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14章

「そういえば、ご飯どうする予定なの? このままうちで食べる? 何か頼みましょうか」

 河合さんのセリフに時計を確認する。

「あっ、いいかな? 近くのお店に入ろうかと思ってたんだけど……、ここの方がありがたいな。河合さんもお昼の準備できてないよね。出前とるか俺買ってこようか」
「そんな、ずっと居座ってるなんて悪いよ。お店開けなくて大丈夫なの?」
「いいのいいの。常連さんたちも暑いからか夕暮れあたりにしか来てくれないもの。うち冷房弱いし」

 口々に話すもんだから、瞬くんは会話についていけないのか、ぽけーっとみんなの顔を見て首を傾げている。

「瞬くん、お昼なにか食べたいものある?」
「……オムライス」
「近くに洋食屋さんがあるわ。出前はやってないから取りに行かないといけないけど」
「あ、じゃあ俺行ってくるよ。さえ……あー、間宮さんは何食べたい? 向こうでメニュー確認してから連絡しようか」
「えっ、えっと……私はいいよ、瞬の残り食べるから」
「わたしはサンドイッチね」

 女子二人の食事量がちょっと心配になる……。
 ま、まあいいか。オムライスに、サンドイッチね、と復唱し、河合さんに道を教えて貰って靴を履く。時間は十一時過ぎ。これから混み始める時間だろうか。待たされないといいけど。

「しゅんもいく!」
「あっ」

 さっきまで佐伯の膝でごろごろしていたのに、元気な声が聞こえたかと思うといつの間にかすぐ後ろで自分の靴を拾っているところだった。

「え、えっと、ママ行かないよ? 外暑いし、さっき買った本読んで待ってなよ」
「しゅんそといきたい」

 佐伯と顔を見合わせる。

「な、なんでー? うーん、それじゃあ私も……、あ、それか河合さんも一緒に行ってお店で食べる?」
「おみせでごはんやだ!」
「ええーっ」

 ええーって。突然のわがままに佐伯はびっくりしているようだった。

「わたしも外食はちょっと」

 なるほど。大人しい二人には通ずる何かがあるらしい。

「ふ、二人で行ってこようか? 俺と瞬くんで……」
「帰りは荷物で手ふさがっちゃうかもでしょ? 瞬、手繋いでないと危ないから」
「あ、そ、そうか」

 危ない、全く考えてなかった……。

「三人でいってらっしゃいな。向こうでメニューみたら他に食べたいものとかあるかもしれないし」
「そ、そうだね。ごめんね河合さん一人になっちゃうけど……一緒にくる?」
「行かないわよ」

 バッサリだ。まあ、暑い中ぞろぞろと連れだって歩いたってしょうがないか。
 三人で行動するなんて、俺からしたら願ってもない状況だし、ラッキーだと思おう。


 今日は雲ひとつない真夏日だ。外に出た瞬間げんなりするほど暑い日差しが差す。
 佐伯は瞬くんに帽子を被せた。

「あつーい」

 何故か瞬くんは嬉しそうに声をあげる。
 瞬くんが跳ねるたび、繋いでいる佐伯の腕も揺れた。
 行きと違い、なぜか俺と手を繋いでくれなかったので横で眺めている。

「瞬くんは海とか水遊びって平気なタイプ?」
「いや、まだそういう経験なくて……。遠出とかできなかったから」
「そうなんだ。でも今年からは行けるんじゃない?」
「そう……だね。そっか……考えてなかったな。色々手続きとかで頭がいっぱいで……」
「あっそうか、ごめん、そうだよね」

 引っ越しやら検査やらでそれどころではなかったのか。
 俺の課題や試験みたいなのとは比にならない、今後の生活がかかることなのだからそりゃあ遊びに出る余裕なんてないよな。
 ちょっと能天気だったかもしれない。俺はこれから夏休みだ。センターのことは色々心配があるけど、でもなるようになるだろうと思っている。でも佐伯はこれから先ずっと瞬くんの治療のことや収入のこと、あと保育園だとか学校だとか、考えなくてはいけないことは山ほどあるのだ。

