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14章

 家に帰る頃にはすっかり夕方になっていた。
 俺は両親に佐伯との話をする覚悟を決め、帰るなり母親に声をかける。
 父が帰るのは九時頃らしい。父の帰宅時間なんて今まで一度も聞いたことがないから、母親は俺が一体何をする気なのかと少し警戒しているようだ。
 俺は比較的母親とは仲がいい息子だと思う。反抗期もなかったし。まあ、佐伯関連のことがあったあたりのころは家では荒れてたけど、それでもよくテレビで聞くような反抗期体験よりは大人しかったはずだ。
 さすがに母親と二人ででかけるなんてことはなくなったけど、会話は十分ある。
 まあ、そんな関係なのでこちらの変化は手に取るようにわかるようだ。
 実際佐伯と再会できた日なんかは何度も何かあったのか聞かれたし。しらばっくれたけど。
 とはいえ今は学生という身分であるものの成人しているし、俺が自分から相談しない限りは自由にさせてくれていた。放置というより信頼というように受け取っている。
 ……そう考えると、今夜の報告は気が重い。
 いいや、彼女に子供ができたっていう最大の告白はもう高校時代に終えているんだ。その責任を取りたいという当然のことを報告するのだから、悪さをしたわけではないし、むしろ大人として当然の判断のはずだ。そう考えると悲しませるほどのことではない……かな……?
 まあなんにせよ十分そこらで終わる話ではないから、覚悟を決めないと。

 さて、九時すぎに帰ってきた父が遅い夕食を食べ、お風呂から上がった頃十一時前となっていた。
 明日も早くに家を出る父の睡眠時間を削るのは非常に心苦しいことだが、そうでもしないと忙しい父とじっくり話すなんてことはできない。頃合いを見て俺は部屋をでて、ソファでスマホを確認している父と、キッチンで夕飯の後始末をしていた母に、ちょっと話がと声をかけた。
 なんとなくダイニングで食事をとるときのいつもの席に座る。

「えーと……あのー、パパとママには色々苦労や心配をかけて、大学まで行かせて貰って、とても感謝しています……」

 なんだこの挨拶……。なんとなく予防線を張ろうとしてしまっている気がする。
 俺は昔から回りくどいことはせず、すぐ本題に入ってすぐ問題を解決しようとしてしまう癖がある。別に欠点というほどじゃないけど、あまり可愛がられる部分ではないというのは確かだ。予備動作とか、前置きというものがかなり少ないのだ。それを自覚しているせいか、できもしないのにまどろっこしい切り出し方をしているな、と、自己分析した。いや、ただ言い出しにくくて遠回りしているだけか。

「お、おかげさまでセンターでの研修ができまして……、本来ならこのままセンターに就職する予定だったんですが……」
「えっもしかして留年……?」

 母が手で口元を覆い、まさか、という表情をする。

「あっいや、そこは全然大丈夫。余裕」

 卒論もないし、資格だって取ったし、単位だって十分問題ない。もう今後卒業を脅かすものはないはずだ。おそらく大学というものは俺にあっていたのだ。他の大学がどうなのかは知らないけど。
 まあ、そんな話わざわざしないから、実は遊び呆けてました、なんて告白されると思ったのかな。

「そこじゃなくてさ、その……とある理由でセンターでの就職はできなくなりまして……。あ、でも研修は最後までできるし、そしたら他の病院とかにもそのまま応募できるから、一から就活やりなおしってわけでもないんだけどさ……、とにかくそういう方針にしたっていうことは言っておこうと思って……」
「……はあ……。まあ、流ちゃんのことだから色々考えて決めたことだろうし、反対なんかしないけど……」

 母は話があまり見えないのか不安そうだ。まあ、本題はここじゃないっていうのは伝わっているんだろう。
 父は何も喋らない。父は穏やかな人なのだが、その穏やかさが俺に遠慮しているように感じている。
 父と母は年の差が結構開いているのだ。母が童顔なのもあって親子だと勘違いされるくらいだ。そしてそうなると俺とはもっと年が離れているわけだし、血の繋がりもないせいかやっぱり距離を感じる親子関係だと思う。しかしお互い嫌悪感とかはもちろん抱いていないし、居心地の悪さはないのだ。家族と思っているが、ただ相手の気持ちを推し量れるほど距離は近くない。俺のことを一人の人間だと思ってくれているから、一定の距離を保っているのだと勝手に解釈している。

「その……高校の時、付き合ってた子が妊娠して、そのまま行方をくらませちゃったってこと、あった……じゃん?」

 空気が一気に重たくなった気がする。この四年間、家庭内でこの話題はタブーとなっていたのだ。

「その相手が先日見つかったんだ。子供もいる。俺の子供だよ」

 母が息を飲むのがわかった。
 言葉を選んでいるのか、何を考えているのかはわからないが、俺は一方的に続けた。

「それでね、ママたちはわかってると思うけど、俺の子供ってことはその子もセンターで治療を受けないといけないんだ。元々その可能性を見越してセンター勤めを目指してたんだけど、実際その子の父親として治療に協力しつつ働くっていうのは難しいみたいで、それで就職は諦めざるを得なかったというわけなんだよ」
「……そう……見つかったの……」

 母の反応はちょっと遅い。ちゃんと今の説明を理解してくれているのだろうか。
 次に口を開いたのは父だった。

「……その相手の子は……たしか結婚したんじゃなかったかい」
「うん、でも相手の浮気で離婚したんだって。そこからしばらく住み込みのお店で働いてたみたいんだんだけど、先月こっちに引っ越してきたんだ。それでセンターに子供を連れてきたときに再会したというわけです」

