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15章

 研修は滞りなく進んでいた。
 大学が夏休みに入ったことで課題は増えたものの、負担はだいぶ軽くなっていた。
 ただ同期たちは後半になってくると、終わったら打ち上げやろうとか、来年から一緒に働くんだから連絡先だのSNSだの交換しようとか話しはじめるようになった。そうすると俺は非常に居心地が悪い。

 成人式の話を聞いていたときもそうだったんだよな。俺は早生まれで、その上高校には一年遅れて入学したから同級生のみんなとは同じ年の式には出られないのだ。
 かといって中学までは飛び飛びでしか学校に顔を出せていなかったので、同級生の顔を見たいって気持ちも湧かない。第一誕生日がまだだから、お酒飲めないし。
 母は晴れ姿が見たい写真だけでも欲しいと言っていたものの……、結局何もやらなかったのだ。お金がもったいないし、贅沢したくはなかったし、きっと居た堪れない気持ちになるような気がした。そのときの感覚によく似ていた。
 当然俺の進退については誰にも言っていない。ここで俺がべらべらと喋っては、センターの評判のためとはいえ配慮してくださっている先生に顔向けできないからな。ただやっぱり仲良くなった飯島にも全部黙っているのはさすがに心が痛んだ。
 でも今後俺は数年間センターに血液提供に通わなくてはいけなくなる。個人情報など守られているが、センターの職員に全く知られないで済む方法はないだろう。さすがにそこまでの配慮なんてしてられないだろうし。
 つまりいつかはバレるのだ。そこから誰かに個人情報を漏らされたらさすがに処罰されると思うけど、でもどこかから噂が漏れることを完全に防ぐことなんてできない。
 俺、治療経験者として大学では多少顔は知られてるしなあ……。
 ん? でもみんながセンターで働く頃には俺も大学を卒業してるのか。じゃあどう思われても良くないか?
 研修中の身の振り方は当然気をつけなければならないけど、ただの利用者に戻ってからはもうどうしようもないのだ。採血してくれる相手が同期だったとして、裏で桐谷くん子持ちらしいよと噂が広まったとして、だからなんだというんだ?
 ちょっと気まずいくらいだ。相手が誰だろうと、まともに仕事してくれないってわけじゃないだろう。うん、いいや、別に。ただ飯島には研修が終わって落ち着いたら先に打ち明けておこう。それくらいでいいよな。

ーーー

 研修中最後の日曜日を迎える前のことだ。佐伯から瞬くんが風邪を引いたから今回河合さんちでの会合はパスという連絡があった。夏風邪を引いたらしい。
 夏に体調崩すとしんどいんだよなあ。いつだってしんどいけど、寒気がするのに布団を被ると暑いというのはなかなか地獄だと思う。冬はひたすら暖めればいいが、夏の汗がべたべたする寝苦しさは独特だ。
 看病しながらでは買い物も行きにくいだろう。あの年ならまだ熱性けいれんとかを引き起こす可能性はあるわけだし。
 もし買い出しが必要なら頼まれるよと連絡したが、しばらくはなんとかなるそうだ。最悪河合さんが行ってくれることになってるらしい。しかし、うーん……心配だ……。
 こういうときやっぱり部外者の立場にいると歯がゆい。
 絶対子供は風邪引いたりウイルス貰ったりするもんだしなあ……、そうなるとどこかに預けるっていうのはかなりハードル高くなるし、看病しないといけないし、一人で面倒みながら仕事ってできなくないか……? 相当大変なことなんじゃないだろうか……。でも世の中には他に頼れる人もいないなか、一人で面倒を見る状況にいる人は絶対いるんだよな。
 だからといって、やっぱり俺が佐伯の住むアパートに出入りするのはよくないだろう。俺の立場云々関係なく、シングルマザーへの援助として借りているというアパートに男が入っていけば関係を疑われても文句は言えない。


