15章
結果、やはり佐伯は肺炎だった。
瞬くんから貰った風邪をこじらせたんだろう。その上栄養失調と脱水症状があった。ただ幸い肺炎自体はまだ軽症というか、なりかけというレベルだったらしく、これ自体は入院の必要はないそうだ。しかし食事ができそうにないので点滴をして少なくとも一晩は入院、ということになった。
その間俺は母親に連絡していた。入院どうこうはわからないが、少なくとも瞬くんの面倒が見られる状態ではないし。そして佐伯は他に身寄りがないわけで、入院の手続きなんかも学生である俺にはどうしようもなかった。
途中で佐伯の意識もはっきりしたようで、少しだけ話しができた。
「……私……、ごめん……よく、覚えてないんだけど……」
「……いいよ、手遅れにならなくてよかった。一晩入院だってさ。瞬くんはうちで預かるから、心配しないでいいからね」
「……ごめんなさい……私……母親失格だ……」
汗の浮かぶ顔で、弱々しいのになお自分を責めている表情が見ていて辛い。
「何言ってんの。親だって体調崩すときは崩すに決まってるだろ。早く元気になってよ。それだけ気にしてればいいからさ。瞬くんのことで何か気をつけることある? アレルギーとか大丈夫かな」
「ううん、大丈夫……ごめんね、瞬のことお願い……」
「任せてよ。明日迎えにくるからね」
あんまり思い詰めないといいのだが……。
入院中って暇だし、暇だと余計なことまで考えてしまうんだよな……。しかも体の具合が悪いとネガティブなことばかり思い浮かぶものだ。
瞬くんが一人でセンターにやってきたことは話さない方がいいよな……。自分のせいでそんな危険なことをさせたと知ったら余計自分を責めてしまうだろう。
そういえば昨日は飲み会で佐伯とメールできていなかったことを思い出す。
……佐伯が自分からしんどいから助けてなんてメールするわけないよなあ……。
そんな奴だってわかってたんだから、もっとしつこく連絡を取るべきだった……。そうすれば、こんな状態は避けられたかもしれない。
反省だ……。でも佐伯にも反省してほしい……。あのままもし俺の帰宅時間がずれていて瞬くんに会えなかったら、佐伯も瞬くんも失っていたかもしれない。そう思うと、立っていられないほど怖かった。
ーーー
「ほんと、悠さんそっくり……。ほらこの眉毛とか……」
「いや、わかんないけど……」
瞼を腫らして眠っている瞬くんを、母は感動するように見つめていた。
とにかく最低でも一晩預かるのだ。途中でスーパーに寄って、歯ブラシやら着替えやらを購入して、ようやく家に着いた頃にはすでに夕食の時間になっていた。俺も瞬くんも昼ご飯を食べ損ねた。
起きたらまったく知らない家につれてこられて、挙げ句ママはいないし、ぐずっちゃうかな。
とりあえずリビングのソファに寝かせて、俺は父にメールを入れた。……でも、両親にはちゃんと佐伯と瞬くん一緒に会わせたかったな……。佐伯だって瞬くんが一人で先にうちの両親に会うなんて嫌だろう。
「……ふかふか……」
「えっ」
ふと横を見ると瞬くんは目を覚まして、ぽけーっと泣き疲れた顔のままクッションを撫でていた。
「ふかふかしてる……」
「瞬くん起きたの、お兄ちゃんのおうちだよ」
「ママは……?」
「ママは今日病院でお休みするんだって。先生が見てくれるからもう大丈夫だよ。寂しいと思うけど今日はお兄ちゃんと一緒にいようね」
「……やだけど……」
あ、ちょっと傷つく……。いや、一緒にいるのが嫌なんじゃなくてママと離れるのが嫌なんだよな。うん、わかるわかる。
「……ママしむの……?」
小さな瞬くんの声にぎょっとする。
「ええっ? 死なない死なない! そっか、びっくりしたもんね。大丈夫だよ、瞬くんがお兄ちゃん呼んでくれたから、ママ助かったんだよ。ありがとね」
瞬くんはぐるんとうつ伏せになって、クッションと背もたれの境目にすっぽり収まった。
会話拒否の構えなんだろうか……。
とりあえず死ぬほど泣いてたし汗もかいたろうしと「お水あるけど……」とコップを差し出すと、ぱっと体を起こしてごくごくと一気に飲んだ後またぱっと伏せてしまう。
俺との会話は完全拒否だ……。
「大丈夫? 眠い? お腹すいてない?」
「……」
