4章
約束していた日曜日。
俺はぜえぜえと肩で息をしていた。
「ご、ごめん……」
「いいよ~、桐谷って意外とルーズだよね」
けらけらと笑ってすませる佐伯の顔が申し訳なくて直視できない。
俺は自分で言うのもなんだが、生真面目で、どちらかというと神経質なタイプだと思っているのだが、どうしても、何故だか昔から時間にはルーズなのだ。
わざと遅れているつもりはもちろんない。
余裕を持って行動しているはずなのに、いつの間にかぎりぎりになってしまって、慣れない場所に行くときはほぼ時間に間に合わないのだ。
情けない限りである。これに関しては言い訳のしようもなかった。
「まあ、桐谷はすっぽかすような人じゃないから、いつか来てくれる人を待つのは平気だよ」
「さ、佐伯……!」
どうしよう、佐伯の笑顔がいつにも増して輝いて見える。
改めて顔を上げた。
佐伯は今日も女の子らしい服装をしている。それでも、前回見たものよりはボーイッシュだろうか。
「今日もスカートなんだ」
「へ? あ、いや、違うよー。これはキュロットって言って、スカートっぽいズボンなんだよ」
佐伯はそういって裾をつまみ上げると、確かに真ん中で分かれているようだ。ふわふわとした素材で普通にしているとスカートにしか見えないが。
それにしても今日も丈が短い……。どう思って着ているんだろうか……。
っていうか寒くないのか……?
「この上着は裕子さんのお下がりなんだ、こっちは古着」
「へえ、よかったじゃん」
「ん? うん」
佐伯は最近、きょとんとした顔をよくする。なんで今そんなことを言うんだ? みたいな顔。思った返事じゃない顔だ。
なんでそんな顔をするのかさっぱりわからず、妙な空気になる。
昔はほとんどそんな顔しなかったと思う。こんな微妙な間もなかった。
前よりも俺と佐伯のやりとりがちぐはぐになっているのだろうか。でも、そんなに嫌な感じはしない。話が合わないというほどではないし。
「じゃ、行こっか」
くるりとスカート……じゃなかった、キュロットを翻して佐伯は先導しはじめた。俺は一歩後ろをついて歩く。
その様子はカップル……には見えないかな。
---
そのお店は見た目だけでも甘い! と叫びたくなるような、非常に高カロリーな装飾に満ちていた。
要するに、生クリームだとかイチゴだとかチョコだとか、とにかく、私たちの顧客は女子です! っていう主張を隠そうともしない、そういう店構えだったのである。
前、佐伯についてきてもらった店もこんな感じだった。見るだけで入店拒否されているような気がする。我ながらこの店に入っていく自分の姿はどう考えても場違いで、空気が読めていない輩だ。
一体なんだってカップル割なんてやろうと思ったのだろうか。何人か連れられてきたらしい男たちは、彼女しか見えていないかのようである。正気を失っている。
正気を保っている男は大概入り口で怖気づくのである。女性の下着売り場に恐れを抱く姿と似ていた。
そんな店の中。できるだけ奥。やたら装飾された柱の陰に、外からの視線から身を隠すようにして席に着いていた。
「すっごい派手派手だね~高そう~」
「あ、でも素材は割と軽そうだよ。多分それっぽい素材の柄のシールを貼ってるんだ」
「あ! こら! お店でそういうこと言わないの!」
佐伯に注意されながらメニューを見る。
「なんでそんなに顔引っ付けて読んでるの?」
「それはね、店内に男がいるとバレるのが恥ずかしいからだよ」
「席につくまでで十分バレたと思うけど……。それに男の人も何人か入るし。あ、飲み物なんにする? あったかいのがいいかな?」
「ホットチョコだろ、当然」
「んー……オレはねー、うーん。あ、このあわあわのやつにしよ」
ドリンクを頼み、店員からの説明を聞いたのち皿を持って物色に向かう。
「お~! 色々あるねえ。ちいちゃいからたくさん食べれそう!」
「お前、最近よく自分の食べれる量見誤ってご飯残してるだろ。調子に乗って取りすぎるなよ」
