18章
時期はクリスマス目前。
俺は悩んでいた。
テレビのバラエティでも当然のようにクリスマスプレゼントの特集がくまれていたのだが、街頭インタビューにて彼氏に贈られた指輪のセンスがどうのブランドがどうのと散々こき下ろされていたところが放送されていたのだ。
俺は震えた。そして高校時代の和泉の助言が一気に甦った。
アクセで下手なことをすると痛々しいことになるからやめろ、と。
しかしそう言われたって結婚指輪は必要だ。一般的には婚約指輪と違って値がはるものではないそうだが、その数万も千紗は勿体無いからいらないと言っている。
しかし若い俺らがすでに既婚者なんて周りはそうそう思わないだろうし、黙して主張できるのなら便利じゃないか。普段ならいらんと一蹴されるだろうが、クリスマスであるなら渡す口実としてもちょうどいいと踏んだのである。
しかしそうして改めて調べてみると指輪なんてどれも同じじゃないか。そりゃあデザインが違うのはわかる。宝石や材質で値段が変わるのもわかる。子供っぽいデザインがあるというのもわかる。
でも彼女たちが笑った指輪が何故いけないのかがさっぱりわからなかったのである。
千紗はそういうことに疎いし、なんでも喜んでくれるだろうと思う。
しかし俺が渡した物のせいで物の価値がわかる第三者に、千紗が笑い物にされたら嫌だ。
大学の友人に助言を仰ごうかと思ったが、もうすでに遅い。
すでに指輪は買ってしまっているのだ……。
この指輪が果たしてありなのかなしなのか、その判定を下されるのが恐ろしくて、新しい情報を漁るのはやめた。
まあ、日常生活で邪魔になってはいけないし、と結婚指輪らしいシンプルなものを選んだつもりだ。高いものではないが、ある程度はきちんとした値段のものも選んだ。店員さんにも簡単に説明してアドバイスを聞いたし。ボロカスに言われるってことはないと思っている……。
でも万が一、これはさすがにない。と言われてしまったら……。
しかしなんにせよあからさまに左手薬指のサイズを測った時点で、もう指輪渡す気なんだなというのはバレている気がするし、返品してなかったことにというわけにはいかない。
とにかく意見を聞くにしても大学の連中はなしだ。あいつらは加減をいうものを知らない。
困ったときの河合さん。
今更変な勘違いされる心配も執拗に傷つけられる心配もない、みんなの味方の河合さんだ。
「いや、わからないわよ。わたし」
「ですよね……」
河合さんは千紗よりもさらにもっとアクセサリーに興味なんてないのであった。
多分プレゼントしても身につけてはくれまい。
「……そんな河合さんは和泉から何か貰ったりするの?」
「送料かかるから物じゃなくてデータでお願いしてるわ」
「……ああ、写真? そっか。たしかに和泉ならではだね」
「ううん、ダウンロード版のゲーム」
「……」
聞く相手を完全に間違えたようだ。
「……まあ、悪くはないと思うわよ。安物っぽい感じしないし」
「ほんと……?」
「い、いや、自信はないけど……。奇抜なデザインでもないんだから、そもそも人の目はそこまで気にしなくてもいいと思うわよ。どうやって渡すの? シャンパンに入れるの?」
「そんなチャラついたことやるわけないじゃん。こういうのってやっぱ憧れのシチュエーションとかあるのかな」
河合さんはふうむと唸る。なさそうだなー……憧れとか……。
「理想のリアクションが要求される場所は控えたほうがいいと思うわ。あの人は空気を読むから合わせてくれるでしょうけど、そうなるととことん本心を隠すタイプだと思う」
「そ、それって例えばどんな……?」
「フラッシュモブとか」
「俺がそんなことすると思う!?」
心外だ……! たとえ冗談とはいえ俺がそんな陽気でおちゃめなサプライズ仕掛ける姿を想像されたとしたら心外だ!
