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16章

 というわけで河合さんに連絡して、またお店の定休日に三人で遊びに行くこととなった。
 それまでの間、千紗の持っていた荷物を客間に運び込み、家具の配置も見直して三人の部屋となるように模様替えを行った。元々置いてあったベッドも三人で使うには狭いし邪魔なだけなので片付けた。おかげで随分広々と使えるようになった。タンスとか、机とか置いてもいいな。瞬くんお気に入りの本を置くための本棚も欲しいところだ。まあこの辺はもう少し余裕ができてから……。
 俺の部屋はとりあえずそのまま。もしこのまま何年も住み続けることになったら、そのうち瞬くんの部屋も必要になるだろうし、そうすればそのまま俺の部屋を開け渡せばちょうどいい具合だろうな。
 うむ。いい感じだ。少しずつ環境が整っている。

 日曜日、河合さんの元へ向かうため三人でおでかけである。今回は車じゃなくてバスだ。河合さんのお店の目の前がバス停なので、わざわざコインパーキング探すより都合がいいんだよな。
 家の前の坂を三人で下りながら、千紗が明るい声で瞬くんに声をかけた。

「瞬さっき何してたの?」
「えーなにもしてないけど?」
「嘘ー、なんか裏庭でごそごそしてたでしょ。ママにも見せてよ~」
「や~だ~パパ~」
「あ、こういうときだけパパのとこ隠れて」

 瞬くんは助けを求めるように俺に引っ付いた。
 なんとなく出かける前の様子から瞬くんがやらんとしていることは察せられたので、俺はあまり無粋に突っ込みはしない。ママの追撃から庇ってやる。
 瞬くんと一緒に歩くと、ちょっとした道でも時間がかかる。花やら枝やらひとつずつに挨拶していくように立ち止まるからだ。
 そこから大通りに出てバス停にたどり着く頃には、本来であればとっくに河合さん宅に到着している時間になっていた。まあ、細かい時間の約束はしていなかったから、いいんだけどさ。

「あーっ! おはなげんきなくなっちゃったけど……」
「ほんとだ、ぎゅーって握ってたからしなしなだねえ。帰ってお水あげたら元気になるかもよ。ママ持ってようか」
「えー? ……えー……?」

 瞬くんは悩んでいる。

「多分瞬くん自分で持ってたいんだよね。大丈夫だよ、もっと優しい手で持ってあげようね」
「こう?」
「そうそう、落とさないようにね」

 瞬くんは手を小さな輪っかにして握りしめていた花を大事そうに体の前で持つ。千紗は不思議そうに笑ったあと、すぐにバスがやってきたので瞬くんの誘導に移った。

---

「久しぶりに来たわね」

 河合さんはいつもとまったく変わりなく、店の主人としてレジに座っていた。でもお仕事モードじゃないからか、いつもつけているエプロンはしていない。外に出るつもりもないのか、Tシャツに短パンというやる気のない私服姿である。適当すぎるだろ。

「ごめんちょっと遅くなったかも」
「いいわよ、本読んで待ってたから」

 手に持っていた本を閉じて机に置くと、さあどうぞ、と奥の座敷へ案内してくれる。河合さんは話が早いのだ。
 瞬くんは千紗の後ろに隠れてしまった。千紗は腰にしがみつかれて歩きづらそうにしている。

「ごめん、久しぶりだから照れちゃってるみたい……」
「河合さんも照れてるよね」
「照れてないわよ。距離感がわからなくなってるだけ」

 淡々としているが、俺にはわかるぞ。長い付き合いだからな。
 あらかじめ俺たちの座布団を敷いて準備してくれていたらしい。

「まったく。わたしは変わらない日常を過ごしていたのに、随分な進展っぷりじゃない」
「ご、ごめん、色々あって……」

 妬ましげな目を向けられる。が、小さいうさぎに睨まれているようなもんだ。
 しかし、そうだよな……、河合さんは俺たちが訪問しない限りは一人なのだ。和泉と電話をするだけで、一人過ごしているわけだ。
 もちろん本人が好き好んでそういった生活を送っているわけだが、でも俺たちと顔を合わせるのは楽しんでくれているらしいし、そう思うと俺たちだけで仲睦まじくすごして河合さんそっちのけというのは寂しい。河合さんが平気だと言っても俺が寂しい。元々高校時代は四人セットだったんだから。
 ……しかし、これが千紗でなくて普通の彼女だのお嫁さんだのだったら、こんなの許されないよなあ……彼氏や旦那が女友達と会いたがるなんて。逆だったらやっぱり不安に思うだろうし。でも友達付き合いをやめろって言われてもそれも嫌だし。
 とにかく河合さんは慣れた様子でジュースやなんかを用意してくれた。俺たちもあらかじめ買っていた手土産をみんなでつつけるように机に出す。
 お茶の準備が整ったところで、相変わらず千紗にひっつくようにしている瞬くんに声をかけた。