「今日は桐谷がついてるから!」
「残飯処理させる気か……」
本来なら断りたいところだが……まあ、スイーツならいくらでも歓迎する。
「おー、桐谷チョコばっかりじゃん! 鼻血でるよ~」
「お前はそんなにチョコを食べなくても平気なのか……」
「チョコもあるよ? 同じのばっかじゃ飽きちゃうよ。オレはチーズケーキから攻めてくんだー」
皿には山盛りのチョコの小さなケーキやプリン、クッキーブラウニーなどなどが積み上げられるように並んでいる。佐伯の皿は全体的に淡い色のケーキとフルーツがいくつかだ。
春頃佐伯とスイーツを食べに行ったときは、もっと地味というか、しっかり腹に溜まるようなものを選んでいた。プレーン味の焼き菓子とか、ドーナツとか。
せっかくスイーツを食べに来たんだから、こういうところでしか食べられないものを選べばいいのにと言った記憶がある。
「食べ物の好み? あー……考えたことなかったなあ」
「考えたこと……って、考えなくてもなんとなく気付くだろ」
テーブルにつき、少しずつ味わっていく。
元を取ろうと量を優先するよりも、俺はしっかりと一口ずつを味わい尽くすのだ。
「言われてみれば前ほどがっつり系食べなくなったかも。焼き肉とかは全然食べるけど。でも胃がちっちゃくなったせいかなって思ってた」
「まあそれはあるだろうけど……、そうか、体の調子で味覚も変わるしな……」
「ほへー」
自分のことだとわかっているのか? まったくもって他人事のように口を動かしている。
「おいしいねえ」
「……そうだね」
「桐谷、声はクールだけど顔はほにゃほにゃだね」
一体どんな顔だというのか。
「んー、でもねー、嫌いな食べ物は多分今も嫌いかなー。食べてないからわかんないけど」
「なるほど。でも改めて検証してみたほうがいいかもね」
「ゲッ! それってオレの嫌いなものいっぱい集めて食べさせるってこと……?」
「まあこれも必要なことだから」
「えーうそおー絶対どうでもいいよー」
ふと、隣りの席の女子二人がこちらの会話に反応して、笑うというか、顔を見合わせるような動きをしていることに気付いた。
小声で話している内容からすると、どうやら佐伯の「オレ」という一人称が気になるようだった。
佐伯も同時に気付いたようで、すこし赤い顔でもそもそと食べ進めている。
たしかに、冷静に考えると目立つな。ふざけて言っているのとは調子が違う。
しかし一人称なんて長年染み着いたものだし、そうすぐ修正できるものでもなければ、佐伯の状況でわざわざ矯正するものでもないように思う。
事情を知らない人間の反応なんて気にする必要はない。
と思うのだが、それから店にいる間、佐伯は一人称を使わなかった。
---
「大丈夫? 胃もたれしない?」
「大丈夫。来るとしたらもうすこし後だから」
「全然大丈夫じゃないよ! もう、どう考えても食べ過ぎだよ。また太るよ」
「うっ……」
またってなんだよ……。
約一時間後、行きに比べると若干のそのそとした動きで俺は佐伯と店を出た。
いっぱい食べた。時間いっぱいまで食べた。
途中から佐伯はスイーツを食べにいくのをやめ、クリームソーダをゆっくりと飲んでいた。その分俺は食べた。
満足だ……。もう三日はおやつ抜きでも良い。まあ食べるんだが。
「でもこれだけ食べたら一週間はおやついらないよね」
「えっ、あ、うん、そうですね」
無理だ。一週間は。持たない。
そう言われるとカロリー摂取量に罪悪感が沸いてきたな。
しかし、普段俺は好き放題お菓子を食べているわけではないから、たまにはこんな日もあっていいはずだ。うん。
「それにしても、佐伯はほとんど食べてなかっただろ。なんか悪いな。俺の趣味に付き合わせちゃって。ラーメンでもおごろうか」
「ええ! いいよー、桐谷と比べたら全然だけど、オレなりにお腹いっぱい食べれたから。ラーメンなんて一個も入んないよ」