「しゅ、瞬くーん。瞬くんが元気でなかったらママも心配しちゃうよ。お兄ちゃんも心配になっちゃうな」
あ、そうだ。瞬くんも風邪引いてたんだっけ。もしかしてまだ本調子ではないんだろうか。咳も鼻水も出てないようだし、てっきりもう治ったのかと思ったのだが、そういえば誰も元気だとも言っていなかった。
「瞬くんちょっと熱測ろうか」
「……おにいちゃんてパパじゃないの?」
「えっ?」
せっかく体温計出したのに、急に思いもしない話題が飛び出てきて咄嗟にまた元に戻してしまった。
そういえば、状況が状況だったのでリアクション取り損ねていたけど、今日パパって呼んでくれてたんだよな……。
「……ど、どうして?」
「だって……びょういんでママのゆーじんってゆってたじゃん……」
「あ、そうか……」
佐伯の家族の連絡先がどうのと聞かれたときの説明を聞いていたらしい。バタバタしていたし、早口だったし、まさか意味を理解しているとは思っていなかった。
どう説明したもんか……。
今までやんわりと避けていた話だ。佐伯も俺が父親だという話はしていないのにと驚いていた。
パパじゃないんだよなんて嘘はつけるはずがない。でも、佐伯からしたら、息子を連れて行かれたと思ったらすっかり父親面して懐柔したように思うんじゃないだろうか。
……だけど、よく考えたらそんなの大人の都合以外なんでもないよな……。
「瞬くん、起きてお話聞けれる?」
瞬くんは少しだけ間をおいてから、ゆっくり体を起こす。仏頂面だ。
佐伯、どう思うかな。勝手にバラしちゃって、嫌がるかな、やっぱり……。
「……あのね、ほんとはね、お兄ちゃん、瞬くんのパパなんだよ。よくわかったね」
瞬くんは唇を突き出して足をぶらぶらさせて目線を下に下げる。
「だってえ、わかるよ」
「いつから気付いてたの? パパだよ~って言ったことなかったでしょ?」
「え~? あのねえ、びょーいんであったとき」
「病院? ……センターで会ったときのこと? それって初めてあったときじゃない」
コクンと頷く瞬くんに、一瞬呆気にとられてしまった。
一目見たときから? ……どういうことなんだろう。まさか第六感的なものだろうか。それか佐伯が俺の写真とかをこっそり持って行っていて、再会する前に見せて貰ったことがあるとか? っていうのはさすがに都合よすぎか。さすがに佐伯がそんなに俺に思い焦がれていたら、こんなにこじれたことにはなっていないだろう。
「……あのね、お兄ちゃんは瞬くんのパパなんだけどさ、ずっと一緒に暮らしてなかったでしょ? だから瞬くんにパパだよーって言ったら、びっくりしちゃうかなって思ってママと相談して隠してたんだよ。許してくれる?」
「……いいよ」
この説明で、本当にいいのかは全くわからない。きっと、佐伯としっかりと相談して決めるべきことだったはずだ。
「瞬くーん、おめめ覚めたの? ご飯ができましたよ~」
空気を読んでいるのか読んでいないのか、母がキッチンから顔を出して声をかけると瞬くんは慌ててクッションを抱きしめるとお行儀よくソファに座った。
あ、そうか。知らない人がいると気付いて人見知りモードが入ったらしい。
「瞬くん、この人はパパのママだよ。だから瞬くんのおばあちゃん」
自分のことをパパだということに、やっぱりじくじくと佐伯への罪悪感が湧いてくる。
一方で母は自分がおばあちゃんだという事実に感動して噛みしめているようだ。呑気なものだ。
「は、はじめまして、まみやしゅんです……」
「あら~礼儀正しいいい子ね! 瞬くん、おなかすいた? 生姜焼き食べれるかな~? お箸使える?」
瞬くんはしばらく戸惑ったあと、俺を手招きして引き寄せる。
「つかえるってゆって!」
「恥ずかしいの?」
コクコクと頷かれた。な、なんで……。河合さんに照れるなら気持ちはわかるけどさ……。
「お箸使えるそうです」
「あら偉いのねえ、じゃあご飯にしましょうか! たしか流ちゃんが使ってた子供用の椅子がまだあったわよねえ」
物持ちが良すぎないか……。
母はウキウキとしている。瞬くんは俺の後ろに隠れてしまっているが、打ち解けるのも時間の問題だろう。