「瞬くん、恥ずかしがってないで行ってごらん」
「?」

 千紗はあまり見えていないのか、首を傾げて瞬くんを見下ろしている。
 瞬くんは照れ隠しなのかえへえへと笑いながら千紗の背中から顔を覗かせた。
 それからもじもじとしながらそっと立ち上がって、テーブルの横をすり足で歩いて河合さんのそばに寄る。

「これあげるー」

 と、差し出したのは出かける前に摘んでずっと握っていた花だ。

「え、あ、ありがとう……」

 河合さんは相変わらずの淡泊な声だが、さすがに長年の付き合いだ。少し驚いているのはわかった。多分もうすぐ、咄嗟に笑顔を出せなかったことを悔やむ顔に変わるだろう。よくわかる。
 瞬くんは恥ずかしそうに走ってまた千紗の後ろに戻って、べったりと背中に張り付いた。

「へえ~、河合さんへのプレゼントだったんだあ。どうしたの瞬~かっこいいじゃ~ん」

 ママに茶化されても瞬くんは聞こえているのかいないのか千紗の背中にぐりぐりと顔を押しつけるだけである。
 河合さんはすぐに立ち上がり、棚からグラスを出してその中に水を張って花を生けた。それをどこに置くか考えるように辺りを見回して、結局ちゃぶ台の真ん中に配置した。
 そして元の場所に戻ると、苦々しい顔をする。

「わたしの『ありがとう』って全然ありがたみを表現できないのよね。ごめんなさい、もっと上手にリアクションしたいんだけど」
「河合さんがそういうの苦手なのわかってるから。この子も多分気にしないよ。ねっ、瞬、お花飾ってくれたよ〜」

 河合さんにいいリアクションをとれっていうのはとても欲どうしいことなのだ。無い物ねだりはよくない。

「それにしてもパパ、よく瞬が河合さんにお花渡したがってるって気付いたねえ」
「男心はそりゃあ俺だってわかるよ」

 あ、しまった。それをいったら千紗だってわかるはずなのに。ちょっと無神経なことを言ってしまった。案の定千紗は何か文句を言いたげだ。瞬くんの手前、元男ネタは出せないのである。
 しかし瞬くんがこそこそと持ってきたテディベアで千紗にごっこ遊びをしかけはじめたので難を逃れた。

「いつの間にパパって解禁するようになったのかしら?」
「あ、そうだった……まだ報告してなかったね」

 というわけで、瞬くんの手前はっきりとした言葉で説明はできなかったが、メールでし損ねていた報告をざっくりと伝えた。

「あら、まあ。じゃあ式なんかもあげるのかしら」
「それは……特に考えてないけど……。まだ本決まりってわけじゃないしね」
「でもうまく事が運べばそういう話も出るんじゃないの? わたし一度結婚式出てみたいんだけど。あなたたちがやらなければわたしの参加は絶望的じゃない?」

 まあ、たしかに、俺たち以外招待されるような友人いないもんな……河合さん……。和泉はああだし。
 なんとなく千紗と顔を見合わせる。女性の夢とは聞くが、千紗の場合そういうのに憧れを抱くことはなさそうだし……。でもやりたいというなら一生に一度なんだからやるべきだろう。……千紗は二度目だけど。式はやってないし!

「私は必要ないと思う……けど、流は披露宴とかってやった方がいいんじゃないかな。親戚とか知り合いの人とかたくさんいるでしょ?」
「あー……そういうもん……?」

 たくさんっていっても大した人脈などないのだが……親戚だって名前を知っているような親密な相手はいないし。
 これが和泉だったら盛大なパーティーを開くのも似合うことだろう。

「でもさすがに結婚相手に親も知り合いも全然いないっていうのは恥ずかしいよね……。むしろやらない方がいいのかも。あまり知らない人に変なこと言われても嫌でしょ」
「ええ……? そんなことないよ」

 最適解がわからず、河合さんに視線を向ける。
 河合さんも首を振るだけだ。俺たちはそういった行事にとことん疎い人間なのだ。
 第一、まだ友達が結婚するという話も聞くことがないし。小さい頃一度だけ母の知り合いだか親戚だかの式に出たことがあるものの……実際そのくらいしか縁のないイベントである。夢もクソもない。
 お金がかかるんだろうなあという知識しかない。

「やるなら小さなチャペルでほんとに身内だけでやりましょうよ。わたしてんとう虫のサンバ歌ってあげる」
「気が早いって。なんにせよ、まずは働き口を見つけないとだからね」

 今からこんなことを考えては皮算用ですらない。

「就職活動は大丈夫そうなの? わたしはよくわからないんだけど」
「あ、うん。来週面接行くし。多分一般企業を目指す就活とは全然違うと思うよ。何十社も受けるとか聞くけど、そもそもそんな母数ないし」
「へえー!」

 元気に相槌をいれたのは瞬くんだ。
 絶対話の内容は理解していないのにやっぱり退屈になったのか、無理矢理加わってきたようだ。

「瞬、今の大人の話わかった?」
「パパがらいしゅうー……いくんでしょ? かいしゃ」
「そうそう! お仕事させてくれませんかーって挨拶にいくんだよ」
「……パパせんせいじゃないの?」

