17章
「あ、今うわあ出た~って顔した?」
「してないけど」
ご名答であった。筒井さんは基本的に鋭いし、こちらに配慮して黙っておくということをしない。
面倒くさそうなので取り繕ったものの、内心びくびくとしていた。
……ああ、そういえば、家庭教師時代の記憶を思い出してみると、彼女の家はたしかにここからそう離れてはいなかった。
く、くそ~、駅の方はデートスポットになっていそうだから、わざわざファミリー層向けっぽい地元近くのこの場所を選んだのに……!
「超珍しくない? 先輩も遊びに出ることってあるんだ~」
「そ、そりゃあ俺だって息抜きくらいはするよ。じゃあ俺はこれで……」
「えっ! 誰かと来てんの? あ、こないだできたっていう彼女ー?」
「あ、いや、これはその……」
し、しまった! しっかり両手に二人分のカップを携えているのを見られていた。なんて目敏いんだ。探偵か?
どうしよう、大学の友達だとか言ってもし言及されたら、筒井さんは無駄に顔が広いからもし適当に上げた名前が知り合いだったら挨拶したいとか言われかねない。さすがに休日に家族と、なんて後輩に言うのは恥ずかしい。いや、間違ってないんだけど。
ここはやっぱり高校時代の友達というのが一番無難か……?
「すんごい動揺してんじゃん……」
ううっ! 全て筒抜けだ! 筒井さんだけに!
ぐるぐると頭の中を巡らせていたところで、ふと以前河合さんと歩いていたときに鉢合わせしたときのことを思い出す。あれは苦い記憶である。無駄に傷つけてしまった。下手な嘘はまた嫌な気持ちにさせるだけだろう。
そして千紗のことも考えた。もう公的にもどこをどうみても家族であるのに、何故他人の振りをしようとしたのか。そりゃあ、学校であれこれ余計なことを言われたくないという理由だけど……、それで関係を隠されるのって、やっぱり気分がいいものではないはずだ。俺がもし逆の立場ならめちゃくちゃ傷つく。千紗が自分から自分の存在を恥ずかしいもののような言い方をたまにするからって、俺までそんな行動をしてはいけないだろう。
「……うん、まあそんなところ」
「え!? マジ!? 会いたい会いたい!」
……まあ、そうなるよな……。
「か、勘弁してよ。第一、会ってどうするんだよ」
「えー別に怪しまれるようなこと言わないよ。そういう修羅場嫌いだもん。いーじゃん軽く挨拶したらすぐ退散するからさー。顔見たいだけ」
相変わらず押しが強い……! 忖度という言葉とは無縁の子である。比較すると千紗も河合さんもあんまり自分の意見を主張するタイプではないんだとしみじみ思う。
修羅場嫌いとは言うものの、この問答自体をおかしな誤解されやしないだろうかと心配になって、ゴミ箱にカップを捨てるついでにこっそりと千紗の座っている席をチェックする。
「……あれっ!?」
「え? 何?」
筒井さんが視界の端できょとんと首を傾げている。
い、いない……!?
俺たちがさっきまで座っていたベンチには誰もいなかった。
他の柱や自販機との配置を見ても、場所を勘違いしているということはない。すぐにあたりを見回すが、特にこちらに向かってくる姿もいなければ、違う方向へ向かう人の流れの中にも見あたらない。トイレはたしかこっち側にあるはずだし……まさか誘拐!? 小さいし、未成年にも見えるしありえなくはない。さすがに怪しい人に声かけられてついて行くわけはないだろうけど……。
「ち、千紗!?」
騒がしくならない程度に声をあげつつ慌てて駆け戻る。
「え、せ、先輩!?」
後ろから筒井さんがついてくるのがわかるが構っていられる余裕はない。
あっという間に元のベンチに戻ってくるが、やはりいない。等間隔に同じ色違いのベンチが並べられているが、それらに座っている人の位置関係は変わらないままだ。もちろんどのベンチにもいない。
奥に進めば階段はあるけど、人の行き交いの気配はない。降りたのか登ったのかも当然わかるわけはないし。
もしかして俺が行って戻った流れとは逆方向に通路を進んで入れ違いになったんだろうか。ざっと見回すが、やはりそれらしい姿は見えない。
スマホの画面を確認して、電話するか悩みながらぐるりともう一度見回す。それから通行人の邪魔になりかねないと気付いて壁際に寄ってフロア全体を見る。筒井さんが心配げな顔でついてきていた。一瞬目があう。さすがに連れの姿が見えないという状況は伝わっているはずである。しかし説明したところで、と思い「トイレに行ったのかな」なんて誤魔化した。しかし「トイレぇ?」と納得してない顔である。
元々座っていたベンチのそばから先ほどまでいたゴミ箱の位置を確認する。うん。丸見えだ。会話はさすがに聞こえないが、声を張れば届くだろう。どこかに勝手に行くとすればメールだってできるし、というかただゴミを捨てに行っただけなのだから、置いてどこかにいくと言うことはないだろう。トイレに行くんだって、追いかけてきて声をかけることだって惜しむほどの手間じゃない。
