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3章

 学校帰りに和泉と佐伯の三人でファミレスで夕食をとることになった。とある学校の授業で受けさせられる検定試験というものが週明けに迫っていたため、みんなで自習室に残って勉強会をした後の話である。
 河合さんは祖父母にあわせて夕食がかなり早いらしく、すでに準備してあるだろうからと帰ってしまった。ちょっとさみしい。
 しかし思えばこの面々でわざわざ外食なんて珍しいかもしれない。

「お前奥っかわ座れば?」
「え、ソファとっていいの? やさしー!」

 和泉はなんでもないことのように佐伯に上座を譲った。
 佐伯は角のソファの席、和泉は向かいの席に座って、俺は若干途方に暮れてしまう。

「女の人には上座を譲るべきなの……?」

 俺の質問に和泉はきょとんとした。
 正直そんなこと考えたことがなかった……。まあ、女性と外食に行く機会なんて母親くらいしかないから考えようもないわけだが……。河合さんと行くときは和泉たちと一緒だし、俺は空いた席に座るだけだ。
 もちろんビジネスマナーなどの知識自体はなんとなくあるが、それが女性にも当てはまるか否かはそもそもの発想すらなかった。

「マナーとかは知らん。ソファの方がゆったり座れるから譲ってるだけだけど」

 和泉はなんてことのないように言う。
 難しいことはなにもなく、単なるやつの思いやりの話であった。だ、だめだ。完全に人として負けている。

「お、俺は一体どこに座れば……」
「好きにしろよ……」

 だって、それに引き換えこいつ無神経だなとか思われたくないじゃないか。店員さんとかにな! 別に今更佐伯に媚びを売ろうってわけじゃないぞ。
 しかたないので和泉の隣に座る。

「広々~」

 佐伯は悠々自適だった。羨ましい。


「お前そんなもんでいいのかよ」
「だってー、定食とかってお腹いっぱいになっちゃうんだもん。しょうが焼きちょっとだけちょうだいよ」

 佐伯が頼んだのはグラタンである。メインディッシュとしては若干器が小さいかな。
 ちょっとだけ、とは言うが二人はまるごと交換して平然と相手の続きを食べ進めている。……普通の異性の友人とできることではないだろう。こればっかりは俺の感覚が普通だと思う。
 ちなみに俺はハンバーグ定食だ。
 ……やっぱり、しょうが焼きと違って切り分けなきゃいけないし、人が使ったナイフやフォークで切り分けられたものは食べたくないよな。
 二人を横目に、自分の食事をすすめる。別にこの中に入りたいなんて考えていないぞ。俺的に食べ物の回し食べは結構アウトなのだ。河合さんはそこまで気にしないようなので、なんとなく水を差すようだから主張したことはなかったけど。

「桐谷もグラタンちょっといる?」
「ええっ? い、いいよ、ちゃんと自分で食べなよ」
「あ。友也お前野菜全然取れてねえじゃん。にんじん分けてもらえよ」
「げっ! やだよ! それだけは絶対食べない!」

 しかし、こうして学校の外で二人の様子を見ると、すっかり兄と妹のように見えた。
 男だった頃は別にそんな風には思わなかった。むしろ佐伯の方が年上っぽく感じていたのはただ身長のせいだったのだろうか。
 まあ、今の佐伯がどれだけ大人っぽく振る舞っても、和泉のお姉さんと言う風に思うことはなさそうだな。

「友也、いい加減ストローかじるのやめろ」

 うん。やはり、和泉は兄のようである。

「友也?」
「えっあ、ごめん聞いてなかった」

 ……。

「ストロー、噛み跡すげえだろ」
「あ。ほんとだ。無意識で噛んじゃうんだよなあ……」

 佐伯は潰れてしまったストローの先を角度を変えて甘噛みしてなんとか直そうとしていた。無駄なあがきだ。

「お前鉛筆とかも噛んでたもんな」
「やめてよ、もう直したんだから人前で言わないでよお」

 佐伯は少し顔を赤くして弁解した。
 子供のかみ癖というのは珍しい話ではないからそんなに気にはしないけど。一応恥ずかしいという感覚はあるらしい。

「もう、トイレ行ってくる!」

 もう、とは言うが特に脈絡はない。
 佐伯は小さいバッグを掴みさっさと席を立ち、トイレの方向へ去ってしまった。
 和泉と二人取り残される。

「あいつ変なとこで子供っぽい癖あるんだよなあ」

 和泉は漬け物を食べながらぼやくように言った。
 ……なんだかすぐ真横にいるせいで会話しづらい。
 なんかこの席詰め詰めで距離が近いんだよな。普段和泉とは向かいに座ることが多いせいもあるだろうけど。こいつ、動きが大きいせいか妙にスペースを占領する気がする。河合さんサイズだったら気にならないのかもしれないけどさ。
 今度から和泉の隣は遠慮しよう。……ああでも、いくら佐伯とはいえ女の子の隣に座るのもなあ……。周りの目が気になってしまう。でも河合さんがいれば自然とその隣は和泉になるし、選ぶ余地はないんだけどさ。

「和泉、世話する相手が増えたね」
「なんかちっせー生き物みると気になって口出しちまうんだよなあ……。頭じゃわかってんだけど」

 河合さんも今の佐伯も和泉にとってはちっせー生き物らしい。別に自分だって大柄じゃないくせにさ。
 しかし、そう言われると河合さんと佐伯との扱いの差がなんだか気になる。そりゃああんなにべたべたに甘やかすべきだとは言わないが。本人も嫌がるだろうし。
 でももうちょっと労ってやってほしい気持ちがむずむずとした。何故そんなことをと聞かれると困るから言いはしないけどさ……。
 それにしても、和泉は俺より一緒にいる機会が多いと思うのだが、あいつの様子に異変を感じたりはしないのだろうか。