そこまで言ってから、佐伯は「あ!」と叫んで自分の口を押さえた。それから少し悩むような仕草をする。
「……わ、私?」
やっぱり気にしていたのか。
「無理しなくていいと思うよ。たまに自分のこと僕とか俺っていう女子いるじゃん」
「う、うーん、こだわりがあって周りから浮いちゃうなら別に気にならないんだけど、どうでもいいことで目立つのはやじゃない?」
ふむ、そういうこともあるか。
「へ、変かな、やっぱ……私っていうの」
「……佐伯だと思うと変だけど、その見た目にはそっちの方が似合ってるね。当然だけど」
「そ、そっか! じゃあ、気をつけてみよっかなあ」
「健気ですねえ」
「ほんと? わ、わた、私、健気で可愛い?」
わざとらしく可愛いポーズっぽいものをしているが、多分やらないほうが可愛い。
いや、可愛いっていうか。まあ、どちらかというとだけど。
「……まあ、見る人が見ればいいんじゃない」
「……そ、そっか……」
な、何故ちょっとしょんぼりするんだ。
「佐伯は、何? かわいさを目指しているの?」
「そ、うゆんじゃないけど……ごめん、やっぱ変だね。えへへ」
ぱちんと、音が鳴ったわけではないが、佐伯のスイッチが切り替わったような気がした。
変、ではない。
見た目の変化に順応するのは、全く変なことではない、とは思う。いや、そういうことを言っているんじゃないのか?
佐伯の見た目で、可愛いことをしてみたり、口調を変えてみたりするのは、尚更変ではない。見た目に似合っていると思う。ただ前の佐伯を知っていると戸惑ってしまうだけで。
変じゃないよ、と言うべきなんだろうか。でも、なんだか、照れくさい、というか……、そっちの方が変な感じになりそうで、言うべきではない気がする。
最近こんなことばかりだ。どこかおかしい。
「どっか寄る? あー、でも桐谷お腹苦しいよね?」
「ご、ごめん、食い意地が張ってて……」
「元気な証拠じゃん。桐谷が健康だとオレも嬉しいな。元気に育つんだよ、見た目はともかく心はおっきくね」
「うるさいな……」
今は俺より小さいくせに……。
けろりとした顔で佐伯は横に並んで歩きだし、「バス停まで送ってったげるー」と笑って見上げてくる。
「立場が逆だろ。駅まで送ろうか?」
「いいよお、まだ明るいし。人も多いし、遠回りじゃん」
まあ、たしかにそうなんだが。駅への道のりの途中にバス停があるので、全くもってその通りなのだが。
昔はなんとも思わなかったが、やたらと佐伯に気を配られているのを感じる。
駄目だな、もっと俺も広い視野でものを見ないと……。
「桐谷ごめん、息切れちゃう」
「あっごめん!」
言ったそばからこれだ。
少し早歩きになっていたんだろうか。よく見ると、俺が普通に歩いている横で佐伯は小走りになっていた。
「ごめんね~」
「いや……、俺が早かったんだと思う、河合さんにもたまに言われるし」
「だめだよー、オレはちょっとくらい平気だけど、河合さんはなかなかそういうこと言い出せないだろうし」
「頭ではわかってるんだけど……、気が付くと忘れちゃうんだよね……」
大股で俺の少し先をひょいひょい歩いていた佐伯を思い返した。
でも佐伯は女子と歩いているときはいつも真ん中で、ちゃんと足並みを揃えていた。俺も3、4人で歩いているとテンポを合わせられるけど、二人となると難しい。
横目で佐伯の位置を確認しつつ、歩幅をやや小さくして歩く。
「お手数おかけしますねえ」
「……別にいいけど」
すっかり勝手は変わっていた。今更だけど、こうしてゆっくり街中を歩くと歴然だった。
河合さんと出かけたときのような、ずっと気にしていないとすぐ配慮に欠けた対応をしてしまう。男同士ではなんともなかったのに。
そういうとき佐伯は冗談めかしながらもどこか申し訳なさそうにしている。
俺がさりげなく気を配れていたらよかった話なのだ。かつての佐伯の行動を真似すればいい話だというのに、必死に思い返そうとしたが、ぱっと出てこない。
