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4章

 少しずつ冬が近づいてきている。
 佐伯は相変わらずで、もう誰も一人として佐伯の性別について話題にすることはなくなっていた。
 考えを改めた方がいいんだろうか。
 これだけ待っても接触がないということは、初めから犯人などいないのかもしれない。
 でもどこか納得しない部分がある。引っかかるというか……。
 まず自然現象ではない……はずだ。こういう断定はよくないんだろうが、あまりにも納得がいかないことが多いし、自然現象としたら一人うんうん考えてもしょうがなさそうなので排除する。
 何かの事故があるとして、何が考えられるだろうか……。どこかの研究施設が、秘密裏に性転換の特効薬を開発して、何かがどうにかなって佐伯がその薬の影響を受けたとか?
 近所に実はその博士が住んでいて、佐伯は寝ているうちに窓から入ってきたその薬の煙を吸ってしまったのだ……とか?
 事故でなければ政府だの、闇の組織だのが国民を選別して、実験対象に選ばれたのが佐伯だったとか。陰謀論っていうやつか。
 ううーむ。完全に行き過ぎた妄想だ。
 大体そういう研究が近所で行われてたら、佐伯の異常事態なんかとっくに聞きつけて接触を図ってそうだ。
 やっぱり、一番わかりやすいのが、そういう能力を持った犯人がいる、だ。
 でも犯人が接触してこないなら、どんな意味があるのか。
 佐伯を女にしたいっていうなら、やっぱり犯人が付き合いたいとかそういう風に思ったから行動に移したはずだ。
 女になったら付き合いたいのにな、と思った相手が本当に女になったのだから、そのまま放っておくなんて馬鹿はいないだろう。
 ……もしかしたら見てるだけで十分だとか、むしろ見てる方がいいみたいなやつもいるかもしれないけど。
 でも接触してこない、ということは、だ。
 なんらかの理由で接触できないのか、しないのか。
 まったく関係のないところで犯人が死んでるとか。もしくは犯人が自分の能力に気付いていないか。これが一番なくはないし恐ろしいんだよな。
 それか、別に佐伯が女になることは目的ではないという場合もありうるか。まったく別のことをした反動とか、引き換えとか、余波とか、副作用のように性別が変わるという現象が起きたとか。
 あとは佐伯が女になることで、佐伯自身には興味ないが得をする人間がいるとかだろうか。例えば自分の好きな女子が佐伯を好きで、それを諦めさせるために……とか? 遠回りすぎるけど、そういう能力しか持っていないなら使うかもしれない。
 ……やっぱり、考えるとキリがないな。
 これは思ったよりお手上げなんじゃないだろうか。

「何考えてんのっ」
「うわっ」

 突然思考に割り込むように横から肩に衝撃を受け、飛び上がった。心臓がバクバクする。

「ふふ、なんか後ろに宇宙が見えそうなくらい難しい顔してたよ」
「ど、どういうことだよ……」
「哲学者っぽいってこと」

 よくわからない表現をして佐伯はけたけたと笑う。
 俺が思考を巡らせていたのは教室の後ろの棚の上だ。
 佐伯の友達が俺の席に勝手に座っていたから、休み時間中ここに腰を掛け暇を潰していたのだ。勢いよくすぐ横に飛び乗って、肩を寄せてきたせいでの先程の衝撃のようだ。

「お前のことを考えていたんですよ」
「あらやだ、あたし!?」

 佐伯は最近ふざけて、自分のことを私とかあたしと言う。あまり違和感もないのでもはや誰も突っ込まなくなってしまったが。

「犯人ってどんなやつなのかなーって」
「あー」

 自分のことだというのに佐伯は他人事だ。
 横でパタパタと揺れる佐伯の足がどうしても目に入ってくる。
 最初の頃はおずおずとという感じで服に着られている感じすらあったが、ここ最近セーラー服を完璧に着こなしていた。
 手首にはヘアゴムをつけているし、カーディガンの胸ポケットには大きめのヘアクリップもつけて。スカートの丈も短いし。
 一番身近な女子である河合さんは、スカート丈がかなり長い。スケバンのように長すぎるわけではないけど、ギャルなんかと比べるとかなり長い。似合ってるけど。
 それと比較すると佐伯は完全にギャル側になっていた。
 元々ギャルっぽい友達が多かったから当然かもしれないけど……、ギャルのファッションはわざわざ元のデザインを変えてより可愛く見えるように工夫しているわけで。
 目のやりどころに困る。
 しかし、校則を無視するレベルではないので注意もしにくい。
 スカート丈も、式の時なんかにきちんと戻していれば、まあまず先生も目敏く注意はしないのだ。びっくりするほど短いってわけではないし。
 うちの学校は、ギャルだヤンキーだ言っても、ドラマやニュースで見る不良と比べるとかなり大人しめだ。
 放任していても常軌を逸した校則違反をする生徒はほぼいないのだ。なのでどちらかというと校則は緩い。まあ、男女交際は禁じられているし、なぜかその校則は平然と破られがちなのだが。
 とにかく、佐伯はかなり可愛さを重視した格好というのをやっていて、それを止めるものは誰もいないのだ。
 佐伯はその見た目の雰囲気というものを遺憾なく発揮して、うーん、と考えるように人差し指を顎のあたりに当てている。

