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14章

 河合さんに促され、瞬くんは少し奥に座布団を敷いて寝かせておくことにした。
 さすが俺の子といったところである。活字欲と睡眠欲は並ではないようだ。

「とうとうわたしも友達に子供ができる年になったのねえ……」
「いや、まあ、俺たちはだいぶフライングしてるけどね」

 まああり得なくはない年にはなっているけど。友人の話では成人式のときも赤ちゃん連れの参加者もいたらしいし。田舎だというのもあって、まあ早いやつは早いよな。
 ……いや、まあ、人のことは言えないんだが……。
 ゼリーは冷蔵庫に帰って行った。瞬くん抜きで食べるのも忍びないので食後のおやつになる予定である。

「それで、二人は式とか挙げるの?」
「えっ?」

 突然投げられた河合さんの一言に、俺も佐伯も固まる。

「いや、あの、私、結婚とか……そういうのはまだちょっと……」
「まだっていうか……ね、ほら、……ね!」

 わたわたと二人で弁解する。
 か、河合さん、そこはね、デリケートな問題だからね……察してくれ……と思うものの、河合さんはぱちくりと目を瞬かせ、追い討ちをかける。

「あら。だって佐伯離婚したんでしょ? じゃあちょうどいいじゃない。瞬くんも桐谷に懐いているし、喧嘩別れしたんでもないんでしょ」
「そ、それはそうだけど……。それと父親として受け入れてくれるかはまた別の話で……」
「そうかしら。ああいう大人しい子って最初のハードルが高いけど、一度心開いたら一気に懐いてくれるタイプじゃないかしら。ね、佐伯もさっき驚いてたもの」
「え、あ、うん。すごいよ、あんなに人にリラックスしてるとこ見たことないもん」

 確かに、座椅子みたいな扱いされてたけど。
 でも佐伯がそばにいるとやっぱり佐伯にひっついてしまうし、まだまだぎこちない。
 まあ、そりゃたった数十分の触れあいでお母さんに匹敵するほど懐かれるとは思ってないけど。
 しかし、問題は瞬くんのことだけではない。佐伯だって、やっぱり前と比べると少し壁がある。今は落ち着いて接してくれているけど、それだって瞬くんの治療の話があったから話を聞いてくれただけのような気もするし。多分、そういう事情がなくてただ街中でばったり再会しただけだったら、とっくに逃げられていた気がする。
 だから、やっぱり、難しいのだ。
 ただこの問題に第三者を立ち入らせるのは少しずるい気もするので、適当に誤魔化す。

「と、とにかくまだ再会して一週間だからね。そんな急いでもお互いいいことはないだろうし」
「……うん。それに今はまだ桐谷の研修のこととかあるものね。あんまり個人的に繋がりあるって周りにバレたら迷惑かけちゃうから……」
「そうなの?」

 そういって俺に視線を向けた河合さんの目には、どことなく非難めいたものを感じる。
 自分の子供のことなのに迷惑とは何事か、みたいな目だ。俺は迷惑なんて思ってないぞ! センター側がちょっとややこしそうなだけだ!

「だから佐伯は迷惑とか考えなくていいってば。第一センター勤め目指したのだって佐伯を見つけるためだし……」

 あ。と、佐伯のまんまるな目を見て、しまったと思い至った。これは言っていなかったんだ。
 佐伯は眉間に皺を寄せて、小さく口を開いて息を吸った。

「うそ、そんな、オレのせい?」
「さ、佐伯のせいじゃなくて佐伯のお陰だよ! どうせやりたいこともなかったんだから、ほっといたらなんの目的もなくずっとだらだらしてたしさ、おかげで色々頑張れたんだよ」
「で、でも……、それでもしオレとのことで研修や就職ダメになったら……どうするのさ……」

 あ……やばい。佐伯のよくないスイッチが入りそうだ。河合さんとちらりと視線を合わせる。
 河合さんは知らないだろう。佐伯はこういう奴なのだ。自分が人に悪い影響を与えているとすぐに考えてしまう奴なのだ。自己評価が大変低いやつなのだ。

