このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

14章

 俺の家から大学まで、まずバスで駅まで出る必要がある。そこからまた別のバスに乗ると、すぐに大学前に到着だ。もう少し乗ればセンターにたどり着く。
 一方母校である高校へは、大学へ向かうときとは違うバスに乗って30分で高校前に着く。そのバスも終点は駅だが、ぐるっと遠回りするんだよな。
 そして高校へ向かうバスが途中に訪れるのが商店街のそばだ。
 商店街を出て、ほんの少しのところにバス停がある。そこで降りたところが今回の待ち合わせ場所である。

「……あ、あれー……?」

 バスから降りてから気付いた。そうだ、真夏日に路上で待ち合わせなんてないよな。
 周りには、おそらく近くの住民と思われる老人が二人いるだけで、目的の人物の影はなかった。
 コンビニも少し距離があるし、とりあえず日差しをしのぐなら、と商店街に向かいつつ佐伯に電話をかける。現在待ち合わせ時間ぎりぎりで次のバスは20分後。佐伯の性格なら一本前のバスに乗って、すでに到着しているのではと踏んだからだ。
 ああでも、小さい子供連れなら時間通りに行動できないものかもしれない。もしかしたら今バスの中なのかな。電話はやめておこうか。

「あっ、桐谷こっちこっち!」
「ん!?」

 電話はやめてメールを打とうかとスマホの画面を睨んでいると、少し先から声が聞こえて顔を上げる。
 数十メートル先、商店街の中の甘味所だ。表に出ているベンチに、佐伯と瞬くんが腰掛けていた。
 しまった。気が緩んでいた。緊張の瞬間だというのに。かっこいいお兄さんとして華麗に登場したかったのに、ぽけーっとスマホを見ている姿を見られた。慌てて駆け寄る。

「ご、ごめん、お待たせ。ちゃんと待ち合わせ場所指定しておけばよかったね」
「ううん、こっちもどこで待ってるかメールすればよかったのに、うっかり忘れてて……」

 佐伯は電話で喋った時や、カラオケ店で会話したときより張りのある声だった。瞬くんを前にしているからだろうか。そんな風に昔のように振る舞われたら、こちらのテンションも少し上がってしまう。
 い、いやいや、今はそんなことはいいんだ。浮かれている場合ではない。

「瞬くん、こんにちは」
「……」

 瞬くんはソフトクリームを食べながら、そっと横に座る佐伯に身を寄せる。

「こんにちはーって、瞬、恥ずかしいの?」

 コクコクと頷く。ソフトクリームがもう垂れてしまいそうでそれがとても気になる。

「瞬くん、ソフトクリーム落ちちゃうよー」

 はやし立てるように声をかけると瞬くんは慌ててソフトクリームを舐める作業に移った。
 そうだ、それでいい。俺は逃げないけどソフトクリームは逃げるからな……。

「さえ……、あー、間宮さんは食べないの? 暑いでしょ」
「うん、瞬が食べてるとこ見てたらね、自分のアイス食べるのすっかり忘れちゃうんだよ。前落としちゃって、だからやめとく。ジュース買ったし」

 なるほど……。しかし横に置いてある飲み物もやはりまだ手つかずのようだ。瞬くんが汚れた手をズボンなんかで拭く前に、常に濡れタオルをスタンバイさせているらしい。今日は暑いから、ソフトクリームの溶ける速度も速いんで目が離せないようだ。

「桐谷も何か頼んでおいでよ」
「あ、うん……」

 暑いので俺もアイスとかかき氷を食べたい……ところなのだが、佐伯を差し置いて子供と一緒に甘い物を食べるのはなんだかすごくおかしい光景のような気がする。
 かといって、瞬くんの面倒は俺が代わるから佐伯も何か食べなよ、なんて提案したって、満足のいく仕事をこなせるとは思えない。
 なんだかふがいない気持ちになりつつ、レモネードを購入した。

「……瞬、お兄ちゃん横に座ってもいい? ちょっとこっちこれる?」
「あ、ありがとう、ごめんね」

 佐伯が少しズレた分、というかそれ以上に瞬くんは佐伯側に寄って、俺は空いたスペースに腰掛ける。
 それにしてもお兄ちゃんか……。複雑なような嬉しいような……。
 まあ外でも先生と呼ばれるのはちょっとな。こんな小さな子からしたらお兄ちゃんじゃなくておじさんになりそうな気もするが。まあすぐにパパと呼べなんてそんなこと言えない。俺だって義理の父のことをそう呼ぶのはだいぶかかった。第一パパだよなんて説明もまだなんだし。
 しかし、まったく目が合わない。
 隣に座りつつ、俺は必死で瞬くんの様子を伺おうとそちらに体を向けているのだが、佐伯の方を向いてソフトクリームをむさぼる瞬くんの丸いほっぺまでしか見えない。
 佐伯に無言で、いかがいたしましょう、という視線を送ると、ちょっと待ってという心の声が聞こえた。気がした。

