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16章

 瞬くんの誕生日は盛大に執り行われた。
 まあ、実際サプライズで飾り付けの準備をしようにも瞬くんは一日中家にいるし、遠出をさせたらパーティーするまでもなく疲れて寝てしまいそうだし、近所の公園に連れ出すくらいしか時間稼ぎができなかった。風船をいくつか膨らませて、あとは料理とケーキ、それからプレゼントで勝負だった。
 料理といっても瞬くんの好物はちくわときゅうりまるごとと、オムライスなので、パーティーかといわれると謎だが……。しかし瞬くんは大喜びだった。
 ケーキはすごかった。俺が瞬くんと遊んでいる間に千紗と母が協力してねこちゃんまんの形を模したケーキを制作したのだ。何故か瞬くんはねこちゃんまんがかなりのお気に入りで、毎晩のように即興おとぎ話をせがまれるのである。しかもケーキで作られたのは最新エピソードのねこちゃんまんの母が命を賭して作り上げた聖なる剣を手にした姿だ。デザイン案は俺である。剣の柄の意匠はどのようになっているのか、鞘はどうかと事細かに聞き出されるのは非常に恥ずかしい作業であった。
 プレゼントは俺と千紗からは自転車、もちろん補助輪付きだ。数日前からああでもないこうでもないと相談して決めたものである。
 ただ盲点だったのだが、家の前で遊ばせると、もし坂道に踏み入れてしまうと非常に危ないということだった。坂の下のガレージに置くことになり、たまに遊びに行くときしか持ち出せないのが残念だ。折角広い敷地があるのに……。
 うちの両親からは子供用のDIYを体験できるような工具セットのおもちゃ、それから河合さんから預かっていたプレゼントはアニメ映画のDVDセットだった。なんと豪華な誕生日なんだろう。
 そして千紗がかつてお世話になっていた老夫婦や義母からも荷物が届いた。洋服と図鑑だった。あらかじめ住所を教えてもいいか聞かれていたので連絡をとっていることは知っていたが、そのうち挨拶に行きたいものである。千紗から電話を借りて挨拶をしたのだが、なんだかこういうのって大人のやりとりみたいでくすぐったい。
 大人たちの努力の甲斐あって、瞬くんは大変ご満悦だった。
 そしてなにより四歳となったことを誇りに感じているようだった。彼の中で三歳は赤ちゃん、四歳はお兄さんらしい。

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 そうして大学最後の夏休みが終わり、大学がはじまった。
 バイトの日数もやや増え、面接なんかにもいくようになっていたがこれからは大学に通いつつだ。自然と家にいる時間はさらに減ってしまうのが悲しくて寂しくてしょうがなかった。大学だけ、バイトだけなら耐えられる。でも両方となると……。しかし、時間には限りがあるのだ。大学を好きに利用できるのもあと半年。学費だって払ってる。それを寂しいからと無駄にするのはもったいないし親にも悪い。ちゃんと活かさなくては。
 ……しかしなんだかものすごく久しぶりな気分だ。今年の夏は色々ありすぎた。 ……いや、今までの夏がなにもなさすぎたのか。
 バイトの斡旋や進路変更のおかげで大学にはちょくちょく顔は出してたけどさ。友人たちの近況はSNSでチェックしていたものの、まるで別世界かのように感じていた。

 まあ大学生活に関してはいまさら特筆すべきことはない。
 ただやっぱり前ほど入り浸るということはなく、馬場には最近そそくさと帰ってるな? と言い当てられるほどである。
 しかしバイトが長引くと帰るのはすっかり夜である。瞬くんが起きている時間に帰れるのだからまだ恵まれているのだが、もし就職して帰宅が十時とかになったら休みの日以外まともに瞬くんに関われないじゃないか。そんなの耐えられる自信がない……。
 夏休み中はバイトや就活で出かけることはあっても数時間ほどであり、それ以外はほぼ一日中べったりだった。おかげですっかりロスである。それは瞬くんも同じらしく、最近は自分から一緒にお風呂に入りたがってくれるようになったので、これはこれで嬉しいけどな。
 そしてありがたいことに先に瞬くんが出て、千紗が体を拭いて着替えさせてくれるようになった。しっかりリラックスしたあと、上がって瞬くんの遊びに付き合いつつ寝かし付けというスケジュールだ。
 瞬くんが寝た後、課題を片づけつつ千紗と一緒の時間を過ごす。
 もう課題に追われるというほどの量はない。テレビを見ながらや話を聞きながらでもまあなんとかなる。