本人が目の前にいるのだから、直接聞けばいい話なんだが……、お前に気を使う方法を教えろというのはおかしな話だ。
それに聞いたからって佐伯の振る舞いがすぐに真似できるとも思わない。
「あ、そうだ、今日のお店、どうだった? 河合さんとのデートスポットになりそう?」
「な、なんで河合さん!?」
急に思ってもみない話を振られて動揺する。
「あれ、違うの? 河合さんと遊びに行く予行練習じゃないの? この前そう言ってたじゃん」
「そ、そんなこといちいち考えてないって! この前ってのも半年も前の話だろ」
「なんだー」
「それに河合さんには和泉がいるし……」
「それ前も言ってたねえ。本人たちはそうゆんじゃないって否定してるじゃない」
「否定しててもなんとなくわかるだろ」
「それは……まあ、ねえ」
確かに、あの二人が恋愛関係ってものじゃないのはよくわかってる。
そこを邪推するほど二人のことを知らないわけじゃない。もし付き合うってなったら絶対こそこそ隠れたりせず、報告もしてくれると信頼しているから、何も言わないということはやっぱり何もないのだ。
でも、方向性が違うからってその中に割って入れるとは思えない。
河合さんが俺のこと好きになってくれるなら別だけど、そんな気配はないし。
「応援してくれてるっぽいのはありがたいけど、俺は河合さんとどうこう考えてないよ」
もしなにかしらの機会が巡ってきたなら話は別だけどな!
佐伯はそっかあと、興味があるのかないのかよくわからない返事をして、黙ってしまった。
なんで急に河合さんの話になってしまったんだ?
もしかして今日ずっと、俺の河合さんとのデートの練習に付き合ってると思っていたんだろうか?
予行練習というのは春に佐伯とスイーツを食べに言ったときの名目だ。男だけで店には入りづらい、でも女子と一緒にはもっと無理だと駄々をこねたら、佐伯にそうやって励まされたのである。。
今回は、自分の行動を正当化させる理由は必要ないと思っていたのだが……、佐伯は違ったのだろうか。
「あ、ごめんね、ちょっと電話」
「ああ」
佐伯は立ち止まり、携帯の画面を確認してからぱたぱたと道の隅へ移った。
珍しい。
佐伯の携帯は、俺のとは違ってしょっちゅう何かしら届いているようなのだが、どうやら人といるときは極力触らないようにしているらしい。
みんなメールばかりで、電話がかかることはほとんどないようだった。
話がぎりぎり聞こえるかどうかという距離感で佐伯を待つ。
「……今日……? いや……、はい…………はい」
内容はわからないが、敬語だというのはわかった。電話越しだというのにこくこくと頷くのが見える。相手は誰だろう。
佐伯の交友関係なんて知らないし、多分俺が予想する以上に広いんだろうとは思う。
そういうよその知り合いの人とは、どんな風に接しているんだろうか。女に変わって、何か困ったことはないんだろうか。
どうせ俺よりうまくやるのに、どうしても気になってしまった。
「お待たせ~」
「彼氏ほったらかして誰からの電話よ」
「えっ? なにそれえ、一回デートしただけで彼氏面?」
自分から冗句を振っておいて、今の言葉は地味にグサッとときた。
「ちょっとね~、兄貴の知り合いの人」
「なんでお兄さんの知り合いが佐伯に電話を?」
「うーん、最近ねー、ゲームとか貸してもらってるから……あ、バス来たよ!」
「あっやば!」
慌てて走る、佐伯は乗らないのに、一緒に走って、俺を追い越し、間に合ったおかげで俺はなんとか乗りそびれずにすんだ。
息を整えながら窓の外を見ると、すでに落ち着いた様子でこちらに手を振っている姿が見える。
思わず頬が緩んで、小さく手を振り返している自分に驚いた。こんなの、河合さんくらいにしかしたことなかったくせに。
はたから見ると、どう見たって彼氏と彼女に見えたことだろう。
別にそこまで嫌じゃないな、と思った。佐伯は困るだろうけど。
