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13章

 帰って、俺は子供の認知というのについて調べてみた。
 しかし自分に合う状況は出てこないので詳しいことはわからなかった。でも要するに籍を入れていない相手との子供を男の戸籍に追加するために必要な手続きのようだ。つまりとりあえずは関係なさそうだ。
 センターで必要なのは戸籍上の父親ではないし、認知しなくたって籍を入れれば問題がないのだ。認知を迫られたらじゃあ入籍しよう! で済む話だ。なるほど、佐伯も意味がわからず言っていたのだろう。
 俺は佐伯と瞬くんが今どうしているか考えていた。
 生まれてはじめて数時間離れて、泣いてしまっただろうか。それとも我慢してたんだろうか。その方がちょっと心配だな。
 佐伯もちらちらと時計を気にしていたし、やっぱりこれからは預けてまで会うのは避けた方がいいな。まあ瞬くんの前でやりづらい難しい話は一通りできたはずだ。多分。

 とにかく俺は俺がやるべきことを片付けなければ、とスマホを取り出した。
 土日は研修生や外来が休みというだけでセンター自体は開いている。
 先生に相談があるので時間を割いてもらえないかという連絡をしたら、日曜日である明日の休憩時間に聞いてもらえることになった。
 緊張する。あの優しい先生が怒ったり軽蔑の目を向けてきたら、やっぱり切ない。お世辞だとしても期待していると言ってくれていたし。
 ……研修はここで終わりかな。就活、ちゃんと間に合うのかな。他のリタイアしたやつらはどうしてるんだろう。
 まあ、なんとかなるさ。仕事が決まらなくたってすぐに死ぬわけじゃない。貯金だってあるし、今の俺なら体力仕事だって多少できる。大丈夫だ。

ーーー

「それで、相談というのはなにかな?」

 相変わらず、伊藤先生は穏やかで診察時と変わらない振る舞いで俺が話すのを待ってくれた。
 休憩中の今は使われていない会議室に通され、適当な椅子に座らされていた。何度も利用したことのある部屋だが、他に人がいないというだけで違う雰囲気を感じた。
 こんなにしっかり話せる場所を設けて聞いてくれるとは。もしかして、研修をやめたいという申し出だと思われたのだろうか。
 しかし先生の昼食の時間まで潰すわけにはいかないし、手短にいくべきだろう。

「ええと……、先日音信不通だった知人と再会したという話をしたと思うのですが」
「ああ、ここの前で号泣してたんだってね」
「あっそこまで伝わってたんですね……」

 は、恥ずかしい。
 揉めていた程度にしか認識されていないんだと思っていたのに、がっつり見られていたのか。そして報告されてたのか。

「その知人というのは高校時代に交際していた女性で、彼女の子供の父親は自分なんです」

 単刀直入に、簡潔に説明したつもりだ。
 先生は少しだけ目を見開いたような気がする。

「それで?」

 しかしあからさまに動揺なんてしなかった。
 で、どうするのか、どうしたいのか、だ。

「息子の父親として治療に協力したいと思っています。その場合研修を辞めるべきだろうと思っていますが、まずは先生にご相談してからだと思いまして……」

 利用者に怪しまれる行動を慎むようにと言われていたのに、急に父親として出入りするようになれば隠しようがなくなる。
 伊藤先生はボールペンを持って、親指でかりかりと引っかくようになぞる。話の切り出し方を悩んでいるときにやる癖らしい。今まで何度か見たことがある。

「息子というのはいくつなのかな」
「九月で四歳だそうです」
「だそうです、ということは今まで全く関知していなかった?」
「はい。妊娠がわかってから彼女は子供を産むため、よその土地へ嫁にいったんです。僕はそのことも妊娠自体もあとから知らされて、それ以上のことはなにも」

 まるで自分は知らなかったんすよ〜あいつが勝手にやっただけで〜みたいな醜い言い訳のようで情けない。が、事実である。そう思われても致し方ないが。

「以前君は利用者の記録を閲覧できないかと聞いてきたね。うちの研修に来たのはその子を探すためかな?」

 さすが、理解が早い。

「きっかけ自体は以前述べた通りですが、ここまでこられたのはその可能性に賭けていた部分が大きいです。他に手がかりはなかったので」

 伊藤先生は深いため息をついた。
 まあ怒られたって金を払えなんて言われるわけでもないし。研修生が一人減ったって、何人かふるいにかけられるのは織り込み済みなのだから迷惑がかかるというほどのことはない……はずだ。そりゃあ、ここ数日色々指導して貰ったのが無駄になるのだから、申し訳ない話ではあるが……。