そのあとも散々粘って良いアドバイスを求めたが、河合さんが面倒くさそうになってきたのを察知して俺はすごすごと帰ることにした。
ーーー
「クリスマス二人はどうするの~?」
ウキウキ顔の母に食器の配膳を頼まれながら当然のように尋ねられ、言葉に詰まった。
「ふ、二人っていっても、瞬くんいるし……」
「あら、でも夫婦ではじめてのクリスマスでしょ。ちょっとイルミネーションみて回るくらいでもしてきたらいいじゃない」
「う、ううーん」
リビングからキッチンを覗いている千紗と目があった。
まあ母も多分、軽くプレゼント渡しあえる程度の時間でも作れという意図で気を回してくれているんだろう。存分にいちゃつけという意味ではないはずだ。
でも正直高校時代のクリスマスで相当風紀の乱れまくった聖夜を過ごした記憶がこう……邪魔をするというか……刷り込まれているというか……。あの経験を踏まえるとイブの夜にデートの誘いをすると、そういうことしようぜという風に取られるんではないかと変な恥ずかしさが出てしまうのだ。
正式に夫婦となって二ヶ月ほど経つが、未だ俺と千紗は付き合いたての中学生カップルみたいな距離感を保ち続けていた。
まあ、俺がちょっと抱きついてみたりということはあるのだが。今になって河合さんにべたべたと接する和泉の気持ちがよくわかった。いやらしさとか下心とか抜きに、抱きしめたくなるもんなのだ。よってこれはカウントしないのである。
……まあ、もちろん一緒に生活しているのだからなんの気持ちも刺激されないのかと言われるとそんなわけではないのだが……俺も一応健全な若者なので……。
しかしはじめは千紗はトラウマのようなものもあるだろうし、と様子を見るというか、遠慮してしまう気持ちが大きかった。しかし最近はむしろその千紗本人に心配される始末だ。
もちろんお互い拒絶しているわけではないのだ。もしなにも縛りや制限がないとすればそりゃあ思う存分いちゃついているんだろうさ。
でもやっぱり俺は現状に未だ後ろめたさがあるというか……、今千紗や瞬くんと一緒に暮らして、さらに普通ならそんな状況ではないのに大学にも通えているという環境で、その上まだ贅沢を望むというのはどうにも俺の中で許されることではないのである。
「でも夜はほら、瞬くんのプレゼントの準備とかもあるしなあ〜……」
声を潜めて言い訳すると、母は上半身を仰け反らせて、何言ってんだお前、みたいな目をこちらに向ける。
「そんなの五分もあればできることじゃない! たまには二人の時間も作ったらどう?」
「な、なんだよ……家でも二人の時間は取れてるし……。それに人も多いだろうしさ、インフルとか貰ってきたら嫌じゃない。賑やかなの得意じゃないし」
母ははぁーっとあからさまなため息をついてやれやれというように首を振った。オーバーなリアクションは不快感を煽るようなものではないが、そこまでされるほどのことだろうか。
「……千紗はどう? イルミ見に行きたい?」
「え……? あ、私はどっちでも……」
「ほらあ。だったら家の方がいいよ、あったかいし」
ちらりと母を振り返ると、なぜか両手を腰に当てて怒ったようなポーズをしていた。なぜだ。
母はイベント事はことさら大事にする人間だ。多分ちゃんとその季節やイベントらしさを楽しむべきと思っているのだ。彼氏や旦那としてそういうロマンチックなデートに連れて行くべきとも思っていそうだ。
正直俺はそういう形式ばったものは好きじゃない。そりゃあプレゼントとかは好きだしちゃんと贈りたいと思うけど、飾り付けだとか雰囲気がどうこうというのは好きなやつだけで楽しんでもらいたいもんだ。
……まあ、それは俺の勝手な好みなので、家族で楽しむ分にはもちろん全力でクリスマスをやるつもりだけど。子供じゃあるまいし、瞬くんが起きている間だけで十分だ。
……あー、でも、もしかしたら千紗はそういうのを楽しみたいタイプかもしれないよな……。
そういえば、佐伯家はイベントごとはやらない主義だとか言っていたっけ。だから子供会とかのクリスマスパーティーのボランティアとかやってるって……。うちの母の料理なんかにも憧れる、みたいなこと、言ってたな……。
……あれ、もしかして俺返答まずったのか?
