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18章

 瞬くんは本当に寒いのが苦手らしい。子供は風の子というのは幻想だ。
 俺もそうだった、頻繁に風邪を引いた。小学校では制服で、冬でも短パンを着させられるというなかなかハードな校則があるのだが、特例で長ズボンが許可されていたくらいだ。
 家でぬくぬくしたい気持ちはわかる。が、さすがに運動不足にさせるわけにはいかないので俺と千紗でちょこちょこと意識的に遊びに連れ出すようにしていた。
 でもやっぱり冬の動物園はなかなか寒かったな。動物固まって動かないし。全然表に出てこないし。
 しかしそのお陰もあってかとうとう瞬くんにも近所の友達というものができたのである。

「ひろくんあしたもこうえんくるかなーどうかなーあえるかなー」

 瞬くんはまるで恋する乙女のようにそう呟くのだ。
 ちょっと重いんじゃないかな、とか、他のお友達とトラブルになったりしないかなと心配になるが、……まあそういうのも実際経験して学んでいくんだろう。先回りしてあれこれ手を回そうとするなと千紗に叱られた。
 ひろくんの登場により引きこもりがちだった瞬くんは積極的に遊びに行きたがるようになった。
 やっぱり友情というもののパワーは凄まじいようだ。
 ただ問題というか……少し切ないのだが、俺はあまり近所の公園には付き添えないのである。いや、誰もやめろとは言っていないのだが、ご近所さんに大学生で四歳の子の父親です、というのはどうも千紗は抵抗があるようであるとなんとなく察したのだ。
 まあ、俺はずっとここに住んでいるし、あまり近所づきあいはないにしろ桐谷さんとこの一人息子、くらいの認識はあるだろう。……まあ、千紗や瞬くんも仲良くなったら苗字とか、どこのお嫁さんだとかの話もしているから隠しようがないと思うのだが……。しかし俺が直接問いただされたり、好奇の目なんかに晒されたらという懸念があるのかなと、俺は勝手に解釈している。
 旦那さん何してる人なの? とか聞かれてたりするのかな。ものすごく気になるし心配なのだが、千紗は大丈夫だよ~と言うばかりだ。

「今日はひろくんと何して遊んだの?」
「えっと~、おままごととー、かけっことー、あとシーソー」
「すごいね~、いっぱい遊んだんだ」

 入浴中、瞬くんの今日の出来事を聞くのがすっかり日常となった。
 こうして一緒にお風呂に入れるのっていくつまでなんだろうか……。小学校2、3年くらいになったら一人で入れるものなのかな。今はまだ自分で頭はすすげないし、もう少し俺の役目はありそうだ。
 俺たちがお風呂から上がると、入れ替わりに千紗が入浴する。最初のうちはろくに浸かれていないんじゃないかというほどの早さだったが、最近は徐々に入浴時間も伸びてきた。少しはゆっくりできているのならよいのだが。


「瞬くんとお風呂入りたい? 俺ばっかり独り占めしてるでしょ」

 瞬くんがぐっすり眠ったのを見届けたあと、なんとなく聞いてみた。

「え? うーん。そりゃあね? でも一人でゆっくりお風呂に浸かれるのも好きだよ。明日は代わろうか?」
「いやいや、俺も瞬くんとお話できるの楽しいしさ。まあたまにのぼせそうになるけど」

 あれ、これはどっちだろうか。俺がそろそろ交代して欲しがっていると思ったのだろうか。それとも本当に瞬くんとお風呂入りたいのかな。
 しかし千紗は本当に一日中瞬くんと一緒にいるし、お風呂くらいはゆっくり浸かりたいというのは本心だろうと思っている。
 一度瞬くんがママも一緒に三人で入ろうと誘ったことがある。さすがにそれは俺もちょっと、刺激に耐えられる自信がまったくない。非常に申し訳ないのだが、やんわり断ろうかなと思ったがその前に千紗の方がきっぱり「ダメだよ」とNGを出したのだった。
 いや、まあ、俺だってダメだよって言うつもりだったけどさ。ダ、ダメなの~? と思わず瞬くんと同時に言ってしまった。
 そりゃあね。俺だって恥ずかしいしね……。わかるけどさ……。

「ねえ、流の部屋行こうよ」
「え? うん、いいよ。何? そっちで勉強する?」

 んー、と千紗は言葉を濁す。
 なんだろう、真面目な話だろうか。千紗から持ちかけてくる真面目な話というのは、いつもちょっと俺も千紗本人も傷つくようなことになることが多いから、少しだけ腰が引けてしまう。しかしだからと逃げては最悪の結果になりかねないというのは身を持って知っている。
 エントランスに出て階段をのぼる。
 自分の部屋はもう長いこと、ただ着替えに利用するだけとなっている。それでもやっぱり今も少し落ち着くな。

「どうしたの? あ、やっぱりリビングだと親が来るかもって気になる?」
「う、うん。ううん……」

 まあ、それもそうか。遅くまで起きていると途中で父も帰ってくるし。
 そうなるとすっかりお勉強会にやってきたお友達みたいな雰囲気になるのだ。とても夫婦の空気感ではない。

「……あのね……あの……私……」

 もじもじとするように、言葉を選んでいるのか躊躇しているのか千紗ははっきりしない態度をしている。
 ど、どうしたんだろう。なんか、変な雰囲気な気がする。

「わ、私たち、ほら……ずっとパパとママしてるでしょ。全然夫婦っぽいこと……できてないから……その……そういうこと……したほうが、いいのかなって……」
「えっ!?」

 まさか本当に!? 千紗からそんな話を振られるとは思わなかった。
 俺も千紗も部屋に入ったポーズのまま、座りもせず向き合ってあわあわと立っている。

「そ、そんなこと急に言われても……どうすれば……」

 だ、抱きしめるとか? それってどういうタイミングでやればいいんだっけ。近づいてから腕を伸ばせばいいんだっけ、それとも腕を伸ばしながら近づいていいのか? ゾンビっぽいかな。 腕は左右どっちを上にすればいいんだっけ。それから、……キ、キスとかもしていいのか……?

