4章
男の説明はこうだった。
まず、口に含んだ細胞の情報を読みとる。
情報といっても、これは誰々の髪で~性別は~なんていう言語化できる情報ではなくもっと感覚的な話らしいけど、とにかくそれぞれ区別がつくらしい。
そしてその情報を元に、いわゆる並行世界で同一存在を検索するそうだ。さらにその中からより理想に近いものを選ぶ。理想に近いかどうかも、やっぱり感覚的によるものらしく明確にこんな容姿がいいなみたいなことはできないそうだ。だから佐伯のことも今日はじめて見て理想通りだと驚いたのだという。
並行世界というものは膨大な数が存在するらしい。そして殆どそっくりな世界もあれば、まったく違うような世界もある……と言われている。
そして、色んな世界にその世界の俺達というのがいるんだそうだ。
といっても、まったく同じ世界は存在しない。和泉がいる世界であっても、俺の親が結婚しない世界であれば俺はいないわけだ。そして、同じように俺が女として生まれてきた世界もあれば、子供の頃死んでしまった世界もある……という調子らしい。
性別が変わればそれはまったく別の存在ではないのかと思うのだが、どうやら遺伝子などとは違ったもので識別しているらしい。
魂とか、そんな感じのものなのだろうか。よくはわからない。
わからないが、彼が認識できる情報というのを魂ということにする。
とにかく、同じ魂のうち理想に近いであろう個体を見つけたら、そいつとこっちの世界のターゲットの体を入れ替える。
違う存在同士を入れ替えることはできないし、一方的にどちらかをどちらかへ送ることもできない。そして記憶は交換できない。つまり魂はそのまま、ということだろうか。
そして男は、並行世界の存在を理解はしているが、実際にその世界がどんなものなのか知ることはできない。わかるのは、別の世界にある魂の感覚的な情報だけだ。魂の検索、そして同じ魂をもつ肉体の交換、これがこいつの能力らしかった。
一通り説明を終えると、男は和泉の髪の毛を口に含んだ。
「じゃあ、はじめますね……」
そして相変わらず気持ち悪い儀式が始まる。
……っていうか、こいつもよく他人の髪の毛食べれるな……。可愛い女の子の髪の毛であっても俺は嫌だけどな……。
今度の変化はすぐに、そして突然に訪れた。
男の様子を食い入るように見つめすぎたのだろうか。目が乾いた自覚はないのだが、眩しくもないのに思いっきり目を瞑ってしまったのだ。
そして開く。
「え」
和泉の声だった。
ふとそちらに目を向けると、金髪の男が目に入った。
和泉は金髪の男だ。間違いはないのだが。だが、別人だった。
「和泉……?」
しかし河合さんの声に、目をまるくしてそちらを見返す姿は和泉そのものだったのだ。
人間意外と、他人のことは適当に認識している。
それほど顔をしっかり見ることは案外ない。二人きりで話しているときくらいじゃないだろうか。普段人を判別する情報というのは全体の雰囲気、物腰などが占める割合はかなり大きい。
和泉は、顔をよく見るとそれは良く知った和泉だった。いや、一卵性の双子だと言われた方が納得できたかもしれない。そのくらいの微細な違いはあった。
目鼻立ちははっきりしていて、日本人の顔ではないが、不思議と親しみを覚える童顔だ。動きも和泉そのものだ。
しかしその服装や、雰囲気が大きく違う。
格好も先ほどまで着ていた制服ではなく、黒いコートを着ていた。インナーは白の無地で、ズボンも黒い。和泉は派手な服が好きだ。色もそうだし、柄物も好きだ。黒ずくめというのは今まで一度も見たことがない。
ニットの帽子を被っていて、金髪はやや長かった。
元のヤンキーっぽい見た目とは全く符合しない。どこかミステリアスなものを感じる。
別人だと、一瞬判断してしまった。
和泉は自分の手や腕だとかを触ったりじろじろと見ていた。
「腕が細えが……。女になったわけじゃねえのか」
「そうですね、あんまり体格に差があると、色々とリスクがあるので……」
「というのは?」
俺の疑問に、男は気まずそうにしながらも答える。
「例えば小柄な女の人が、ぎりぎりのサイズの洞窟なんかに潜っていて、急に大柄な男に変わった場合、姿勢などは維持したまま突然大きさが変わるので、伸びた分が壁や天井にめりこんで現れるわけです。地面を基準とするので、大体犠牲になるのは頭で……」
「怖!」
和泉が叫んで飛び退いた。
コートの裾が揺れる。なんだか知らない人がいるようで落ち着かない。
「それはどうやってわかったの?」
「昔色々実験して……、向こう側でどうなったかはわかりませんが、こちら側に現れたとき、何度かそういったことが……」
佐伯の質問に男は遠い目をして答えた。実験、とは。まさか人体実験じゃなかろうな。いや、そうじゃなくても相当グロいぞ。
しかし、よく考えてみれば同一存在だからといって背丈まで同じなわけではないのだ。性別が違ってもいいというなら当然のことだけど。佐伯も実際そうだったわけだし。
彼の中では同一存在であっても、他の観点からすると全く別の存在だ。そんな存在が急にこの世界に現れるというのは、どうなのだろうか。世界の総量が変わるというのは、ありなのか?