「……最近佐伯さ、ぼーっとしてること増えたと思わない?」
「あ? そうか?」

 ……嘘だろ。
 和泉は鈍感なやつだけど、さすがにスルーできる頻度ではないと思うのだが。

「実家にいるとき一緒に遊んだりとかしないの?」
「まあゲームしたりとかは普通にすっけど……」
「お、落ち込んだりとかさ、してない? ほら。そのー……変わってから随分経つじゃん」
「ああー……、どうだろうな。あいつ、そういうとこ人に見せるタイプじゃねえし。むしろ妹や姉ちゃんとも気兼ねなく仲良くできるようになって満喫してるように見えるけどな」

 ふうむ。やはり、全く気付いていないのか。
 佐伯の精神的なダメージはその程度で済んでいると思うべきなのか、心配すればいいのかよくわからない。

「何? なんかあった?」
「あっいや! 別に……取り立てて何かがあったわけでは……」

 しまった、墓穴だったかもしれない。
 うまい口実を探すが、あまりぴんとくるものがなかった。

「あいつ身内にほどあんまぼやいたりとかしないタイプだからさあ、おれよりお前とかのが話やすいんじゃねとは思うわ。まあ気にかけてやってくれや」
「そ、そうなのか……」

 かといって、そう仲良くない相手に弱ってるところなんて見せるわけないと思うのだが。

「ま、お前は十分気にかけてるか」
「そんなことないよ……」

 なんだか気まずい。

「……俺もトイレ行ってくる」
「え、寂しい」

 和泉を捨て置き、俺は入り口近くのトイレに向かった。
 もしかしたら俺の態度はあからさまなのかもしれない。佐伯は周りにバレないよううまくやっているのに、俺の挙動不審な態度のせいで何かあったのではと知られてしまうような気がする。
 なんだかそれはすごく恥ずかしいことのような気がした。
 恥ずかしい以前に、佐伯の邪魔をしているようなもんなんだけどさ……。
 俺力になりたいんじゃないのか? 心配するっていうのはつまり、そういうことだ。それを素直に表現するのはなんだか……うんやっぱり気恥ずかしい。誰も和泉のように思ったままに行動に移せはしないのだ。
 ちょうど佐伯はトイレから出てくるところだった。男女分けされていない個室がひとつあるタイプらしい。

「あ、桐谷ーちょうどよかった。ハンカチ貸して」
「鞄持ってるのに持ってきてないのかよ」
「そういう文化なくて」

 呆れた。
 ポケットからハンカチを出して渡す。
 びしょびしょの手を拭いているが、俺が現れなければそのまま席に帰るつもりだったのか。

「ありがと!」

 ハンカチを返すと佐伯はとことこと席のほうに戻っていった。
 ポケットに戻しながら入れ替わりにトイレに入る。
 ……もっと気遣うような言葉をかけたかったのにな。
 さっきぼーっとしてたけど、大丈夫? とかさ。和泉もいないし、不自然でもない、ちょうどいいタイミングだったじゃないか。
 もしかして、俺は腫れ物に触るような扱いをしているんだろうか。
 二人きりでいればそうでもないのだ。ただみんなと過ごしているとき、なんだか気になってしまう。他の誰も気遣ってやれないから。
 ……よくないな。俺があれこれ気を回してやる必要はきっとそれほどないのだ。佐伯はしっかりしているんだから。

---

 会計を終え店を出るとあたりはすっかり真っ暗になっていた。月も星も出ている。

「和泉も今日は実家帰るの?」
「おー。たまにはおれの部屋掃除に行かねえと、こいつに任せてたらゴミ屋敷になっちまうもん」
「失礼だなー! ちゃんとしてるもん!」

 佐伯が抗議している。まあ、何度か遊びに行った記憶を思うと、きっちり整理整頓された部屋とは程遠いけど、そこまで酷かったかな。和泉は動きは雑なくせに、変なところで神経質できちんとしたところがあるから、和泉が気にし過ぎという線もなくもない。どちらの主張を信じれば良いのかちょっと判断がつかない。
 っていうか、兄弟っていうよりもはや母親と子供じゃないか……? 

「じゃあまたな」

 駅に向かう二人と別れる間際、佐伯が「あ」と声をあげた。
 それから数メートルの距離を小走りに縮め、俺のすぐそばまでやってくる。

「何?」
「あのさ、桐谷さ」

 何故か声のトーンを落として佐伯は喋る。内緒話というほどではないが、周りに人も多いから少し離れれば聞きとれないくらいのボリュームだろうと思う。少なくとも向こうで佐伯を待ってる和泉には届かないんじゃないだろうか。

「さっきオレのこと心配してくれてたって、ほんと?」
「え」

 あ。トイレのときか。
 いや、まあ、心配するくらいさ、前だって散々話したわけだし、おかしい行動ではないはずだ。
 しかし本人に知られるのはやっぱり、気まずいじゃないか。
 俺はついいつもの調子で「別に、何が」と誤魔化そうとして、ぎりぎりで飲み込んだ。

「…………まあ……」

 ちょっと身構えながら、正直に認める。
 佐伯は人を嫌なようにいじったりなんかしないとわかっているが、場を和ませようという意味でも茶化されたら、やっぱり俺は恥ずかしくてちょっと傷つくようなそんな気がしたのだ。

「そっか、ありがとっ」

 しかし佐伯は当然のようにそんなことはしなくて、くすぐったそうにはにかんだあと、そう言ってまた和泉の方へ走って行くのだった。
 たったそれだけのやりとりのために呼び止めたのかとちょっと呆れる。
 そのくせ、なんだか少しだけ心が軽くなるような、そんな気がした。
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