「私も勉強しよっと」
「お、どう? 古くないかな?」
「全然! 中学の時のでしょ? 誤差じゃんそんなの」
「そうかなあ……」

 千紗は参考書とノートをテーブルの上に並べた。俺がかつて使っていた参考書だ。
 高卒認定の試験を受けるのである。試験は11月にある。
 千紗はパートなりなんなり働きたいと言っていたのだが、まずは試験に合格してからでよいのでは、ということになったのだ。高卒資格が得られるわけではないが、選択肢の幅は広がるし。あまり学習意欲はないようだが大学や専門学校にも通えるようになるのは良いことだろう。
 そのあと、一段落ついたら前から気になっているらしい動物関係の資格を通信教育で取得したいと目論んでいるようだ。
 こうして、将来のことを話す姿を見ると嬉しくなる。
 さっそく基礎の問題に挑んでいるようだ。

「でも一度高校には通ってたんだし、それほど難しくはないでしょ。確か高1までの範囲でしょ?」
「うーん……そうなんだけど……、もう公式とかは全部抜けてるよ。暗記系もさっぱり……。あれ、この記号ってどういう意味だっけ」
「……えーとね……」

 横から本を覗き込む。うん、このくらいなら教えられるな。

「先生いるから楽勝かもー」

 珍しく素直に頼られていてくすぐったい。話題作りにもなるし、最高じゃないか!
 あれ……なんだか好きな子と話すきっかけを見つけた中学生とやってること変わらなくないか……?

「すごいなあ、こういうの、子供に教えてあげられるもんね。私はその頃になったら多分また忘れちゃってると思うもん」
「ああー……まあ、好きで勉強したから忘れないのかもね。数少ない得意分野だし」

 そんなことないでしょー、と千紗は笑った。
 元々千紗は要領がいい。少し教えればさくさくと勘を取り戻したようである。ただ文系は苦手らしい。まあ、実際の試験はマークシートのようだから、なんとかなるレベルだと思うが……。
 数ページ進んだところで、休憩しよーと体を伸ばす。

「あっ今すごい、懐かしい感じ。試験勉強一緒にしたとき思い出したかも」
「ああ、そうだね。千紗はすぐ集中力切らしてたもんね」
「へへ……」

 今は他に興味を向けられそうな漫画などは手元にないので大人しくしているが。
 ……そう考えてみると、千紗のものというものがこの家にはまだ殆どない。日用品だけだ。本も興味ないようだし、スマホはあんまりいじらない主義のようだ。

「漫画とかゲームとか、何か息抜きになるもの買っても良いんだよ?」
「えっ? いやあ、いいよ。もう全然ついてけないし」

 ぶんぶんと手を振って遠慮をする。
 まあ……収入もない状態でそんな贅沢したくはないだろうけど……。
 我が家でできることと言えば、テレビ鑑賞、読書、ピアノ、ガーデニング……くらいである。母は手芸とかやってるみたいだけど。千紗の趣味にはどれも合いそうにない。
 昔はあんな多趣味だったのにだ。

「そうは言っても、息抜きになるものはあったほうがよくない? 何か気になるものがあったら教えてよ、今すぐじゃなくてもさ」
「う、うーん。うーん。……わかった。考えてみる」

 千紗の現在の行動範囲は非常に狭い。いつでも瞬くんの面倒は母や俺に任せて外出なども気軽にしていいと伝えているのだが、今の所一人で外出した気配はない。母と瞬くんと一緒に買物なんかには行ったみたいだけど。テレビだって、夕方子供向け番組やアニメを流すだけで、たまに夜の二人の時間にバラエティを見てみる程度だ。
 情報を手に入れる機会が非常に少ないのである。
 いや、手段がないわけではないのだ。テレビは自由につけていいし、スマホだって誰も制限してない。外にも出れる。しかし千紗は一切そんな行動を取ろうとしない。
 昔は好奇心旺盛で活動的だった。あちこちに顔を出して一体どうやれば繋がりができるのか、というような交友関係を築いていた。
 おそらくこれは数年間自由な行動を制限されたせいではないかと思うのだが……、主体性とか、能動的に行動するということをまったくしなくなっている。
 時間が経てば元に戻るものなのだろうか……。
 無理してすぐになんとかしなければいけないことではない。やる気が出ない相手に意欲的になれというのは暴力的だ。しかし元の性格を知っているから、無理しているのでは……と気になってしまうのだ。