……あー、でも千紗、結構何も言わずに興味を持ったお店の前で立ち止まったりということはしていた。高校時代もそういうところはあったかもしれない。もしかして何かに興味を惹かれて近くの店に入っているんだろうか。ああでもこのフロアはフードコートと飲食店しかない。それに店があるエリアはやっぱりゴミ箱のある方面だし……。
口元をなぞる。焦りすぎなような気もして落ち着きたかったからだ。もしかして大げさなんだろうか。これが瞬くんなら大事件だが、相手は大人だし。スマホで電話をかけつつ吹き抜けを中心にもう一度大回りして歩き始める。
……と、エスカレーターのそばにある大きめの柱に小さな影を見つけた。
小さく身を屈めて、明後日の方の様子を伺うように身を潜めているような格好の背中が、こちらに丸見えになっていた。
はあ、と息をつく。
「……千紗、何してんの?」
「あっ」
慌てて振り向いた顔が、みるみる赤くなっていた。
もしかして、俺の動きを見つつ柱を中心にちょうど死角になるように移動して隠れていたんだろうか。そんなことをされては見つからないはずである。
ゆっくり立ち上がった千紗はもじもじとするように肩にかけている鞄のベルトをいじっている。バツの悪そうな顔だった。
「……もしかして、隠れて驚かせようとしてたの?」
千紗は気まずそうに視線をうろつかせたあと、へへ、と誤魔化すように笑った。
……そうか……まあ、そういうじゃれあいみたいなことを世のカップルだとかはするのかもしれない。俺はちょっと肝が冷えたし悪趣味だと思うのだが……それは過剰反応だったのか。
「全く、心配したよ」
「ご……ごめんなさい……」
千紗は本当に申し訳なさそうに小さくなっていた。ただのドッキリみたいな軽いつもりだったのに、あてが外れたんだとしたらなんだかこっちも申し訳なくなる。
「あ、よかったー、見つかったんだ」
筒井さんが後ろから姿を表した。彼女はいらない心配に巻き込んでしまった。まあ、こうなっては仕方ないかと腹をくくる。
「ごめん、ちょっと俺が早とちりしてしまって。千紗、彼女は大学の後輩の筒井さんだよ」
千紗は少し緊張したような面もちで筒井さんに向き直ると「はじめまして……」とお辞儀した。昔の千紗は初対面でも人なつっこく元気に話しかけていたが……やはり俺の知り合いということで遠慮しているのだろうか。だいぶ大人しい印象だった。
千紗のことを紹介しようと筒井さんに目を向けると、彼女は千紗を頭からつまさきまで見て、ぱちぱちと瞬きをした。値踏みするような不躾な態度に少しむっとする。
「もしかしてあたしがいたから隠れたの?」
「えっ?」
初対面だというのにタメ口で、しかしそれよりも内容が気になった。思わず千紗の顔を見ると気まずそうに視線を落としている。あ、あれ? これは肯定ということだろうか。
否定するのは簡単である。それにもし筒井さんの言った通りであっても、その通りですなんて言っては気分を害するに決まっている。千紗はそういうとき取り繕うのがうまいタイプのはずだ。
筒井さんは腕を組んで悩むように斜め上を見た。
俺がうまくこの場を取り持たなくては行けないのに、なんとか状況についていくのに必死でまったく口が回らない。
「ち、違うよね。ちょっと驚かせようと思って隠れて出てくるタイミング逃しちゃっただけだろ?」
千紗はこちらを見上げるが、そうだよとは言わない。おかしい。いつもならもし全然意図と違っていてもこの場は合わせてくれるはずなのに。
「……お友達に見られたら……恥ずかしいかなって……」
「あ、やっぱり~? だと思ったー」
控えめな千紗の呟くような声に筒井さんは即座に同調した。
俺は二人の表情を交互に見る。
「……えっほんとに? 恥ずかしいって……なんで?」
「ご、ごめん……だって私、全然オシャレじゃないし……野暮ったいから……」
「えっ全然じゃーん、めちゃくちゃオシャレ決まってたら先輩と釣り合わないし」
それは全く褒めてないしフォローにもなっていない。
千紗は肩を竦めてまたごめんねと謝った。しかし筒井さんの喋りに気が抜けたのか、ちょっとだけほっとしたように笑う。
俺はどういう反応するのが正解なのかわからず、二人の間でちらちらと様子を伺うのみである。どうしよう、なぜだか気まずい。なんというか、己の男としての至らなさというものが丸出しになっている気がする。
「どうもー筒井凛子です。先輩の一個下でお世話になってます」
「あ、ご、ご丁寧にどうも……」
千紗がこちらに目を向ける。
あ、そ、そうだ。千紗を紹介しないと。ええと、どこから説明したものか、と言葉を選んでいるとこちらを待たずに千紗が口を開いた。
「ま、間宮千紗です……」
「えっ?」
「ん?」
尻すぼみな千紗の自己紹介に耳を疑ってしまった。すぐに俺の声に筒井さんが反応する。
なんてなってない挨拶なんだ! 名前も関係性もまるで説明できてないじゃないか! 瞬くんだって上手にできるのに!
