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15章

 夕方瞬くんは結構しっかり寝ていたし、夜寝付けないんじゃないかと思ったのだが、絵本を読み聞かせするとすこーと寝てしまっていた。俺のベッドのど真ん中で大の字になっている。
 今日は適当に目に付いた絵本を俺が持ってきたけど、明日は書庫を見せてあげようかな。
 電気を消して、廊下の電気をつけてドアを少し開けておいた。豆電球とかはないし、俺が小さい頃は両親がそうしてくれていたからだ。
 そっとリビングに降りて、ソファに寝転がる。母がキッチンから顔を出すのがわかった。

「お疲れさまねえ、何か飲む?」
「ん~……、カルピス……」

 本当に……今日は疲れた。
 瞬くんは車にひかれそうになるし、佐伯は倒れて死んだかと思ったし……。本当にもう……こういう思いはしたくない……。それだけでなく、瞬くんの面倒を見るのだって重労働だった。

「こんなに疲れるのに……佐伯は一人でずっと面倒見てたんだよな……」

 義理のお母さんの手を借りたり、定食やの奥さんに面倒を見て貰ったりはしていたらしいけど、でもその分佐伯は他の家事をしたりお店に出たりしていたのだ。そして6月にこちらに引っ越してきてからは完全に一人。
 もしも俺と再会できてなかったら、どうなっていたんだろう。

「頑張ろうと思ったら、案外どこまでも頑張れちゃうものなのよ。きっと麻痺しちゃって、自分が無理していたことに気付いてなかったのかもね」

 母がカルピスの入ったグラスを持ってきながら、俺の独り言に応えた。
 なんか、ブラック企業の社員みたいだな。
 でも佐伯の場合、パワハラだとかがあるわけじゃない。ただ人手不足を解消すればいい話なのだ。
 それだったら、いくらでもできるじゃないか。
 ソファに座り直し、グラスを受け取る。

「佐伯くん……ええっと、今は……」
「間宮千紗だよ」
「そうそう、千紗さんが退院したら、客間を使って貰いなさい」
「え、ほんとに? いいの? でも、佐伯がどういうかな……」
「どう言っても説得するのが流ちゃんの仕事よ。あのまま帰すつもりだったの?」

 そういうわけではない、けど……。あまり考えていなかった。多分結局家に連れてきてはいたと思う。でもこちらから両親にお願いしなきゃいけないことだと思っていた。

「少なくとも一週間は安静にして貰わないと治るものも治らないわ。流ちゃんだって研修も終わったし、家にいられるんでしょう?」
「あ、そっか」

 そういえば、たしかにそうだった。すっかり頭から抜けていた。
 今日が研修最終日で本当に良かった。不幸中の幸いだった。さすがに二人を家において母に任せて家を出るのは忍びないもんな。
 佐伯はきっとうちの世話になるのを嫌がるだろう。ただでさえ人に迷惑をかけたくないとばかり言っていたのに、挨拶もまともにできないまま世話を焼いて貰うなんて絶対嫌がるに決まってる。でも、だからって俺が佐伯の言うままに手を引いたら、今度こそ取り返しのつかない状況になるかもしれない。
 佐伯の意思を無視するようなことはしたくない……けど、それより優先しなくてはいけないことなのだ。我慢して貰おう。
 しばらくまったりとしていると、父が帰ってきて、反射的に体が跳ねてぴしっと起きあがった。母の声をかけられたときの瞬くんの動きと重なって、ああやっぱ親子だからかなあ、と実感する。
 父が食事をとっている中、俺は少し居心地の悪い気持ちになりつつ今日のことを説明した。メールで伝えてはいたけど、改めて。

「入院した彼女は大丈夫なのかい」
「えっ、ああ、とりあえず今晩は入院だけど明日の状態によってはそのまま退院できるって」
「そうか、それはよかった」

 平坦な声色だ。でもいつものことだ。
 俺の喋り方が淡泊なの、絶対父親の影響だと思うんだよなあ……。
 ともかく、決定事項のように母も一緒に佐伯が少なくとも回復するまではうちの客間を使って貰う、ということを伝えたが、全く文句も言われることはなかった。
 生活費に関しては俺が払うつもりだ。というか、今でも一切家にお金を入れていなかったから、この際だから今後も自分の分は月に数万払うというのを無理矢理決めた。
 多分うちの親は俺が言わなければいつまでも甘やかし続けてくれるのだ。ありがたいけど、俺はタダで佐伯たちは有料なのはおかしいと思うし、かといって佐伯たちの生活費もパパとママが払ってくれるよね、なんてできるわけもない。
 話に一段落ついたところで、俺の部屋から微かに泣き声が漏れてきて慌てて瞬くんの元に向かった。