「うみってさーひろいんでしょ?」

 会話に瞬くんが割って入る。

「そうだよ。すんごい広いよ。あと磯臭い」
「くさいの!?」

 うそでしょ? みたいな顔を見て佐伯がくすくすと笑った。

「うみかーしゅんもうみいきたいなーふねにのりたいからー」

 独り言のように瞬くんは呟く。連れてって! というわけでもなく。
 いいよ! 行こうか! と言ってやりたい。土日なら可能だ。
 しかしそれは佐伯の予定も縛ってしまうわけで。
 ……いや、そもそも研修が中断となるなら就活をはじめなきゃいけないんだから、俺だってそんな余裕はないのかもしれないよな……。

 今頃俺の処分について先生たちは話し合ってるんだろうか。それともこんなふざけた相談には誰も取り合わないんだろうか。形だけ他の先生なんかとも相談というていをとって、実際は話し合うまでもなく研修中断で決定みたいな。
 その場合このタイミングで就活をはじめて、一年目から人二人を養える収入を得られる仕事ってどれだけあるだろう……。佐伯からするとありがた迷惑かもしれないが、二人がお金に困るなんてことないように、ちゃんと考えたいのだ。
 ……そう考えると、今のうちからバイトして貯金しておくに越したことはないよな。
 まあ、なんにせよセンターでの処分が決まってからだ。
 一人でああだこうだ考えていると、くいくいと服の裾を引っ張られた。

「さっきのおんなのこかわいかったね」
「お。見る目があるね」

 そして何故俺にそれを言う?
 そりゃあ河合さんの見た目は殆どの人が「非常によい」という評価を下すこと間違いなしだ。
 だけど佐伯の前で他の、特に河合さんを褒めるのは避けたい。でも言われたら同意せざるを得ないじゃないか。だって河合さんだぞ!
 違うんだよ、これは相対的な評価じゃないんだよ、どっちも全く路線が違っていて比較するもんではないんだよ!
 しかし当の佐伯はなんら気にしていないらしい。

「女の子って……河合さんのこと? ママと同い年だよ? 河合お姉ちゃんって呼んであげてね」
「ママもかわいい」
「あ、ありがとね。……あれ、もしかして瞬、河合さんに照れちゃって外出たがったの?」
「ちーがーう!」

 瞬くんは笑いながら体をぐねぐねして否定している。照れ隠しがあまりにも下手だ!

「早くも女子に興味が……」
「男の子って小さい頃から女好きな子多いみたいだよ。本人の前じゃかっこつけちゃうんだけどね」
「女好きっていうか、ママが好きの延長じゃない?」
「そ、そっかな?」

 佐伯は嬉しそうにはにかんで肩を竦めた。
 瞬くん、見た目は佐伯に似てると思うんだけど、今のところ性格は全然似てないよな。恥ずかしがり屋だし。
 まだ少ししか一緒にいないのに知った気になってもしょうがないけど。

「おっと、ここだね」
「わあ、瞬、前いたおうち思い出すねえ」
「あー。るんちゃんち?」
「るんちゃん?」
「そこで飼ってた魚の名前」

 魚の家だと思ってるんだ……。
 中に入り、テイクアウトをお願いするとメニュー表が渡された。ついでに瞬くんは暑かったでしょー、とお水を貰っていた。帽子を脱ぐと汗で額に髪の毛が張り付いている。

「瞬くん、ほんとにオムライスでいい?」
「いい」
「ジュースは? ほら、バナナジュースと、ミックスジュースと、オレンジジュースがあるよ」
「バナナ!」

 すごい。全く迷うそぶりがない。
 それに声もよく出るようになった。はじめは消えそうな声だったのに。

「わかった、バナナね。……ねえ、やっぱ間宮さんも何か食べなよ。オムライス残ったら俺食べるよ」
「え、いいよ~、私だって一人前食べきれるかわかんないし。瞬の残した分がちょうどいい量なんだ」