瞬くんはきっと母親と離れて知らない場所に連れてこられて、心細かったろうと思う。それでも駄々もこねずに大人しくご飯を食べてくれた。トイレは怖いといって付き添いが必要だが、それでも失敗せずにしてくれた。
汗だくだったのでお風呂にも入れた。当然はじめてだったが、いつもママはこうしてる、という瞬くんの話しを聞きながら、頭や体を洗って、湯船に浸かって、上がったら拭いてあげて、服は自分で着ると言い張るので見守った。
歯磨きなど、一通り寝る前の支度が終わる頃には八時を過ぎていた。佐伯の話ではたしかもう寝る時間だったはずだ。
正直、ちょっと疲れる。体力的にはそうでもないのだが、なんせ子供の世話ははじめてだし、ずっと目が離せないし、真剣に集中していられるわけではないのは神経が疲れる。自分の世話をやっている暇がないというか、目や思考は瞬くんに向けながら手だけ動かしてなんとかやり過ごす、というような調子だ。そんなだから体を拭いているときにシャンプーを落としていないことに気付いて、母に預けてシャワーを浴びなおしたりしていた。
それでも瞬くんはしっかりしている。佐伯が色々と教えてあげているからに他ならない。俺は食事だって母親に作って貰っているし、ちょっと手間取ったら母に任せていられるが、佐伯はそうはいかないのだ。
その上トイレトレーニングだとかもきちんと終えていて、これがほしいあれは嫌と言葉で訴えられる段階で、風邪も治って、だいぶ手がかからなくなってきたところから関わっていて、これだ。経験がないのだからしょうがないことだとわかってはいるが、パパと名乗っておいてこの有様というのは情けなかった。
決して育児を甘く見ていたわけではない、けど……。
佐伯が元気になったら、いくら瞬くんのお世話が大変だとはいえ、自分のことを疎かにしてはだめだ、なんて説教をする気満々だったのだ。ちゃんとご飯食べて、休まなくてはと。
そんなのできたらやってるよな……。
反省した。そしてやっぱり、もっと早めに頼ってほしいという面では言わせて貰ってもいいかなと思った。頼りになる、とは思えないだろうけど、都合のいいお手伝いみたいな扱いでもいいから。
どうやったら佐伯が頼っても良いなと思える人間になれるんだろうか。
瞬くんから貰った風邪をこじらせたんだろう。その上栄養失調と脱水症状があった。ただ幸い肺炎自体はまだ軽症というか、なりかけというレベルだったらしく、これ自体は入院の必要はないそうだ。しかし食事ができそうにないので点滴をして少なくとも一晩は入院、ということになった。
その間俺は母親に連絡していた。入院どうこうはわからないが、少なくとも瞬くんの面倒が見られる状態ではないし。そして佐伯は他に身寄りがないわけで、入院の手続きなんかも学生である俺にはどうしようもなかった。
途中で佐伯の意識もはっきりしたようで、少しだけ話しができた。
「……私……、ごめん……よく、覚えてないんだけど……」
「……いいよ、手遅れにならなくてよかった。一晩入院だってさ。瞬くんはうちで預かるから、心配しないでいいからね」
「……ごめんなさい……私……母親失格だ……」
汗の浮かぶ顔で、弱々しいのになお自分を責めている表情が見ていて辛い。
「何言ってんの。親だって体調崩すときは崩すに決まってるだろ。早く元気になってよ。それだけ気にしてればいいからさ。瞬くんのことで何か気をつけることある? アレルギーとか大丈夫かな」
「ううん、大丈夫……ごめんね、瞬のことお願い……」
「任せてよ。明日迎えにくるからね」
あんまり思い詰めないといいのだが……。
入院中って暇だし、暇だと余計なことまで考えてしまうんだよな……。しかも体の具合が悪いとネガティブなことばかり思い浮かぶものだ。
瞬くんが一人でセンターにやってきたことは話さない方がいいよな……。自分のせいでそんな危険なことをさせたと知ったら余計自分を責めてしまうだろう。
そういえば昨日は飲み会で佐伯とメールできていなかったことを思い出す。
……佐伯が自分からしんどいから助けてなんてメールするわけないよなあ……。
そんな奴だってわかってたんだから、もっとしつこく連絡を取るべきだった……。そうすれば、こんな状態は避けられたかもしれない。
