このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

15章

「パパ! これってもりってこと!? じゃんぐー?」
「ジャ、ジャングル? ……うーん、山かな……?」
「やまかー!」

 瞬くんは裏庭を見て興奮していた。
 家の前の駐車場付近しか今まで見ていなかったから、ここが自然に囲まれた家だということに今気付いたらしい。

「こどもいない?」
「いないねえ、パパのおうちだから、瞬くん一人で自由にしていいんだよ」
「やったー!!」

 も、ものすごい興奮だ。本当は、近所の公園にでも連れ出してやりたいのだが、さすがに佐伯に悪いような気がした。それに、ご近所さんへの説明も必要だ。やはりそれは相談してからでないと。……まるで瞬くんの存在を隠してるみたいで、あまり良いことだとは思えないけど。
 我が家の裏庭は結構な面積がある。母が手入れしている花やら家庭菜園やらがあるのだ。当然虫が湧くので俺は普段近付かない。しかし子供の冒険心をくすぐるらしい。

「お花を踏んだり、摘んだりしちゃだめだよ? ばあばが大事にしてるからね」
「そうなの? ママにおにあげしたらだめ?」
「お土産? ああ、そうか……そうだね、ご飯の時にばあばに聞いてみよう。いつでも出てこれるからすぐじゃなくていいでしょ?」
「うんっ」

 こんな時まで母親のことを思ってるなんて……こんないい子いるか!? 佐伯にも見せてやりたい!

「じゃあぼーけんだ!」
「お、おー!」

 結構広いけど、冒険ってほど面白いものはないんだよなあ……と瞬くんに申し訳なくなる……が、それは杞憂であった。
 子供の好奇心を侮っていたのである。
 大人であれば、植物に特別興味がない限り、2、3分で見て回れる庭なのに瞬くんを連れているといつまでたっても進まない。スペースの区切りを作るために配置された少し大きい石の裏を見てみたり、レンガの壁の線を辿って、右手と左手でレースをはじめてみたり、落ちていた花弁と雑草を石ですり潰して俺の手に塗ったり、まあすぐに別の遊びを見つけて熱中するので、全く冒険が終わる気配はない。
 それにしても瞬くんは一人遊びが得意らしい。一人二役して遊んでいて、パパは見てるだけである。いや、ここで俺がもっと自分から瞬くんに絡んでいくべきなのか!?

「瞬くん、ママとはいつもどんな風にして遊ぶの?」
「ママー? ママはねーいろいろー。このまえわるものしてしゅんやっつけた」

 あっもしかして新聞紙で剣を作ったときのことか……? 悪役を演じて瞬くんと戦ったということだろうか。俺にそういう演技力が必要な役割ができるとは思えない……。
 でもできないって言ったってしょうがないよな。できるできないじゃない、やるかやらないかだ!

「わ、わかった、じゃあパパは一体何役を……」
「ママ……」
「えっ!?」

 やばい、いつの間にか瞬くんのテンションが下がりまくっている! せっかく寂しさを誤魔化していたのに、思い出させてしまった!

「ママ、しゅんがたおしちゃったから、びょーきなったのかなあ……」
「ち、違う違う! 関係ないよ! 瞬くんと遊べて楽しかったと思うよ?」
「かんけーって?」
「え、ええと、瞬くんがママを倒したのと、ママが病気になったのは、全然違う話だよってこと」

 瞬くんは小さく「しょうかなあ……」と呟いた。
 お、俺というやつは、佐伯どころか瞬くんまでしょげさせてしまった!

「ご、ごめんよ〜、寂しいこと思い出させちゃったね。ママが元気になるまでパパと遊ぼうね! ほら、なにしたい?」
「ボールであそぶやつ……」
「よーし! じゃああっちの広いところでキャッチボールやろうか! 行こう行こう!」

 俺って、こんなにテンション上げられたんだなあ……。子供がいなければ一生わからなかったかもしれない……。少なくとも学校のやつらには見せられないな……。
 瞬くんの脇に手を入れて運んでいくと、段々面白くなってきたらしい。再び機嫌が良い方に戻ってきた。
 よしよし、この調子なら今夜はぐっすり寝られそうだ。俺じゃなくて瞬くんの話である。

ーーー

 三日が経った。瞬くんはすっかり我が家に慣れてくれたようだ。
 はじめは俺が運んだ場所で小さくなっていたのに、今はもう小さい一人掛け用のソファを我が物としている。
 父が現れると大人しくなるし、母にもわがままは言わないけど、家に帰りたいだとかの泣き言は言わない。見ている限りはエンジョイしているように映る。
 父は父であまり瞬くんとは接触を持たないものの、毎日虫取り網だとか、パズルだとかを携えて帰ってくる。うちには子供向けのおもちゃがないからありがたいことだけど……そろそろやめさせないと、おもちゃ持ってくるおじさんとして認識されかねないぞ。