 アパートは所得と月に何回以上の通院がある人のみ入居可能という制限があるらしい。つまり父親の協力を得られず発散治療を受ける子供の家庭ばかりなのだ。
 経済状況によってかなり格安、場合によってはほぼ無料で借りられるそうだが、その分あまり良い住まいとは言い難いらしい。セキュリティ面など非常に心配である。
 これからは治療が浸透してきたおかげで、父親が早くに亡くなって治療に協力できないという自体は格段に減るだろう。事情のある子以外は投薬治療で済むようになるのだ。だとするとやっぱり、そもそも数の少ない治療を受けなければいけない人の中で、またさらに少ない発散治療を受けなくてはいけない、かつ経済的に困窮している家庭というのは少なくなる。となればあまり手厚いサポート環境を作っても無駄になる、ということで後回しになっているらしいのだ。とりあえず住む場所だけ、という形らしい。そりゃあ、住む場所すらなかった佐伯にとってはありがたいことだったろうけど。
 とにかく、そういった頼れる人がいない子持ちの女性が仕方なしに住むような場所だ。男子禁制とまではいかないが、成人の男があんまり立ち入っていい場所ではないことは確かだ。もちろん兄弟や親戚が訪ねることはいくらでもあるだろうから、なんでもかんでも疑われはしないだろうけど……。悪目立ちはするだろう。
 瞬くんにはしきりにうちに遊びに来てと誘われているのだが、それは叶いそうにない。でもそこから引っ越したら……もしかしたら一緒に暮らせたり……ちょっと期待してしまう自分がいる。
 佐伯は俺のことどう思ってるのかな……。
 当然かもしれないが、佐伯から俺に会おうと誘われたことはない。
 離婚したけど子供に会いたいがために接点を持つ元夫婦って、こんな感じなのかなあ……。

 佐伯とは一日に1、2回程度メールのやりとりをする日々が続いた。本当はもっと両親との顔合わせ前に今後について擦り合わせをしたかったのだが、それより瞬くんの風邪の容体が心配である。熱が下がったと思ったらまたぶり返したりとなかなかしつこいらしい。
 俺は俺で研修も大詰めということで少しだけバタバタしていた。
 ここにきて少し仕事内容が増えたり、今まで助手的な役回りをしていたのに先生はサポートにまわって、代わりに説明を任されたりした。
 そうなるといくら対策していたつもりでも勉強不足を実感させられるのだ。よく出来ていたと褒められはしたけど。
 しかしもうセンターで働けるのもこれっきりだと思うと、もっと何か得られるものはあるんじゃないかと思ってしまう。
 他の部署の人の話だって聞きたい。でもこれはもはや俺の好奇心でしかないしなあ。

 最終日の前日、飲み会に誘われた。といっても明日もあるんだし、がっつり夜中までってわけじゃない。ただ他の部署の同期たちはこれまでもちょこちょこ集まっていたらしい。俺のところはあまり研修生同士での関わりはなかったから、飲み会なんていうのはなかったけど。な、なかったはずだ。俺が一人ハブられているわけでない限り……。
 まあとにかく、一度俺と話してみたかったと言われた。悪い気分じゃない。
 夜深くまで飲むわけでもなければ、俺は二日酔いなんてするタイプじゃないし、たまにはいいかと参加することにした。
 よく考えたら二ヶ月近く研修に参加してきたのに、同じ立場の連中とじっくり話すのは初めてのことだった。飯島とだって昼時一緒になるだけだったし。
 そしてみんな何度か合コンを開いたりもしていたらしい。さすがにちょっと泣きそうになった。興味ないと思ったから誘わなかったとは言われたし、たしかにその通りなんだけどさ……。
 俺は佐伯のことばっかり考えていて、すぐ側で一緒に働いてたやつらのこと何にも見てなかったんだなと改めて気づかされる。そしてそれは周りにもなんとなく伝わっていたんだろう。今更自覚した。
 もしもどうにか佐伯との関係が落ち着けるようなときがきたら、その時はもっと周りにも目を向けようとそう思った。そうすれば、うまく話せるだろうか。変に壁を作ったりせず、高校の頃佐伯たちと仲良くなれたように。
 少し、自信ない。
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