「だから普段この力は夜に使うことにしてるんです。寝るときはみんなゆったりしたところで寝ると思うので……」
そうは言っても寝るとき、というのもこいつの基準でしかないわけで、もし夜更かししていて頭が持って行かれても自己責任とでも言うつもりなのだろうか。
「あ、だから女の子に変わったときパジャマ着てたのかあ」
「えっ?」
佐伯の言葉に振り向く。何か変なこと言った? という顔をしているが、その情報は俺は知らない。
「オレいつも中学の体操着で寝てたのに女の子のパジャマになっててさ、元の服はなくなっちゃったんだよね。漫画とかでは服は元のままっていうのが多かったから変なのって思ってたんだけど」
佐伯の説明を聞いているうちに徐々に後悔が押し寄せてくる。もっと詳しく状況を聞いておくんだった。佐伯はなにも重要な情報だとは思わなかったらしい。
しかし体が女に変わっただけでなく、身につけていた物も変わっていたのなら、そもそも体が変異したのでは、などと悩む必要はなかったじゃないか!
「これ、どのくらいのものが一緒に入れ替わるのかしら。傘とか持っていたらそれも一緒ってこと?」
「基本的に体に巻き付いたものだけみたいです。よくわからないんですけど、大体手を放して逆立ちしても体にくっついてるものはついてきます。持ち物は入れ替わった瞬間に床に落ちてました」
基準は謎だ。しかし今回はこの能力について調べることが目的じゃない。
「そろそろ戻してくんねえ?」
和泉は少し苛ついていた。
「いつもより綺麗よ、あなた」
「嬉しくねえ……、なんかナヨッとしてんだよこの体。だりぃし。気に入らねえ」
確かに、普段の和泉のような粗雑で男っぽい雰囲気は感じられない。女性的まではいかないが、相対的にみると女っぽくはある。
この和泉は、どんな人生を送ってきたんだろうか。
改めて考えてみると佐伯の体も、元の持ち主がいるわけだ。その子は急に男の体になって、どうしているんだろうか。
そっちにも俺たちはいるんだろうか……。
もしかして和泉も元に戻らないんじゃ、と一瞬不安になったが、余計な心配だったようだ。
同じように髪の毛を含みしばらく待つと、やはりどうしても目を閉じてしまう瞬間が訪れ、瞬きの間に和泉の体は元に戻っていた。
和泉にどんな感覚なのか聞いてみても、「ふわってなってすんって感じ」と全く参考にならない情報しか出てこなかった。さすがに好奇心だけで俺もやってみたいなどとは言えない。頭持っていかれたら嫌だし。
一度入れ替えた体がどの並行世界にあるのか、というのはすぐにわかるらしい。マーキングされているのか、一から存在を見つけだすよりも手早いんだそうだ。
となると問題は佐伯だ。
能力が衰えたというわけではない。
何度か繰り返し、やはり精度が関係あるのかと、しまいには髪ではなく佐伯の指をくわえて試したが、やはり変化はなかった。その時の佐伯の顔といったらなかった。さすがに憐れみを覚えた。
「体の交換ができないわけでは、ないと思います」
非常に言いづらそうに、男は告げた。
なんとなく、嫌な予感はしていた。そのせいか誰も先を促さない。
「では、なぜ?」
しびれを切らした俺が聞くと、男は顔を青くして、叱られるのを恐れる子供のように目をうろつかせたが、絞り出すように言った。
「おそらく、元の体はなくなってます」
動揺していないのは、佐伯だけだった。
まず、口に含んだ細胞の情報を読みとる。
情報といっても、これは誰々の髪で~性別は~なんていう言語化できる情報ではなくもっと感覚的な話らしいけど、とにかくそれぞれ区別がつくらしい。
そしてその情報を元に、いわゆる並行世界で同一存在を検索するそうだ。さらにその中からより理想に近いものを選ぶ。理想に近いかどうかも、やっぱり感覚的によるものらしく明確にこんな容姿がいいなみたいなことはできないそうだ。だから佐伯のことも今日はじめて見て理想通りだと驚いたのだという。
並行世界というものは膨大な数が存在するらしい。そして殆どそっくりな世界もあれば、まったく違うような世界もある……と言われている。
そして、色んな世界にその世界の俺達というのがいるんだそうだ。