「コーンもういいの? えー、これがおいしいのにー。ママ食べていいの?」

 ブンブン、と良いから食えと言うように首を縦に振っている。
 すっかり溶けたソフトクリームが浸透して、べちょべちょになってしまったコーンを佐伯は何も気にせず頬張った。
 それからすぐに汚れた瞬くんの手と口を拭いてあげている。
 ああ~、母親だ……。感動する……
 ……いやいや、感動してる場合じゃない。俺だっていずれ父親としてああいうことをするんだよ。
 まずは親とか子とか関係なく、人として打ち解けなくては……。
 ……しかし、やっぱり先日の佐伯は生気がないというか……大人になったせいか、それとも負い目みたいなものを感じているのか、随分と大人しく、おどおどとした印象を受けていたが、瞬くんに対する振る舞いは高校時代の明るさと遜色ない。安心した。

「待たせてごめんね。移動する?」
「ううん、もう少し瞬くんの警戒を解きたい」

 佐伯はようやく自分のジュースを口にしたところだし。
 やっぱり少し日が空いたからだろうか。それとも母親に近づく謎の男だからだろうか。うまくコミュニケーションをとってくれる気配がない。
 前会ったときは少しだけ喋ってくれたんだけどな。

「瞬くん、お兄ちゃんのこと覚えてるかな? 前ちょっとだけお絵かきして、お昼ご飯食べたんだけど」
「……おぼえてる」
「ほんと!?」

 綺麗に拭いて貰った手で佐伯の服の裾を掴んでいると少しは安心するのか、瞬くんはようやく口を開いた。ぱっちりとした目がこちらを見上げていた。

「えっと、お兄ちゃん、瞬くんと仲良くなりたいんだけど、いいかな。遊んでくれる?」
「いいけど……」
「どんなことするのが好き?」
「……「え」ーかいたり……?」

 疑問系だ。そうか、急に言われても思いつかないか。
 幼い子供への接し方自体は少しだけ慣れてきたと思っているのだが、それはスムーズにコミュニケーションをとるためだ。仲良くなるためではない。あくまでも先生と呼ばれる立場として、たまに会うだけの存在だから成立しているのだ。
 一人だけを贔屓したりせず、深入りはしない。
 だからこうして一人の子供と向き合って、親密になろうというのは今までなかった。
 これがもっと幼ければ、少しずつ子供の成長に合わせて俺も接し方を学んでいけたんだろう。

「瞬、絵本大好きだもんね」
「本? そっかあ、お兄ちゃんと一緒だね。好きな絵本とかある?」
「……いやいやえん」
「ママに読んでもらってるの?」

 こくこくと頷く。

「でも最近はちょっとずつ自分でも読めるようになってきたんだよ」
「え、そうなんだ。すごいね!」

 いやいやえんはセンターのキッズスペースにも置いてあるが、文字が多い本だ。分厚いし、絵本というより挿し絵が多い小説だろう。
 俺が褒めると瞬くんじゃなくて佐伯が嬉しそうに笑う。
 なるほど、俺の子供だ。本好きの血は先祖代々受け継がれてきたようだ。

「よし、じゃあ瞬くんの本買いに行こっか」

 そういうと瞳がきらめいた。よしよし、この本好きは筋金入りだ。俺にはよくわかる。
 ぱっと瞬くんは佐伯の顔を見上げた。

「いいの? ママ。しゅんたんじょうび?」
「ううん。でもお兄ちゃん買ってくれるんだって、よかったねえ!」

 よしよし、いい流れだ。
 物で釣る感じになってる気もしなくはないが、この流れは昨夜佐伯と相談して決めていたことなのである。

「よし、じゃあ三人で本屋さん行こっか」
「うんっ、いく」

 瞬くんはベンチから下り、早く早くというように荷物をまとめる佐伯のお尻を叩く。いいなそれ。子供だからってそんなことが許されるなんて。

「……大丈夫?」

 神妙な顔でゴミを片づけて鞄に詰め込む佐伯を見ると、やはりコクンと頷いた。
 そうか、うん、佐伯が大丈夫というなら信じるしかない。
 すぐに母親のご機嫌な顔に戻った佐伯は瞬くんと手を繋ぎ、そしてその横を歩いていると瞬くんは自然なことのように俺の手もとった。まるでそうするのが当然なのだとでもいうように。
 ええっ!? いいんですか!? 俺風情の手を!?
 こんなこと。まるで親子三人のように歩くだなんて。俺みたいな人間が、許されることなんだろうか。
 気を遣わせてるんじゃないだろうか、まだ小さな子供に。
 手はすこししっとりしていて、小さくて熱かった。
1/10ページ
スキ