と頭に巡った後、あっと自分のミスに気付いた。桐谷千紗と名乗ればそのまま関係がバレてしまうではないか。さすがに同じ苗字の恋人だというのは苦しい言い訳である。夫婦であることを隠すなら前の名前を名乗るしかない。
千紗はそういう風に気を回したのだろうとわかった。が、しかし、俺は首を振る。その作戦は却下だ。下手な嘘をついて苦しむのは結局自分なのだと俺はよく知っているのだ。
「違うでしょ。こちらは妻の千紗だよ。この前入籍したんだ。だから間宮じゃなくて桐谷千紗」
「あ……」
千紗の両肩にそっと手を置いてそう紹介すると、俯いた千紗のほっぺたが赤くなるのがわかった。
その向こうで筒井さんが言葉を失って口をあんぐり開けてこっちを見ていた。
まあ……そのくらいの反応は覚悟してたさ。
「は? なっ、うぇ……だっ…………えっ!? 聞いてないんだけど!?」
「う、うん……言ってもあれだよ、入籍したのは先月の話だし」
「違うじゃん! 結婚するほど進んでる彼女いるなんて……いやっえ!? ええ~!? なんで~!? 学生結婚!?」
「ど、どうどう……」
さすがにそう騒がれると周りからの視線が痛い。
声のトーンは落としたものの、それでも尚一人で驚愕の顔を浮かべ続けている。
「え……大学生……ですか?」
何故か敬語になって恐る恐る千紗に尋ねる。千紗は慌てたようにふるふると首を振るだけだ。答えづらい質問である。
「……ごめん、詳しい話はまた今度。待ち合わせしてるから俺たち行くよ」
「えっ嘘ー!」
千紗をちょっとだけ引き寄せて急いでいる風を装う。すると千紗が俺の服を引っ張って抵抗した。
「もっとちゃんと報告してあげなよ。私先行ってるよ?」
「え。いや。い、いいよね筒井さん、別に今じゃなくても」
「あ! ごめんなさいあたし、超邪魔してるじゃん! お構いなく!」
筒井さんは手をぶんぶん振って遠慮してくれる。押しは強いがこういうところはちゃんと気が利くようである。
修羅場が嫌いだというのは本気らしい。
一人慌てた様子の筒井さんは目を閉じて深く息をついて呼吸を落ち着かせた。当然驚かれるだろうとは思っていたが、まさかここまで動揺するとはさすがに思わなかった。すまないことをしたと思う。
筒井さんはそっと一歩千紗に近づいた。
「あの、ち、千紗……さん? 先輩のことよろしくお願いします。あたしはただの後輩なんですけど、浮気とか絶対するタイプじゃないし、安心してください」
「……は、はい……」
「あっごめん! あたし何様!? 違うんです、あたしこういう大人の会話できなくて! マジ別に先輩とは先輩後輩なだけで友達でもなんでもないんで! 怪しまないでください!」
いや、そこまで言われると却って怪しいんだが!