といっても、まったく同じ世界は存在しない。和泉がいる世界であっても、俺の親が結婚しない世界であれば俺はいないわけだ。そして、同じように俺が女として生まれてきた世界もあれば、子供の頃死んでしまった世界もある……という調子らしい。
性別が変わればそれはまったく別の存在ではないのかと思うのだが、どうやら遺伝子などとは違ったもので識別しているらしい。
魂とか、そんな感じのものなのだろうか。よくはわからない。
わからないが、彼が認識できる情報というのを魂ということにする。
とにかく、同じ魂のうち理想に近いであろう個体を見つけたら、そいつとこっちの世界のターゲットの体を入れ替える。
違う存在同士を入れ替えることはできないし、一方的にどちらかをどちらかへ送ることもできない。そして記憶は交換できない。つまり魂はそのまま、ということだろうか。
そして男は、並行世界の存在を理解はしているが、実際にその世界がどんなものなのか知ることはできない。わかるのは、別の世界にある魂の感覚的な情報だけだ。魂の検索、そして同じ魂をもつ肉体の交換、これがこいつの能力らしかった。
一通り説明を終えると、男は和泉の髪の毛を口に含んだ。
「じゃあ、はじめますね……」
そして相変わらず気持ち悪い儀式が始まる。
……っていうか、こいつもよく他人の髪の毛食べれるな……。可愛い女の子の髪の毛であっても俺は嫌だけどな……。
今度の変化はすぐに、そして突然に訪れた。
男の様子を食い入るように見つめすぎたのだろうか。目が乾いた自覚はないのだが、眩しくもないのに思いっきり目を瞑ってしまったのだ。
そして開く。
「え」
和泉の声だった。
ふとそちらに目を向けると、金髪の男が目に入った。
和泉は金髪の男だ。間違いはないのだが。だが、別人だった。
「和泉……?」
しかし河合さんの声に、目をまるくしてそちらを見返す姿は和泉そのものだったのだ。
人間意外と、他人のことは適当に認識している。
それほど顔をしっかり見ることは案外ない。二人きりで話しているときくらいじゃないだろうか。普段人を判別する情報というのは全体の雰囲気、物腰などが占める割合はかなり大きい。
和泉は、顔をよく見るとそれは良く知った和泉だった。いや、一卵性の双子だと言われた方が納得できたかもしれない。そのくらいの微細な違いはあった。
目鼻立ちははっきりしていて、日本人の顔ではないが、不思議と親しみを覚える童顔だ。動きも和泉そのものだ。
しかしその服装や、雰囲気が大きく違う。
格好も先ほどまで着ていた制服ではなく、黒いコートを着ていた。インナーは白の無地で、ズボンも黒い。和泉は派手な服が好きだ。色もそうだし、柄物も好きだ。黒ずくめというのは今まで一度も見たことがない。
ニットの帽子を被っていて、金髪はやや長かった。
元のヤンキーっぽい見た目とは全く符合しない。どこかミステリアスなものを感じる。
別人だと、一瞬判断してしまった。
和泉は自分の手や腕だとかを触ったりじろじろと見ていた。
「腕が細えが……。女になったわけじゃねえのか」
「そうですね、あんまり体格に差があると、色々とリスクがあるので……」
「というのは?」
俺の疑問に、男は気まずそうにしながらも答える。
「例えば小柄な女の人が、ぎりぎりのサイズの洞窟なんかに潜っていて、急に大柄な男に変わった場合、姿勢などは維持したまま突然大きさが変わるので、伸びた分が壁や天井にめりこんで現れるわけです。地面を基準とするので、大体犠牲になるのは頭で……」
「怖!」
和泉が叫んで飛び退いた。
コートの裾が揺れる。なんだか知らない人がいるようで落ち着かない。
「それはどうやってわかったの?」
「昔色々実験して……、向こう側でどうなったかはわかりませんが、こちら側に現れたとき、何度かそういったことが……」
佐伯の質問に男は遠い目をして答えた。実験、とは。まさか人体実験じゃなかろうな。いや、そうじゃなくても相当グロいぞ。
しかし、よく考えてみれば同一存在だからといって背丈まで同じなわけではないのだ。性別が違ってもいいというなら当然のことだけど。佐伯も実際そうだったわけだし。
彼の中では同一存在であっても、他の観点からすると全く別の存在だ。そんな存在が急にこの世界に現れるというのは、どうなのだろうか。世界の総量が変わるというのは、ありなのか?