俺はぜえぜえと肩で息をしていた。
「ご、ごめん……」
「いいよ~、桐谷って意外とルーズだよね」
けらけらと笑ってすませる佐伯の顔が申し訳なくて直視できない。
俺は自分で言うのもなんだが、生真面目で、どちらかというと神経質なタイプだと思っているのだが、どうしても、何故だか昔から時間にはルーズなのだ。
わざと遅れているつもりはもちろんない。
余裕を持って行動しているはずなのに、いつの間にかぎりぎりになってしまって、慣れない場所に行くときはほぼ時間に間に合わないのだ。
情けない限りである。これに関しては言い訳のしようもなかった。
「まあ、桐谷はすっぽかすような人じゃないから、いつか来てくれる人を待つのは平気だよ」
「さ、佐伯……!」
どうしよう、佐伯の笑顔がいつにも増して輝いて見える。
改めて顔を上げた。
佐伯は今日も女の子らしい服装をしている。それでも、前回見たものよりはボーイッシュだろうか。
「今日もスカートなんだ」
「へ? あ、いや、違うよー。これはキュロットって言って、スカートっぽいズボンなんだよ」
佐伯はそういって裾をつまみ上げると、確かに真ん中で分かれているようだ。ふわふわとした素材で普通にしているとスカートにしか見えないが。
それにしても今日も丈が短い……。どう思って着ているんだろうか……。
っていうか寒くないのか……?
「この上着は裕子さんのお下がりなんだ、こっちは古着」
「へえ、よかったじゃん」
「ん? うん」
佐伯は最近、きょとんとした顔をよくする。なんで今そんなことを言うんだ? みたいな顔。思った返事じゃない顔だ。
なんでそんな顔をするのかさっぱりわからず、妙な空気になる。
昔はほとんどそんな顔しなかったと思う。こんな微妙な間もなかった。
前よりも俺と佐伯のやりとりがちぐはぐになっているのだろうか。でも、そんなに嫌な感じはしない。話が合わないというほどではないし。
「じゃ、行こっか」
くるりとスカート……じゃなかった、キュロットを翻して佐伯は先導しはじめた。俺は一歩後ろをついて歩く。
その様子はカップル……には見えないかな。
---
そのお店は見た目だけでも甘い! と叫びたくなるような、非常に高カロリーな装飾に満ちていた。
要するに、生クリームだとかイチゴだとかチョコだとか、とにかく、私たちの顧客は女子です! っていう主張を隠そうともしない、そういう店構えだったのである。
前、佐伯についてきてもらった店もこんな感じだった。見るだけで入店拒否されているような気がする。我ながらこの店に入っていく自分の姿はどう考えても場違いで、空気が読めていない輩だ。
一体なんだってカップル割なんてやろうと思ったのだろうか。何人か連れられてきたらしい男たちは、彼女しか見えていないかのようである。正気を失っている。
正気を保っている男は大概入り口で怖気づくのである。女性の下着売り場に恐れを抱く姿と似ていた。
そんな店の中。できるだけ奥。やたら装飾された柱の陰に、外からの視線から身を隠すようにして席に着いていた。
「すっごい派手派手だね~高そう~」
「あ、でも素材は割と軽そうだよ。多分それっぽい素材の柄のシールを貼ってるんだ」
「あ! こら! お店でそういうこと言わないの!」
佐伯に注意されながらメニューを見る。
「なんでそんなに顔引っ付けて読んでるの?」
「それはね、店内に男がいるとバレるのが恥ずかしいからだよ」
「席につくまでで十分バレたと思うけど……。それに男の人も何人か入るし。あ、飲み物なんにする? あったかいのがいいかな?」
「ホットチョコだろ、当然」
「んー……オレはねー、うーん。あ、このあわあわのやつにしよ」
ドリンクを頼み、店員からの説明を聞いたのち皿を持って物色に向かう。
「お~! 色々あるねえ。ちいちゃいからたくさん食べれそう!」
「お前、最近よく自分の食べれる量見誤ってご飯残してるだろ。調子に乗って取りすぎるなよ」
