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19章

『お前ら結局式挙げてねえんだろ』

 和泉からそんな電話があったのは、年末の帰省中のことである。
 電波が悪く、寒い廊下に出ないと音声が途切れ途切れで参った。俺は古いどてらを借り、柱に背を預けて和泉のにやにやした顔を思い浮かべる。

「そりゃあ、そんな余裕ないし。呼ぶ相手もそういないし」

 挙げてたら当然和泉にだって声かけるさ。
 そもそも俺はあまりそういう人を集めて派手なことをするのは好みじゃない。というか式とか披露宴とか結納とか、そう言った知識すらほぼないのだ。興味をそそられないものに関してはこんなものなのだ。
 千紗に言われて知り合いに結婚報告する意味で、やっておくべきなんだろうなあという意識はあったけど。けれど現実問題経済的に余裕はないし、千紗は呼ぶ家族もいないし、それを恥ずかしがるというか……みっともないとこちらに申し訳なく思っているらしい。
 それに千紗自身も憧れとかないようだ。まあ、いくら女性らしくなったといっても趣味趣向は男の時のままだから、ドレスや式自体に興味はないのだろう。
 こんな状況で式を挙げたいというのはもはや世間体くらいしか理由はない。そしてそういうものは気にしないで済むならそれに越したことはないのだ。なにより懐に優しい。
 まあそうつらつらと理由を述べるまでもなく、和泉はそのあたりの事情は承知の上らしい。

『撮影スタジオとかってよくレンタルすんだけどさ、ほら、今時コスプレとかあるから需要あんのよ。で、良さそうなとこ見つけたわけ』
「……どういうこと?」
『だからぁ、実際の式は無理でもフォトウェディングとかあんじゃん? 記念にそういうのもありだろ。おれがカメラマンしてやるよ! タダで! 』
「え、でも、いいの? 場所代って安いものじゃないだろ」
『いーっていーって! 大した額じゃねえし、そこはなんとかしてやるからさ。お前らは見せ物になってくれりゃいいから』

 わざわざ嫌な言い回しをしたのは奴なりの照れ隠しなんだろう。
 和泉は恥ずかしげもなく人に優しくできるし、やりたいことができる人間だが、真正面から人から感謝されるのは照れくさいようなのだ。昔とかわってなかった。

『ただ衣装のレンタルは難しいっぽいんだよな。ドレスってなるとやっぱ高えし。そこはなんか自前で用意してきてくれ』
「え。俺タキシードとか持ってないよ。千紗は礼服自体ないし」
『そっちでレンタルしてばちばちに決めてきてもいいけど。別に普段着でもいいんじゃねえ? 第一あいつドレスとか着たがらないだろ』

 それはまあ、そうなのだが……。それはフォトウェディングと言えるのか……?

「うーん……。まあ、わかったよ。せっかくそう言ってくれるならお願いしようかな。一応千紗にも聞いてみる」

 和泉がわざわざ打診してきたんだから、それを無碍に断る理由はなかった。
 千紗のウェディングドレス姿は見たくないわけじゃなかったけどな……。でもそう言われて、うげっという顔をする千紗の様子は目に浮かぶので、心のうちに秘めておくことにした。