「わ、英語多いねー、ひとっつもわかんないや」

 俺の心配も知らず、千紗は俺の課題を覗き見てあんぐりと口を開けていた。その顔が瞬くんによく似ていて面白い。

「まあね。見直したでしょ」
「恐れ入ったよ~」
「本心で思ってないだろ」

 そんなことないけどー、と言いながらも千紗はくすくすと笑った。
 やっぱり瞬くんによく似ている。いや、瞬くんが千紗の真似をしてるんだろうけど。
 うん、そうだ、瞬くんだ。瞬くんには色々な体験をさせてあげたい。本人が興味を持てばだけど。俺と違って体も元気そうだし……。
 そして瞬くんがあれこれ興味を持てば、俺や千紗も見て見ぬ振りはできない。そうするうちに千紗の琴線に触れるものも現れるかもしれないじゃないか。うん、その方が押し付けがましくないし、きっといい。まるで瞬くんをだしにしているかのようだけどさ。
 そのためには俺が動かなくては。瞬くんは色んな事に興味を持つ子だが、瞬くんにはまだ情報収集能力なんてないし。

「なんか難しいこと考えてる」
「えっ? い、いや、そんなことないけど」

 ぴんと顔を指さされた。えっ。そんなに顔に出てただろうか。

「まあ、流が考えるの好きなのは元からだけどね」
「ご、ごめん、千紗のこと考えてたんだよ」
「うげっ」

 完全なる事実を述べただけなのだが、甘い言葉でお茶を濁そうとしたと思われたんだろうか。千紗はこういうことを言うとものすごく嫌がる。冗談っぽい顔なので傷つきはしないけど。
 冗談でもこういう反応をしてくれるようになったのは、最近のことである。少し前、再会してすぐのことはもっと他人行儀だったからな。
 だから嬉しくてにやにやしてしまったのだが、そうすると千紗は唇を尖らせて、じっとりした目をこちらに向けた。

「そうやってお父さんみたいな目でみるのやめてよね」
「え? どういう目?」

 うちの父みたいな目ってことか? それとも立場上の父を指しているのだろうか。

「なんか……微笑ましいものを見る目。小さい子が何か言ってるなーみたいな感じで……そりゃあ私は人生経験もないけどさ」
「えっごめんごめん、そんなつもりはないよ!」
「そうかなあ……」

 と言いつつ、内心ぎくりとしていた。
 たしかに、過ぎた心配はお互いの関係性に影響が出るのかもしれない。俺は人の成長を見守るほどできた人間ではないというのに。
 千紗の一挙手一投足を気にして、心配して、頭を悩まして気を配ろうというのは、出過ぎた真似……なのかもしれない。それこそ親子じゃないんだ。
 そんなこと全く考えてもいなかったのに、千紗に言われるとぴたりと当てられたような気分になった。いや、自覚ないだけ質が悪いのか。反省である。

「……ごめん。見下してるわけではないんだよ。でもこれじゃ信頼してないみたいだね」

 謝ると、今度は困ったように眉尻を下げた。よくする顔だった。

「ううん。頼りないのはほんとだもん。でも……うんと……あんまり先回りして考えてくれなくても……いいかな、って」
「はい……」

 肝に銘じよう……。ちょっと、俺が千紗の立場だったら嫌だな、と思ってしまった。親に今でもそんなふうに扱われたら、むっとしてしまうかもしれない。それが対等な立場の相手だったら、あんま舐めるなと言いたくなってしまうだろう。
 千紗は笑って、空気を切り替えるように両手を軽く合わせた。

「よし、休憩終わり」
「まだ頑張る?」
「うん。せっかくだから首席で合格狙っちゃおうかな。昔は嫌々だったけど、久しぶりにやってみると面白いしね」
「お。やる気満々じゃん」

 先生もいるしね、と千紗は茶化すように笑った。
 まったりと課題を進めていく、その空気が心地よかった。
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