「今日は桐谷がついてるから!」
「残飯処理させる気か……」
本来なら断りたいところだが……まあ、スイーツならいくらでも歓迎する。
「おー、桐谷チョコばっかりじゃん! 鼻血でるよ~」
「お前はそんなにチョコを食べなくても平気なのか……」
「チョコもあるよ? 同じのばっかじゃ飽きちゃうよ。オレはチーズケーキから攻めてくんだー」
皿には山盛りのチョコの小さなケーキやプリン、クッキーブラウニーなどなどが積み上げられるように並んでいる。佐伯の皿は全体的に淡い色のケーキとフルーツがいくつかだ。
春頃佐伯とスイーツを食べに行ったときは、もっと地味というか、しっかり腹に溜まるようなものを選んでいた。プレーン味の焼き菓子とか、ドーナツとか。
せっかくスイーツを食べに来たんだから、こういうところでしか食べられないものを選べばいいのにと言った記憶がある。
「食べ物の好み? あー……考えたことなかったなあ」
「考えたこと……って、考えなくてもなんとなく気付くだろ」
テーブルにつき、少しずつ味わっていく。
元を取ろうと量を優先するよりも、俺はしっかりと一口ずつを味わい尽くすのだ。
「言われてみれば前ほどがっつり系食べなくなったかも。焼き肉とかは全然食べるけど。でも胃がちっちゃくなったせいかなって思ってた」
「まあそれはあるだろうけど……、そうか、体の調子で味覚も変わるしな……」
「ほへー」
自分のことだとわかっているのか? まったくもって他人事のように口を動かしている。
「おいしいねえ」
「……そうだね」
「桐谷、声はクールだけど顔はほにゃほにゃだね」
一体どんな顔だというのか。
「んー、でもねー、嫌いな食べ物は多分今も嫌いかなー。食べてないからわかんないけど」
「なるほど。でも改めて検証してみたほうがいいかもね」
「ゲッ! それってオレの嫌いなものいっぱい集めて食べさせるってこと……?」
「まあこれも必要なことだから」
「えーうそおー絶対どうでもいいよー」
ふと、隣りの席の女子二人がこちらの会話に反応して、笑うというか、顔を見合わせるような動きをしていることに気付いた。
小声で話している内容からすると、どうやら佐伯の「オレ」という一人称が気になるようだった。
佐伯も同時に気付いたようで、すこし赤い顔でもそもそと食べ進めている。
たしかに、冷静に考えると目立つな。ふざけて言っているのとは調子が違う。
しかし一人称なんて長年染み着いたものだし、そうすぐ修正できるものでもなければ、佐伯の状況でわざわざ矯正するものでもないように思う。
事情を知らない人間の反応なんて気にする必要はない。
と思うのだが、それから店にいる間、佐伯は一人称を使わなかった。
---
「大丈夫? 胃もたれしない?」
「大丈夫。来るとしたらもうすこし後だから」
「全然大丈夫じゃないよ! もう、どう考えても食べ過ぎだよ。また太るよ」
「うっ……」
またってなんだよ……。
約一時間後、行きに比べると若干のそのそとした動きで俺は佐伯と店を出た。
いっぱい食べた。時間いっぱいまで食べた。
途中から佐伯はスイーツを食べにいくのをやめ、クリームソーダをゆっくりと飲んでいた。その分俺は食べた。
満足だ……。もう三日はおやつ抜きでも良い。まあ食べるんだが。
「でもこれだけ食べたら一週間はおやついらないよね」
「えっ、あ、うん、そうですね」
無理だ。一週間は。持たない。
そう言われるとカロリー摂取量に罪悪感が沸いてきたな。
しかし、普段俺は好き放題お菓子を食べているわけではないから、たまにはこんな日もあっていいはずだ。うん。
「それにしても、佐伯はほとんど食べてなかっただろ。なんか悪いな。俺の趣味に付き合わせちゃって。ラーメンでもおごろうか」
「ええ! いいよー、桐谷と比べたら全然だけど、オレなりにお腹いっぱい食べれたから。ラーメンなんて一個も入んないよ」