「今まで前例がないことだね、これは……」

 ですよね。
 よそに子供がいた、ということ自体は問題にはならないだろう。それがセンターの利用者であるということが問題なのだ。問題というか、問題になるであろう、という懸念があるのが問題なのだ。まだまだ歴史が浅い組織だ。一般人からすると謎の研究所みたいに噂されているのに、利用者からも不信感を抱かれてはかなわない。

「ともかく状況はわかった。父親であるということは他の利用者に伏せつつ検査をすることは可能だよ。他の利用者も、必ずしも戸籍上親子関係があるというわけではないからね」

 ……たしかに、受付から素直に検査を受けるのではなく、裏口から入って他の利用者どころか職員との接触すら極力避けて検査に協力する父親もいるとは聞いたことがある。世間的に子供がいるとバレては困る立場の人に配慮した対応だ。そうしてでも、協力を得なければ治療はできないからできる配慮はやるのだ。
 ん? 俺もそういう対応されなきゃいけないってことか? そりゃあまあ利用者の中にも顔見知りはできているし、職員にだって顔は割れているから、けろっとした顔で利用者として通い始めたらすぐに知られてしまうことではある。研修生を辞めた後でもやっぱりセンターと利用者の繋がりを感じさせないよう配慮すべきということか。まあ……そこはセンター側の意向に従おう。こちらは治療してもらう側だ。意見できる立場ではない。

「ええと……何か必要な手続きとかあるんでしょうか……。とりあえずまずは息子との親子関係を証明するための検査を受けたいんですが……、勝手に申し込むわけにはいかないですよね?」
「わかった。こちらで準備しよう。ただその前に私一人で君への対応を決めるわけには行かないから、連絡があるまで待機しておいてください」
「わ、わかりました」
「相手の方は次の来院予定は入っているのかな」
「あ、たしか次の水曜日に……」
「ではそれまでに連絡します」

 先生途中から敬語になった。怖い……。

「……まあ、うちにも娘がいるから、個人的に思うところはないわけではないけど、そちらの複雑な事情もあるようだし……。犯罪を犯したわけでもないのだから、もっとしっかり構えていなさい」
「……はい、わかりました……。あの、センターの外で会うのも今は控えた方がいい……ですよね」
「プライベートでの行動まで縛ることはできないね。むしろ再会して間もないなら話し合いはまだ必要なのではないかな? 研修生には代わりはいるが、子供の父親は君しかいないのだから、そちらを優先して考えなさい」
「は、はい……」

 それでも慎重に行動するに越したことはないんだろうな……。この前注意されたばっかりだし……。
 びくびくしながら一緒に会議室を後にして、へこへこと頭を下げながらセンターを後にした。
 頭では叱責されてもしょうがないと思っていたが、実際にちょっと冷たい反応されると思ったより動揺してしまうな……。
 いつ連絡がくるかはわからないが、それまでは休みになってしまった。
 センター側から佐伯に確認の電話が入るはずである。
 それまでの間に佐伯に説明したいものだが、不用意に顔を合わせて知り合いに目撃されたら余計怒られそうだよな……。でも瞬くんとはあれっきりだし、ちゃんとお話もしたい……。
 ……っていうかなんなんだ? この不倫みたいな……会うだけでも周りの目を気にする関係性って……そこまで制限される立場なのか……?
 ……いやいや、逆恨みだなこれは。私的な目的を果たすためにセンターの職員という立場を利用しようとしたせいだ。誰も俺たちの関係に文句を言っているわけではないのだ。


 家に帰り、まあすることと言えば溜まっている課題をやっつけることくらいしかないので今日は引きこもることに決める。
 佐伯にざっくりと説明するメールを送って俺は机に向かった。
 しかしなかなか集中できない。
 佐伯は瞬くんの反応を伺ってみると言っていた。
 昨日の夜、佐伯からのメールによると、センターに迎えに行ったとき瞬くんは落ち着いていたようだ。しかし家に帰ると佐伯にべったり張り付いて離れなかったらしい。
 第一反応を伺うというのはどういう話をするつもりなのか俺にはよくわからない。
 パパができたら嬉しい? とか、この前会った先生、どう思う? みたいなこと言うんだろうか。……そんなの子供からしたら嫌に決まってるよな……。
 俺の頃はどうだっただろうか……。
 うちの母は別に不審なところなんて俺には見せなかったと思う。不安に思ったり、寂しくなった記憶はない。俺がぼーっとしてるもんで、周りの変化に気付かなかっただけかもしれないが。

