4章
青天の霹靂だった。
もうとっくに、その報告を期待することは諦めていたのだ。
でもある朝、登校中。河合さんとバスに乗っていると突然に、それはやってきた。
佐伯友也
件名・なし
本文・犯人いた
慌てて俺は電話をかけるが、繋がらない。
そこでようやく今自分がバスに乗っていることを思い出す。繋がらなくてよかった。いや、なにもよくない。
「どうしたの?」
明らかに動揺した俺を、河合さんが横で目を丸くして見つめていた。
「佐伯から……、犯人いたってメールが……」
「えっうそ!」
滅多に聞かない大声をあげた河合さんは、すぐに冷静になって周りをちらっと見て声を潜めた。
「内容はそれだけ?」
「それだけ、電話でない」
「返信はした?」
「あ、うん、今する」
前のことがある。佐伯も警戒するはずだし、連絡する余裕があるのなら、心配いらないのかもしれない。でも、犯人の目を盗んでなんとか送った内容にも思える。いや、いつもこんな素っ気ない文章だったか。
それにいくら警戒したとしても、佐伯は結局気が弱いからどうしようもない気もする。
どこにいるのか、連絡しろという内容を送る。
バスの中にいるのがどうにも焦れったい。
しかし降りたところでどこに行くのかもわからない、バスの方が走るよりうんと早いのに、自分が動いていないのがどうにも落ち着かない。
「犯人、どんな人かしら」
「どうせ変態男だよ」
「意外と見た目は普通かもよ」
どうして、今の時期になって接触してきたのか。
いや、それももうすぐわかるんだ。頭で考えたって答えはでない。
「なんでわたしにはメールくれないのかしら」
河合さんはふてくされていた。
---
バスから降り、すぐさま電話をかけるがやはり繋がらず、返信もない。
携帯に出られない状態で、のこのこと学校へ来るだろうか。駅までの道を辿ってみようか。河合さんはこのまま学校へ向かって、それから和泉にも連絡して……。
「あっ桐谷」
高めの女子の声が思考を遮った。
道の先、通学する学生の群れの中、いつもの格好をした佐伯と、あと和泉がこちらへ歩いてくるところだった。
「お、お前! 携帯出ろよ!」
朝の道に、思った以上に俺の声は響いた。視界の端で河合さんの肩がぴくんと跳ねるのが見えたし、周りの他の生徒もこちらに一気に注目を集めたのがわかる。
佐伯も足を止めて少し驚いた顔をして、ごめん、と呟く。
「充電し忘れてて……、和泉と桐谷にメールしたあと、すぐ和泉から電話きて、その途中で切れちゃったんだ」
「おれは駅に向かおうとして、今はち合わせたところ」
和泉は河合さんに近寄り、励ますような少し明るいトーンで「おーっす」と挨拶して、河合さんは表情を緩ませた。
「……まあ、無事ならよかったよ」
「ごめんね、心配かけたよね」
「いや、まあ……」
「それで、犯人って?」
河合さんの一言で、全員の視線が佐伯に集まる。
「こ、ここで話すの?」
「……」
ひとまず、おとなしく学校へ向かうことにした……。
-
学校にたどり着き、俺たちは荷物も降ろさずそのまま中庭に出た。佐伯の提案である。
寒いが、そこはまあしょうがない。お陰で人はまったくいない。
「え、えーとね……、細かい話は改めてみんながいるときに聞いた方がいいと思って、連絡先だけ交換したよ。本物かどうか、オレじゃわかんないし……」
佐伯の話をまとめるとこうだった。
今朝、佐伯は和泉家ではなく自分の家で目を覚まし、寝坊したらしい。
といっても遅刻するほどではなく、ここ最近和泉家での規則正しい生活と比べると遅い時間だっただけで、元々自分の家から登校していたときの時間帯と変わらない時刻に家を出たんだそうだ。
昔は完全に自分だけのペースで生活していたが、和泉の家族の支度やご飯の時間に合わせているのと比べると、十分ほど誤差があったようだ。