「ままあ〜……」
「ごめんね、瞬くん、寂しいね」

 抱きしめると、ぎゅうっと俺の体にしがみつく。
 知らない家で、ずっと一緒だった母親がいないんだ。むしろ寝るまでが大人ししすぎた。
 いくら親子だよときちんと伝えたあとだとはいえ、あんまりベタベタされるのも嫌だろうと俺は床に布団を敷いて寝るつもりだったのだが、結局狭いシングルベッドで一緒に寝た。
 病院のベッドで一人で寝ている佐伯に申し訳ない気持ちになりながら。


 翌朝、十数年ぶりに俺のベッドにおねしょの染みができた。
 別に瞬くんの年ではおかしなことではないのだが、母が、パパは六歳までおねしょしてたのよ~と言って瞬くんを励ましているのを聞いたときは、ちょっと黙っててほしいと思った。

ーーー

 朝連絡を受け、昼前に車を借りて佐伯を迎えにいった。
 瞬くんも来たがったが、チャイルドシートもないし、さすがに連れ回せない。まだ知り合って一晩しか経ってないおばさんと二人きりにさせられるのはさぞ恐ろしかろうが、仕方がないことなのだ。
 母親に佐伯の迎えや説明を頼むのはやっぱり二人ともに気が引けるし。説得するのは俺の仕事だしな。


「……じゃあ、私は家で療養するから……瞬をお願いしてもいいかな……一週間で治すから……」

 ぼんやりとした佐伯の代わりにお会計だの薬の受け取りだのをして、ようやく車に乗せられたかと思えば奴は息も絶え絶えのくせにそう宣った。

「またお前はそういうことを言って。肺炎だって悪化したら死ぬんだから、甘く見たらだめだよ。うちの客間、ちゃんと使えるようにしてあるから」
「でも……、まだご挨拶もできていないのに、こんな状態で……」

 佐伯は頑固だった。昔は柔軟なやつだと思ってたんだけどな。まったく!

「瞬くんだってずっとママのこと探してるんだよ。しばらくべったりはできないけど、同じ屋根の下にいる方がずっと安心できるに決まってるだろ。俺だって佐伯が一人で闘病してるなんて不安で瞬くんの世話どころじゃなくなるよ」

 返事はなく、咳が何度か聞こえた。
 咳がひどくてあばらも痛いらしい。体力だってかなり持って行かれるはずだ。当然家事なんてやれる状態ではない。これで自分で食事を用意してちゃんと食べれるとはとても思えなかった。

「とにかく、佐伯には悪いけどこれは決定事項だよ。ここで俺がほっぽりだして佐伯に何かあったら絶対罪に問われるだろうってくらいの状態なんだよ、お前」
「……ごめん……」
「……謝らなくていいよ。……俺こそごめんね、こんなになるまで気付けなくて……」
「私が……言わなかっただけだから……」

 なんとか佐伯は折れてくれた。一度アパートに戻り、着替えや貴重品を持ってからうちに向かう。

「車、運転できるんだねえ……」
「うん、田舎だから必要だと思って。足が必要だったらいつでも頼ってくれていいよ。電車やバスも大変でしょ」
「……すごいねえ……」

 まるで瞬くんを褒めているかのようだ。返事をさせるのもつらそうで申し訳なくて、喋りかけるのもはばかられる。ちらりと助手席を見ると、ぼんやりと窓の外を眺めているようだった。
 ……やっぱり今はまだまともに話し合うのは難しそうだ。せっかく二人きりになれるんだし、今後のことや、瞬くんに俺がパパだって話したこととか、色々話しておきたかったのだが……。
 ……でもこれからはしばらく同じ家にいられるのだ。そんな機会はいくらでもあるだろう。今は難しいことを考えるのはやめて、回復に専念して貰わないと。
 家に着くと、車が停まる音を聞いたのか瞬くんは靴のかかとを踏みながら飛び出してきて、佐伯の腰に飛びついてわんわんと泣いた。

「ごめんねえ、びっくりさせちゃったよね……」

 佐伯はやはり、瞬くんの姿を見るとすこししっかりした足取りで、表情も明るくなった。道中の弱りきった姿を見ていた俺にはそれも痛々しい虚勢のように思える。
 瞬くんのあとからついてきた母は、まるで昔佐伯が遊びに来たときと変わらないような表情で、佐伯の肩を支えるように触れた。

「大変だったでしょう、瞬くんとうちでゆっくり休んでね。一人で頑張っちゃだめよ~、うちの子もおばさんのこともこき使っていいんだから」
「……す、すみません……挨拶も……まだなのに……ご迷惑ばかり……」
「何言ってんの! 迷惑なんてとんでもないわよ。人のお世話するのが生き甲斐なんだから。ほら入って、流ちゃん荷物ちゃんと全部下ろしてね」

 そうして二人は母に連れられてそうそうに家の中に入ってしまった。
 言われなくたってするけどさ! 俺だって佐伯と瞬くんの感動の再会に立ち会わせてくれたっていいじゃないか。
 少し疎外感を覚えながらも、ああいう強引に優しくできる母親に少し助けられたような気分になっていた。見習おう……。
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