このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

18章

「ママが寝坊なんて珍しいね」
「年かしらねえ……」
「年寄りはむしろ早起きだよ」

 翌朝、俺はいつもより早めに起きていた。……まあ、早めと言っても瞬くんと一緒の時間なだけなのだが。
 母は俺より少し早いくらいに目覚めたらしく、朝食を片付けるところであった。
 すでに活動モードらしい千紗がテキパキと俺と瞬くんの朝食を準備してくれる。俺たちはまだぼーっとしているっていうのに……。情けない話だ。
 朝食を終えるとさっさと歯を磨いて出かける準備をする。

「じゃあ瞬、いい子で待っててね。お留守番よろしくね」
「いってらっさーい」

 瞬くんは眠気が勝っているのか、それともまったりとサンドイッチの味を噛みしめているのか、今日は素直にお見送りしてくれた。
 車の後部座席に設置してあったジュニアシートを外してから俺は運転席、千紗は助手席に座る。
 とりあえずは慣れ親しんだ道だ、ナビの設定は必要ない。

「ベッド、よく眠れた?」
「……あ、う、うん。おかげさまで……」
「そっか。やっぱり布団より柔らかくていいよね。三人で寝れるサイズのベッド買おうかな」
「瞬もあと数年で一人で寝たがるようになると思うから、もったいないよ」
「そうかな……その場合俺の部屋が瞬くんの部屋になるのかな」
「え……それはさすがに……やじゃない? ずっと使ってきたお部屋でしょ?」
「それはそうだけど……部屋は増やせないしなあ……。今だって使ってないし、有効活用だよ」

 とりとめもない会話を続ける。
 朝起きた千紗はいつも通り……だったと思う。昔から、何かあっても表に出すタイプじゃなかったしな。申し訳なさそうに昨日はごめんね、とだけ言われるだけだった。
 そうこうしているうちにあっという間に目的地にたどり着く。
 路肩に止まると、そこにはすでに車を待つ影があった。

「おはよう河合さん」
「おはよう。おじゃまします」

 朝の待ち合わせというと高校の登校時間を思い出すな。
 河合さんは遠慮がちに後部座席に乗り込む。

「佐伯、昨日はお菓子ありがとう。おいしかったわ」
「あ、よかったー! 河合さんもありがと、瞬へのプレゼント。喜んでたよ~」

 んふふと二人で笑い合う。俺はナビの設定に四苦八苦していた。

「私やるよ」
「ご、ごめんありがとう」
「相変わらず桐谷は機械だめねえ」

 さっさと目的地を設定されたカーナビが案内をはじめる。俺がいくらいじってもうまく住所を見つけてくれなかったくせに。

 河合さんが加わると一気に会話が広がったような気がする。誰がこんな状況を想像しただろうか。

「河合さんはクリスマスプレゼントって貰ったの? 昭彦ってそういうところどう?」
「今年は帰ってくるまでお預けだとか言ってたわ」
「へえ~! 楽しみだねえ」
「わたしはいつも通りゲームでよかったんだけどね……」

 なんて色気のない……。

「千紗もゲームとかしたらいいじゃない。ちょっとくらいならできる時間あるでしょ」
「うーん、そもそもハード持ってないし。それに熱中しちゃうから、今はやる余裕ないかなあ……」

 高校時代、千紗はあれこれゲームを貸してくれたのにそれらは全て処分してしまったようだ。まあ、嫁に行くのにゲームを抱えてはいけないか。
 パソコン用のゲームもあるらしいが、俺のパソコンは高校入学時に買って貰ったものだし今時のゲームにはスペックというのが追いつかないそうだ。
 高校時代の千紗は多趣味なタイプだったと思う。表にでるのも内にこもるのも、なにかしら楽しめる術をいくつも持っているというやつだった。
 今はそれが全部なくなってるんだよな……。
 そりゃあ瞬くんと遊んだり眺めているのは楽しいけどさ。どれだけ子供が好きでも息抜きは誰だって必要だろう。
 でも千紗は自分から瞬くんと離れようとはしないだろうし……。

「瞬くんもそろそろゲームとか触りたがる時期なんじゃないかしら」
「そうなんだよねえ。瞬が遊ぶようになったら私も借りてみようかなとちょっと考えてたよ。……でも誕生日まであと九ヶ月だからねえ……」
「ああ、そうか……、いつでもほいほい買い与えるわけには行かないわよね……」

