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3章

 奇妙だった。
 あれほど和泉や俺をニヤニヤとわかりやすい嘲笑の顔で見ていた奴らが、翌日には何事もなかったかのように振る舞っていた。
 いくらなんでも早すぎる気もしたが、わざわざ怪しまれるような行動をするほど馬鹿ではないのかと納得する。
 でも佐伯本人が現れたら、流石にそうは行かないだろうなと思ったし、女子のいない場ではあけすけになるだろうとかなり警戒していた。
 写真が撮られているなら、噂もすぐに廃れるってことはないだろう。
 改めて、あそこで乗り込んで、せめて携帯を壊すくらいすればよかったと後悔を繰り返していたのだ。

「佐伯〜! もう風邪平気?」
「もー完全回復! いーっぱい寝たからね!」

 佐伯は二日後に登校した。
 女友達と会うなり手を触れ合って跳ねるように大袈裟に喜び合っている。
 誰もそれを気にしない。人並みに挨拶はするし、すっかり女友達としての触れ合いを身につけてる姿に苦笑するやつはいるけど、下卑た目を向けるものはいない。
 予想と違った。
 もちろん、この方がいいに決まっているが……。不気味なものを感じた。
 しかし、不思議だからって下手に詮索して藪蛇になってもよくないし……。
 とにかく、佐伯が元気そうに振る舞えるだけ回復したのならよかったと思う。表面的な物だとしても。
 先週、修学旅行に行く前に会ったときの様子そのままだ。
 何もなかったみたいに。
 少しだけ安心していると、佐伯は軽い足取りでこちらへ向かってきた。俺の後ろの席だから当然なのだが。

「桐谷おはよ!」
「……おはよう」

 普段通りの返事を装う。
 色々聞きたいことはあるが、教室であからさまに心配して他の人に異変を悟られたくはないだろうし。
 昼休みに……いや、また時間がかかって授業に遅刻したり話を中断することになっても困る。放課後すぐに捕まえて、それからだ。話す内容をまとめておかないと。
 それに言い回しだって気をつけないといけないだろうし……。
 そう考えていると、ぬっと影が横切った。

「あ、石橋おはよー!」
「おー」

 いつもの無愛想な返事だ。なんてことないやりとり。
 でも少し、俺の体が緊張するのを感じた。
 石橋もあの場にいたし、俺がいたことも向こうは知っている。
 胸の中でチリチリと不安が膨らんだ。
 石橋は嫌なやつだ。口を開けば嫌味ばかり。性格が悪い。
 佐伯とは仲良くやってるみたいだけど、佐伯が女になって以降、前ほど絡んでいる姿を見なくなった。
 というか、佐伯は前のように接するのに、それをあしらうような扱いが増えたのだ。
 だから接点といえば佐伯からの挨拶くらいなものになっていた。
 しかし今日に限って、石橋が自分から口を開いた。

「お前、平気かよ」
「えっ?」

 気づけば振り向いていた。
 何を言う気だ、こいつ。教室のど真ん中で。

「……風邪引いたんだろ」

 何故か俺の目をちらりと見ながら石橋は言った。
 佐伯も釣られて俺を見て、すぐに石橋を見た。

「もうなんともないよ」

 佐伯は誰にでもよくする笑い方を向けて、石橋は「フン」と鼻を鳴らし、ろくに返事もせず佐伯の隣の席についた。

「もしかして石橋心配してくれたの〜? 珍しいこともあるもんだね」
「……別に」

 茶化すように追撃する佐伯に、石橋は窓の外を見て投げやりに返事をした。
 それでも佐伯はいつも気にしない。やりとりが減ったとはいえ、石橋が無愛想なのはずっと前からだし。
 でも一連の会話が終わった後、佐伯は正面を向いて、俺と目が合ったが、瞳がちらちらと揺れた後少し笑おうとするように口を歪ませて、最後は下を向いた。
 何も、いつも通りではないのだ。
 佐伯の心の中で何が起こっているのか、俺には想像もつかないけど。

---


「お前さあ、いくら体調悪いからって部屋に引きこもるのやめろよな。餓死とかしたらどうすんだよ」

 お昼ご飯。
 弁当を食べながら和泉が口うるさく注意した。

「せめて自分ちじゃなくてうちに引きこもれよ。食いもん部屋の前に置いとくくらいの気は遣えるし」
「だってえ、おばさんたちにうつしちゃ悪いと思ってさ」
「変な気ィ遣うなよ、お母さんたち凹むだろ」

 佐伯はごめんごめんとあまり反省してない様子で繰り返す。
 俺は内心でビクビクとしながらその会話を聞いて、お茶を飲んで表情を誤魔化す。
 やはり和泉は何も知らないらしい。
 ほっとしたような、歯痒いような……。

「佐伯、休んでた間のノート必要じゃない? 貸してあげましょうか」

 河合さんがお弁当箱を片付けながら言う。
 河合さんは食べるのは遅いけど、量は少ないし食べてる最中ほとんど喋らないから、結局いつも真っ先に食べ終わるのだ。

「……佐伯?」
「え? あ、うん。ごめん、どっか行ってた」

 返事のない佐伯に河合さんが呼びかけると、誤魔化すように佐伯は笑う。
 一瞬だけ、どこか遠くを見ているようだった。心ここにあらずというか……。

「ノート、貸してあげようかって」
「あ、いいの? 助かるー。桐谷にお願いしよっかなって思ってたんだけど」
「桐谷は昨日も一昨日も早退けしたり遅刻したりしてたもの、桐谷は和泉に借りてね」
「え、そうなの?」