テーブルに皿を並べ少し気まずい思いをしながら、キッチンの方にちらりと目を向ける。今度は母と千紗がなにやらごにょごにょと話しているようだった。
「えっ! そんな、悪いです。値段だって高いし」
「いいのいいの! だって千紗ちゃん今不便でしょう?」
「い、いや……でも、あの、パートとか始めたら自分で買えるので……」
「それまで大変じゃない! こんな面倒なとこに住み始めたのはこっちなんだから。ね、たまにはお母さんにもいい顔させて?」
何か母に説得されているらしい。何を買うって?
盗み聞きしようとしたところで、瞬くんのお絵かきが興に乗ってクレヨンの軌道が床にまで伸びていることに気づき、慌てて阻止したので聞き逃してしまった。
「瞬くん下に新聞紙とか敷こうか。クレヨンはみ出しちゃうよ」
「あっだいじょうぶだいじょうぶ」
「いや全然大丈夫じゃないからね。あー……ちょっと手遅れだったか……」
ま、まあ掃除すれば済む話だ……。わざと汚したわけじゃないし怒ることでもない。
「あのさあパパ~しゅんさあ、これサンタさんにあげたいんですけど~、ポストだしといてくれる?」
「え? 手紙書いたの? サンタさんに?」
「そうそう」
ポスト出しといてくれる? というのは母がよく俺に頼むのを真似ているらしい。ちょっと母の顔がよぎって気まずい気持ちを思い出した。
どれどれとお手紙を読もうとして「あーだめだめ」と瞬くんに止められた。
「サンタさんのだから! かってにみないで!」
「あ、ああそっか。ごめんごめん。わかった、明日学校行くとき出しに行くからね」
「みちゃだめだよ!!」
「うん見ない見ない」
ごめん、実はパパの正体はサンタさんなんだ。……あ、逆か?
欲しいものとか書いてあるんだろうか。どうしよう、事前情報と要望が変わってたら。
「なくしちゃだめだから……屋根のとこに置いておいてもいい?」
「いいよー」
瞬くんのダンボールハウス……じゃなくて秘密基地は日に日に機能が増えていっている。調子に乗って手伝っていたら結構な高さになってしまい、瞬くんはもはや屋根に手が届かなくなってしまった。
せっかくなので屋根の上にトレイを置いたり、ひっかかりになる部分を作って翌日持って行くテキストや落ちてたヘアゴムなどを置く場所となっている。
しかし最近はかなりリビングを圧迫してきているので、いつ立ち退きを命じられるか冷や冷やしているのだ。瞬くんはそんな俺の心配を知る由もない。
「……あれ? そういえば瞬くん文字書けるの?」
「え? パパかけないの?」
「パパは書けるよ! でも瞬くんまだ文字習ってないでしょ?」
確かに瞬くんは文字への興味は他の子よりも強いようだ。ひらがなは読めるしカタカナもだいぶ読めるようになった。でも書くのはまた別じゃないだろうか。
「しゅんもかけるもん! ママとおべんきょしてるもん。あかちゃんじゃないんですけど」
「えええ、ほんと? お名前書いて見せてよ」
心外だというように瞬くんは新しい紙を出してクレヨンで書き始める。すごいな、体全体を使っている。実にダイナミックだ。文字を見なくてもわかる。
「ほら!!」
「…………なるほどねえ~」
うん。なるほど。たしかに、文字っぽい。法則性はあるかもしれない。
あ、これは桐谷の「り」かな。一番下の波みたいなのが瞬の「ん」かな。なるほどね。
「すごいじゃん。特によく書けたのはどのあたりでしょうか」
「やっぱあ~ここの、このまるってなったとこーですかねー」
「なるほどなるほど……瞬くん字書けたのかあ~……」
得意げな瞬くんの解説を聞いて解読を進めてゆく。
あ~……瞬の「ゆ」かな……このぐるぐるしたのは……。ふむふむ……。
どうしよう。サンタさん本当に手紙の内容わかるかな。不安になってきた。
「瞬~夕ご飯の時間だよ。お片づけしてもらっていい?」
「ええ~? しょうがないな~」