筒井さんはドギマギしながらまた千紗から距離を置く。本当にこういうやりとりに慣れていないんだろう。俺だってそうだ。ご結婚おめでとうございます~とか、他にどう言えば失礼でないのかなんてわからない。
じゃ! と筒井さんは小さく会釈して、笑ってるような困ってるような微妙な表情を張り付けたまま背を向けて、人混みに紛れて去っていった。
……本当に、ちょっと悪いことをしてしまった。
そりゃあ驚くよな。俺だって急にこんなところで筒井さんに会って驚いたけどさ。大学の友達を見かけて声かけたら、実は結婚してたんだと奥さんを紹介されたらやっぱりどういう反応をしていいかわからないと思う。
先輩カップルが卒業後に結婚したって話は聞いたことあるけど、思えばちゃんと前振りというものがあったのだ。まあでもやっぱり大学とは関係ないところで知り合った人とつきあい始めたからってわざわざ報告するのも、やっぱりそんな筋合いないと思ってしまうのだが……。
俺やっぱり薄情なのかな……。
「……ごめん流、私もっとしっかりご挨拶しなきゃいけなかったのに、あの子にすごく気を遣わせちゃった……」
必死に反省していると千紗がもうしおしおに落ち込んだ声を出すので、俺は自分の体たらくが恥ずかしくて二人に申し訳なくなる。
「いや、俺の立ち振る舞いに問題があった……というか、普段の行いが悪かったんだよ。事前に報告しておくべきだったと思うし、今もちゃんと間に立つべきだったと思う」
大学の知人にはあまり自分の深い事情について話すつもりはなかった……のだが、それは俺の勝手な線引きである。まあ馬場なんかは本当に適当に遊ぶくらいのつきあいしかないからさておき、筒井さんは色々突っ込んで質問してくれていたのを散々はぐらかした上でのこの有様だから、言い逃れのしようもない。隠す気満々なのが伝わってしまったというのは、改めて考えると酷い。
「……もしかしたらこれから大学で噂になっちゃうかもしれないよね……そしたら居づらくなるでしょ……?」
「そんなことないよ。面白がって吹聴するようなタイプじゃないし、もしそうなっても悪いことをしてるわけじゃないんだから。むしろ報告する手間が省けてラッキーだよ」
これはちょっと嘘だが。もしそうなったらいちいち説明して回るのは骨が折れそうである。でも別にそれだけだ。学生結婚した奴は他にも噂に聞いたことがあるし。
……いや、まあ、自分からわざわざ報告はしないし、さっきも筒井さんに千紗を紹介しようとは思わなかったあたり、やっぱり俺もどこか恥ずかしがっているように思われても仕方がないのかとも思う。
……恥ずかしくはない。これは断言できる。しかしそう言っても俺の行動は千紗にそう思わせてしまうのだ。
「……どこまで言うの? 私が今何してる人なのか聞かれたら……困るでしょ……? ニートだし……」
「ニートじゃないよ、ちゃんと主婦業やってるじゃん」
「でも……お母さんいるし……、いいように言ってもそういう風に思われるもん。恥ずかしいよ……」
「大丈夫だから! 信じてくれ〜」
「わ、わ」
俯く千紗の肩を揺すって頭を上げさせる。
千紗は少し驚いた顔をして、すぐに苦笑した。
「ごめんごめん、……流が平気なら好きに言ってくれていいからさ」
「平気に決まってるだろ、恥ずかしくなんてないって。……もし話す機会があったら瞬くんの話はしていい?」
「もー、好きにしなよ~。大学でどんなこと喋るのかは私にはわからないことだし、話しやすいように話してよ」
千紗は呆れ気味である。
投げやりにも聞こえるが、たしかにその通りである。あくまでも千紗は俺の立場を心配して言ってくれているのだ。俺がいいならお好きにどうぞ、だろう。
まあでも、大丈夫だろうと思う。
みんなに話して回るなんてことはしないけど、それなりに気にかけてくれている友人には今度改めて報告しよう。それが義理ってやつなのかもしれない。軽蔑されたらそれはそれで、仕方ないと思える。
そう思馬少しだけ楽になった。
「……そろそろ瞬くんのとこ行こうか」
「……うん」
そろそろいい時間だろう。おもちゃ屋などのフロアに行けばすぐに会えるはずだ。
「筒井さん? 今時の子って感じだったね。オシャレで可愛くって」
「まあ、そうだね。ああいう子学校では多いよ」
「あ、同意するんだー。やっぱりああいう子がいいんだ」
「え。いや。それとこれとは全然話が……」
冗談ぽく千紗は笑うが内心冷や冷やである。
もちろん千紗がああいう格好をしたいというなら喜ぶけどさ!