 まあ、経済的にもそんな余裕はないしな……。自活してないんですよこっちは。

ーーー

 一応年末年始ということもあって空港は賑わっているようだった。……まあ、普段どのくらい混雑しているのかなんて知らないが。車の中からでもその様子はよくわかった。

「車で待つ?」
「賛成」

 俺の消極的な申し出に真っ先に食いついたのは河合さんである。

「ええ? でも、もう飛行機到着してるんじゃないの? ここで出迎えるの? 可哀想だよ」

 文句を言うのは千紗である。
 ううむ、たしかにちょっと味気ないか。

「なるほど。もっと感動の再会っぽくした方がいいかもしれないね」
「そ、そこまでしなくてもいいと思うけど……。あ、河合さん二人きりの方がよくない? 私たち後から合流しよっか」
「いらないわよ。むしろそれをするなら佐伯でしょ」

 千紗はぶんぶんと頭を振る。

「やめてよ~、そういう照れくさいことする仲じゃないんだから」
「いいじゃない。わたしも桐谷もリアクション薄くて再会の喜び満喫しきれてないでしょ」
「そ、そんなことないって……」

 そうだぞ。河合さんは知らないと思うが、俺はなかなか引かれる反応をしたんだからな……。
 結局譲り合いが発生してしまったので三人まとめて迎えにいくことにした。
 決して面倒くさがってるわけではないのだ。ただまあ、どうせ向こうのはしゃぎっぷりについていけないと察しているだけなのだ。

 空港の中、縦横無尽に様々な様相の人々が行き交っていて、大荷物を抱えている人や楽しげな若者グループ、それから家族連れで賑わっていた。俺たちと同じように出迎えている側と思われる姿ももちろんある。
 いくら全員が出入り口を目指すから、行き違いになることはなさそうだとはいえその人の量に圧倒されていた。こんな中からたった一人と出会うなんて無茶じゃなかろうかと。向こうに見つけて貰う方が早いだろう。と早々に自力でその姿を探すのを諦めていたのだが、目を引く金髪は人の目を吸い込むように視線を集めた。
 空港なのだから外国人も金髪も珍しいものではないのだが、なんだろう、慣れ親しんだオーラとでも言うのだろうか。
 そしてヤツは数秒あとにこちらを見つけ、にやっと悪そうに笑う。上手に人の流れを避けながらぐんぐんこちらに近づいてきて、あっという間に目の前にやってきた。その間に河合さんたちもその姿に気付いたようだ。千紗が息をのんで少しだけ河合さんの後ろに隠れるように後ずさったのが視界の端で見えた。

「やあやあ皆の衆、手厚い歓迎傷み入る」
「なんだそりゃ」

 前に顔を会わせたのは二年の春だったっけか。約二年ぶりの再会である。和泉は見違えるほど成長していた……ということはなく、記憶の通りの裏のなさそうな顔でにかっと歯を見せて笑った。
 ファッションはややシンプルになっているか。昔はもっとヤンキーっぽいというか、主張の激しい柄や色味の強いものを着ていた。でもそのくらいだ。安心する。

「おかえり和泉。なにそのピアス。チャラついてるわね」
「お、さすがよく気付くじゃねえか。似合う似合うっておだてられてぽんぽん開けちった」

 河合さんはさすが、定期的に連絡とっているだけある。昔ながらの調子だった。
 問題はその後ろで難しい顔をしている千紗である。気まずそうで、放っておいたらそのままこっそり逃げそうなように存在感を消している。
 しかし和泉は河合さんの背中の方を覗くように体を傾け、おもちゃを見つけたようなしたり顔とでも言うんだろうか。またにやーっと悪そうな笑みを浮かべた。

「なに隠れてんだよ~男前になってて照れてんのか?」
「そ、そんなわけないでしょ……」

 そういうが千紗は微妙に和泉と顔をあわせない。呆れた河合さんが大きく数歩横にずれて、その動きについていけなかった千紗はようやく観念したようにちらりと目線をあげて和泉の顔を確認した。

「あれ? お前そんな小さかったっけ? あ、おれがでかくなったのか」
「……いうほど背伸びてないじゃん」

 軽口を叩いたかと思うと、千紗はぎこちなく笑っていた顔をみるみる歪め、口を震わせてすぐに手で顔を覆ってしまった。
 俺は近寄ろうかと一瞬迷って、そうしているうちに和泉が大きい手でぽんぽんと千紗の肩を叩いた。
 それがきっかけになったように千紗は声を必死に押し殺しながら泣きはじめた。まるで恐ろしい目にあった後のように。
 和泉は困ったように笑って、おおよしよし、なんて少しおどけるようにして、外国人が挨拶するときのようにやんわりとハグをした。千紗はその腕の中に収まっている。