「え……えっと……あの……じゃあ……く、口で……しようか……?」
「はあ!?」

 思ったより大きな声がでた。いけない、今は夜だ。びくっと千紗の体が跳ねたのがわかる。

「そ、それは、いいよ……そんなAVみたいなこと……、下で瞬くんも寝てるし……」
「え、えーぶ……あ……そ、……そっか……」

 顔を真っ赤にして言う姿はとても自ら所望しているとは思えない。……のだが、その表情は少しがっかりしているように見えなくもないのは何故だろう。

「そ、そっか……ふ、普通の恋人同士とかって、やらないものなのかな……」
「俺は知らないけど……でもちょっと……ハードっていうか……知らないけどね!?」

 本気で一般論など知らないのだが、なんか取り繕ってるみたいな言い方になってしまった。
 そういえば高校時代も似たようなこと言っていたな。おそらくつわりで苦しんでいたとき、申し訳なさそうに言ってきた。AVの見すぎなんじゃないだろうか。そりゃあされた側は気持ちいいのかもしれないが……する側は気持ち悪いだけじゃないんだろうか……。知らないけどさ!!
 まあ、セックスの最中にやるんだったら前戯の一部としてわからなくもないけど……それだけをさせるのはなんだか性欲処理というような感覚でいい気分がしない。なしだ、なし。

「あ、あの……あの……」

 ふと、千紗がなにかもぞもぞとしているというか、そわそわと目をうろつかせているのに気付いた。

「ん? 何?」
「わ、私、やっぱり……もう、寝る……」
「えっ?」

 それには少し早い時間だ。いつもここから2時間ほど勉強や雑談してから寝るのに。

「だ、大丈夫? どうしたの、さっきからちょっと様子変だよ。気分悪いんじゃない?」
「いっ、いやっあの、大丈夫、あの、ご、ごめん、なんか、お腹、痛くなってきたから……トイレ、行って寝るね」

 そういうと千紗は小走りに部屋を出て行ってしまった。
 え、ど、どうしよう。本当にお腹痛いんだろうか。それとも逃げる口実なんだろうか。
 何をしたいのかさっぱりわからなかった。急に性的な行為をしようとしはじめるのも変だし、とにかく何か無理をさせてしまっているようなのはわかる。でも何故……?
 きっかけになるようなものあったっけ。
 うーん……。俺の知らないところで何かあったのかな……。
 記憶を探りつつ、とりあえず瞬くんの部屋に戻る。俺はまだ眠くないけど……、だからって千紗を放っておいて自分の勉強なんかを始めることはできなかった。
 十分くらい待っただろうか。トイレの水が流れる音が聞こえて、本当にお腹痛くなっただけなのかな、と思った。
 しかしそこからいくら待っても千紗は部屋に戻ってこなかった。
 さらに十分くらい待ってから、そっと部屋を出て千紗の姿を探す。リビングにはいなくて、トイレにもいなかった。
 少し焦りを感じ始める。瞬くんを置いていくわけないと思いつつも、まさか家を出て行ってしまったんではないかと、段々不安が大きくなっていく。久しぶりに非常に嫌な冷や汗が出てくる。
 自室に浴室、書斎に書庫、ダイニング、物置と家中探して、やっぱりどこにもいない。心臓がバクバクとしてくる。とりあえず家の周りも見るべきか、と窓から外の様子を眺めたところで、うっすら話し声のようなものが聞こえるのに気がついた。
 リビングに移動して窓の外を覗く。
 するとライトも付けずに月明かりだけの下、立っている千紗の姿と、千紗の小さな声が聞こえてくる。内容は聞き取れない。すぐに電話をしているのだと気付いた。
 自分からかけたのか、かかってきたのか。わからないけど、少しだけ安心した。
 千紗が電話を終えて帰ってきたのは二十分くらい経ったあとだ。

「電話してたの? どこにもいないから心配したよ」
「あ……ごめん……。昭彦とちょっと……」
「ああ、そうだったんだ。あいつ帰ってこれそう?」
「うん、今準備してるって」

 そうか、和泉だったか。知っている相手だったのでちょっと安心した。

「だ、大丈夫? お腹……」
「え? ああ、うん。トイレ行ったし」
「そ、そっか」

 なんだろう、何となく気まずい。腹を割って話せていない気がする。

「ごめん、さっき……折角千紗から声かけてくれたのに……。あの、俺……どうしたらいいのかよくわからなくて……」

 千紗はスマホを充電器に繋ぎながら、何か考えるようにすぐには返事せず、誤魔化すような愛想笑いもしなかった。

「ううん、私も突然だったと思うし……、ごめんね。せっかく私と瞬のためにバイトとか学校とか頑張ってくれてるのに、何もお返しできてないから、何かしなきゃって……思って……」
「お、お返しなんて……。瞬くんの面倒見て家事だってしてくれてるじゃない。毎朝起こしてくれるしさ。そんなの気にしないでよ。家族ってそう言うものでしょ?」
「……うん……そうだね」

 そういって、千紗は結局布団に入って横になってしまった。瞬くんの方を向いているが、顔は毛布にうずめられていて見えない。
 お返しのつもりだったのか。そんな気持ちで触れあっても、何も嬉しくなんかないのに。
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