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18章

 そしてクリスマスイブ当日。
 俺は土壇場でイブやクリスマスにバイトできないかという打診をドヤ顔で断ったりして、なかなか今までにない充実感を抱えながらこの日を迎えた。
 俺の人生でもっとも衝撃的だったクリスマスは当然千紗との記憶である。初めて……というか今のところ最初で最後のラブホで、しかも女子と初めてお風呂に入って、プレゼントを贈りあうという誰がどう考えても幸せ絶頂のイブだった。過去の自分とは言え、殴りたくなるな。翌日のクリスマスだって、家に招いて一緒に夕食を食べて最高に楽しかったし。あのときの俺はろくに悩みなんてなかったと思う。バカで幸せ者だった。
 そして今までそれを思い返す度に切なさとか寂しさとか他で埋めようのない何かを感じていたので、毎年クリスマスムードが漂い始めると俺の纏う空気は周りからもわかるほど鬱屈したものになっていた。
 それが今年は打って変わって浮ついていると会う相手みんなにいじられた。たまに本気で憎らしげな目も向けられたけど。まあその気持ちはわかる。よくわかる。
 浮ついていると言ったって彼女とお泊まりデート、みたいなドキドキするような予定があるわけではないんだけどな。家族でほっこりクリスマスだ。

 ところで、瞬くんのお手紙だが、千紗と協力して解読に当たったところ特にプレゼントの変更などは書いていなかった。安心である。
 お返事書いてあげてよ、とのことで僭越ながらパパサンタがそれっぽい文面での手紙の準備もさせてもらった。こういうの、結構楽しい。いやに行事のたびにはりきる母の気持ちが少しわかった。
 子供の時はプレゼントもなければ準備ばかりの大人は本当に楽しいのかと疑問を抱いていたが、人を楽しませる準備というのは充実した気持ちになるらしい。
 瞬くんに関する準備が着々と進んでいく一方で、俺は指輪をどのタイミングでどのように渡すか結論を出せずにいた。
 やっぱり二人きりになれる時間となると夜寝る前だよな、とは思う。もともとそうなるだろうなと思っていたし。しかしあまりに日常的な光景過ぎて、本当にわざわざクリスマスだというのに本当にこれでいいのか、という不安も出てくる。……ここにきて、母がイルミネーションでも見てこいと促した理由がわかってきた。
 ロマンチックがどうの、サプライズがどうの、そういう柄ではないと思っていたが、そういう場の雰囲気がないとなかなか指輪を渡すという勇気が出る自信がなかったのである。
 よくよく考えたら俺は今まできちんと改まって場所を準備して人にプレゼントするとか、告白するだとかの経験がまったくなかった。いつもその場の流れとか、雰囲気でなんとなくとかだ。
 だからはじめからあまり計画など立てていなかったのだ。まあ、空いた時間に渡せるかな、くらいに軽く考えていた。
 ……しかし夜のデートをはっきり断った手前、今更母にちょっと家空けてもいいでしょうかとは頼みづらい……。やっぱり気取らず家でそっと渡すしかないか。

「きょーサンタさんきたときしゅんねてたらおこしてね」

 しかし瞬くんの野望によりそれどころではなくなってしまった。
 夕飯時の話である。
 明日がクリスマス当日、夕食は豪勢になる予定だし今日は割とシンプルである。

「あ、だからあんな無理してお昼寝してたの? 珍しいと思ったー」
「そう! ぜったいつかまえるってひろくんとやくそくしたから!」

 千紗はそこまでする? と、呆れたように笑う。
 子供はよく寝るし、その中でも瞬くんは俺の息子だけあって非常によく寝る。いくらなんでも徹夜できるはずはないだろうけど、バレないようにプレゼントを準備しなければならないのに、これは厄介だ。ささっと寝かしつけて、隠したプレゼントを取りに行って、そっと枕元に置いておく。絶対にバレてはいけない決死の作戦である。
 まあ子供の言うことだから、と大人たちでナメた態度をとっていたのだが、瞬くんは本気であった。
 大人たちの思惑も知らず、瞬くんは食後俺たちを手伝わせて出入り口や窓のあたりにトラップを仕掛けはじめた。

「パパーここにさあ、おとしあなつくれないかなー」
「おうちに落とし穴は無理だよ。これ以上やったらサンタさんプレゼント届けれなくてこまっちゃうよ?」
「だいじょうぶだいじょうぶ、とべるし」

 飛べるなら落とし穴意味ないんじゃないかな……? そして飛ぶのはサンタさん単体じゃなくてソリじゃないかな。しかしあんまりつっこんだら瞬様の機嫌を損ねかねないので、俺たちは可能な限り従順に指示に従うのである。