「だから普段この力は夜に使うことにしてるんです。寝るときはみんなゆったりしたところで寝ると思うので……」
そうは言っても寝るとき、というのもこいつの基準でしかないわけで、もし夜更かししていて頭が持って行かれても自己責任とでも言うつもりなのだろうか。
「あ、だから女の子に変わったときパジャマ着てたのかあ」
「えっ?」
佐伯の言葉に振り向く。何か変なこと言った? という顔をしているが、その情報は俺は知らない。
「オレいつも中学の体操着で寝てたのに女の子のパジャマになっててさ、元の服はなくなっちゃったんだよね。漫画とかでは服は元のままっていうのが多かったから変なのって思ってたんだけど」
佐伯の説明を聞いているうちに徐々に後悔が押し寄せてくる。もっと詳しく状況を聞いておくんだった。佐伯はなにも重要な情報だとは思わなかったらしい。
しかし体が女に変わっただけでなく、身につけていた物も変わっていたのなら、そもそも体が変異したのでは、などと悩む必要はなかったじゃないか!
「これ、どのくらいのものが一緒に入れ替わるのかしら。傘とか持っていたらそれも一緒ってこと?」
「基本的に体に巻き付いたものだけみたいです。よくわからないんですけど、大体手を放して逆立ちしても体にくっついてるものはついてきます。持ち物は入れ替わった瞬間に床に落ちてました」
基準は謎だ。しかし今回はこの能力について調べることが目的じゃない。
「そろそろ戻してくんねえ?」
和泉は少し苛ついていた。
「いつもより綺麗よ、あなた」
「嬉しくねえ……、なんかナヨッとしてんだよこの体。だりぃし。気に入らねえ」
確かに、普段の和泉のような粗雑で男っぽい雰囲気は感じられない。女性的まではいかないが、相対的にみると女っぽくはある。
この和泉は、どんな人生を送ってきたんだろうか。
改めて考えてみると佐伯の体も、元の持ち主がいるわけだ。その子は急に男の体になって、どうしているんだろうか。
そっちにも俺たちはいるんだろうか……。
もしかして和泉も元に戻らないんじゃ、と一瞬不安になったが、余計な心配だったようだ。
同じように髪の毛を含みしばらく待つと、やはりどうしても目を閉じてしまう瞬間が訪れ、瞬きの間に和泉の体は元に戻っていた。
和泉にどんな感覚なのか聞いてみても、「ふわってなってすんって感じ」と全く参考にならない情報しか出てこなかった。さすがに好奇心だけで俺もやってみたいなどとは言えない。頭持っていかれたら嫌だし。
一度入れ替えた体がどの並行世界にあるのか、というのはすぐにわかるらしい。マーキングされているのか、一から存在を見つけだすよりも手早いんだそうだ。
となると問題は佐伯だ。
能力が衰えたというわけではない。
何度か繰り返し、やはり精度が関係あるのかと、しまいには髪ではなく佐伯の指をくわえて試したが、やはり変化はなかった。その時の佐伯の顔といったらなかった。さすがに憐れみを覚えた。
「体の交換ができないわけでは、ないと思います」
非常に言いづらそうに、男は告げた。
なんとなく、嫌な予感はしていた。そのせいか誰も先を促さない。
「では、なぜ?」
しびれを切らした俺が聞くと、男は顔を青くして、叱られるのを恐れる子供のように目をうろつかせたが、絞り出すように言った。
「おそらく、元の体はなくなってます」
動揺していないのは、佐伯だけだった。