そして、久しぶりに前よく乗っていた時間帯の同じ車両に乗って、電車に揺られていたところ「見つけた!」と急に肩を掴まれたそうな。どう考えたって変質者だ。
「そもそも、和泉が犯人探ししていたときは、いつも電車に乗っていた時間帯に乗ってみることはしなかったのかよ」
「い、いやあ……十分程度の差は合ってないようなものかと思ってよお……」
てへへと和泉は頭を掻いた。なんという杜撰な検証だ……。
「それで、その変質者っていうのは?」
「うーんと、多分大学生くらいだと思う。男の人だよ。それで……その……」
佐伯はあからさまに言いよどんだ。なにかセクハラでもされたんだろうか。
「服、似合ってるって……褒めてくれた……」
なにもじもじしてんだこいつ……。
ちょっと脱力しそうになった。
「そ、それで、なんか……色々……、男でいるのはもったいないって思ってた、みたいなこととか、そういう感じのことずっと言ってて……それで、詳しい話を聞こうとしたら移動しようって言われたから、怖くて……、学校終わってからって言って、連絡先交換して、別れたの」
そして先ほどのメールに繋がるらしい。
思わず和泉と顔を見合わせた。
話を聞いている限り、あたりだろう。
俺の予測はあたっていたわけだ。
今の佐伯をみて、元が男だと思うやつはいない。電車に乗り合わせる人が元の佐伯の存在を覚えていたとしても、今の佐伯を見たって妹と思うのが関の山だ。佐伯の正体に気付いて声をかけている時点で、かなり怪しい。
それにただの痴漢であれば連絡先交換なんてリスクの高いことなかなかしないだろう。脅せる情報を手に入れてからならわかるが。
もしかしたらかなりセンスのないナンパの手口という可能性もなくはないだろうが……。いや、かなり高い確率でそいつであたりだろう。
「ど、どうすればいいと思う……?」
佐伯の声は心細そうな、今にも消えそうな声だった。
ずっと待ちに待っていた、いざ、という時がきたのだ。
もしかしたら、もうすぐ男に戻れるかもしれない。
それなのに佐伯の顔は晴れなかった。
「とりあえず、作戦立てようぜ。のこのこおれたちみんなで乗り込んでも逃げられるだけだろ」
「うん、そうだね、まずどこで待ち合わせるかだ。相手の家とかになったら逃げ場なくなるし、人があんまり多いところでもうまく話を聞き出せないかもしれないし」
四人でしゃがんで顔を付き合わせる。
周りからみると悪巧みしているようにしか見えないだろうが。
「まず、やらなきゃいけないのは警察に突き出すことじゃなくて、どういう手口を使ったのか、というのと、元に戻す方法を聞き出すことだね」
「素直に教えてくれるかしら?」
「ふんじばって適当に脅せば吐くだろ。命かけて守りたいことでもないだろうし」
「なんですぐ暴力に訴えようとする!?」
「背に腹は替えられねえからよ」
なんの悪びれもなく言う和泉に、しかし否定もしきれない。そういう手も使わざるを得ないだろうとは思っていた。
佐伯は俺たちの意見を黙って聞いていたが、和泉の発言には文句をつけた。
「そんなことして、警察に駆け込まれたらどうするのさ」
和泉は腕を組んで唸る。佐伯の言うとおりなのだ。
相手のしでかしたことは立証が難しい。だがこちらが暴力に訴えて聞き出そうとすれば、逆にこっちはあっさり犯罪者扱いになるだろう。
……正当性があるからと言って、暴力的な行為を行うこともやむなしという思考は少し危うい気がする。
俺は頭に血が上りやすいし、和泉も相手によってはかなり気が短くなるらしい。かといって佐伯と河合さんではストッパーとして弱いのだ。もっと落ち着いて考えなければ……。
「……そもそも、だ。友也、おれたちはお前を男に戻す、という方向で進めていいのか?」
「え?」
またも視線が佐伯に集まる。