「これ、再会の感動の涙とハグだから」

 和泉は俺と河合さんに言い訳するように言った。
 ……わかってるさ。
 そりゃあ、泣くくらいするだろう。俺も河合さんもそのくらいわかってる。
 俺と再会したときとは全然違う反応だっていうのも……まあ、いいさ。あのときと今とじゃ状況が違うし。
 今更嫉妬なんてしないが、ただ俺は千紗の涙がただ再会を喜んでいるものだとは思えなくて、ずっと張りつめていた緊張がようやく解けたかのように見えて、すごく……悔しかった。


 さすがに人の行き交う場所でわあわあと泣いてもいられず、表に出てちょうど良さそうなベンチを見つけた。
 千紗は何度もごめんなさいと謝って気持ちを落ち着けようとしていたが、そううまくは行かないようだった。なので河合さんが、少し二人で話したらと気を遣って、俺と二人で車に戻ることになったのだ。和泉の大荷物を抱えて。

「ごめんなさい、桐谷はいい気分しないわよね。いくら和泉相手でも男と二人きりにさせるなんて」
「あ、いいや。さすがにそこまで嫉妬深くないよ。二人の仲は十分知ってるし」

 高校時代はどんなだったっけか。付き合いが長いとは聞いていたけど、二人で仲良くしているという印象は全くなかった。お互い空気みたいな存在なんだと認識していた。 千紗が女になってから、最初の内は和泉もどぎまぎしていたがすぐに前と代わらない扱いをするようになった気がする。そうだ、あの頃は千紗を特別女性扱いはしていなかった。河合さんにするように荷物を持って上げたりだとか、優しく労るようなこともしていなかったと思う。
 多分あの頃の千紗が先ほどのように泣いていたら、なに泣いてんだよ、なんて茶化して終わりだったんじゃないだろうか。千紗だって和泉相手に弱みなんてみせたくなかったはずだ。
 でもさっきの光景は、なんだか、千紗は和泉を頼っているようだったし、和泉は千紗を労っていた。自然とそうなっていた。

「でも複雑そうな顔してるじゃない」
「そりゃあ、複雑ではあるよ。……やっぱり無理させてたのかなあって……」
「よそのおうちで暮らすのに無理しない人はいないんじゃないの。そんな面の皮が厚い人じゃないってことは知ってたでしょ。しょうがないわよ」

 河合さんはいつでもざっくばらんだ。
 そりゃあそうなんだけどさ……。
 昨日のこともあるし、さすがになにも気にせずにはいられないのだ。
 和泉に、大事な幼なじみをちゃんと幸せにできてるか、なんて聞かれたらYESとはとても言えない。

「うまくいってないの?」

 何か察したのか河合さんが声を潜めておそるおそる聞いてきた。
 まあ、今現在うまくいってるかどうかというと、いってないんだろう。少し前までは自信持って頷けていただろうけど。
 しかし千紗にいわゆる夫婦生活というのを誘われたが、本人はそういったことにトラウマを抱えているようでどうしていいのかわからないんだ、なんて話はいくら河合さんでもできない。

「まあ、ちょっとね……。俺が無神経なのか、逆に気を遣いすぎなのかわからないけど、うまくお互いの気持ちがわからなくってさ。ちょっと昨日の夜も気まずくなっちゃったんだよね」
「あら。通りで二人とも元気ないと思った」

 ……さすがにバレていたらしい。
 河合さんは昔から察しがいいからな……。

「……まあ、問題があるとするなら佐伯よね」
「そうかな。俺が何か言っちゃいけないこと言っちゃったのかもしれないし……」
「桐谷があんまり人に配慮した言葉選びできないのは昔からでしょ?」

 ひどい。
 最近の俺は柔らかいしゃべり方ができるようになったと言ってもらえてるんだぞ。
 しかしまあ、昔に比べてあまり責め立てるように受け取られる言い方は控えるようになったとはいえ、相手の変化を細かく察したり、話しやすい雰囲気を作ったりといった技術は未熟だという自覚はある。
 それに優しい言葉にしようとしすぎてうまく伝えられないという部分もある。

「まあ、俺の悪い癖はあると思う。相手の行動とか気持ちとか、真意がわからないとすぐにどうして? なぜ? って答えを求めちゃうんだよね。ちゃんと説明できないもしくはしない理由があるはずだと、頭ではわかるんだけど……。でもそれをすると傷つくのは千紗だとわかっているから、踏み込むのも躊躇してしまって……」
「聞くくらいいいと思うけど。相手に伝わらないやり方をしたのなら、説明を求められたって文句は言えないわ。答える義務だってないけど」