ああでもあんまりオシャレに決まっているとこっちも緊張してしまうな。あれこれ考えていると千紗はもうそんなこと気にもしていないようにさっさと階段を下っていく。
早く早くというように両腕を振りながらこちらを見上げる。
「早く瞬に会いたーい!」
やっぱり素の千紗は気ぃ遣いのくせに結構マイペースなのだ。
高校時代から変わっていない。それを実感できたのが何よりの収穫である。
「してないけど」
ご名答であった。筒井さんは基本的に鋭いし、こちらに配慮して黙っておくということをしない。
面倒くさそうなので取り繕ったものの、内心びくびくとしていた。
……ああ、そういえば、家庭教師時代の記憶を思い出してみると、彼女の家はたしかにここからそう離れてはいなかった。
く、くそ~、駅の方はデートスポットになっていそうだから、わざわざファミリー層向けっぽい地元近くのこの場所を選んだのに……!
「超珍しくない? 先輩も遊びに出ることってあるんだ~」
「そ、そりゃあ俺だって息抜きくらいはするよ。じゃあ俺はこれで……」
「えっ! 誰かと来てんの? あ、こないだできたっていう彼女ー?」
「あ、いや、これはその……」
し、しまった! しっかり両手に二人分のカップを携えているのを見られていた。なんて目敏いんだ。探偵か?
どうしよう、大学の友達だとか言ってもし言及されたら、筒井さんは無駄に顔が広いからもし適当に上げた名前が知り合いだったら挨拶したいとか言われかねない。さすがに休日に家族と、なんて後輩に言うのは恥ずかしい。いや、間違ってないんだけど。
ここはやっぱり高校時代の友達というのが一番無難か……?
「すんごい動揺してんじゃん……」
ううっ! 全て筒抜けだ! 筒井さんだけに!
ぐるぐると頭の中を巡らせていたところで、ふと以前河合さんと歩いていたときに鉢合わせしたときのことを思い出す。あれは苦い記憶である。無駄に傷つけてしまった。下手な嘘はまた嫌な気持ちにさせるだけだろう。
そして千紗のことも考えた。もう公的にもどこをどうみても家族であるのに、何故他人の振りをしようとしたのか。そりゃあ、学校であれこれ余計なことを言われたくないという理由だけど……、それで関係を隠されるのって、やっぱり気分がいいものではないはずだ。俺がもし逆の立場ならめちゃくちゃ傷つく。千紗が自分から自分の存在を恥ずかしいもののような言い方をたまにするからって、俺までそんな行動をしてはいけないだろう。
「……うん、まあそんなところ」
「え!? マジ!? 会いたい会いたい!」
……まあ、そうなるよな……。
「か、勘弁してよ。第一、会ってどうするんだよ」
「えー別に怪しまれるようなこと言わないよ。そういう修羅場嫌いだもん。いーじゃん軽く挨拶したらすぐ退散するからさー。顔見たいだけ」
相変わらず押しが強い……! 忖度という言葉とは無縁の子である。比較すると千紗も河合さんもあんまり自分の意見を主張するタイプではないんだとしみじみ思う。
修羅場嫌いとは言うものの、この問答自体をおかしな誤解されやしないだろうかと心配になって、ゴミ箱にカップを捨てるついでにこっそりと千紗の座っている席をチェックする。
「……あれっ!?」
「え? 何?」
筒井さんが視界の端できょとんと首を傾げている。
い、いない……!?
俺たちがさっきまで座っていたベンチには誰もいなかった。
他の柱や自販機との配置を見ても、場所を勘違いしているということはない。すぐにあたりを見回すが、特にこちらに向かってくる姿もいなければ、違う方向へ向かう人の流れの中にも見あたらない。トイレはたしかこっち側にあるはずだし……まさか誘拐!? 小さいし、未成年にも見えるしありえなくはない。さすがに怪しい人に声かけられてついて行くわけはないだろうけど……。
「ち、千紗!?」
騒がしくならない程度に声をあげつつ慌てて駆け戻る。
「え、せ、先輩!?」
後ろから筒井さんがついてくるのがわかるが構っていられる余裕はない。
あっという間に元のベンチに戻ってくるが、やはりいない。等間隔に同じ色違いのベンチが並べられているが、それらに座っている人の位置関係は変わらないままだ。もちろんどのベンチにもいない。
奥に進めば階段はあるけど、人の行き交いの気配はない。降りたのか登ったのかも当然わかるわけはないし。
もしかして俺が行って戻った流れとは逆方向に通路を進んで入れ違いになったんだろうか。ざっと見回すが、やはりそれらしい姿は見えない。
スマホの画面を確認して、電話するか悩みながらぐるりともう一度見回す。それから通行人の邪魔になりかねないと気付いて壁際に寄ってフロア全体を見る。筒井さんが心配げな顔でついてきていた。一瞬目があう。さすがに連れの姿が見えないという状況は伝わっているはずである。しかし説明したところで、と思い「トイレに行ったのかな」なんて誤魔化した。しかし「トイレぇ?」と納得してない顔である。
元々座っていたベンチのそばから先ほどまでいたゴミ箱の位置を確認する。うん。丸見えだ。会話はさすがに聞こえないが、声を張れば届くだろう。どこかに勝手に行くとすればメールだってできるし、というかただゴミを捨てに行っただけなのだから、置いてどこかにいくと言うことはないだろう。トイレに行くんだって、追いかけてきて声をかけることだって惜しむほどの手間じゃない。