たしかに最近すっかり女として順応しているが、それとこれとは別だ。確認するほどのことだろうか。
しかし、佐伯は抱えた自分の膝をじっと見つめている。
「……うん……、どうしようね?」
「どうしようって……」
こんな土壇場でそんなこと言い出されても……、いや、まあ、ほぼ諦めていたところで急に出てこられても考えがまとまらないのはわかるが……。
しかし、和泉や河合さんは俺ほど動揺してはいないようだった。
「……もし、その犯人の人と仲良くなれて、好きなときに性別を変えられるようになったらいいのにね」
河合さんがぽそりと言うが、さすがにそれは都合が良すぎる。
「……じゃあまずはオレと犯人の人が仲良くなれるように頑張ってみようかな。怒ったりするのはあとからできるけど、逆は無理でしょ?」
「無理そうだったり危なそうだったらおれらが入ってくって感じか?」
こくこくと佐伯は頷く。なんとも頼りない作戦だ。
なんせ急な話だから、みんな戸惑っているのだ。
おそらく佐伯が連絡すれば、次に会う機会を先延ばしにすることもできるだろうが、早いに越したことはないだろう。
佐伯も、自分を女にした本人と同じ電車に乗るのも気分が悪いだろうし。もしもここまできて急に逃げられたり、犯人が事故にでも遭って死んでしまったら、などと嫌なほうばかりに考えてしまう。
どこで待ち合わせるか、という部分を決めるとき、少し揉めた。
「相手が油断しそうで、人目につかないとこがいいよな。で、おれたちがいつでも入っていけるところ」
「そんな場所あるかしら? 和泉の住んでるアパートとか?」
「壁うっすいぜ~? 暴れられたらすぐ他の住人に怒鳴り込まれるって。どっか廃墟とか、山ん中とかのほうがいいだろ」
「俺はもう少し人目のあるところの方がいいと思う。いくら助けに入るったって、危ない状況は避けるべきだろ。すぐに人を呼べる場所がいいよ」
どうも和泉は佐伯を囮にして、相手の決定的な加害者である証拠を作って主導権を握りたいようだ。
だがそれはいくらなんでも危険だ。
和泉は、佐伯が前男に騙されたことを知らないのだ。
「ファミレスや喫茶店で話せる内容か? 別れ話じゃねえんだぞ。それこそしらばっくれられたら終わりじゃねえか」
たしかに、危険性はなくなるが、こちらの決定打もなくなる。
それにもし向こうが自分が犯人だと認めたとして、その能力が本当に使えるのか確かめるには、やっぱりお店では難しいだろう。場所を移して……と言われてどっかに連れ込まれそうになっても困る。それならこちらから人目を避けられる場所を提示しておいたほうが対策ができる。
「そういえば、そいつは前痴漢してきた男であってたの?」
「あ、うーん……どうだろう、姿は見てなかったし声も覚えてないけど、違うような気がする。オレが男だったときずっと見てたって言ってたもん」
……ああ、たしか前言ってた痴漢は男だと気付くと悪態ついてきたんだったか。
他に触られた経験がないとするなら、まあ別人なのか。
「お前、モテモテじゃん」
「ちっとも嬉しくないよ……」
うなだれる佐伯に、河合さんが慰めるように肩を撫でている。
「前科がねえんだったらそこまで警戒することはないんじゃね? やべーやつには違いねえけどさ。普通のやつは頭の中で色々えげつねえこと考えてても、実際行動に移すのってでけー壁があるだろ?」
「実際人の性別を勝手に変えるっていうえげつねえことをやってるんだけど、ま、暴力行為とはまた別かもね」
たしかに、暴力と無縁の人生を送ってきた人間は、たとえ自分の身を守るためでも人に暴力を振るうことに躊躇することは多いと聞く。痴漢行為とかだって、そりゃあ俺だってそういう作品なんかは見るけどさ、実際目の前に女の子がいて周りに誰もいないからって、無理やりそんなことはとてもできない。……他の男だってそうだよな……?