「犯人いたとしてさー、もし見つかったとしてさー、どうやったら元に戻してもらえるんだろうね?」
「それは……確かに難しいところだよな。和泉が凄んだら大抵の男は大人しく言う事効きそうだけど」
「でもそんなことして、昭彦まで女子に変えられたりしないかな?」
「……ああ、確かに、そういう可能性はあるのか」

 まあ、性別を変えられたらもうそいつで決まりなわけだし、遠慮なく脅すなりなんなりして変えてもらうってことはできると思うけど。
 でももし一度変えたものは戻せないって言われたら……ゾッとするな。接触する時も気をつけておいた方がいいか。
 ……気をつけるってどうすればいいのか見当もつかないけど。

「ねえー、桐谷、そういうこと考えてくれるのすっごく嬉しいけどさ、もっと自分のこと優先してよ。大丈夫? 成績落ちてない?」

 大袈裟に首を傾げてこちらを見上げる。髪が少し顔にかかっていた。
 最近のこいつはどこまでが本気でどこまでがボケでこういう仕草をするのかわからないので、俺はつい見てみぬふりをしてしまう。
 そろそろ突っ込んだ方がいいんだろうか。ぶりっ子かよ、みたいな。
 いや、でも、ううーん、裕子さんだってこういうことするしな。裕子さんはいいけど佐伯はしちゃダメだなんていう考え方は良くないよな。

「このくらいで落ちたりしないって。お前の方こそ成績大丈夫なの? 最近授業中寝てばっかりだろ」
「げっ! なんで前の席なのに知ってんの?」
「いや、わかるって……。先生も諦めの目で見てるし」
「うげー、大目に見て欲しいなー。生理の時って眠いんだよね」

 そういうことを言われるとこちらは何も言えなくなる……。っていうか教室であんまり大声で言うなよ……。
 そういえば、少し前から佐伯は女子トイレの使用許可が降りた。
 長いこと教員用トイレを使っていたが、職員室は別の棟にあるのだ。渡り廊下のある階まで降りて、別の棟に渡ってからまたひとつ上の階へ上がり、隅にあるトイレを目指すのだ。
 休み時間は短い。移動教室もある。
 トイレのせいでちょこちょこと遅刻が重なるようになり、とうとう教師側からの提案で女子トイレの使用が許された。
 教師が一番この道のりの大変さを知っているからだ。文句を言う女子ももはやいなかった。
 女子トイレが解禁され、あの有名な「トイレ行こ」というお誘いを受けるようになった佐伯は、ただ用を足すだけとは思えないほど女子トイレで時間を潰すようになった。
 河合さん曰く意味不明の時間らしいが。
 何をしているのか気になって佐伯に聞いたが、髪を整えたりしながら話をするだけ、だそうだ。
 教室で十分できるんじゃないだろうか……。
 とりあえず、佐伯の女子人生は充実していた。

「……もしかしてお前、もう男に戻りたくなかったりする?」

 佐伯はぱちくりと瞬きした。
 それから眉間に皺を寄せる。

「戻りたくなくなくなくないよ」
「どっちだ」
「わかんない」

 意外だ。
 いくら女社会に染まってるとはいえ、戻りたいに決まってる、とか言って口を尖らすと思ったのに。
 わからないのか。

「そりゃ、戻れたら嬉しいけど……」

 何故か言葉を濁す。
 戻れたら嬉しい。なら戻りたいのではないのか。

「今戻ったら、みんながっかりしそうじゃない?」

 内緒話のような小さな声だった。

「それに、今度こそオカマだーっていじめられそうでやだなー。もう男社会に戻れる自信ないよ」
「元々男社会に馴染めてなかったんだから変わんないって」
「それもそっか。……あれ? じゃあやっぱり女の方が都合良いのかな?」
「都合いい悪いじゃなくて、自分の性別だろ」