 河合さんとの会話は非常に楽だ。何かを気にして慮る必要がない。
 しかしそれは河合さんとの関係性に俺はそれほど責任などないからだろう。何も気負うことがないのは当然だ。
 もしかしたら千紗と和泉もそんな関係なのかもしれない。
 そう思うと、少しざわついた心が落ち着く気がした。

ーーー

「お、すげー立派な車じゃん。お前の?」
「そんなわけないだろ。母親のだよ」
「お前ほんとに運転できんの?」
「流、上手なんだよ。全然荒っぽくないし」
「へえー」

 和泉はお手並み拝見とでも言うように腕を組んだ。相変わらず偉そうなヤツだった。
 しかし上手いとか言われるとプレッシャーだな……。

 二人はたっぷり三十分ほどかけて話し合ってから車に入ってきた。外のベンチしか空いておらず、寒かったのか、千紗は和泉からコートを借りていた。べ、別にいいんだけどさ!
 それでも千紗の表情は明るくなっていた。待たせてごめんね、泣いちゃってごめんねと何度も謝って助手席に収まる。
 和泉は後部座席に入るなり河合さんにひっついて押しのけられていた。相変わらずで安心した。

「あなた、ちゃんと卒業できそうなの?」

 河合さんの質問にちらりとバックミラーを見る。和泉はなぜか河合さんの小さな手を両手で包んでさすっていた。やってることセクハラ親父と同じだぞ。

「まーいけんじゃね? 優秀ってわけじゃねえけどてんでだめってわけでもねえと思う。とりあえずまだ食らいついてる」
「なんか危なっかしいな……」

 まあ大丈夫でもダメでもこいつならなんとかするだろうけど。

「そういう流は大丈夫なのか~? 日本の就活ってだるそうだよな」
「ご心配なく。おかげさまで安定した職業に就けそうです」
「いいなあーおれには無縁の言葉だぜ」
「昭彦、お願いされたってリクルートスーツ着て面接とか行かないでしょ」
「行かねえ行かねえ。ああいうのできるってだけで才能よ」

 やはりこいつに日本は向いていないらしい。卒業後も帰ってくるつもりはないんだろうか。

「どこか寄りたいところとかある? コンビニとか」
「おれは別にー」

 女子二人も特に用はないようだ。

「じゃあそのまま河合さんちに寄るけど……河合さんほんとにいいの? 一人くらい増えても別に平気だよ」

 帰りのルートを思い描きながら河合さんに訊ねると千紗も同調する。

「そうだよ。折角だし一緒にご飯食べようよ」
「お誘いは嬉しいけど……、まだ片付けも残ってるし。それにどうせ和泉とは当分嫌ってほど顔あわせることになるんだろうし、今日はもう十分よ」
「えーっ釣れないこと言うなよーおれは全然足りねえよー」

 和泉はこのまま我が家に連行される予定である。今日は我が家に泊まり、明日一日河合さんに絡んでそして実家に帰るという腹積もりだ。
 そのあとの予定は特に決まっていないらしい。まあ、何日かは俺たちの相手もしてくれるつもりだろう。

「なあ友也も料理とかすんの?」
「やるよお、すごいでしょ。今日のお昼はお母さんが作って待っててくれてるけど」
「うん、煮物とかすごくおいしいよ。瞬くんも好き嫌いないし」
「あー瞬くんな、どんな子?」

 今思い出したように和泉はぽんと手を叩く。
 一番心配なのが瞬くんのことだ。この無遠慮な男に果たして打ち解けられるのか……。
 父には未だにちょっと恥ずかしがってるところあるし、それ以外顔を合わせたのは女性ばかりだ。千紗曰く男は少し苦手なようなのだ。

「恥ずかしがり屋だけど、賢いいい子だよ」
「ふーん、どっち似?」
「見た目は千紗に似てると思うよ」
「そう……かな? でも本好きだし、食べ物の好き嫌いはしないし、よく寝るところはパパに似てるよ」

 千紗が補足するように付け足した。俺はちょっとそれがくすぐったくて嬉しかった。
 和泉はへえーと何故か面白そうな顔をする。

「ねえ昭彦、瞬の前ではちゃんと千紗って呼んでよね。絶対だよ?」
「んー……んんー、千紗ねえ……河合のことだって名前で呼んでねえのに……。妬いちまうよな?」
「別にいいけど。和泉はほんとに気をつけないとだめよ。すぐボロ出しそうだわ」

 本当にな……。まあ俺だってなかなか佐伯呼び抜けなかったから人のことは言えないのだが。
 任せたまえ。と和泉は偉そうにふんぞりかえった。
7/9ページ
スキ