「もし、オレたちが別のセンターに行ってて、一生会えなかったら、どうしてるつもりだったんだよ」
「それは、考えてなかったかなあ……」

 ぎゅっと佐伯の口がへの字になる。

「まあ、結果会えたんだからよかったじゃないか」
「そうよ、桐谷が勝手にやったことなんだから、佐伯が気に病むことないわよ。もし就職がダメになったって、なんとかなるわよ。この人資格マニアなんだから。どこでだってやっていけるわよ」

 そ、そんな風に思ってたんだ……。
 こういうとき河合さんの適当さがありがたい。
 確かにその通りで、いざというときもどうにかなるだろうとは思っているのだ。大学での勉強を活かした職も、堅実な仕事ってなるとセンターや病院に勤めるくらいしか思い浮かばないしハードルは高いが、広い目で見れば意外と色んな仕事があるし。
 しかし佐伯はそういう事情なんてわかりっこないだろう。テーブルをじっと見つめて若干うなだれているようだった。

「……全然知らないところで、人の人生変えちゃってるなんて……」
「ま、そういうもんよ」

 河合さんは達観していた。
 俺だって、知らないところでじゃないけど、佐伯の人生を大きく変えてしまってるんだ。河合さんの言う通り、そういうもん、である。

「わたしは子育てのこととか全くわからないし人の都合だってわからないんだけど……」

 河合さんはぽりぽりとこめかみを掻いた。河合さんは昔からシンプルだ。
 あれこれ考えたり、気を遣ったりはするけど、変にねじ曲げたりひねくれたりはしない。佐伯のように、他人にだけ注目して自分のことをないがしろにすることもない。

「桐谷は佐伯に対しての桐谷の責任を果たすべきだと思うし、佐伯も桐谷への責任を果たすべきだと思う」

 最高だな。
 正論すぎる。昔の俺が大好きなやつだ。
 でも正論で佐伯の気持ちが救われるわけではないし、瞬くんが俺を父親として受け入れてくれるわけでもない。
 もちろんそれは俺にとっては都合のいい話だ。
 俺は佐伯と瞬くんの家族になって責任を負いたいのだ。でもそれができれば満足というわけではない。自分が、佐伯と瞬くんを幸せにしたいのだ。それは俺が頑張ればなんとかなるという話ではない。そんなものは俺の自己満足だ。
 もし佐伯が、瞬くんの治療のことや、俺の進路を大きく変えたことへの負い目で責任を果たすために結婚してくれるとしたら、それはどう考えたって不幸だ。
 言葉にするとこの上ないわがままだが、俺が佐伯や瞬くんを好きなように、佐伯や瞬くんも俺を好きでいてくれた状態で家族になりたいのだ。でも、それはどうすればいいのかわからない。

「……もちろん、責任はあるけどさ。わざわざそれを口に出してしまうと、まるで義務感で仲良くしているみたいで嫌だな。俺は違うし、佐伯たちにもそうして欲しくない」
「なるほど。それはたしかにそうね」

 河合さんは当然のことを言ったまでだ。何も間違えてはいない。
 責任を果たすっていうなら、俺は黙って血とお金を出していればいい話なのだ。というか、佐伯にもし他にいい人がいるとか、今後現れたときのためにはそうすべきだと思う。
 しかしもし佐伯が嫌なら無理しなくていいんだよといっても、佐伯は、はい嫌ですと避けられる立場だろうか。子供の治療に協力させて、でも子供とは親子として接することはできない、ただお金と血だけ貰う。なんて、どれだけこちらがそれでもいいんだよと言っていたって、ひどい仕打ちだと思うんではないだろうか。
 それでなくたって人を突き放すのが下手くそなやつなのに。
 ……よくないな、それは。いっそ俺が悪役になれればいいんだが、そのためには佐伯たちを傷つけなくてはいけないから、それは却下だ。