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 というわけで、大学が始まる直前、和泉の指示の下河合さんも含めた五人は車で小さな教会へと連れ出されていた。運転したのは俺だけど。
 この日が来るまで千紗はずっと服が、服がと訴えていた。そう、千紗は服が少ないのだ。
 というか服へのこだわりや興味がとことんないのである。そこは昔から変わらずだ。動きやすくて派手でなければそれでいい、という価値観だ。
 Tシャツ、無地のズボンが数色分。ニットの服が二枚、カーディガン、フードのついた羽織り、それからコートが一着ずつ。これが千紗のタンスのラインナップだった。冬に入っていくつか母にお下がりでセーターとか貰っていたけど、クローゼットは千紗のスペースだけガラガラである。
 俺も母も何か買おうと誘うのだが、服屋に連れて行ってもうーんと唸るだけで何も買わない。何か見繕って似合うよ買おうよと押すと買うかな……、と全く自分の意見というものがないのである。まあ、経済的でいいけどさ……。
 そんなわけでいくら普段着でいいと言われても、とても撮影に着ていけるようなコーディネートには手持ちが足りないのだ。
 結局昨日ぎりぎりになって泣きつかれて、瞬くんを母に任せてショッピングモールを奔走した。なんせ服のことは俺もわからないし、千紗もわからない。ドレスっぽいものを買おうにも似合わないと駄々をこねるし、買ったとて今後もタンスの肥やしになってしまうだろう。
 数時間、デートという雰囲気ですらなく若干鬼気迫る気配を店員も感じ取ったのかしつこく声をかけられることはなく、いろんな店を渡り歩いてなんとか一着決めた。皺があまり入らないしっかりした生地で、腰をベルトで絞った膝丈のワンピースなっているコートだ。ケープがついている。どうやらこれが千紗の琴線に触れたらしい。勇者みたいでかっこいい、と興味を示したのを俺も店員さんも見逃さなかった。すぐさま試着室に送り込み、そして出てきた千紗をこれでもかと褒めたたえた。
 実際とてもよく似合っていたのだ。千紗は背が低いが、体のバランスはすらっとしているからタイトめなシルエットがよく似合っていた。ヒールのあるブーツを履いたら随分スタイルよく見える。
 普段の服装に感じる生活感というものはない。

「でも、白なんて、普段着られないよ」
「普段着じゃなくてデート用の服を買いに来たんじゃないか」
「だ、だけど買ってもらうなんて悪いよ……私払うよ」
「いいってば。クリスマス何も渡せなかったからその分だと思って」

 会計中になってもまだ往生際悪くそんなやりとりをしていると、店員さんはなんだか苦笑交じりにお金を受け取ってくれた。なんでだ。なんで俺がちょっと似合わないキザなこと言ったみたいな雰囲気になるんだ。

 とにかく、千紗の納得する服が選べたと思う。
 帰宅後一度だけ千紗が家で着てみせてくれて、瞬くんは可愛い! お姫様みたい! と大絶賛だった。俺よりうんと褒め上手なのだ。
 俺は特に新しく用意することはなく、ただの冬服だ。クリーニングには出したけど。ついでに瞬くんも俺が小さい頃に着ていた少しフォーマルな服を着させた。普段は窮屈だと嫌がるのだが、俺と千紗がオシャレしているのを感じ取ったのか、何も文句はいわない。空気の読める子だ……。

 さて、その教会というのはたしかに、撮影に使われるだけあって雰囲気はあった。豪華で立派な教会、というのではなくて、まるでどこかの丘の上に建っているかのような慎ましやかというか……質素なタイプだ。ただそれが却って古い時代にタイムスリップしたようで、現代の技術を感じさせるものは極力排除されている。とにかく、映画とかに出てきそうな佇まいだった。
 まあ、入り口を出たら普通の現代日本の景色なんだけどな。
 和泉は奥のドアを開けてスタッフに声をかけに行った。俺たちはじっと待機だ。

「ここ、撮影以外にも使われてるのかな?」

 なんとなく雰囲気に気圧されたのか、千紗は小さな声で独り言のように呟いた。しかしそんな声もよく通る。

「じゃない? 副業みたいなものでしょ。土日はレンタルできないとか言ってたし」
「おおごえでしゃべっちゃだめ?」
「うーん、そうだね、だめってわけじゃないと思うけど……色んな人が大事にしてる場所だから、騒いだりはしないようにしようね」