 ……いやあそう言われても……俺は佐伯がかなり痩せていることが気になっているのだ。
 もともと痩せ型なのに、それでも高校時代はもう少し筋肉とか肉感があったと思う。
 しかし結局佐伯は大丈夫大丈夫といって、瞬くんと同じバナナジュースだけ頼んだ。せっかくなので飲むかわからないけど河合さんの分も頼み、俺はチキン南蛮を頼んだ。あとは河合さんのサンドイッチ。
 瞬くんはさておき、まるで俺だけしっかり食べる気満々みたいでちょっと恥ずかしいじゃないか。
 注文を頼んだあとはお会計……と思ったのだが、お店に注文の電話が入ったようなので後回しだ。お昼前からすでに忙しそうだな。出入り口のそばに並べられた椅子に座って待つことにする。

「ねえもうおうちかえる?」
「さっきのとこでご飯食べたら帰ろっか。疲れちゃった? さっきお昼寝したのに」
「しゅんねてないよ」
「寝てたよーぐっすりだったよ」
「しゅんさあ、ごはんやさんごっこしたいんだよねえ」

 そっかー。だいぶ今の状況に引っ張られてるな。
 瞬くんは最初に会ったときに比べるとずっとよく動くし饒舌だ。やはり外にいるせいか、先ほどよりも大人しく、きちんと大人しく椅子に座っているが。
 佐伯曰く家ではいつもこんな感じらしい。内弁慶のようだ。まあ、この年頃の子なら珍しくはない。俺のことも早くも「内」に入れてくれてるとしたら嬉しいもんじゃないか。
 しばらく待っていると常連らしいおじいさんがやってきて、予約していたのか、俺たちと同じくテイクアウトを電話で注文していたのか、店員さんに声をかけてそばの椅子に座った。

「オムライスとサンドイッチとチキン南蛮定食、あとバナナジュース3つお待ちどうさまー。こっちの袋倒さないよう気をつけてね」
「あ、はい。どうもー」

 俺と佐伯が会計している間、瞬くんは佐伯の腰にひっついている。
 すると常連のお客さんがにこにこと瞬くんに話しかけた。

「ボクいいねえ、お兄ちゃんたちと仲良いんだねえ」
「ううん、パパとママだよ」

 ……。
 俺が固まってる横で、佐伯がギョッとした顔で瞬くんを振り返っているのがわかった。
 ついでに真正面のレジのおばさんもぽかんとしていて、そして当の俺は、俺は、情けないことに、反応し損ねてしまった……。
 今まさに会計中、ここは俺が払うから、いやいやそんなわけにはいかないよ、本まで買ってもらったのにと問答を繰り広げていたのだ。苗字を呼び合って。そんなパパとママっているかな……?

ーーー

 帰る道中、俺も佐伯も瞬くんに深く追及できずにいた。
 いつ気付いてたの~? とか、どうしてパパだと思ったの~? とか。下手に聞くと、なんとなくパパって呼んでくれたことを否定することになりそうで。かといって積極的に肯定するのもなんだかちょっとはばかられた。
 だって俺がそれにノリノリになるのは、ほら、この子がこう言うんだからお前も俺を旦那として認めろ~! って暗に佐伯に迫るようじゃないか。
 佐伯が自分のことより瞬くんの気持ちを大事に考えるように、俺だって佐伯の気持ちが大事なのだ。
 でも佐伯に気を遣って、俺はパパじゃないんだよ~っていうのはただの嘘だし。
 佐伯は瞬くんが見ていないところで渋い顔をしていた。
 てっきり学生さんかと思ったわ〜という店員さんの言葉に、は、ははは〜と笑ってやり過ごしたのを思い返す。やっぱり俺の見た目はいくら大人っぽくなったとはいえ、老け顔ではないし、よくて年相応なのだ。多分高校生に混じっていてもそれほど違和感はないのだろう。

 もし、瞬くんがどこかで確信を持ってパパと呼んでくれたのだとしたら……。
 でも、それと佐伯の感情は別だ。子は鎹っていうけど、子供のために親が好きでもない相手と一緒新居いて仮面夫婦するなんて、絶対不健全だし、それは子供にも伝わると思う。ああ、そういえば、佐伯の前の結婚がそんな感じになるのか。
 やれやれだ。子供を大人の事情で振り回すなんて絶対だめなのはわかってるのに、大人の事情を自分たちだけで押しとどめてうまく解決することができない。
 ずっと色んな人を巻き込みっぱなしだ。