……あー、でも千紗、結構何も言わずに興味を持ったお店の前で立ち止まったりということはしていた。高校時代もそういうところはあったかもしれない。もしかして何かに興味を惹かれて近くの店に入っているんだろうか。ああでもこのフロアはフードコートと飲食店しかない。それに店があるエリアはやっぱりゴミ箱のある方面だし……。
口元をなぞる。焦りすぎなような気もして落ち着きたかったからだ。もしかして大げさなんだろうか。これが瞬くんなら大事件だが、相手は大人だし。スマホで電話をかけつつ吹き抜けを中心にもう一度大回りして歩き始める。
……と、エスカレーターのそばにある大きめの柱に小さな影を見つけた。
小さく身を屈めて、明後日の方の様子を伺うように身を潜めているような格好の背中が、こちらに丸見えになっていた。
はあ、と息をつく。
「……千紗、何してんの?」
「あっ」
慌てて振り向いた顔が、みるみる赤くなっていた。
もしかして、俺の動きを見つつ柱を中心にちょうど死角になるように移動して隠れていたんだろうか。そんなことをされては見つからないはずである。
ゆっくり立ち上がった千紗はもじもじとするように肩にかけている鞄のベルトをいじっている。バツの悪そうな顔だった。
「……もしかして、隠れて驚かせようとしてたの?」
千紗は気まずそうに視線をうろつかせたあと、へへ、と誤魔化すように笑った。
……そうか……まあ、そういうじゃれあいみたいなことを世のカップルだとかはするのかもしれない。俺はちょっと肝が冷えたし悪趣味だと思うのだが……それは過剰反応だったのか。
「全く、心配したよ」
「ご……ごめんなさい……」
千紗は本当に申し訳なさそうに小さくなっていた。ただのドッキリみたいな軽いつもりだったのに、あてが外れたんだとしたらなんだかこっちも申し訳なくなる。
「あ、よかったー、見つかったんだ」
筒井さんが後ろから姿を表した。彼女はいらない心配に巻き込んでしまった。まあ、こうなっては仕方ないかと腹をくくる。
「ごめん、ちょっと俺が早とちりしてしまって。千紗、彼女は大学の後輩の筒井さんだよ」
千紗は少し緊張したような面もちで筒井さんに向き直ると「はじめまして……」とお辞儀した。昔の千紗は初対面でも人なつっこく元気に話しかけていたが……やはり俺の知り合いということで遠慮しているのだろうか。だいぶ大人しい印象だった。
千紗のことを紹介しようと筒井さんに目を向けると、彼女は千紗を頭からつまさきまで見て、ぱちぱちと瞬きをした。値踏みするような不躾な態度に少しむっとする。
「もしかしてあたしがいたから隠れたの?」
「えっ?」
初対面だというのにタメ口で、しかしそれよりも内容が気になった。思わず千紗の顔を見ると気まずそうに視線を落としている。あ、あれ? これは肯定ということだろうか。
否定するのは簡単である。それにもし筒井さんの言った通りであっても、その通りですなんて言っては気分を害するに決まっている。千紗はそういうとき取り繕うのがうまいタイプのはずだ。
筒井さんは腕を組んで悩むように斜め上を見た。
俺がうまくこの場を取り持たなくては行けないのに、なんとか状況についていくのに必死でまったく口が回らない。
「ち、違うよね。ちょっと驚かせようと思って隠れて出てくるタイミング逃しちゃっただけだろ?」
千紗はこちらを見上げるが、そうだよとは言わない。おかしい。いつもならもし全然意図と違っていてもこの場は合わせてくれるはずなのに。
「……お友達に見られたら……恥ずかしいかなって……」
「あ、やっぱり~? だと思ったー」
控えめな千紗の呟くような声に筒井さんは即座に同調した。
俺は二人の表情を交互に見る。
「……えっほんとに? 恥ずかしいって……なんで?」
「ご、ごめん……だって私、全然オシャレじゃないし……野暮ったいから……」
「えっ全然じゃーん、めちゃくちゃオシャレ決まってたら先輩と釣り合わないし」
それは全く褒めてないしフォローにもなっていない。
千紗は肩を竦めてまたごめんねと謝った。しかし筒井さんの喋りに気が抜けたのか、ちょっとだけほっとしたように笑う。
俺はどういう反応するのが正解なのかわからず、二人の間でちらちらと様子を伺うのみである。どうしよう、なぜだか気まずい。なんというか、己の男としての至らなさというものが丸出しになっている気がする。
「どうもー筒井凛子です。先輩の一個下でお世話になってます」
「あ、ご、ご丁寧にどうも……」
千紗がこちらに目を向ける。
あ、そ、そうだ。千紗を紹介しないと。ええと、どこから説明したものか、と言葉を選んでいるとこちらを待たずに千紗が口を開いた。
「ま、間宮千紗です……」
「えっ?」
「ん?」
尻すぼみな千紗の自己紹介に耳を疑ってしまった。すぐに俺の声に筒井さんが反応する。
なんてなってない挨拶なんだ! 名前も関係性もまるで説明できてないじゃないか! 瞬くんだって上手にできるのに!