……まあ、佐伯が覚えていないだけ、もしくは佐伯の知らないところで前科がある可能性は十分あるのだが。
「……わかった。街中じゃなくてもっとひと気の少ない場所を選ぼう。で、すぐ近くで俺らが待機できるとこ。どこか心当たりがある人は?」
言いつつ、一瞬、うちの山が思い浮かんだ。
あまり待ち合わせ場所として提案するには向いていないが、少なくとも人目にはつかない。
でも不用意に自分の住居が知られかねない行動は避けたい。いくらターゲットが佐伯とはいえ、家にはいつも母親がいるし……。
それでも、候補がなければそこが一番いいだろう。
「わたしはあまり……色んなところを知らないから……」
「んー、カラオケ店とか? 昭彦もあんまり暴れらんないだろうけど」
「……一応、いざというときはうちの土地内だったら使える。道を逸れたら誰にも見られることはないよ」
「ふうむ」
和泉は顎を触りながら唸る。
こいつはバカだが、勉強ができないだけで頭は回る。たまに。
自然と俺達は和泉の意見を待っていた。なんというか、こいつは声のせいか喋り方のせいか、妙に発言に説得力があるのだ。
俺が頭で考えていることを感覚で処理して、俺がまだ考えられない部分に思考を回しているような気がする。過大評価の可能性は十分あるが。
「高架下とかってどうだ?」
ふと、突然思い出したように顔をあげた和泉がそう言った。
「河川敷の高架下、ほら、イルカの遊具があるとこ降りてずーっと行くとあるだろ? 夜になると不良が溜まってんだけどさ、昼間はいねえんだよ。でも普通のやつはわざわざあそこで土手を下ったりしないだろ? 階段遠いし。それに遠くからは丸見えだけど、近くを歩いてるやつからは見えない」
「俺たちが待機する隠れ場所はある?」
「友也がうまいこと、相手に川の方向いてもらうよう対面したら、柱とか茂みとかあるし、いくらでも隠れられると思うぜ」
「なるほど……」
たしかに、誘い出しやすい場所でもある。
バスに乗ってまったく知らない山の中に呼び出す、なんていかにも何かしますって感じだもんな。そんなとこにのこのこついてったら下手すれば埋められそうだ。
「たしかに、いいかもしれない。佐伯はどう?」
「オレもそれでいいよ。駅からそんな遠くないし」
かくして、決戦の場が決まった。
佐伯が待ち合わせ場所と時間を指定すると、すぐさま本当にメールくれるとは思わなかった! ありがとう! などと見当違いな言葉を延々綴った返信が届いた。下心満載の男のメールがこんなに気持ち悪いとは。
せいぜい期待して待ってるがいいさ。目に物見せてやる。
もうとっくに、その報告を期待することは諦めていたのだ。
でもある朝、登校中。河合さんとバスに乗っていると突然に、それはやってきた。
佐伯友也
件名・なし
本文・犯人いた
慌てて俺は電話をかけるが、繋がらない。
そこでようやく今自分がバスに乗っていることを思い出す。繋がらなくてよかった。いや、なにもよくない。
「どうしたの?」
明らかに動揺した俺を、河合さんが横で目を丸くして見つめていた。
「佐伯から……、犯人いたってメールが……」
「えっうそ!」
滅多に聞かない大声をあげた河合さんは、すぐに冷静になって周りをちらっと見て声を潜めた。
「内容はそれだけ?」
「それだけ、電話でない」
「返信はした?」
「あ、うん、今する」
前のことがある。佐伯も警戒するはずだし、連絡する余裕があるのなら、心配いらないのかもしれない。でも、犯人の目を盗んでなんとか送った内容にも思える。いや、いつもこんな素っ気ない文章だったか。
それにいくら警戒したとしても、佐伯は結局気が弱いからどうしようもない気もする。
どこにいるのか、連絡しろという内容を送る。
バスの中にいるのがどうにも焦れったい。
しかし降りたところでどこに行くのかもわからない、バスの方が走るよりうんと早いのに、自分が動いていないのがどうにも落ち着かない。
「犯人、どんな人かしら」
「どうせ変態男だよ」
「意外と見た目は普通かもよ」
どうして、今の時期になって接触してきたのか。
いや、それももうすぐわかるんだ。頭で考えたって答えはでない。
