇しているのかもしれない。
 そもそもだ、誰と付き合おうと俺に報告する義務なんてない。俺が寂しいだなんてのは俺の感覚の話だ。それで無理やり白状させようと詰め寄られるいわれなんてないのに。佐伯はそんなことは言わない。きっとそう言ったら俺は傷つくから。
 なのに俺は今、佐伯を傷つけているんだろうか。
 佐伯は怖がっているように見える。俺になのか、俺になにかを告白することになのか。
 もういいよ、と言ってしまいたい気持ちと、どこまでも知りたいという気持ちが渦巻く。ただの好奇心だろうか。違う気がする。
 すごく、とてつもなく、自分が下品で小さくて汚れた存在になったような気がして、それでもその考えを打ち消すことができず、とうとう口にしてしまった。

「ヤッたの……?」

 俯いた佐伯の顔は見えない。
 きっとこんな事を言ってはさすがの佐伯も怒るだろうと思った。妙に性に対して潔癖なところがあるし、第一以前嫌な目にもあった。失礼な邪推をするのもいい加減にしろと、さすがに怒られるんじゃないかと思った。佐伯が男だった頃は、そういう風にからかっては怒らせていたし。
 でも怒られるならそれでよかった。むしろ期待していたんだと思う。
 佐伯は呼吸すら止まっているんじゃないかというほどじっとして、そして時間をかけてやがて、小さく、コクンと小さく頭が下がった。

 チャイムが鳴り、教室に戻らなければいけないのに二人で固まっていた。トイレに篭もって、佐伯に電話をかけながら授業をサボったときのことを思い出す。
 教室に向かう先生に注意され、ようやく、金縛りが解けたように歩き出した。
 佐伯は俺より後ろを歩いていて、結局、表情は見られなかった。
 ため息をつきたくなって、すんでのところでやめた。
 佐伯に聞かれたくなかったからだ。
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