と頭に巡った後、あっと自分のミスに気付いた。桐谷千紗と名乗ればそのまま関係がバレてしまうではないか。さすがに同じ苗字の恋人だというのは苦しい言い訳である。夫婦であることを隠すなら前の名前を名乗るしかない。
千紗はそういう風に気を回したのだろうとわかった。が、しかし、俺は首を振る。その作戦は却下だ。下手な嘘をついて苦しむのは結局自分なのだと俺はよく知っているのだ。
「違うでしょ。こちらは妻の千紗だよ。この前入籍したんだ。だから間宮じゃなくて桐谷千紗」
「あ……」
千紗の両肩にそっと手を置いてそう紹介すると、俯いた千紗のほっぺたが赤くなるのがわかった。
その向こうで筒井さんが言葉を失って口をあんぐり開けてこっちを見ていた。
まあ……そのくらいの反応は覚悟してたさ。
「は? なっ、うぇ……だっ…………えっ!? 聞いてないんだけど!?」
「う、うん……言ってもあれだよ、入籍したのは先月の話だし」
「違うじゃん! 結婚するほど進んでる彼女いるなんて……いやっえ!? ええ~!? なんで~!? 学生結婚!?」
「ど、どうどう……」
さすがにそう騒がれると周りからの視線が痛い。
声のトーンは落としたものの、それでも尚一人で驚愕の顔を浮かべ続けている。
「え……大学生……ですか?」
何故か敬語になって恐る恐る千紗に尋ねる。千紗は慌てたようにふるふると首を振るだけだ。答えづらい質問である。
「……ごめん、詳しい話はまた今度。待ち合わせしてるから俺たち行くよ」
「えっ嘘ー!」
千紗をちょっとだけ引き寄せて急いでいる風を装う。すると千紗が俺の服を引っ張って抵抗した。
「もっとちゃんと報告してあげなよ。私先行ってるよ?」
「え。いや。い、いいよね筒井さん、別に今じゃなくても」
「あ! ごめんなさいあたし、超邪魔してるじゃん! お構いなく!」
筒井さんは手をぶんぶん振って遠慮してくれる。押しは強いがこういうところはちゃんと気が利くようである。
修羅場が嫌いだというのは本気らしい。
一人慌てた様子の筒井さんは目を閉じて深く息をついて呼吸を落ち着かせた。当然驚かれるだろうとは思っていたが、まさかここまで動揺するとはさすがに思わなかった。すまないことをしたと思う。
筒井さんはそっと一歩千紗に近づいた。
「あの、ち、千紗……さん? 先輩のことよろしくお願いします。あたしはただの後輩なんですけど、浮気とか絶対するタイプじゃないし、安心してください」
「……は、はい……」
「あっごめん! あたし何様!? 違うんです、あたしこういう大人の会話できなくて! マジ別に先輩とは先輩後輩なだけで友達でもなんでもないんで! 怪しまないでください!」
いや、そこまで言われると却って怪しいんだが!