 佐伯がこちらを見る。
 痛いところを突かれた。

「……へ、変なもの食べてお腹壊しただけだよ」

 何してんのーと笑われたが、まあ、そんなわけはないのだ。
 俺のメンタルは思っていたよりも貧弱だったらしい。
 あのあと気分が悪くなり、午後の授業はまるまるサボった。帰宅した後ぐるぐるした気持ちを抱えたままいつの間にか眠ってしまい、起きたときには翌日の九時頃で完全に遅刻だった。
 本人を差し置いて何を弱っているのか。
 あまりに情けない話なのでせめて佐伯には知られたくなかった。
 まあ、俺が早退遅刻するのはいつものことなので、佐伯と関係があるとは思わないかもしれないが……。

「ああ、でも和泉のノート読みにくいからなあ……」
「失礼な! 一生懸命書いてんだぞ!」
「努力と字の綺麗さは関係ないよな」

 こいつの字は特徴的っていうか……いわゆる丸文字で、読むのが疲れるんだよな……。

「じゃあ一緒に借りて写そうよ。オレも和泉か河合さんだったら河合さんのノートの方がいいし」
「なんでだよー!」

 和泉は文句を言っていたが、河合さんはちょっと誇らしげだった。

---

「明日の朝返してくれればいいから」

 放課後。河合さんから数冊のノートを受け取る。
 ありがたいことだ。俺はちゃっちゃと写せる量だが、佐伯は二日分だ。佐伯は目も悪いし時間がかかるから持って帰って……、いや、視力は良くなったんだっけ。
 ともかく、放課後の間に俺が自分の分を写してから、それを佐伯が持ち帰るという段取りとなった。

「できれば、放課後中に全部写しきりたいよね。もしも明日持ってくるの忘れちゃったら、困るのは河合さんだし」
「そうだね」

 というか、コピーを取ればいいのでは……と思いかけたが、まあ、いいか。資源は大切にって言うし。うん。
 特に会話もなく、前後の席について自分のノートと河合さんのノートを並べて広げる。
 途中佐伯は女友達にどこそこに寄ろうだの誘われては適当に断っていた。俺の方は、特になし。
 放課後の教室は、意外とだらだらと残っている集団が多い。
 流石に人のいる教室で、あの話題を出しちゃまずいよな。
 いくら元気そうとはいえ、全て知らなかったことにする、と言うのはできそうにない。今日を逃したら、そのままタイミングを逃してしまいそうだし。
 ……俺は別に、興味本位とかで聞き出したい訳ではないのだ。でも話を掘り返すのにやっぱりちょっと怖いような気持ちがある。
 佐伯からすると、野次馬と変わらないように見えるんだろうか。
 ……まあ、いいさ。どう思われようと、知ってしまった以上知らぬふりはできない。
 ひとまずこのまま一緒に帰る約束でも取り付けようと思い、振り向いた。

「うわ! なんだその髪型!」

 佐伯は左右に流した髪を、大きなクリップでそれぞれ止めていた。
 邪魔くさそうだとは思っていたけど……。

「さっき吉田がやってくれたんだよ。スッキリ〜」

 佐伯は自慢するような顔をした。
 ……そのうち、髪飾りでもつけ始めるんじゃなかろうか。順調に、クラスの女子による佐伯女子化計画は進んでいるらしい。
 俺の呆れた目線に気づいたのか、佐伯は唇を尖らせた。

「そんなに変?」
「変なんて言ってないけど……邪魔なら切っちゃえばいいじゃん」

 そういうと佐伯は何故か余計にムッとするような顔をした。

「短い髪の毛、維持するのが大変なんだよ。前までは自分で適当に切ってたけど、流石に女の子の髪で失敗したら困るじゃん」

 つまり毎回美容院にかかると出費を惜しんで放置している、と言うことらしい。
 なるほど。
 シャンプーとか大変そうだけどな……。
 佐伯は内巻き気味の毛を指でいじっている。

「やっぱり短い方がいい?」
「え。いや。好きにしたらいいと思うけど」

 邪魔くさそうに思うだけで、短いより似合ってはいると思う。ショートカットも気になるけど、あんまり想像つかなかった。男時代のようになるんだろうか。

「もー。もうちょっと興味持ってよねー」

 佐伯は文句を言いつつも苦笑した。
 言われて驚いた。そうか、興味を持っていないように映るのか。そんなこと考えたことがなかった。
 だって本当に好きにしたらいいと思ったのだ。俺の好みを反映する謂れもないのだし。

「……まあ、長い方がいいと思う」
「桐谷が切れって言ったのに……!」
「邪魔なら切ればという意味であって、それ以上の意図はないよ」
「えー。じゃあ切らない」

 じゃあって。元々切る気なかったろ。
 佐伯は肩から前に下ろしている両サイドの髪の毛を手櫛で触る。すっかり長い髪の毛の扱いに慣れたようだ。
 いや、待てよ。こんな話がしたかったわけではない。

「……そ、それはさておいてさ、今日一緒に帰らない?」

 若干ぎこちない切り出し方であった。
 佐伯は俺の目を見てぱちくりと瞬きする。
 いつもなんとなく合流して一緒に帰る流れになるだけで、改めて誘うなんてこと滅多にしないからだろう。

「いいよ」

 珍しいねえ、とは言わなかった。普段なら言ってただろう。
 あまり感情の見えない表情だったが、どこか覚悟を決めたように感じた。
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