 佐伯の具合も少しずつ良くなってきている。熱はすっかり下がった。
 ただ咳は続いているので未だ隔離生活である。トイレとお風呂のときだけ部屋から出てくるのだが、そのときは瞬くんは毎回遊びを中断してママの姿を見にいくのだ。その光景は切なくてちょっと泣けてしまう。
 もういいんじゃないですか!? こんな愛し合ってる二人が離れ離れなんて可哀想だ! と思うものの、佐伯の体力はだいぶ弱っているらしく、治りが少し悪いようで体を起こすのも辛そうだ。もう少しの辛抱だろうな。

「あ、起きてたんだ。調子はどう?」
「……うん……。瞬は……何してる?」
「アニメ見てるよ。あ、これさっき瞬くんがママにあげてって」

 わあ、と佐伯は感嘆して、俺から受け取った花を窓際の花瓶に差す。今の所毎日一輪ずつ増えていっている。
 それからふうとため息をついてベッドに体を伏せた。

「……大丈夫? ご飯食べれる?」

 少しずつ回復してきているはずなのに、ちょっと疲れた印象がある。
 寝過ぎて疲れたとかだろうか。
 佐伯は窓の方を向いたままぽつりと呟いた。

「……携帯見た」
「……え? うん?」

 そういえば携帯、ずっと放置してたのか。
 佐伯の鞄やらはすべてこの部屋に置いてある。ずっと寝てばかりで暇だろうし、とっくに確認していると思っていた。元々あまり見ない方らしいけど。

「入院した日、桐谷から、メール来てた。瞬を保護してるって、何?」
「……あ」

 すっかり忘れていた。
 瞬くんが一人でセンターに訪ねてきたとき。すぐ佐伯に連絡を取ろうとして、繋がらなくてメールを入れたんだった。そのときはどんな状況なのかまったくわからなかったから。
 どうやって俺が佐伯のところに行ったのか、隠しておこうと思っていたのに、詰めが甘かった。

「瞬……外……出たの? 私のせいで……?」
「あ、……いや……あの……」

 ど、どうしよう。
 うまい嘘が何一つ思い浮かばなかった。佐伯の声は震えていた。顔は向こうを向いているから表情はわからないけど、泣きそうなのだとすぐにわかった。
 このままだと、佐伯がまた自分を責めてしまうのはわかっているのに。そんな気持ちにさせたくないのに。

「だ、大丈夫だよ、大丈夫、だったし、お、おかげで佐伯のこと発見が遅れなくて済んだんだし……」
「あんな小さな子を……一人で……もし……何かあったら……そんなの……私……」

 俺の底の浅い励ましなど届くわけがなかった。
 佐伯は顔を覆って、荒い呼吸を繰り返す。

「瞬を……守るどころか……私のせいで、そんな危険なこと……させてたなんて、私……は、母親でいる資格……ない……」
「な、なに言ってるんだよ、どうしようもないことじゃないか! だ、誰だって調子を崩すことくらいあるし、防げないことだってあるよ! 幸い、事故もなにもなかったんだから、これからもっと気をつければいい話だろ」
「そんなの……結果論……だよ……私……私には……もう……嫌……嫌だ……もう……」

 ゆるゆると首を振り、枕と髪が擦れる音がうっすらと響く。
 嫌だと繰り返し訴えるだけで、言葉が繋がらない。

「さ、佐伯、大丈夫? そんなに気に病むことないから……ね、佐伯だけの責任じゃないから……俺がもっと佐伯と連絡とっていれば……だから……」

 佐伯はずっと駄々をこねるように首を振って、何も話してはくれなかった。何も届いていないようだった。
 触れても反応しない。怯えることすらしない。
 自分を責めて苦しんでいるのだとわかるのに、まるで人形みたいだと、佐伯に話しかけながら考えてしまった。たまに咳が混じるのが、数少ない人間らしい振る舞いで、生気のようなものが感じられなかったのだ。病院に連れて行ったときよりも回復しているはずなのに、そのときよりもずっと、生きていないような気がした。
 俺の話なんて聞いてくれなくて、だからといって弱っている人間に声を荒らげることなんてできない。
 何もできず、そっと部屋を出る。じわじわと涙が出てきた。俺は泣き虫なんかじゃなかったはずなのに。
 服の袖で拭う。瞬くんにこんな顔を見せるわけにはいかない。
 リビングに戻り、テレビに釘付けになっている瞬くんの後ろを通り抜けて夕食の支度中の母に声をかけた。

「ママ、今日瞬くんと一緒に寝てもらえないかな。寝かしつけまでは俺がやるから」
「あら、どうしたの? もしかして眠れてないの?」
「ううん、ちょっと……佐伯の精神状態が不安定みたいで……心配なんだ。様子を見ていたくて……」