筒井さんはドギマギしながらまた千紗から距離を置く。本当にこういうやりとりに慣れていないんだろう。俺だってそうだ。ご結婚おめでとうございます~とか、他にどう言えば失礼でないのかなんてわからない。
じゃ! と筒井さんは小さく会釈して、笑ってるような困ってるような微妙な表情を張り付けたまま背を向けて、人混みに紛れて去っていった。
……本当に、ちょっと悪いことをしてしまった。
そりゃあ驚くよな。俺だって急にこんなところで筒井さんに会って驚いたけどさ。大学の友達を見かけて声かけたら、実は結婚してたんだと奥さんを紹介されたらやっぱりどういう反応をしていいかわからないと思う。
先輩カップルが卒業後に結婚したって話は聞いたことあるけど、思えばちゃんと前振りというものがあったのだ。まあでもやっぱり大学とは関係ないところで知り合った人とつきあい始めたからってわざわざ報告するのも、やっぱりそんな筋合いないと思ってしまうのだが……。
俺やっぱり薄情なのかな……。
「……ごめん流、私もっとしっかりご挨拶しなきゃいけなかったのに、あの子にすごく気を遣わせちゃった……」
必死に反省していると千紗がもうしおしおに落ち込んだ声を出すので、俺は自分の体たらくが恥ずかしくて二人に申し訳なくなる。
「いや、俺の立ち振る舞いに問題があった……というか、普段の行いが悪かったんだよ。事前に報告しておくべきだったと思うし、今もちゃんと間に立つべきだったと思う」
大学の知人にはあまり自分の深い事情について話すつもりはなかった……のだが、それは俺の勝手な線引きである。まあ馬場なんかは本当に適当に遊ぶくらいのつきあいしかないからさておき、筒井さんは色々突っ込んで質問してくれていたのを散々はぐらかした上でのこの有様だから、言い逃れのしようもない。隠す気満々なのが伝わってしまったというのは、改めて考えると酷い。
「……もしかしたらこれから大学で噂になっちゃうかもしれないよね……そしたら居づらくなるでしょ……?」
「そんなことないよ。面白がって吹聴するようなタイプじゃないし、もしそうなっても悪いことをしてるわけじゃないんだから。むしろ報告する手間が省けてラッキーだよ」
これはちょっと嘘だが。もしそうなったらいちいち説明して回るのは骨が折れそうである。でも別にそれだけだ。学生結婚した奴は他にも噂に聞いたことがあるし。
……いや、まあ、自分からわざわざ報告はしないし、さっきも筒井さんに千紗を紹介しようとは思わなかったあたり、やっぱり俺もどこか恥ずかしがっているように思われても仕方がないのかとも思う。
……恥ずかしくはない。これは断言できる。しかしそう言っても俺の行動は千紗にそう思わせてしまうのだ。
「……どこまで言うの? 私が今何してる人なのか聞かれたら……困るでしょ……? ニートだし……」
「ニートじゃないよ、ちゃんと主婦業やってるじゃん」
「でも……お母さんいるし……、いいように言ってもそういう風に思われるもん。恥ずかしいよ……」
「大丈夫だから! 信じてくれ〜」
「わ、わ」
俯く千紗の肩を揺すって頭を上げさせる。
千紗は少し驚いた顔をして、すぐに苦笑した。
「ごめんごめん、……流が平気なら好きに言ってくれていいからさ」
「平気に決まってるだろ、恥ずかしくなんてないって。……もし話す機会があったら瞬くんの話はしていい?」
「もー、好きにしなよ~。大学でどんなこと喋るのかは私にはわからないことだし、話しやすいように話してよ」
千紗は呆れ気味である。
投げやりにも聞こえるが、たしかにその通りである。あくまでも千紗は俺の立場を心配して言ってくれているのだ。俺がいいならお好きにどうぞ、だろう。
まあでも、大丈夫だろうと思う。
みんなに話して回るなんてことはしないけど、それなりに気にかけてくれている友人には今度改めて報告しよう。それが義理ってやつなのかもしれない。軽蔑されたらそれはそれで、仕方ないと思える。
そう思馬少しだけ楽になった。
「……そろそろ瞬くんのとこ行こうか」
「……うん」
そろそろいい時間だろう。おもちゃ屋などのフロアに行けばすぐに会えるはずだ。
「筒井さん? 今時の子って感じだったね。オシャレで可愛くって」
「まあ、そうだね。ああいう子学校では多いよ」
「あ、同意するんだー。やっぱりああいう子がいいんだ」
「え。いや。それとこれとは全然話が……」
冗談ぽく千紗は笑うが内心冷や冷やである。
もちろん千紗がああいう格好をしたいというなら喜ぶけどさ!
ああでもあんまりオシャレに決まっているとこっちも緊張してしまうな。あれこれ考えていると千紗はもうそんなこと気にもしていないようにさっさと階段を下っていく。
早く早くというように両腕を振りながらこちらを見上げる。
「早く瞬に会いたーい!」
やっぱり素の千紗は気ぃ遣いのくせに結構マイペースなのだ。
高校時代から変わっていない。それを実感できたのが何よりの収穫である。