「なんでわたしにはメールくれないのかしら」
河合さんはふてくされていた。
---
バスから降り、すぐさま電話をかけるがやはり繋がらず、返信もない。
携帯に出られない状態で、のこのこと学校へ来るだろうか。駅までの道を辿ってみようか。河合さんはこのまま学校へ向かって、それから和泉にも連絡して……。
「あっ桐谷」
高めの女子の声が思考を遮った。
道の先、通学する学生の群れの中、いつもの格好をした佐伯と、あと和泉がこちらへ歩いてくるところだった。
「お、お前! 携帯出ろよ!」
朝の道に、思った以上に俺の声は響いた。視界の端で河合さんの肩がぴくんと跳ねるのが見えたし、周りの他の生徒もこちらに一気に注目を集めたのがわかる。
佐伯も足を止めて少し驚いた顔をして、ごめん、と呟く。
「充電し忘れてて……、和泉と桐谷にメールしたあと、すぐ和泉から電話きて、その途中で切れちゃったんだ」
「おれは駅に向かおうとして、今はち合わせたところ」
和泉は河合さんに近寄り、励ますような少し明るいトーンで「おーっす」と挨拶して、河合さんは表情を緩ませた。
「……まあ、無事ならよかったよ」
「ごめんね、心配かけたよね」
「いや、まあ……」
「それで、犯人って?」
河合さんの一言で、全員の視線が佐伯に集まる。
「こ、ここで話すの?」
「……」
ひとまず、おとなしく学校へ向かうことにした……。
-
学校にたどり着き、俺たちは荷物も降ろさずそのまま中庭に出た。佐伯の提案である。
寒いが、そこはまあしょうがない。お陰で人はまったくいない。
「え、えーとね……、細かい話は改めてみんながいるときに聞いた方がいいと思って、連絡先だけ交換したよ。本物かどうか、オレじゃわかんないし……」
佐伯の話をまとめるとこうだった。
今朝、佐伯は和泉家ではなく自分の家で目を覚まし、寝坊したらしい。
といっても遅刻するほどではなく、ここ最近和泉家での規則正しい生活と比べると遅い時間だっただけで、元々自分の家から登校していたときの時間帯と変わらない時刻に家を出たんだそうだ。
昔は完全に自分だけのペースで生活していたが、和泉の家族の支度やご飯の時間に合わせているのと比べると、十分ほど誤差があったようだ。
そして、久しぶりに前よく乗っていた時間帯の同じ車両に乗って、電車に揺られていたところ「見つけた!」と急に肩を掴まれたそうな。どう考えたって変質者だ。
「そもそも、和泉が犯人探ししていたときは、いつも電車に乗っていた時間帯に乗ってみることはしなかったのかよ」
「い、いやあ……十分程度の差は合ってないようなものかと思ってよお……」
てへへと和泉は頭を掻いた。なんという杜撰な検証だ……。
「それで、その変質者っていうのは?」
「うーんと、多分大学生くらいだと思う。男の人だよ。それで……その……」
佐伯はあからさまに言いよどんだ。なにかセクハラでもされたんだろうか。
「服、似合ってるって……褒めてくれた……」
なにもじもじしてんだこいつ……。
ちょっと脱力しそうになった。
「そ、それで、なんか……色々……、男でいるのはもったいないって思ってた、みたいなこととか、そういう感じのことずっと言ってて……それで、詳しい話を聞こうとしたら移動しようって言われたから、怖くて……、学校終わってからって言って、連絡先交換して、別れたの」
そして先ほどのメールに繋がるらしい。
思わず和泉と顔を見合わせた。
話を聞いている限り、あたりだろう。
俺の予測はあたっていたわけだ。
今の佐伯をみて、元が男だと思うやつはいない。電車に乗り合わせる人が元の佐伯の存在を覚えていたとしても、今の佐伯を見たって妹と思うのが関の山だ。佐伯の正体に気付いて声をかけている時点で、かなり怪しい。
それにただの痴漢であれば連絡先交換なんてリスクの高いことなかなかしないだろう。脅せる情報を手に入れてからならわかるが。
もしかしたらかなりセンスのないナンパの手口という可能性もなくはないだろうが……。いや、かなり高い確率でそいつであたりだろう。
「ど、どうすればいいと思う……?」
佐伯の声は心細そうな、今にも消えそうな声だった。