そこまで言ってから、佐伯は「あ!」と叫んで自分の口を押さえた。それから少し悩むような仕草をする。
「……わ、私?」
やっぱり気にしていたのか。
「無理しなくていいと思うよ。たまに自分のこと僕とか俺っていう女子いるじゃん」
「う、うーん、こだわりがあって周りから浮いちゃうなら別に気にならないんだけど、どうでもいいことで目立つのはやじゃない?」
ふむ、そういうこともあるか。
「へ、変かな、やっぱ……私っていうの」
「……佐伯だと思うと変だけど、その見た目にはそっちの方が似合ってるね。当然だけど」
「そ、そっか! じゃあ、気をつけてみよっかなあ」
「健気ですねえ」
「ほんと? わ、わた、私、健気で可愛い?」
わざとらしく可愛いポーズっぽいものをしているが、多分やらないほうが可愛い。
いや、可愛いっていうか。まあ、どちらかというとだけど。
「……まあ、見る人が見ればいいんじゃない」
「……そ、そっか……」
な、何故ちょっとしょんぼりするんだ。
「佐伯は、何? かわいさを目指しているの?」
「そ、うゆんじゃないけど……ごめん、やっぱ変だね。えへへ」
ぱちんと、音が鳴ったわけではないが、佐伯のスイッチが切り替わったような気がした。
変、ではない。
見た目の変化に順応するのは、全く変なことではない、とは思う。いや、そういうことを言っているんじゃないのか?
佐伯の見た目で、可愛いことをしてみたり、口調を変えてみたりするのは、尚更変ではない。見た目に似合っていると思う。ただ前の佐伯を知っていると戸惑ってしまうだけで。
変じゃないよ、と言うべきなんだろうか。でも、なんだか、照れくさい、というか……、そっちの方が変な感じになりそうで、言うべきではない気がする。
最近こんなことばかりだ。どこかおかしい。
「どっか寄る? あー、でも桐谷お腹苦しいよね?」
「ご、ごめん、食い意地が張ってて……」
「元気な証拠じゃん。桐谷が健康だとオレも嬉しいな。元気に育つんだよ、見た目はともかく心はおっきくね」
「うるさいな……」
今は俺より小さいくせに……。
けろりとした顔で佐伯は横に並んで歩きだし、「バス停まで送ってったげるー」と笑って見上げてくる。
「立場が逆だろ。駅まで送ろうか?」
「いいよお、まだ明るいし。人も多いし、遠回りじゃん」
まあ、たしかにそうなんだが。駅への道のりの途中にバス停があるので、全くもってその通りなのだが。
昔はなんとも思わなかったが、やたらと佐伯に気を配られているのを感じる。
駄目だな、もっと俺も広い視野でものを見ないと……。
「桐谷ごめん、息切れちゃう」
「あっごめん!」
言ったそばからこれだ。
少し早歩きになっていたんだろうか。よく見ると、俺が普通に歩いている横で佐伯は小走りになっていた。
「ごめんね~」
「いや……、俺が早かったんだと思う、河合さんにもたまに言われるし」
「だめだよー、オレはちょっとくらい平気だけど、河合さんはなかなかそういうこと言い出せないだろうし」
「頭ではわかってるんだけど……、気が付くと忘れちゃうんだよね……」
大股で俺の少し先をひょいひょい歩いていた佐伯を思い返した。
でも佐伯は女子と歩いているときはいつも真ん中で、ちゃんと足並みを揃えていた。俺も3、4人で歩いているとテンポを合わせられるけど、二人となると難しい。
横目で佐伯の位置を確認しつつ、歩幅をやや小さくして歩く。
「お手数おかけしますねえ」
「……別にいいけど」
すっかり勝手は変わっていた。今更だけど、こうしてゆっくり街中を歩くと歴然だった。
河合さんと出かけたときのような、ずっと気にしていないとすぐ配慮に欠けた対応をしてしまう。男同士ではなんともなかったのに。
そういうとき佐伯は冗談めかしながらもどこか申し訳なさそうにしている。
俺がさりげなく気を配れていたらよかった話なのだ。かつての佐伯の行動を真似すればいい話だというのに、必死に思い返そうとしたが、ぱっと出てこない。