 そういえば、もし元に戻れる方法があったとして、その場合はどちらの性別にするか選ぶこともできるのか。
 贅沢な悩みだ。
 俺だったら生まれ変わっても男がいいけどな。
 もちろん、一時的に女になれたなら色々楽しみたいことはあるけど。でもそれはやっぱり俺の精神が男だからそう思うわけで、やっぱり最後は男がいいのだ。
 ……しかし、佐伯は今、明らかにだいぶ女に寄っている。
 積極的に女になりたいというわけでもないようだが、男であることへの執着が消えてるように見える。
 こいつが男に戻れるようにあれこれ考えているのは、もはや俺だけのような気がしてしまうじゃないか。
 ……まあ、佐伯の心情なんて分かりっこないけど。

「そうだ、桐谷にいいものがあるよ」
「ん?」

 佐伯はスカートのポッケに手を突っ込んで、ニヤニヤと笑っている。
 そこから取り出したのは小さな紙切れだ。

「これ、スイーツビュッフェの割引券! 桐谷こういうの好きでしょ?」
「おおお! くれるの!?」
「こう言うのは好きな人が行ってこそだしね〜」

 神か……?
 佐伯は甘いものにそれほど興味がないようだが、周りの女友達のおかげでこういったクーポンだの情報だのがよく集まってくるらしい。
 方や俺は甘いものに目がないのに、周りの奴らは誰も興味を示さない。一緒に店に行ってもくれない。

「持つべきものは友達だ!」
「へへへーん」

 得意げにない胸を張って、佐伯はゆっくりと丁重に俺に割引券を授けた。深々とこうべを垂れ、俺は聖なる紙を賜る。

「あ、カップル割引でさらに安くなるんだって。河合さん誘ってみなよ!」
「か、河合さん?」

 カップル割。たまに見かけるが……。俺には縁のないサービスだ。

「さ、流石にどうだろう……建前とはいえ、カップル面されるのは迷惑なんじゃないだろうか……」
「え? そんなに細かいこと気にするタイプかなあ……。ほら、春頃行きたがってたじゃない」

 そうだけど、そうだけどさ。
 正直俺だって河合さんはなんとも思わないだろうとは思う。
 でもなんとなく、周囲に河合さんとカップルだと思われることで悦に入りたいという邪な気持ちを見透かされそうで、気が引けるのだ。

「お前このお店行ったの?」
「ううん、あ、でも知り合いが行ったみたいで、チョコレートフォンデュが最高だって言ってたよ」

 チョコレートフォンデュ……!
 顔が緩みそうになって慌てて真顔を取り繕う。

「お母さんとカップル割いく?」
「やめてください。マザコン扱いしないでください」

 いくらなんでもそこまで落ちぶれていない……!
 そりゃあたまに二人で出かけてデートね流ちゃんとか言われてこれがデートかーと思ったりはするが、それが周りに引かれることだって自覚はある!
 馬鹿にしないでいただきたい!

「ていうか佐伯一緒に行こうよ」
「えっ?」

 佐伯の猫目がまんまるく開かれた。
 券をくれた人と行くのはなんらおかしなことではないと思うのだが……。

「あ、財布厳しい? 確かに、割り引かれるとしても甘いもの興味ないなら結構値が張るよね……」
「えっ、あ、ううん! 平気だよ。甘いの以外にもいっぱいあるみたいだし……でも……その……もしかしたら知り合いいるかもしれないし……カップルと思われたらやじゃない……?」

 ……なるほど? 河合さんは気にしないけど、佐伯は気にするのか。
 でも俺は甘いものを前にするとだいぶ顔もテンションも緩んでしまうし、できれば河合さんと行くのは避けたいんだよな……。
 そうなると佐伯と行けるのが一番都合がいい。前にも一人じゃ入りにくいって言ったら付き合ってもらったし。