 瞬くんも大人しくしたほうが良いな、と感じたらしい。そんななんとなく打ち崩しがたい静謐な空間である。

「瞬、座って待ってる?」
「うん! つめたーい」

 ひんやりと冷え切ったベンチに腰掛ける。
 河合さんは奥の壁に設置されたステンドグラスを見ようと一人歩いていた。
 うーん……絵になる……。相変わらず河合さんの私服はクラシックで、少しロリータチックだ。夏場や家の中ではやる気のない適当な格好をしているが、冬はいつもしっかりと決めるのだ。
 ただ日本の田舎町には似つかわしくない。都会の方ならみんなオシャレをしているだろうし、馴染むんだろうけど……。そんな河合さんにここの教会はぴったりだった。

「よっしゃお前ら今から一時間半がっつり撮ってくぞー!」

 ばーんとバカみたいな物音を立てながら無粋な男がドアを開けて入ってきた。
 慌てて瞬くんが駆け寄って注意する。

「いじゅみ! しーっ!」
「あ? トイレか? あっち」
「ちがう!!」

 一人加わっただけなのに一気に賑やかになってしまった。
 なんという存在感だ……。

「やっぱり美容院行ってきた方がよかったよね……?」
「普段通りで十分よ。どうせおめかしするならもっと服もちゃんとしたときにしたらいいわ。普通こういうのはもっと余裕を持って計画を立てるものなのよ」

 河合さんは呆れ顔で和泉に視線を向ける。「しょうがないだろ、思いついたんだから」と和泉は悪びれる様子はない。
 千紗は鞄からメイク道具を出しながら、未だに自信のなさそうな往生際の悪い顔をしている。

「今日は口紅を塗ります!」

 魔法のステッキのように掲げて千紗は宣言した。

「普段はしないの?」

 河合さんが口を挟む。河合さんも化粧をする印象はない。どうだろう、俺が気づいていないだけなんだろうか。自信がない。

「すぐ歯についちゃうから、色ついたのは持ってるけどつけて出たことないんだ」
「ああ。わかる。わたしもなんだか唇だけ浮いた感じになるし、別に笑ってもいないのに歯につくしで全然だめなのよね。コツとかあるのかしら」
「どうやってメイク学んだの?」
「動画よ。今時いろいろあるのよ」

 へえ……。やっぱり河合さんもメイクしてるのか……。
 思わず女子らしい二人のトークに聞き入ってしまった。俺にはよくわからない世界である。そして女子二人はちょっとメイクアップしてくる、と奥に引っ込んでしまった。
 瞬くんはとうに飽きて和泉に写真を撮って貰っている。瞬くん自身も和泉にプレゼントしてもらったカメラを持参しているので今日はカメラマンをする気満々らしい。
 俺だけなんだか手持ち無沙汰だ。全くすることがない。
 髪のセットも家でしてきたし……まあ、セット、というほど目新しいことはしてないけどさ。

「和泉、撮影ってどういう段取りでやる予定なの?」
「あー、ポーズとか言ってもお前そういうの得意じゃないだろ? だから普通に結婚式っぽいことやりつつ勝手におれが撮るって感じでいこうかなと」
「え。聞いてないよ」

 さらっとすごいこと言われた。
 俺はてっきり教会をバックに並んで撮るだけだと思っていた。たしかに準備時間込みとはいえそれで二時間場所を取るのは長すぎるとは思ったが……。

「いいだろ、せっかくの教会だぜ? っぽいことやんなきゃ損だろ。なー?」
「なー」

 ずるい。会話についてきていない瞬くんを味方につけている。
 別に反対ってわけじゃないけどさ……。元々、どうせそういうことをするなら、事情を知っている和泉と河合さんにお祝いしてもらえたら十分だと思っていたわけだし。
 でもいざやるってなると尻込みしてしまう。

「結婚式っぽいことってなんだよ」

 こそこそと答えを教えて貰うように身を寄せて和泉に聞く。結婚式なんて、本当に小さい頃に母に連れられて参加した退屈な記憶がある程度だ。
 和泉は三脚を設置しながら記憶を探るように視線を上に向ける。