 あくまでも離婚の原因は佐伯じゃないぞ! ということを主張したかったのだが、余計なお世話だったりするんだろうか。下手に庇っても悪印象を持たれそうで怖い。
 そのあとは現状の報告をした。俺が協力することで、治療内容が変わって、受けられるはずだった援助がだめになってしまって、そのうち住む場所もなくなるということ。本人は迷惑をかけたくないというが、俺はなんとか手を貸したいということ。

「今日そういう説明を受けたばかりで、まだきちんと二人で相談はできてないんだけどさ。俺は正直生活費とか、子供を育てるためにどのくらいのお金が必要なのかもわからなくて……、もちろん就職するまで貯金とバイト代でなんとかしようとは思ってるけど、実際できるのかとかわからなくて……」

 口に出る言葉が全部情けない。ここまで大事に育てて貰った自覚があるのに、こんなお願いしなきゃいけないなんて。

「あ、あの、だから、養ってもらってる身で言えることじゃないっていうのは重々承知の上で、厚かましい頼みなんですけど、働けるようになったら必ず返済するので、それまでの間援助して頂けないでしょうか……」

 膝の上で作った拳を睨みながら、頭を下げる。
 二人の表情は見れなかった。
 勘当されたって文句は言えない立場だ。

「……それは、この家を出て三人で暮らすということかな。それとも我が家で同居するということ?」

 感情の見えない父の声だった。

「……まだ、そういう話はしてないです。俺としてはすぐにでも籍を入れたいと思っているけど、向こうは恐縮してしまっているというか……全然頼ってくれそうになくて……。でも、決して経済的に余裕があるわけではないから、無理矢理にでもそこは俺がなんとかしたくて……」
「流くん一人で空回ってはいない?」
「……そう、かもしれないです……けど……」

 しかし、この状況で空回ってでも動かずにはいられないのだ。
 ぼーっとしているうちに、もしまた佐伯がどこかへ行ったらと思うと怖い。現実的に瞬くんの状況を思えばそこまでしないだろうとは思うものの、それでも何もしないでいるのは嫌なのだ。

「パパ、意地悪な言い方はやめましょうよ。流ちゃん、私たちにできることならなんでもするから、安心しなさい」
「え……」
「……それはいくらなんでも甘すぎるんじゃ……」
「甘いも辛いもありません! 現実に相手の子がいて、その子供までいるんですから。ここで私たちが自分の息子の尻拭いもせず突き放して、なにもできなかったらそのしわ寄せは全部その子たちにいくのよ? そんなの間違ってます」

 あっけに取られた。俺も父も。
 母は普段あまり自分の意見を主張する人ではない。おおらかで、のほほんとしていて、聞き上手な人なのだ。もちろん夫婦喧嘩なんてみたこともないし、こうして声を荒らげて父の話を遮るところは、人生で一度も見たことがなかった。
 母はすぐに普段の落ち着きを取り戻すと、再び口を開いた。

「まずはその子と……相手のご両親ともきちんと話をしないと。こちらで一方的に決めることなんてできないわ」
「……本人もママたちに挨拶しなきゃと言ってるんだ。……でも相手の親は絶縁状態みたいで、今どこに住んでるのかもわからないみたいだから……」

 まあ。と母は辛そうな表情をした。
 当時佐伯の家がもぬけの殻となっていたときは、家族全員で引っ越したんだと解釈していた。しかし実際は佐伯は遠くの地に追いやられ、他の家族は全く違う場所に移ったのだ。俺がいなければ、今もきっと家族としてあそこに住んでいられたはずなのに。
 元々仲のいい家族ではないというのはわかっていることだったが、だからといって見放されて捨てられても平気だという奴はなかなかいないだろう。佐伯本人が探せば見つかるかもしれない。でもそうまでして再会して、いい結果が訪れるとは思えない。
 母の勢いに圧倒され、黙っていた父は眉間を揉むような仕草をして、深いため息をついた。
 それから母と目を合わせて、それから俺にまっすぐ目を向けた。

「……わかった。まずは二人で話し合って方針を決めなさい。幸い部屋も余っているし、こちらでできることは協力するから、それもきちんと伝えるんだよ。それから改めて相手の子も含めて話をしよう。相手の子の名前は?」
「間宮千紗。子供の名前は瞬だよ」
「千紗さんに瞬くん……そう……」

 母はその名前を確かめるように呟いた。心なしか、表情は嬉しそうに見えた。
 そうして家族会議は解散となった。父が部屋に戻ったあと、母がこそこそ近づいてきて子供の写真はないのかとちょっかいを出してきた。

「まあ、流ちゃんの小さい頃にそっくり! ほら、この表情とか、悠さんにもよく似てるわね」

 悠さんというのは俺の実の父親の方だ。瞬くんは佐伯似で、それほど俺に似てる部分があるとは思っていなかったのだが、まあ、自分の顔なんて母ほど把握していないからな。

「でも目のあたりとか佐伯くんにそっくり」
「……ママ、佐伯のこと覚えてたの?」
「当たり前じゃない。流ちゃんが初めて遊びに連れてきた友達なんだから」

 そうだ。母は男時代の佐伯を知っているのだ。その佐伯が女になって、俺と付き合ってたこともバレている。
 普通、もっと色々な部分で説明しなきゃいけなかったり、叱られたり、嫌悪感を抱かれてもおかしくはないんだと思う。それなのになんの疑問も抱いていないような素振りで、ただ受け入れてくれる。
 それが本当に、ありがたかった。
 そう、俺の男友達の佐伯は確かにいたのだ。

「……ごめん、ありがとう……」

 他にも感謝しなきゃいけないことは、今日だけだってたくさんあるのに、それが本当に、自分が思っていた以上に、嬉しかった。
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