「俺は佐伯に来てもらえるとありがたいんだけど、佐伯が嫌なら無理にとは言わないよ」
「え。えー……。うーん、じゃ、……じゃあ、行こっかな……」

 唇を尖らせて、何故か拗ねるような態度だったが声は少し明るくなった気がする。
 佐伯は断りたい時はもっとヘラヘラと逃げるやつだから、多分嫌がってはいないはずだ。
 それにしても少し調子が狂うな。
 そうだ。なんとなく、さっきの仕草とか目線なんかが、かつて裕子さんと対峙した時の照れ隠しのような行動と被って見えるんだ。
 なんか素直じゃないというか、なんというか。
 なんだよ、カップルとしてカウントされることがそんなに引っかかるんだろうか。
 じーっと見ているとぶすっと不機嫌そうにしているようにすら見える佐伯とようやく目があう。すると、あっという顔をして、すぐに誤魔化すように佐伯はにこりと笑った。
 昔からそんな風に笑うやつだったはずなのに、自分に媚を売っているように思えてしまって、非常に気まずかった。
 ここにきて、俺のよくない持病が出てきているような気がする。
 女子に対して、異常に意識して自意識過剰になってしまうという厄介な病気だ。
 これはよくない傾向のような気がする……。

 そして下校中のバスの中、河合さんがにんまりと笑って言った。


「佐伯とデートするんですって?」
「……それ、本人からそう聞いたの?」
「いいえ。佐伯が嬉しそうに日曜に遊びに行くんだ〜って話してたから、デートねってわたしが勝手に思っただけよ」
「……誤解だよ。確かにカップル割は使うけど、それだけだからね」

 あら、まあ。と河合さんはわざとらしく目を開いて驚いた顔をして見せた。すごく演技っぽい。

「佐伯は嬉しそうにしていたのに、そんな言い方をしては可哀想よ」
「可哀想って……ただ一緒に出かけるだけで勝手に彼氏面される方が可哀想じゃない?」
「そこまでは言ってないわよ。ただ、ちょっとね、あんまり温度差があるようでは、やっぱり可哀想だわ」

 温度差。
 確かに、消去法的に誘ったのにあまり喜ばれても、少し罪悪感がある。
 いや、俺からすると喜んでいるようにはそんなに見えなかったけど。河合さんの言うとおりだとしたら。
 いや、でも、だって、佐伯は甘いものそんなに好きって訳でもないじゃないか。
 これがもっと佐伯が好きそうな場所だったら俺だって積極的に誘ったさ。
 俺の趣味でしかない場所について来てもらうんだから、こちらもやっぱり控えめな態度になるというか……。

「桐谷はずっと佐伯の心配をしてあげてるでしょ?」
「そ、それは俺に限らずでしょ。してあげてるっていうことでもないし」
「でも一番佐伯を気にしてあげてるのは桐谷だと思うわ。佐伯もそう思ってると思う。それで、佐伯はほら、あんまり人に手を焼かせる人じゃないでしょ?」

 確かに、優等生では決してないけど、いつの間にか大体のことはうまいこと片付けているタイプの人間だ。
 俺は殆どのことが人並みにできなくて、努力してやっとのタイプだから、少しそういう器用な部分が憎たらしくもある。逆恨みなんだが。

「で、ね? そういう人だから、多分桐谷が気にかけてるのが嬉しいんだと思うけど、でも申し訳なさそうにも思ってると思うのよ」

 さっきから河合さんは思う、思うばかりで予想だけで話している。
 河合さんは人のことをよく見ているから、全く的外れなことは言っていないんだろうけどさ。少なくとも俺よりは人の心情を推し量る力は信頼できる。

「だからね、自分が桐谷の悩みの種になってるんじゃないかと思ってるところで、本人から遊びに誘われたら、嬉しいと思わない? 」
「悩みの種なんて、そんな……大袈裟な」

 口ではそう誤魔化したが、確かにその通りだと思った。最近の悩みといえば軒並み佐伯関連だったし、日常の大半がそこに割かれている自覚もある。
 それでも、本物の種のようにそれだけ取り除くことはできないのだ。佐伯が目の前から消えても、そんなのは解決ではない。
 考えずにいる、と言うことは俺の選択肢にないことなのだ。俺自身にもどうしようもできないことで、当然佐伯にもどうしようもない。自分のことだからと引け目に感じられても困る。

「とにかく、桐谷が思っている以上に佐伯は喜んでいるということよ。桐谷からするとピンとこないかもしれないけど、あんまり冷めた目で見ないであげて。胸が痛いわ」
「わ、わかったよ……」

 冷めた目、していただろうか……。
 温度差は確かにあったけど。ううん、客観的に見えてそうなら、気をつけるべきだよな。

「……あ、河合さんもくる? 和泉も誘って」
「どうして今の話の流れでそう言うことになるのよ」

 バカね、と冷たくあしらわれた。冷たい……。
 結局河合さんはバスを降りるまで、仕切りに心配だ、心配だと嘆いていた。そんなに気になるならついてきてくれればいいのに。
 俺だって不安になってくるじゃないか……。
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