ずっと待ちに待っていた、いざ、という時がきたのだ。
もしかしたら、もうすぐ男に戻れるかもしれない。
それなのに佐伯の顔は晴れなかった。
「とりあえず、作戦立てようぜ。のこのこおれたちみんなで乗り込んでも逃げられるだけだろ」
「うん、そうだね、まずどこで待ち合わせるかだ。相手の家とかになったら逃げ場なくなるし、人があんまり多いところでもうまく話を聞き出せないかもしれないし」
四人でしゃがんで顔を付き合わせる。
周りからみると悪巧みしているようにしか見えないだろうが。
「まず、やらなきゃいけないのは警察に突き出すことじゃなくて、どういう手口を使ったのか、というのと、元に戻す方法を聞き出すことだね」
「素直に教えてくれるかしら?」
「ふんじばって適当に脅せば吐くだろ。命かけて守りたいことでもないだろうし」
「なんですぐ暴力に訴えようとする!?」
「背に腹は替えられねえからよ」
なんの悪びれもなく言う和泉に、しかし否定もしきれない。そういう手も使わざるを得ないだろうとは思っていた。
佐伯は俺たちの意見を黙って聞いていたが、和泉の発言には文句をつけた。
「そんなことして、警察に駆け込まれたらどうするのさ」
和泉は腕を組んで唸る。佐伯の言うとおりなのだ。
相手のしでかしたことは立証が難しい。だがこちらが暴力に訴えて聞き出そうとすれば、逆にこっちはあっさり犯罪者扱いになるだろう。
……正当性があるからと言って、暴力的な行為を行うこともやむなしという思考は少し危うい気がする。
俺は頭に血が上りやすいし、和泉も相手によってはかなり気が短くなるらしい。かといって佐伯と河合さんではストッパーとして弱いのだ。もっと落ち着いて考えなければ……。
「……そもそも、だ。友也、おれたちはお前を男に戻す、という方向で進めていいのか?」
「え?」
またも視線が佐伯に集まる。
たしかに最近すっかり女として順応しているが、それとこれとは別だ。確認するほどのことだろうか。
しかし、佐伯は抱えた自分の膝をじっと見つめている。
「……うん……、どうしようね?」
「どうしようって……」
こんな土壇場でそんなこと言い出されても……、いや、まあ、ほぼ諦めていたところで急に出てこられても考えがまとまらないのはわかるが……。
しかし、和泉や河合さんは俺ほど動揺してはいないようだった。
「……もし、その犯人の人と仲良くなれて、好きなときに性別を変えられるようになったらいいのにね」
河合さんがぽそりと言うが、さすがにそれは都合が良すぎる。
「……じゃあまずはオレと犯人の人が仲良くなれるように頑張ってみようかな。怒ったりするのはあとからできるけど、逆は無理でしょ?」
「無理そうだったり危なそうだったらおれらが入ってくって感じか?」
こくこくと佐伯は頷く。なんとも頼りない作戦だ。
なんせ急な話だから、みんな戸惑っているのだ。
おそらく佐伯が連絡すれば、次に会う機会を先延ばしにすることもできるだろうが、早いに越したことはないだろう。
佐伯も、自分を女にした本人と同じ電車に乗るのも気分が悪いだろうし。もしもここまできて急に逃げられたり、犯人が事故にでも遭って死んでしまったら、などと嫌なほうばかりに考えてしまう。
どこで待ち合わせるか、という部分を決めるとき、少し揉めた。
「相手が油断しそうで、人目につかないとこがいいよな。で、おれたちがいつでも入っていけるところ」
「そんな場所あるかしら? 和泉の住んでるアパートとか?」
「壁うっすいぜ~? 暴れられたらすぐ他の住人に怒鳴り込まれるって。どっか廃墟とか、山ん中とかのほうがいいだろ」
「俺はもう少し人目のあるところの方がいいと思う。いくら助けに入るったって、危ない状況は避けるべきだろ。すぐに人を呼べる場所がいいよ」
どうも和泉は佐伯を囮にして、相手の決定的な加害者である証拠を作って主導権を握りたいようだ。
だがそれはいくらなんでも危険だ。
和泉は、佐伯が前男に騙されたことを知らないのだ。
「ファミレスや喫茶店で話せる内容か? 別れ話じゃねえんだぞ。それこそしらばっくれられたら終わりじゃねえか」
たしかに、危険性はなくなるが、こちらの決定打もなくなる。