ひょっこり現れた千紗のお願いに、瞬くんは面倒くさそうな顔をしながらも大人しく従った。
秘密基地におもちゃBOXを併設しているのだが、ちゃんと片づけないとわざわざしまう場所を作った意味がなくなってしまうという考えらしく、嫌々ながらも結構大人しく片づけしてくれるのだ。
「ねえ、千紗、さっきなんの話してたの?」
千紗は瞬くんの今日生み出した作品を見ながら微笑みつつ返事した。
「あのね、私にクリスマスプレゼントくれるんだって」
「え、なになに?」
「それは~、ん~届くまで内緒。パパも多分ちょっと便利になると思うよ?」
「えっ、なんだろう……」
っていうか俺にはないのかな。二十歳越えてからプレゼント貰えなくなっちゃったな。まあ、千紗とは初めて家族として過ごすクリスマスだし、気を回してくれるのはありがたい話だ。
しかし便利なものとは一体……。二人の会話ではそこそこ値の張るものらしいし……。
「えっもしかして車?」
「そんなわけないじゃん……」
そんなものこんなノリで買ってもらうわけないじゃない……と呆れた目を向けられてしまった。
第一千紗は免許持ってないしな……。仕事はじめる前に取得しては……と俺も両親も言ったのだが、お金も時間もかかるしと当分そのつもりはないらしい。まあ、急いだって親の車を借りるしかないしな。
車、俺も欲しいんだけどな。……さすがに、いくら裕福とはいえ車買ってよパパ~なんて言えない。自力で購入するとしたらまだまだ先の話だろう。
なんだろうな……プレゼント……。自分の指輪を思い描く。喜んでもらえるだろうか……。ちょっと自信ない。俺の自己満足みたいな部分も大きいし。だけど今更どうしようもないし、追加で何か買おうってほど財布に余裕はない。
「あのねーサンタさんにおてがみかいたんだー、パパがあしたポストだしてくれるの」
「え、すごいじゃん! ママにも見せてよ」
「だーめー、サンタさんしかよんじゃだめなの」
……あとで千紗に瞬くんの文字の解読ができるか聞いておこう……。
俺は悩んでいた。
テレビのバラエティでも当然のようにクリスマスプレゼントの特集がくまれていたのだが、街頭インタビューにて彼氏に贈られた指輪のセンスがどうのブランドがどうのと散々こき下ろされていたところが放送されていたのだ。
俺は震えた。そして高校時代の和泉の助言が一気に甦った。
アクセで下手なことをすると痛々しいことになるからやめろ、と。
しかしそう言われたって結婚指輪は必要だ。一般的には婚約指輪と違って値がはるものではないそうだが、その数万も千紗は勿体無いからいらないと言っている。
しかし若い俺らがすでに既婚者なんて周りはそうそう思わないだろうし、黙して主張できるのなら便利じゃないか。普段ならいらんと一蹴されるだろうが、クリスマスであるなら渡す口実としてもちょうどいいと踏んだのである。
しかしそうして改めて調べてみると指輪なんてどれも同じじゃないか。そりゃあデザインが違うのはわかる。宝石や材質で値段が変わるのもわかる。子供っぽいデザインがあるというのもわかる。
でも彼女たちが笑った指輪が何故いけないのかがさっぱりわからなかったのである。
千紗はそういうことに疎いし、なんでも喜んでくれるだろうと思う。
しかし俺が渡した物のせいで物の価値がわかる第三者に、千紗が笑い物にされたら嫌だ。
大学の友人に助言を仰ごうかと思ったが、もうすでに遅い。
すでに指輪は買ってしまっているのだ……。
この指輪が果たしてありなのかなしなのか、その判定を下されるのが恐ろしくて、新しい情報を漁るのはやめた。
まあ、日常生活で邪魔になってはいけないし、と結婚指輪らしいシンプルなものを選んだつもりだ。高いものではないが、ある程度はきちんとした値段のものも選んだ。店員さんにも簡単に説明してアドバイスを聞いたし。ボロカスに言われるってことはないと思っている……。
でも万が一、これはさすがにない。と言われてしまったら……。