「あれだろ、病めるときもー健やかなるときもーってやつやって、指輪交換、そのあと誓いのキス、最後に空き缶つないだ車でハネムーンに行く」

 一体なんの映画を思い出しているんだろうか。

「……それ、お前らに見られながらやれと……?」
「普通はおれらどころか何十人の知り合いに見守られてやるんだぞ」

 正気の沙汰ではない。

「ねえパパ! はねはえるの? しゅんもはえる?」
「その羽根じゃないんだよねえ~」

 しかしいいアイデアを貰った。いつも持ち歩いているリュックを漁る。中には最近使うことがめっきり少なくなった薬や、筆記用具に電子辞書などが入っている。いつもはここにノートパソコンと弁当も入れるので、今日はだいぶ軽い。
 中を漁り、内側のポケットにブロックのような固い感触を見つける。もしかしたら、と持ってきていたのだ。
 俺はその目当ての箱を取り出しつつ、千紗が入っていたメイク室から死角を作るように背を向けて内緒話をするように手を口元に当てた。すると瞬くんはすぐに気づいて上半身をこちらに寄せる。和泉もそれに習う。

「せっかくだからこれ、渡したいんだけど……瞬くん協力して貰っていい?」
「あ、しゅんのしごとー? いいけど」

 しょうがないなーという口振りだが顔は嬉しいに笑みを作っていた。 瞬くんだってただ写真を撮るだけじゃなくてちゃんと参加してもらわないとな。
 詳しく段取りを説明したが、まあ結局タイミングは和泉に任せることにした。今日の俺は被写体としての役目を第一に考えていくのだ。

「河合、お前神父役やれ」
「ええっ!?」

 和泉が体を傾けて俺の後ろから帰ってきていたらしい河合さんに偉そうに指示すると、ものすごく嫌そうな声が帰ってくる。

「いやよ、わたし、無理よ。男の人がするもんじゃないの」
「しょうがねえだろ、おれの仕事は撮影だし、瞬がやるわけにもいかねえし、お前だって何か仕事必要だろ」
「そうだけど、そうだけど……」
「別におれらしか見てねえんだし、失敗したって誰も文句いわねえって」

 確かに河合さんはただいるだけだ。それだけで十分なんだけどさ! わざわざ付き合ってくれてお祝いしてくれるだけで十分なんだけど。でもまあ何かしら関わってくれた方がやっぱり嬉しくはある。
 河合さんもそのあたりに頭が回らないわけでもないのか、渋々というか、理由があるなら即刻降りたいというような態度ではあるが、スマホで必死に文言を調べはじめた。

「こんなのわたし、画面見ないと言えないわよ」
「紙に写しとけよ。それならまだセーフだろ」

 うーん……河合さん、こういうの苦手だろうなあ……。
 俺が持ってきた筆記用具を使って河合さんはベンチを机代わりにしてカンペを作り始める。
 メイクを終えて出てきた千紗は苦笑しながらも少し申し訳なさげだ。

「ごめんね、なんとなくでいいからね。どうせ写真がメインなんだし、音声は入らないから」
「いや、ビデオも撮るぞ。スマホだけど」
「ええっ!?」

 和泉は余念がなかった。言っている間にもスマホ用の三脚を組み立てて、画角の確認を始める。
 河合さんはほっぺを膨らませた。下手したら自分の痴態が一生残るのである。
 俺もこっそり戦々恐々としていたわけだが……。自分が好きな子といちゃついているところを他人に見せつけ、なおかつそれが記録として残されてしまうのだ。どんなプレイだ。そういう自分の姿は見られたくないし見たくもない。
 少しだけ顔がひきつっていたかもしれない。化粧用のポーチを片付けていた千紗とぱちっと目があった。
 いつも目があったときにするように、千紗はにこりと笑う。こうしてみると少しだけいつもより顔が明るく綺麗な気がした。
 多分ドキッとしたのだと思う。緊張からかわからないけど。
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