「瞬ーこの紐はどうするの?」
「それはねーばけつをねーうえにひっぱるの。ドアあけたらみじゅがでてわーってなるようにするの」
「うわお……」

 瞬くんはドアや窓に鈴をつけたり、セロハンテープを輪っかにしたものを床に貼って足止めする罠を仕掛けたり、拙いながらも一生懸命あれこれ作戦を練っている。ドアを開けたらバケツがひっくり返りずぶ濡れになる仕掛けは、俺たちの現在の技術レベルでは難しかった。これは悔しい。今後の課題にしよう。
 秘密基地制作といい、瞬くんはあれこれ考えて実際に作るのが好きなようだ。やはりうちの子は天才なのかもしれない。
 ……しかしほんとに俺、バレずにプレゼント用意できるかな……。
 途中から俺もノリノリになって罠を設置してしまったが、自分の首を締めているだけなのではないだろうか……。

 まあ、そんなこんなで夜も更けてきた。お風呂も終え、歯磨きもした。あとは寝るだけである。
 瞬くんはバットを剣のように床に突き立て、何かについていたリボンを額にハチマキのように巻いて貰って、腹巻きに折り紙で作った手裏剣を挟んでいるというプロ顔負けのいでたちだ。なんのプロかは知らないが。
 そのまま瞬くんはドアの方を向いてじっとにらみをきかせている。時刻は九時過ぎ。いつもなら眠っている時間である。

「瞬くん、遅くまで起きてたらサンタさん来てくれなくなっちゃうよ?」
「きてくれるよ! しゅんいいこでしょ」
「い、いい子だけど……」

 まあ、元々いい子なのに最近はクリスマスプレゼントのために積極的にお手伝いもしていたし……そりゃあもう自信を持っていい子です! と世界に向けて発表だってできるけど……。
 コンコン、とドアがノックされる。
 瞬くんはさっと立ち上がって、バットを構えながらドアに近づいた。

「ねこ!」
「……うさぎ」
「よし!」

 これは瞬くんが決めた合い言葉である。正解だったので瞬くんは罠を解除してドアを開けた。ちょっと恥ずかしそうな千紗が、謎に毛糸がぶら下げられた入り口をそっと潜るように入ってきた。
 瞬くんは大急ぎでドアを閉め、解除した罠を張り直す。

「瞬、ピタゴラスイッチとかやらせたらハマりそうだよね」

 こそこそと千紗が面白そうに呟く。
 俺はできればそういう果てしなさそうな作業は付き合いたくないぞ……。本人がやりたがったら結局協力しちゃうんだろうけどな。
 好きなだけ監視させておけばそのうち力尽きるだろうと甘く見ていたのだが、瞬くんはしぶとかった。
 先にうつらうつらしはじめたのは千紗である。

「ママ、大丈夫?」
「うーん……」
「ありぇー! ママねむいの!? しゅんがおきてるのにー!?」
「いつもママはパパや瞬くんよりも朝早く起きてるもん、しょうがないよ」

 そう、千紗はいつも俺よりも先に目を覚ましているのだ。普段は先に寝ることもない。俺たちの睡眠時間が長すぎるのも問題だけどさ。
 母の話によると、六時前には起きているらしい。母が目覚めて活動を始める時間に合わせて顔を出すらしい。それから洗濯をしたり、ゴミをまとめたり、二人でゆっくり朝ご飯を食べたりしているんだそうだ。
 ちなみにゴミ捨ては父の仕事である。我が家はゴミ捨て場からあまりにも離れすぎている。出勤ついでに行くんでなければ相当な距離を無駄に歩かされる羽目になるのだ。
 瞬くんは五時ぐらいに目が覚めたり、そこから二度寝して八時くらいまでぐっすりだったりまちまちのようである。恥ずかしながら、俺は大体九時前くらいまですやすやだ。
 それで眠る時間は大体俺と同じ。睡眠時間はざっと三時間ほど差がある。まあ、必要な睡眠時間は人それぞれだし、千紗も睡眠不足というほどではないと思う。
 が、今日はあれこれ準備があったせいで千紗も忙しかったんだと思う。明日食べるご飯の仕込みとかもしていたようだし。
 時刻は十二時前だが千紗は限界のようだ。