反省だ……。でも佐伯にも反省してほしい……。あのままもし俺の帰宅時間がずれていて瞬くんに会えなかったら、佐伯も瞬くんも失っていたかもしれない。そう思うと、立っていられないほど怖かった。
ーーー
「ほんと、悠さんそっくり……。ほらこの眉毛とか……」
「いや、わかんないけど……」
瞼を腫らして眠っている瞬くんを、母は感動するように見つめていた。
とにかく最低でも一晩預かるのだ。途中でスーパーに寄って、歯ブラシやら着替えやらを購入して、ようやく家に着いた頃にはすでに夕食の時間になっていた。俺も瞬くんも昼ご飯を食べ損ねた。
起きたらまったく知らない家につれてこられて、挙げ句ママはいないし、ぐずっちゃうかな。
とりあえずリビングのソファに寝かせて、俺は父にメールを入れた。……でも、両親にはちゃんと佐伯と瞬くん一緒に会わせたかったな……。佐伯だって瞬くんが一人で先にうちの両親に会うなんて嫌だろう。
「……ふかふか……」
「えっ」
ふと横を見ると瞬くんは目を覚まして、ぽけーっと泣き疲れた顔のままクッションを撫でていた。
「ふかふかしてる……」
「瞬くん起きたの、お兄ちゃんのおうちだよ」
「ママは……?」
「ママは今日病院でお休みするんだって。先生が見てくれるからもう大丈夫だよ。寂しいと思うけど今日はお兄ちゃんと一緒にいようね」
「……やだけど……」
あ、ちょっと傷つく……。いや、一緒にいるのが嫌なんじゃなくてママと離れるのが嫌なんだよな。うん、わかるわかる。
「……ママしむの……?」
小さな瞬くんの声にぎょっとする。
「ええっ? 死なない死なない! そっか、びっくりしたもんね。大丈夫だよ、瞬くんがお兄ちゃん呼んでくれたから、ママ助かったんだよ。ありがとね」
瞬くんはぐるんとうつ伏せになって、クッションと背もたれの境目にすっぽり収まった。
会話拒否の構えなんだろうか……。
とりあえず死ぬほど泣いてたし汗もかいたろうしと「お水あるけど……」とコップを差し出すと、ぱっと体を起こしてごくごくと一気に飲んだ後またぱっと伏せてしまう。
俺との会話は完全拒否だ……。
「大丈夫? 眠い? お腹すいてない?」
「……」
「しゅ、瞬くーん。瞬くんが元気でなかったらママも心配しちゃうよ。お兄ちゃんも心配になっちゃうな」
あ、そうだ。瞬くんも風邪引いてたんだっけ。もしかしてまだ本調子ではないんだろうか。咳も鼻水も出てないようだし、てっきりもう治ったのかと思ったのだが、そういえば誰も元気だとも言っていなかった。
「瞬くんちょっと熱測ろうか」
「……おにいちゃんてパパじゃないの?」
「えっ?」
せっかく体温計出したのに、急に思いもしない話題が飛び出てきて咄嗟にまた元に戻してしまった。
そういえば、状況が状況だったのでリアクション取り損ねていたけど、今日パパって呼んでくれてたんだよな……。
「……ど、どうして?」
「だって……びょういんでママのゆーじんってゆってたじゃん……」
「あ、そうか……」
佐伯の家族の連絡先がどうのと聞かれたときの説明を聞いていたらしい。バタバタしていたし、早口だったし、まさか意味を理解しているとは思っていなかった。
どう説明したもんか……。
今までやんわりと避けていた話だ。佐伯も俺が父親だという話はしていないのにと驚いていた。
パパじゃないんだよなんて嘘はつけるはずがない。でも、佐伯からしたら、息子を連れて行かれたと思ったらすっかり父親面して懐柔したように思うんじゃないだろうか。
……だけど、よく考えたらそんなの大人の都合以外なんでもないよな……。
「瞬くん、起きてお話聞けれる?」
瞬くんは少しだけ間をおいてから、ゆっくり体を起こす。仏頂面だ。
佐伯、どう思うかな。勝手にバラしちゃって、嫌がるかな、やっぱり……。
「……あのね、ほんとはね、お兄ちゃん、瞬くんのパパなんだよ。よくわかったね」
瞬くんは唇を突き出して足をぶらぶらさせて目線を下に下げる。
「だってえ、わかるよ」
「いつから気付いてたの? パパだよ~って言ったことなかったでしょ?」
「え~? あのねえ、びょーいんであったとき」
「病院? ……センターで会ったときのこと? それって初めてあったときじゃない」
コクンと頷く瞬くんに、一瞬呆気にとられてしまった。