 それでも結局、大人は取り繕うのだってうまいのだ。
 三人でご飯を持ち帰り、河合さんと食卓を囲う頃には先ほどのことはなかったかのように元通りだった。
 瞬くんも俺のことは相変わらずお兄ちゃんと呼ぶし。
 そしてオムライスの三分の二を食べて、残りは佐伯が食べた。どう考えたって成人女性の一食分にしては少なすぎる。河合さんのサンドイッチを分けて貰ってたけど、ひとくちサイズのものを数種類分詰め合わせているものだったので、やっぱり佐伯が食べた量はかなり少ないと思う。
 子供のご飯の用意をしているのだから、杜撰な食生活をしているってことはないだろうが、心配だな。学生時代はよく食べていたからなおさらだ。
 そうして食事を終えると、まだ一時頃だったのだが、その日は解散ということになった。
 家事が溜まってるのだそうだ。
 河合さんと瞬くんは結局打ち解けることができず、お互い相手を認識してるくせに関わらないという絶妙な距離感を保ちながら別れた。
 俺も家が近いし、バス停まで二人を見送ることにした。

「瞬くん、楽しかった?」
「んー、うん。つぎこうえんいこ」
「うん、今度ね。また仲良くしてね」
「……ごめんね、この子色々わがまましちゃって。こんなに懐くとは思っても見なかったから……」
「ううん、嬉しいよ。気を遣わせるんじゃないかって思ってたから、安心した」

 今日は俺と瞬くんが打ち解けるために設けた日だ。
 そう考えると結果としてはかなり前進できたんじゃないだろうか。次に会ったときはまたリセットされてる可能性もあるけど。
 うん、そうだよな。上々だ。

「瞬くん、本、大事にしてね」
「うん、ばいばい」
「ええっ、ま、まだいるよ、バス来るまでいさせてよ」

 早く帰ってほしいんですか!?
 ちょっと子供心がわからない。勉強不足だな……。

「それにしても、ほんと、ちゃんとお母さんやってて立派だよ」
「ええ? そりゃあお母さん歴四年だもん。それに多分瞬がしっかりしてるから、私が甘えてるだけで、ダメなとこいっぱいだよ~」

 今日だってゴミ捨て忘れちゃったし、と瞬くんの後ろ頭を眺めながら佐伯は呟く。瞬くんはバスの時刻表を読むのに必死だ。意味はわかっていないと思う。
 佐伯は、相変わらず瞬くんの前だと明るい。高校時代の記憶と全然変わりがない。そのことを実感して嬉しく思うのに、でも、二人きりで話した時の雰囲気を思い出すとやっぱり無理をさせているのだろうかと思い、なんだか泣きそうになる。
 いや、だめだ。贅沢を言うな。気分を切り替えねば。

「俺も実はさ、家事ちょっとはできるようになったんだよ」
「うそっ、料理も?」
「料理はね……レシピがあればなんとかってレベルだけど……」
「えー、すごいじゃん。桐谷のお母さんのレシピあれば最強でしょ。いいなあ。私も桐谷も、一生料理なんてやらなそーって思ってたのにね」
「そうだねえ……」

 漠然と大人になったら一人暮らしするんだろうと思っていたので、そのうち覚えれるような気もしていたのだが、しかし必要ないのに自ら料理をするなんて考えもしなかった。だって外に出ればいくらでもおいしい食べ物はあるし。
 佐伯にさ、釣り合う男になろうと思って色々頑張ったんだよ。と、いつか言いたい。今はダメだ。きっと佐伯は素直に受け取ってくれない。
 いつか、そうだったの? ありがとー、なんて言われたら、そうしたら俺はやっと、報われたと思うんだろう。報われたくてやってるわけじゃ、ないけどさ。

「瞬くん、ママの作るご飯なにが一番好き?」
「ちくわ」

 そっか……。
 ……佐伯、親の心子知らずっていうだろ。そんな顔するなって……。
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