 あっ痛いとこ突かれた。
 そ、そうなんだよな……。お父さん今働いてないの、なんてなかなかないもんな……。
 お母さんもお父さんも働いてないんですよ……。そう考えると相当なぬるま湯に浸からせて貰っているな。

「あれはね、先生になるためにお勉強してたところだったんだよ。まだパパは見習いなんだ」
「みらない?」
「う、うん、えーっと、もうすぐ先生になれるよーっていう人のこと」

 く、苦しい……! 実際正々堂々先生と呼ばれる立場になるには数年かかるし、そもそも俺はまだきちんと就職できる確証はないのだ。
 いくらなんでも息子に打ち明けるのは情けなさすぎる。
 こ、これからは死にものぐるいで働くから……多めにみてくれないだろうか……。

「まあ桐谷ならどうせなんとかうまいことやるわよ。エリート顔してるもの」
「あ、ありがとう……?」
「私も瞬が慣れてきたらパートとかするつもりだからさ、焦らなくていいからね」

 う、嬉しい……。決して苦労はさせたくないが、支えてくれるつもりがあると知れるのは単純に嬉しい。
 就職できなければ、こんなろくでなしに付き合ってはられないと瞬くんを連れて逃げたって仕方ないと思っているのだ。千紗はそんなことしない人間だとわかってはいるけど。

「あ、そうそう。和泉が相変わらずさえ……千紗さんから連絡がないってキレてたけど」
「うっ!!」

 今度は千紗が難しい顔をする番だった。

「いや、だって、時間がないんだもん。ずっと寝込んでたし、元気になっても昼は瞬もいるし、夜はすぐ寝ちゃうし……」
「え? 言ってくれればいくらでも時間作れるのに」
「う、うーっ」

 いくらなんでもこれだけ放置されたら和泉も怒ると思う。すでに再会してから一ヶ月半以上が過ぎているのだ。
 なんとなく気まずいし、二人がまだ会話もできていないのにあれこれ千紗のことを話すのもどうかと思い、俺も和泉とは連絡をとっていない。こちらの近況は河合さんが話さない限り伝わっていないだろう。

「これ以上先延ばしにするともっと気まずくなると思うよ」

 俺は身を持って知っているのでそう助言するほかないのだ。

「いじゅみってかっこいーひとでしょ?」
「えっ、すごい、瞬くん前話したの覚えてるんだ」

 瞬くんは意外ときちんと話を理解していて驚かされる。子供だからと気を抜いてはいられない。
 千紗は難しい顔をしていた。

「は、話したくないわけじゃない……よ? でも昔の私とは全然違うから……恥ずかしいっていうか……幻滅させそうで……」
「げんめつって?」
「うーん、がっかりするってこと」
「えー? なんでー?」

 千紗の気持ちはわからなくはない。和泉は千紗を見て文句をつけるようなやつではないが、それでも昔の自分をよく知っている人物に、かつてとは大きく変わった姿を見せるのは勇気がいることだろうと思う。
 なんとなく、和泉の中の自分を壊したくはないのだろう。昔の自分の方が良かったという意味ではなく。
 うんうん唸っている千紗を見守っていると、ふと河合さんがお店の方を覗くように姿勢を崩した。

「……あら、お客さんかしら」

 俺は気付かなかったが、何か物音でもしたんだろうか。
 しかし入り口は一応鍵が開いているとはいえ、シャッターは半分下がっているし電気もついていないし定休日の看板も出ている。遠目から見ても明らかに開いていないのだが、間違えて入ってくるもんだろうか。怪しい……。
 パタパタと河合さんはお店の方に出ていった。俺も一応振り返ってみるが、のれんがあるので人の姿は見えない。覗けばもちろん見えるだろうが、向こうからも丸見えになるのでなんとなくやめておいた。
 しかしまさか泥棒じゃあるまいな、と俺もそちらに意識を集中させた。

「いじゅみとおはなしするの?」
「あれっ瞬もお話してみたい? 恥ずかしくないの?」
「ママがするの! しゅんはみてる」
「え、ずるーい」

 二人の微笑ましいやりとりを横に、そっと耳をそばだてるが、外では少し話している声が聞こえるだけで内容まではわからない。
 ふむ、別に怪しい人物ではないのだろうか。
 すぐに河合さんは小走りに帰ってきた。

「どうだったの?」
「……なんていうか……ええと……」

 河合さんはやや動揺していて、ちらりと千紗の方に目を向けた。その意味はわからなかったが、やっぱりなにかトラブルでもあったかと身構える。
 ええとええと、と河合さんは言葉を選ぶように説明しはじめる。

「その……い、石橋くんが来て……」

 ……へ!?
 思いも寄らない、懐かしいが少し苦い記憶を呼び起こす名前に、俺と千紗は顔を見合わせた。
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