しかしなんにせよあからさまに左手薬指のサイズを測った時点で、もう指輪渡す気なんだなというのはバレている気がするし、返品してなかったことにというわけにはいかない。
とにかく意見を聞くにしても大学の連中はなしだ。あいつらは加減をいうものを知らない。
困ったときの河合さん。
今更変な勘違いされる心配も執拗に傷つけられる心配もない、みんなの味方の河合さんだ。
「いや、わからないわよ。わたし」
「ですよね……」
河合さんは千紗よりもさらにもっとアクセサリーに興味なんてないのであった。
多分プレゼントしても身につけてはくれまい。
「……そんな河合さんは和泉から何か貰ったりするの?」
「送料かかるから物じゃなくてデータでお願いしてるわ」
「……ああ、写真? そっか。たしかに和泉ならではだね」
「ううん、ダウンロード版のゲーム」
「……」
聞く相手を完全に間違えたようだ。
「……まあ、悪くはないと思うわよ。安物っぽい感じしないし」
「ほんと……?」
「い、いや、自信はないけど……。奇抜なデザインでもないんだから、そもそも人の目はそこまで気にしなくてもいいと思うわよ。どうやって渡すの? シャンパンに入れるの?」
「そんなチャラついたことやるわけないじゃん。こういうのってやっぱ憧れのシチュエーションとかあるのかな」
河合さんはふうむと唸る。なさそうだなー……憧れとか……。
「理想のリアクションが要求される場所は控えたほうがいいと思うわ。あの人は空気を読むから合わせてくれるでしょうけど、そうなるととことん本心を隠すタイプだと思う」
「そ、それって例えばどんな……?」
「フラッシュモブとか」
「俺がそんなことすると思う!?」
心外だ……! たとえ冗談とはいえ俺がそんな陽気でおちゃめなサプライズ仕掛ける姿を想像されたとしたら心外だ!
そのあとも散々粘って良いアドバイスを求めたが、河合さんが面倒くさそうになってきたのを察知して俺はすごすごと帰ることにした。
ーーー
「クリスマス二人はどうするの~?」
ウキウキ顔の母に食器の配膳を頼まれながら当然のように尋ねられ、言葉に詰まった。
「ふ、二人っていっても、瞬くんいるし……」
「あら、でも夫婦ではじめてのクリスマスでしょ。ちょっとイルミネーションみて回るくらいでもしてきたらいいじゃない」
「う、ううーん」
リビングからキッチンを覗いている千紗と目があった。
まあ母も多分、軽くプレゼント渡しあえる程度の時間でも作れという意図で気を回してくれているんだろう。存分にいちゃつけという意味ではないはずだ。
でも正直高校時代のクリスマスで相当風紀の乱れまくった聖夜を過ごした記憶がこう……邪魔をするというか……刷り込まれているというか……。あの経験を踏まえるとイブの夜にデートの誘いをすると、そういうことしようぜという風に取られるんではないかと変な恥ずかしさが出てしまうのだ。
正式に夫婦となって二ヶ月ほど経つが、未だ俺と千紗は付き合いたての中学生カップルみたいな距離感を保ち続けていた。
まあ、俺がちょっと抱きついてみたりということはあるのだが。今になって河合さんにべたべたと接する和泉の気持ちがよくわかった。いやらしさとか下心とか抜きに、抱きしめたくなるもんなのだ。よってこれはカウントしないのである。
……まあ、もちろん一緒に生活しているのだからなんの気持ちも刺激されないのかと言われるとそんなわけではないのだが……俺も一応健全な若者なので……。
しかしはじめは千紗はトラウマのようなものもあるだろうし、と様子を見るというか、遠慮してしまう気持ちが大きかった。しかし最近はむしろその千紗本人に心配される始末だ。
もちろんお互い拒絶しているわけではないのだ。もしなにも縛りや制限がないとすればそりゃあ思う存分いちゃついているんだろうさ。