「瞬~ぎゅーして」
「えーでもーサンタさんきちゃうよ?」

 千紗は食い下がらず「わかった、頑張ってね」とあくびをかみ殺しながら言うとさっさと布団に入って横になってしまった。

「えーっえーっママーおきよーよーサンタさんみなくていーのー?」
「んんー」

 ぐわんぐわんと瞬くんは力任せに千紗の肩を揺さぶる。

「ちょ、ちょっとちょっと瞬くん、ママ眠いんだから可哀想だよ。瞬くんだって眠いとき起こされたら嫌でしょ?」
「でもしゅんがおきてるのにママねるのへんだよ!」

 なんという横暴。
 結局千紗は目をごしごしと擦り、上体を起こした。だめ押しでぱちぱちと自分のほっぺたを叩く。相当眠いんじゃないか。

「ママーサンタさんきてしゅんがねるまでママおきて?」
「ううーん……ママも起きてたいけどねえ」

 千紗がのそのそと布団から這い出て床に座ると、瞬くんはぎゅーは拒否したくせに甘えるように膝に座り、千紗に寝るなとおねだりしている。

「無理しないでいいよ?」
「大丈夫、しないしない……忘れ物しただけ……」

 わ、忘れ物? 首を傾げていると千紗は枕元に手を伸ばしてスマホを取り出した。
 普段千紗はスマホをずっと放置している。一応部屋を移動するときは持ち歩いてはいるけど、その部屋のどこかに置いたままほったらかしという状態だ。元々筆無精だし、連絡を取る相手も大していないということで、目の前で触っているところを見るのはかなり珍しい。
 ゲームをしたり、ネットなんかも見ることがないらしい。得意そうなのに。
 するとすぐに俺のスマホが鳴った。
 千紗が、見ろ、というような目線を送ってきたのに気付き慌てて確認する。

『プレゼント、クローゼットの一番上』

 まるで暗号かのように簡潔すぎる文面が千紗から届いていた。少し遅れて、あ! と気付く。
 瞬くんへのプレゼント! そうだ、買ってからずっと車に隠していたものだ。それを瞬くんが寝ている間にバレないよう外にでて、回収して戻ってきて枕元に置いておかねばならないと考えていたのだ。事前に回収してこの部屋に隠しておいてくれていたらしい。あ、ありがたい……。
 千紗は俺の表情を見届けた後、瞬くんを抱えたまま再び布団に転がった。

「瞬も一緒に寝よー」
「まだねない! ねむくないもん!」
「えー、じゃあバイバイするの?」
「ばいばいしない! ママもおきて!」

 瞬くんはすぐに千紗の腕を抜け出す。

「瞬も早く寝ないと怖い夢みちゃうよ……」
「みーなーい!」

 瞬くんは必死に千紗に話しかけていたが、段々と反応は薄くなり最後には沈黙してしまった。

「瞬くん、パパ起きてるからママは寝かせてあげよう?」
「やだー!! ママおきてよー!」

 あ、ちょっとこれは愚図りそう。よくないスイッチが入りつつある。

「瞬くんママ寝るの嫌なの?」
「やだ! しゅんがおきてるからママもおきてないとやだ!」
「なんで~可哀想だよ。それなら瞬くんも寝ようよ」
「やだ~……」

 瞬くんは大の字になって床にうつ伏せになった。
 あ、このままほっといたら寝るかな。それか読み聞かせでもはじめてやろうか。寝てしまうから何も読むなと瞬くんに指示されているのだが、なんとなく今なら行けそうだ。

「だって……だってさ……」

 顔を伏せたまま、ちょっと泣きそうな声で瞬くんは訴えた。かなりシュールな姿だ。

「ママ……しんだらかわいそうなんだもん……」
「……ええ!? な、なんでそんなこと言うの? ママ死なないよ? 超元気じゃん。さっきだってご飯いっぱい食べてたでしょ?」
「でも……でも……ママいつかしむじゃん……」

 それは……まあ……生きている限りはいつか死ぬけども……。

「だ、大丈夫だよ、そんなのずーっと先だよ。瞬くんがパパやママよりずーっと年上になってからだよ」
「……」

 うーん……このくらいの子の死生観というのはどういうもんなんだったか。一度調べたことはあるのだが……。

「ね、ねえ、瞬くん、ぎゅーしようか。起きて」

 といいつつ脇に手を入れ無理矢理起こし、くるりと方向を裏返して向かい合う。瞬くんは大人しくだっこされた。ぐでんぐでんである。

「瞬くん死ぬのが悲しいってことなのわかるんだ。すごいねえ」
「あのね、しゅんわかるよ。ねむいねむいってなってね、それからまっくらになるの」
「そうなんだ。パパ知らなかったなあ。本で知ったの?」
「んーん、じいじがゆってた」
「え、じいじ?」