一目見たときから? ……どういうことなんだろう。まさか第六感的なものだろうか。それか佐伯が俺の写真とかをこっそり持って行っていて、再会する前に見せて貰ったことがあるとか? っていうのはさすがに都合よすぎか。さすがに佐伯がそんなに俺に思い焦がれていたら、こんなにこじれたことにはなっていないだろう。
「……あのね、お兄ちゃんは瞬くんのパパなんだけどさ、ずっと一緒に暮らしてなかったでしょ? だから瞬くんにパパだよーって言ったら、びっくりしちゃうかなって思ってママと相談して隠してたんだよ。許してくれる?」
「……いいよ」
この説明で、本当にいいのかは全くわからない。きっと、佐伯としっかりと相談して決めるべきことだったはずだ。
「瞬くーん、おめめ覚めたの? ご飯ができましたよ~」
空気を読んでいるのか読んでいないのか、母がキッチンから顔を出して声をかけると瞬くんは慌ててクッションを抱きしめるとお行儀よくソファに座った。
あ、そうか。知らない人がいると気付いて人見知りモードが入ったらしい。
「瞬くん、この人はパパのママだよ。だから瞬くんのおばあちゃん」
自分のことをパパだということに、やっぱりじくじくと佐伯への罪悪感が湧いてくる。
一方で母は自分がおばあちゃんだという事実に感動して噛みしめているようだ。呑気なものだ。
「は、はじめまして、まみやしゅんです……」
「あら~礼儀正しいいい子ね! 瞬くん、おなかすいた? 生姜焼き食べれるかな~? お箸使える?」
瞬くんはしばらく戸惑ったあと、俺を手招きして引き寄せる。
「つかえるってゆって!」
「恥ずかしいの?」
コクコクと頷かれた。な、なんで……。河合さんに照れるなら気持ちはわかるけどさ……。
「お箸使えるそうです」
「あら偉いのねえ、じゃあご飯にしましょうか! たしか流ちゃんが使ってた子供用の椅子がまだあったわよねえ」
物持ちが良すぎないか……。
母はウキウキとしている。瞬くんは俺の後ろに隠れてしまっているが、打ち解けるのも時間の問題だろう。
瞬くんはきっと母親と離れて知らない場所に連れてこられて、心細かったろうと思う。それでも駄々もこねずに大人しくご飯を食べてくれた。トイレは怖いといって付き添いが必要だが、それでも失敗せずにしてくれた。
汗だくだったのでお風呂にも入れた。当然はじめてだったが、いつもママはこうしてる、という瞬くんの話しを聞きながら、頭や体を洗って、湯船に浸かって、上がったら拭いてあげて、服は自分で着ると言い張るので見守った。
歯磨きなど、一通り寝る前の支度が終わる頃には八時を過ぎていた。佐伯の話ではたしかもう寝る時間だったはずだ。
正直、ちょっと疲れる。体力的にはそうでもないのだが、なんせ子供の世話ははじめてだし、ずっと目が離せないし、真剣に集中していられるわけではないのは神経が疲れる。自分の世話をやっている暇がないというか、目や思考は瞬くんに向けながら手だけ動かしてなんとかやり過ごす、というような調子だ。そんなだから体を拭いているときにシャンプーを落としていないことに気付いて、母に預けてシャワーを浴びなおしたりしていた。
それでも瞬くんはしっかりしている。佐伯が色々と教えてあげているからに他ならない。俺は食事だって母親に作って貰っているし、ちょっと手間取ったら母に任せていられるが、佐伯はそうはいかないのだ。
その上トイレトレーニングだとかもきちんと終えていて、これがほしいあれは嫌と言葉で訴えられる段階で、風邪も治って、だいぶ手がかからなくなってきたところから関わっていて、これだ。経験がないのだからしょうがないことだとわかってはいるが、パパと名乗っておいてこの有様というのは情けなかった。
決して育児を甘く見ていたわけではない、けど……。
佐伯が元気になったら、いくら瞬くんのお世話が大変だとはいえ、自分のことを疎かにしてはだめだ、なんて説教をする気満々だったのだ。ちゃんとご飯食べて、休まなくてはと。
そんなのできたらやってるよな……。
反省した。そしてやっぱり、もっと早めに頼ってほしいという面では言わせて貰ってもいいかなと思った。頼りになる、とは思えないだろうけど、都合のいいお手伝いみたいな扱いでもいいから。
どうやったら佐伯が頼っても良いなと思える人間になれるんだろうか。