でもやっぱり俺は現状に未だ後ろめたさがあるというか……、今千紗や瞬くんと一緒に暮らして、さらに普通ならそんな状況ではないのに大学にも通えているという環境で、その上まだ贅沢を望むというのはどうにも俺の中で許されることではないのである。
「でも夜はほら、瞬くんのプレゼントの準備とかもあるしなあ〜……」
声を潜めて言い訳すると、母は上半身を仰け反らせて、何言ってんだお前、みたいな目をこちらに向ける。
「そんなの五分もあればできることじゃない! たまには二人の時間も作ったらどう?」
「な、なんだよ……家でも二人の時間は取れてるし……。それに人も多いだろうしさ、インフルとか貰ってきたら嫌じゃない。賑やかなの得意じゃないし」
母ははぁーっとあからさまなため息をついてやれやれというように首を振った。オーバーなリアクションは不快感を煽るようなものではないが、そこまでされるほどのことだろうか。
「……千紗はどう? イルミ見に行きたい?」
「え……? あ、私はどっちでも……」
「ほらあ。だったら家の方がいいよ、あったかいし」
ちらりと母を振り返ると、なぜか両手を腰に当てて怒ったようなポーズをしていた。なぜだ。
母はイベント事はことさら大事にする人間だ。多分ちゃんとその季節やイベントらしさを楽しむべきと思っているのだ。彼氏や旦那としてそういうロマンチックなデートに連れて行くべきとも思っていそうだ。
正直俺はそういう形式ばったものは好きじゃない。そりゃあプレゼントとかは好きだしちゃんと贈りたいと思うけど、飾り付けだとか雰囲気がどうこうというのは好きなやつだけで楽しんでもらいたいもんだ。
……まあ、それは俺の勝手な好みなので、家族で楽しむ分にはもちろん全力でクリスマスをやるつもりだけど。子供じゃあるまいし、瞬くんが起きている間だけで十分だ。
……あー、でも、もしかしたら千紗はそういうのを楽しみたいタイプかもしれないよな……。
そういえば、佐伯家はイベントごとはやらない主義だとか言っていたっけ。だから子供会とかのクリスマスパーティーのボランティアとかやってるって……。うちの母の料理なんかにも憧れる、みたいなこと、言ってたな……。
……あれ、もしかして俺返答まずったのか?
テーブルに皿を並べ少し気まずい思いをしながら、キッチンの方にちらりと目を向ける。今度は母と千紗がなにやらごにょごにょと話しているようだった。
「えっ! そんな、悪いです。値段だって高いし」
「いいのいいの! だって千紗ちゃん今不便でしょう?」
「い、いや……でも、あの、パートとか始めたら自分で買えるので……」
「それまで大変じゃない! こんな面倒なとこに住み始めたのはこっちなんだから。ね、たまにはお母さんにもいい顔させて?」
何か母に説得されているらしい。何を買うって?
盗み聞きしようとしたところで、瞬くんのお絵かきが興に乗ってクレヨンの軌道が床にまで伸びていることに気づき、慌てて阻止したので聞き逃してしまった。
「瞬くん下に新聞紙とか敷こうか。クレヨンはみ出しちゃうよ」
「あっだいじょうぶだいじょうぶ」
「いや全然大丈夫じゃないからね。あー……ちょっと手遅れだったか……」
ま、まあ掃除すれば済む話だ……。わざと汚したわけじゃないし怒ることでもない。
「あのさあパパ~しゅんさあ、これサンタさんにあげたいんですけど~、ポストだしといてくれる?」
「え? 手紙書いたの? サンタさんに?」
「そうそう」
ポスト出しといてくれる? というのは母がよく俺に頼むのを真似ているらしい。ちょっと母の顔がよぎって気まずい気持ちを思い出した。
どれどれとお手紙を読もうとして「あーだめだめ」と瞬くんに止められた。
「サンタさんのだから! かってにみないで!」
「あ、ああそっか。ごめんごめん。わかった、明日学校行くとき出しに行くからね」
「みちゃだめだよ!!」
「うん見ない見ない」
ごめん、実はパパの正体はサンタさんなんだ。……あ、逆か?