 父がわざわざそんな脅かすようなこと言うだろうか……。
 最近朝、瞬くんが早起きしたとき、仕事に行こうとする父にちょっかいをかけにいくという話はみんなから聞いてはいるが、俺は正直その時間はしっかり寝ているのでその様子を見たことはない。
 子供の扱いが上手いとは言えないが、それでも俺より人生経験あるわけだしもし瞬くんから聞かれたとしても卒なく答えそうなものだが。

「……あっ、それってもしかして前のじいじ?」
「?」

 瞬くんはピンときていないようだが、以前お世話になっていた定食屋さんとか、そこで教わったんじゃないだろうか。千紗はいつもおばさんとかおじさんとかおばあちゃんとか言ってきちんと名前を出さないので俺もなんと言っていいのかわからないままだ。
 瞬くんは続ける。

「でも、でも、ママさ、このまえびょうきだったでしょ? ママねてたのにうーんうーんってして、ね?」
「ああ……そうだね、瞬くんいなかったら、危なかったもんね。でも今はパパもじいじもばあばもいるから大丈夫だよ。ママが苦しんでたらすぐ助けられるもん」

 ……なるほど。納得がいった。
 瞬くんは千紗が倒れたときのことが少しトラウマになっているようだ。
 たしかに、あれは危なかったと思う。あのときは色々いっぱいいっぱいで瞬くんのフォローもしっかりできていなかった。

「ごめんね、ずっと不安だったんだね。大丈夫大丈夫……」

 そう言って頭を撫でると、瞬くんはぽろぽろと静かに泣いていた。いつも声を上げて泣くのに。ぴっとりと俺の胸に顔を押し当てるようにひっついてきたので丸い頭を撫でつつ背中をぽんぽんと優しく叩く。
 すっかりサンタさんを捕まえるどころではなくなってしまった。やっぱりまだ瞬くんに夜更かしは早かったのだ。思考もネガティブになってしまっていたらしい。
 こういうとき、千紗はいつだって真っ先に瞬くんに駆け寄って励ましてあげるのだが、今日に限ってはぐっすりだった。思わずふと不安になったが、ちゃんと呼吸の度胸が上下しているのを確認して安心する。
 多分瞬くんはこのまま眠るだろう。俺だけ起きているのはなんだか寂しかった。
 でもプレゼントの準備はしっかりしないとな。手紙の返事だって書いたんだし。
 恐る恐る瞬くんを抱えなおして、確かに眠っているのを確認してから千紗の横にそっと寝かせる。
 プレゼントと手紙もセットした。瞬くんが準備した罠の方は少し悩んだが、とりあえず誰かが引っかかった形跡を残しておくことにした。もし犯人の出入りがないとなると、瞬くんがものすごい推理力を発揮してサンタの正体に気付いてしまうかもしれないと思ったからだ。
 犯行に漏れがないか、再三確認し、電気を消そうとしたとき、千紗が小さく呻いた。
 目が覚めたのか、と顔を伺う。
 すると目は閉じて、眉間に皺を寄せて口をもごもごさせていた。

「千紗?」

 声をかけるが反応はない。時折言葉にならない声を小さく上げていた。泣きそうなような、苦しむような声だった。どうやらうなされているらしい。
 どうしよう、起こしたほうがいいんだろうか……。
 すぐそばにしゃがみ、横を向いた顔を見下ろす。よく考えると、千紗の寝顔を見ることは普段ない。肺炎で寝込んでいたとき以来だ。
 閉じたまぶたに涙が滲んでいた。

「……千紗、大丈夫?」

 瞬くんを起こさないよう、声を潜めて肩に触れる。
 しかし瞬くんが騒いでも目覚めなかったのだ。この程度で目を覚ますわけがない。ここで大きな声でもあげれば寝付いたばかりの瞬くんの方が先に起きてしまうかもしれないし。
 俺はそっと千紗の頭を撫でて、それから小さな肩をぽんぽんと寝かしつけするように叩くしかできなかった。少しでも落ち着いてくれればいいのに。
 俺が触れることで逆効果になっていたりはしないだろうか。
 そう不安に思っていると、少しだけ千紗の険しい表情が和らいだ気がした。
 しばらくそうして寝顔を見つめ続けて、ひとまず落ち着いたようなので離れる。電気を消して、瞬くんの隣の布団に潜り込んだ。
 ああしてうなされること、今までもあったんだろうか。
 何もしてやれなかった。ごめんね、と心の中で千紗に謝った。
 千紗のことも瞬くんのことも、不安とか恐怖全部から守ってやりたいのに、俺はなにもできはしないのだ。ただ、そばにはずっとい続けたかった。それで少しでも安心を与えられたら、いいんだけどな……。
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