「大人って難しいな……」
「あなたたちが勝手に難しくしてるのよ」
「す、すいません……」

 俺と佐伯で小さくなる。く、くそう。河合さんだって和泉とややこしい喧嘩をしていたくせに……。

「ま、佐伯が変わってなくて安心したわ」

 切り替えるように、河合さんが明るい声を出した。

「……そう? たしかに、成長はしてないかもしれないけど……」
「わたしそんな意地悪いこと言わないわよ。もっとポジティブに受け取ってちょうだい」

 変わってない、かな。このやりとりだって、昔はもっと明るく適当に返していたと思うけど。

「瞬くんがいると、昔の雰囲気に近いよね。一人だと大人っぽいっていうか……、落ち着いてる感じで、それはやっぱり成長なんじゃないかな」
「……」

 俺のフォローに佐伯は居心地悪そうに肩をすくめて微笑む。
 俺と河合さんはこの数年顔は合わせてきたから、それだけ何か溝のようなものを感じているのかもしれない。

「こうなると和泉だけのけ者で可哀想だわ」

 ぽつりと、河合さんが呟いた。

「和泉には報告したの?」
「あ、いや……まだなんだ。裕子さんには伝えたけどさ」
「だめじゃない。さすがにあの人だって怒るわよ」
「オ、オレが桐谷にちょっと待ってもらってたんだよ、勇気が出なくて……」

 呆れた顔で佐伯と俺を見る。
 なんだよ……骨折の時説教してきたくせに……っていう目か……? し、しかたないだろ。俺一人のことじゃないんだから……。

「わ、わかったよ……今連絡してくれていいよ」

 佐伯は観念したらしい。
 よしよし、なんならもう町中に佐伯が帰ってきたぞーなんて言ってまわりたいくらいなんだ。

「……あ、でも今は多分向こう寝てる時間よね……」
「ああー……、じゃあ俺今日帰ったら連絡いれるよ」
「え、なに、あいつ本当に海外行ったの?」

 佐伯は目の色を変えて身を乗り出した。そうか、俺自分の近況しか話してなかったから、当然知らないよな。
 和泉に関しては俺より河合さんの方が詳しいだろうから、説明は任せる。

「そうよ、佐伯がいなくなってから、和泉も桐谷も猛勉強してたんだから。それで和泉は海外の大学に行ったの。一人で英語喋って頑張ってるのよ」

 何故か河合さんが胸を張り、誇らしげだ。
 佐伯はほえーと呆気にとられた顔をしている。そりゃあそうだろう。二年の状態の和泉からそこまで成長するなんてにわかには信じがたいことのはずだ。
 そこから少しずつ実感が出てきたように、優しい表情になる。

「そっかあ……よかった……、やりたいってずっと言ってたこと叶えられたんだ……」

 多分、俺は佐伯の考えていることがわかる。
 和泉は佐伯の妊娠が発覚して佐伯の親の反対があったというとき、自分が佐伯と結婚して学校やめて働いて養うと言ってのけたらしい。
 そうすれば佐伯はどこか遠くにいくことなく、子供も産めただろう。もちろん、実の父親である俺の目の前でそんなことはとてもできなかっただろうけど、それでもその話に乗らなくてよかったと、そう思っているはずだ。和泉の人生は大きく違ったものになっていたし、海外進学なんてできるはずもない。
 ……俺だって佐伯に再会するっていう壮大な夢を達成できたんだから、よかった、って思って欲しいんだけどな……。

「……ママー……?」
「あっ、瞬、起きた?」

 佐伯の動きは早かった。すぐさま駆け寄ってぽけーっとしている瞬くんの髪を整える。

「家じゃないから戸惑ってるみたい。瞬、お兄ちゃんに本買ってもらったの覚えてる?」
「しゃくまんかいのねこ……」
「そうそう、読んで貰ってる途中で寝ちゃったんだよ。喉乾いてない? ほら、ジュースあるよ」
「のむー」

 横の河合さんから「お母さんだわ……」という呟きが聞こえる。
 そう、お母さんなんだよ……。
 成長してないなんて、どの口が言うんだろう。
 俺よりずっとすごいのに。
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