本人が目の前にいるのだから、直接聞けばいい話なんだが……、お前に気を使う方法を教えろというのはおかしな話だ。
それに聞いたからって佐伯の振る舞いがすぐに真似できるとも思わない。
「あ、そうだ、今日のお店、どうだった? 河合さんとのデートスポットになりそう?」
「な、なんで河合さん!?」
急に思ってもみない話を振られて動揺する。
「あれ、違うの? 河合さんと遊びに行く予行練習じゃないの? この前そう言ってたじゃん」
「そ、そんなこといちいち考えてないって! この前ってのも半年も前の話だろ」
「なんだー」
「それに河合さんには和泉がいるし……」
「それ前も言ってたねえ。本人たちはそうゆんじゃないって否定してるじゃない」
「否定しててもなんとなくわかるだろ」
「それは……まあ、ねえ」
確かに、あの二人が恋愛関係ってものじゃないのはよくわかってる。
そこを邪推するほど二人のことを知らないわけじゃない。もし付き合うってなったら絶対こそこそ隠れたりせず、報告もしてくれると信頼しているから、何も言わないということはやっぱり何もないのだ。
でも、方向性が違うからってその中に割って入れるとは思えない。
河合さんが俺のこと好きになってくれるなら別だけど、そんな気配はないし。
「応援してくれてるっぽいのはありがたいけど、俺は河合さんとどうこう考えてないよ」
もしなにかしらの機会が巡ってきたなら話は別だけどな!
佐伯はそっかあと、興味があるのかないのかよくわからない返事をして、黙ってしまった。
なんで急に河合さんの話になってしまったんだ?
もしかして今日ずっと、俺の河合さんとのデートの練習に付き合ってると思っていたんだろうか?
予行練習というのは春に佐伯とスイーツを食べに言ったときの名目だ。男だけで店には入りづらい、でも女子と一緒にはもっと無理だと駄々をこねたら、佐伯にそうやって励まされたのである。。
今回は、自分の行動を正当化させる理由は必要ないと思っていたのだが……、佐伯は違ったのだろうか。
「あ、ごめんね、ちょっと電話」
「ああ」
佐伯は立ち止まり、携帯の画面を確認してからぱたぱたと道の隅へ移った。
珍しい。
佐伯の携帯は、俺のとは違ってしょっちゅう何かしら届いているようなのだが、どうやら人といるときは極力触らないようにしているらしい。
みんなメールばかりで、電話がかかることはほとんどないようだった。
話がぎりぎり聞こえるかどうかという距離感で佐伯を待つ。
「……今日……? いや……、はい…………はい」
内容はわからないが、敬語だというのはわかった。電話越しだというのにこくこくと頷くのが見える。相手は誰だろう。
佐伯の交友関係なんて知らないし、多分俺が予想する以上に広いんだろうとは思う。
そういうよその知り合いの人とは、どんな風に接しているんだろうか。女に変わって、何か困ったことはないんだろうか。
どうせ俺よりうまくやるのに、どうしても気になってしまった。
「お待たせ~」
「彼氏ほったらかして誰からの電話よ」
「えっ? なにそれえ、一回デートしただけで彼氏面?」
自分から冗句を振っておいて、今の言葉は地味にグサッとときた。
「ちょっとね~、兄貴の知り合いの人」
「なんでお兄さんの知り合いが佐伯に電話を?」
「うーん、最近ねー、ゲームとか貸してもらってるから……あ、バス来たよ!」
「あっやば!」
慌てて走る、佐伯は乗らないのに、一緒に走って、俺を追い越し、間に合ったおかげで俺はなんとか乗りそびれずにすんだ。
息を整えながら窓の外を見ると、すでに落ち着いた様子でこちらに手を振っている姿が見える。
思わず頬が緩んで、小さく手を振り返している自分に驚いた。こんなの、河合さんくらいにしかしたことなかったくせに。
はたから見ると、どう見たって彼氏と彼女に見えたことだろう。
別にそこまで嫌じゃないな、と思った。佐伯は困るだろうけど。