欲しいものとか書いてあるんだろうか。どうしよう、事前情報と要望が変わってたら。
「なくしちゃだめだから……屋根のとこに置いておいてもいい?」
「いいよー」
瞬くんのダンボールハウス……じゃなくて秘密基地は日に日に機能が増えていっている。調子に乗って手伝っていたら結構な高さになってしまい、瞬くんはもはや屋根に手が届かなくなってしまった。
せっかくなので屋根の上にトレイを置いたり、ひっかかりになる部分を作って翌日持って行くテキストや落ちてたヘアゴムなどを置く場所となっている。
しかし最近はかなりリビングを圧迫してきているので、いつ立ち退きを命じられるか冷や冷やしているのだ。瞬くんはそんな俺の心配を知る由もない。
「……あれ? そういえば瞬くん文字書けるの?」
「え? パパかけないの?」
「パパは書けるよ! でも瞬くんまだ文字習ってないでしょ?」
確かに瞬くんは文字への興味は他の子よりも強いようだ。ひらがなは読めるしカタカナもだいぶ読めるようになった。でも書くのはまた別じゃないだろうか。
「しゅんもかけるもん! ママとおべんきょしてるもん。あかちゃんじゃないんですけど」
「えええ、ほんと? お名前書いて見せてよ」
心外だというように瞬くんは新しい紙を出してクレヨンで書き始める。すごいな、体全体を使っている。実にダイナミックだ。文字を見なくてもわかる。
「ほら!!」
「…………なるほどねえ~」
うん。なるほど。たしかに、文字っぽい。法則性はあるかもしれない。
あ、これは桐谷の「り」かな。一番下の波みたいなのが瞬の「ん」かな。なるほどね。
「すごいじゃん。特によく書けたのはどのあたりでしょうか」
「やっぱあ~ここの、このまるってなったとこーですかねー」
「なるほどなるほど……瞬くん字書けたのかあ~……」
得意げな瞬くんの解説を聞いて解読を進めてゆく。
あ~……瞬の「ゆ」かな……このぐるぐるしたのは……。ふむふむ……。
どうしよう。サンタさん本当に手紙の内容わかるかな。不安になってきた。
「瞬~夕ご飯の時間だよ。お片づけしてもらっていい?」
「ええ~? しょうがないな~」
ひょっこり現れた千紗のお願いに、瞬くんは面倒くさそうな顔をしながらも大人しく従った。
秘密基地におもちゃBOXを併設しているのだが、ちゃんと片づけないとわざわざしまう場所を作った意味がなくなってしまうという考えらしく、嫌々ながらも結構大人しく片づけしてくれるのだ。
「ねえ、千紗、さっきなんの話してたの?」
千紗は瞬くんの今日生み出した作品を見ながら微笑みつつ返事した。
「あのね、私にクリスマスプレゼントくれるんだって」
「え、なになに?」
「それは~、ん~届くまで内緒。パパも多分ちょっと便利になると思うよ?」
「えっ、なんだろう……」
っていうか俺にはないのかな。二十歳越えてからプレゼント貰えなくなっちゃったな。まあ、千紗とは初めて家族として過ごすクリスマスだし、気を回してくれるのはありがたい話だ。
しかし便利なものとは一体……。二人の会話ではそこそこ値の張るものらしいし……。
「えっもしかして車?」
「そんなわけないじゃん……」
そんなものこんなノリで買ってもらうわけないじゃない……と呆れた目を向けられてしまった。
第一千紗は免許持ってないしな……。仕事はじめる前に取得しては……と俺も両親も言ったのだが、お金も時間もかかるしと当分そのつもりはないらしい。まあ、急いだって親の車を借りるしかないしな。
車、俺も欲しいんだけどな。……さすがに、いくら裕福とはいえ車買ってよパパ~なんて言えない。自力で購入するとしたらまだまだ先の話だろう。
なんだろうな……プレゼント……。自分の指輪を思い描く。喜んでもらえるだろうか……。ちょっと自信ない。俺の自己満足みたいな部分も大きいし。だけど今更どうしようもないし、追加で何か買おうってほど財布に余裕はない。
「あのねーサンタさんにおてがみかいたんだー、パパがあしたポストだしてくれるの」
「え、すごいじゃん! ママにも見せてよ」
「だーめー、サンタさんしかよんじゃだめなの」
……あとで千紗に瞬くんの文字の解読ができるか聞いておこう……。