それにもし向こうが自分が犯人だと認めたとして、その能力が本当に使えるのか確かめるには、やっぱりお店では難しいだろう。場所を移して……と言われてどっかに連れ込まれそうになっても困る。それならこちらから人目を避けられる場所を提示しておいたほうが対策ができる。
「そういえば、そいつは前痴漢してきた男であってたの?」
「あ、うーん……どうだろう、姿は見てなかったし声も覚えてないけど、違うような気がする。オレが男だったときずっと見てたって言ってたもん」
……ああ、たしか前言ってた痴漢は男だと気付くと悪態ついてきたんだったか。
他に触られた経験がないとするなら、まあ別人なのか。
「お前、モテモテじゃん」
「ちっとも嬉しくないよ……」
うなだれる佐伯に、河合さんが慰めるように肩を撫でている。
「前科がねえんだったらそこまで警戒することはないんじゃね? やべーやつには違いねえけどさ。普通のやつは頭の中で色々えげつねえこと考えてても、実際行動に移すのってでけー壁があるだろ?」
「実際人の性別を勝手に変えるっていうえげつねえことをやってるんだけど、ま、暴力行為とはまた別かもね」
たしかに、暴力と無縁の人生を送ってきた人間は、たとえ自分の身を守るためでも人に暴力を振るうことに躊躇することは多いと聞く。痴漢行為とかだって、そりゃあ俺だってそういう作品なんかは見るけどさ、実際目の前に女の子がいて周りに誰もいないからって、無理やりそんなことはとてもできない。……他の男だってそうだよな……?
……まあ、佐伯が覚えていないだけ、もしくは佐伯の知らないところで前科がある可能性は十分あるのだが。
「……わかった。街中じゃなくてもっとひと気の少ない場所を選ぼう。で、すぐ近くで俺らが待機できるとこ。どこか心当たりがある人は?」
言いつつ、一瞬、うちの山が思い浮かんだ。
あまり待ち合わせ場所として提案するには向いていないが、少なくとも人目にはつかない。
でも不用意に自分の住居が知られかねない行動は避けたい。いくらターゲットが佐伯とはいえ、家にはいつも母親がいるし……。
それでも、候補がなければそこが一番いいだろう。
「わたしはあまり……色んなところを知らないから……」
「んー、カラオケ店とか? 昭彦もあんまり暴れらんないだろうけど」
「……一応、いざというときはうちの土地内だったら使える。道を逸れたら誰にも見られることはないよ」
「ふうむ」
和泉は顎を触りながら唸る。
こいつはバカだが、勉強ができないだけで頭は回る。たまに。
自然と俺達は和泉の意見を待っていた。なんというか、こいつは声のせいか喋り方のせいか、妙に発言に説得力があるのだ。
俺が頭で考えていることを感覚で処理して、俺がまだ考えられない部分に思考を回しているような気がする。過大評価の可能性は十分あるが。
「高架下とかってどうだ?」
ふと、突然思い出したように顔をあげた和泉がそう言った。
「河川敷の高架下、ほら、イルカの遊具があるとこ降りてずーっと行くとあるだろ? 夜になると不良が溜まってんだけどさ、昼間はいねえんだよ。でも普通のやつはわざわざあそこで土手を下ったりしないだろ? 階段遠いし。それに遠くからは丸見えだけど、近くを歩いてるやつからは見えない」
「俺たちが待機する隠れ場所はある?」
「友也がうまいこと、相手に川の方向いてもらうよう対面したら、柱とか茂みとかあるし、いくらでも隠れられると思うぜ」
「なるほど……」
たしかに、誘い出しやすい場所でもある。
バスに乗ってまったく知らない山の中に呼び出す、なんていかにも何かしますって感じだもんな。そんなとこにのこのこついてったら下手すれば埋められそうだ。
「たしかに、いいかもしれない。佐伯はどう?」
「オレもそれでいいよ。駅からそんな遠くないし」
かくして、決戦の場が決まった。
佐伯が待ち合わせ場所と時間を指定すると、すぐさま本当にメールくれるとは思わなかった! ありがとう! などと見当違いな言葉を延々綴った返信が届いた。下心満載の男のメールがこんなに気持ち悪いとは。
せいぜい期待して待ってるがいいさ。目に物見せてやる。