 そういうと母は手を止め、眉をひそめた。

「どういうこと? 何かあったの?」
「……佐伯が倒れた後、瞬くんが俺のところに助けを求めに一人でセンターまできたのを知っちゃって、自分のせいで危険な目にあわせたって、ショックを受けてるみたいで……」

 母は少し息をのんで、「そう……」と呟いた。

「ずっと自分を責めてばかりいるんだ。今回のことも、結婚したことも、全部自分が悪いと思ってるみたいで、見てられないんだよ」

 声を潜めて続けると、母は口元に手をあて、考えるような仕草をする。

「……きっと、千紗さんや流ちゃんが頑張ればよくなるということではないわよね。何かあったら、すぐにパパやママに言うのよ。私たちも千紗さんと瞬くんの味方なんだから」

 母も同性だということもあって、俺が瞬くんと遊んでいる間佐伯の様子を見に行ってくれているらしい。だからか、いつも楽観的でのほほんとした母も危機感を覚えたのだろうか。

ーーー

 夕食後、食器を下げに佐伯のいる部屋を覗いてみた。
 相変わらずベッドの上で壁の方を向いて横たわっている。

「……全然食べてないじゃないか」

 食べてない、というか手をつけていない。
 食欲が湧かないという気持ちはわからなくもないけど……。栄養失調が今回問題なのだし、食べなければ病院に逆戻りだ。
 ベッドに近づきそっぽを向いている佐伯の顔を覗き見る。……よかった、ちゃんと生きてる。

「なんだ。起きてるじゃん」

 少しだけ、意識して明るい声を出した。佐伯なら釣られて笑ってくれるような気がしたから。
 そっと肩に触れる。驚いたりはされなかった。

「ほら、一回起きて。少しだけでも口に入れてみようよ。食べさせてあげようか?」

 仰向けにさせて、ちょっと無理矢理になるが脇の下に手を入れて引っ張り上げ、上体を起こさせる。

「久しぶりに佐伯にしっかり触れて嬉しいなー」

 軽口を叩くが反応はない。いくら触っても文句言わなそうだな。さすがに、こんな状態にかこつけて触りまくったりなんてしないけど。
 今日の佐伯用の夕ご飯はリゾットだ。冷めてちょっと固くなってる。

「はい、あーんしてごらん」

 スプーンを口元に持って行く。
 つんつんと唇に当てると、うっすらと開いてスプーンの先のところだけ口に入る。それをもごもごと咀嚼して飲み込む。時間がかかる作業だ。

「ほら、一口食べたらおなか空いてこない?」

 もう少し一口の量を増やせないかと多めにすくって、再び口元に差し出す。
 また先に乗った部分だけ口に含み、残りがぽとっと落ちた。

「瞬くんに見られたら笑われちゃうね」

 ティッシュでとった。冷めててよかったかもな。

「もう……いい……」

 ぽつりと佐伯が呟いて、声を出してくれたのが嬉しかった。

「そっか。じゃあお茶飲もうか。水分摂取、ほんとはもっとした方がいいんだよ」

 今度は同じようにコップを差し出す。唇にふちをつけて、むせたりこぼしたりしないようゆっくり少しずつ傾けた。
 うん、飲んでくれてる。
 ほんのすこし顔をよじったので、そこでコップを離す。

「今日は瞬くんが寝たら俺はこっちで布団敷いて寝るよ。その間は母が瞬くんと一緒にいてくれるから大丈夫だよ。……やっぱ佐伯からしたら気分よくないかな? 変なことする人じゃないから、ちょっと我慢してね」

 佐伯からしたら少ししか顔を合わせたことない相手だしな。
 知らない間に母に懐いててもそれはそれで複雑だろうし。

「……いい……。……瞬の……そばに……いてあげて……」
「瞬くんが起きてる間はちゃんとそばにいるよ。佐伯のそばにだっていないと、全然治す気ないじゃないか」
「そんなこと……ない……」
「まあまあ。別に変なこととかしないからさ。たまにはそばにいさせてよ」

 ……こう言葉にするとむしろ下心満載みたいに聞こえるな……不思議だ。

「じゃあまたあとで来るから」

 一度布団をよけて、お姫様だっこのように抱えてベッドに寝かし直す。
 それからなんてことのないことのように、頭を撫でる。本当は怖がられるんじゃないかと思って勇気がいったけど。そしてやはり佐伯はこれにも反応しなかった。
 こんな状態で瞬くんに会わせるわけにはいかないだろ。きっと佐伯は無理して明るく振る舞おうとするし、瞬くんは気付くと思う。どちらにとってもよくない。……まあ、早く元気になれ、なんてプレッシャーかけてもしょうがないから、言わないけどさ。
 言わないけど……元気になってほしいな。そのためなら、なんだってするのにな。それすら佐伯は言ってくれないんだろう。
7/11ページ
スキ