「……」

 聞いてみるか……? 母親に……。再婚したときどうだった? って。あんまり聞きたい内容ではない。
 それに、この数年父とはあまり良好な関係とは言い難い。険悪でもないのだが、正直昔に比べぎこちなさがある。
 先生という職業柄そう感じさせるのか、優しい喋り方のせいか、伊藤先生はうちの父親と印象が被る。穏やかで全く威圧感なんてないのに、うっすらと緊張してしまうのだ。
 そうだ、先生に怒られるのが怖いのも、まるで父に怒られている気がするからだ。喧嘩をする相手じゃない。圧倒的に自分の方が間違っているような気がしてしまう。そんな感覚がするのだ。
 結局、自分が進もうとしている道を経験した大人の意見と言うものが気になったが、母に話を聞くのはやはりやめておいた。
 どうせこの先佐伯たちのことを紹介することになれば俺の思惑は知られてしまうのだ。こっそり参考にするために過去の話を聞きました、なんてのがあとあと透けて見えれば格好がつかない。
 子供じゃないんだ、こういうことくらいは自分で考えよう。

 夜十時過ぎ、学校に提出するための文章の推敲をしていると、佐伯から電話がかかってきた。思わずスマホの画面を二度見した。
 深呼吸してから通話を開始する。

「も、もしもし?」
『あ、こんばんは……今大丈夫? 寝てた?』
「いや、起きてたよ。さすがにもう子供じゃないんだから、こんな時間には寝ないよ」

 学校の友人たちは徹夜で遊びに耽ったりする年頃だしな。俺はやっぱり睡眠欲が人よりも強いので、そこまで頑張れはしないのだが。

『あ、そっか。私もうすっかり子供と同じ生活リズムでさ、いつも九時までには一緒に寝ちゃうからもう眠いんだ……』

 佐伯が私、というのにいまだ馴染めない……。口調は前とほとんど変わらないから尚更違和感がある。でも周りから見たらオレっていう方が似合わない見た目なんだよな……。受け入れなければ……。
 しかしたしかに少しぼんやりした声をしている。声量を押さえているせいもあるかもしれない。
 そうか、電話ができないと言っていたのは、寝かしつけたまま一緒に寝てしまうせいか……。

『あ、そう、センターから電話があって……』
「早いな! 俺と瞬くんのデータ照合の話でしょ?」
『うん、明日朝イチで書類にサインしに行くよ。その報告と……えーと、あと、それでね、瞬に桐谷のこと話したんだよ』
「……えっ!? 話したって……どういう!?」
『あえっ、は、話しちゃマズかった……? 話の流れでつい……』
「い、いやちょっと心の準備ができてなかったから……ちなみにどんな内容を……?」

 もちろん佐伯のことだからちゃんと瞬くんの反応を見ながら話したんだろうけど……いざそんな報告をされると緊張してしまう。そんな、まだお互いのことなにも知らないのに……。いや俺はどんな子だって受け入れるけどさ!

『あ、さすがにつっこんだことは話せてないよ。瞬も桐谷のこと気になってたみたいで、それで……桐谷が瞬ともお友達になりたがってるんだよって話したの。そうしたら別にいいよって。あの子、大人の男の人に慣れてないんだけど、そう思うと好感触だと思う。もっと怖がると思ってたもん』
「そ、そっか……よかった」

 ほっとする。
 ファミレスでは少し警戒されたのではないかと思っていたから……。

『それでね、近いうちに会えないかなって……。時間が空くと瞬も怖がっちゃうかもだから』
「ああ、そうだね。一応水曜までに連絡がくることになってるんだけど……多分俺と佐伯で直接結果を聞くことになるんだと思う」

 次の通院予定日を聞かれたのは恐らくそういうことなのだと思う。
 今日は日曜。出勤している先生も少ないだろうから、早ければ明日俺の処遇について相談するんだろう。緊急の会議をするようなことでもないはずだし、連絡があるなら明日の夕方から明後日のはずだ。多分。

「……ということで一番安心して会えるのは明日の午前なんだけど……さすがに急すぎるよね。水曜の診察のあととか……」
『こっちは別に明日でもいいよ』
「ほんとに!? じゃあどこで落ち合おうか」
『んー……』

 こんなすぐにまた会えるなんて、考えもしなかった。いくらだって会いたいからこちらからしたら願ってもないことだが。しかも瞬くんも一緒だ……!
 しかし、今日先生と話したばかりである。できれば人目につかない場所がいい。が、あまりこちらから制限をかけるのは気が引けるな……。俺の事情にあわせて貰ってばかりになる。

『うちに来て貰うのは桐谷、まずいよね……。センターから離れてたら大丈夫かな?』
「あ、ああ、そうだね。ごめん、気を遣わせて。できれば昨日行ったカラオケとか、お店の中がいいかな」

 しかし子供が楽しめる場所となると難しい。というかそもそもそういう考えをしたことがなかった。
 まあセンターの利用者というのはそもそも限られているし、その中でも頻繁に通っていなければわざわざ俺のことを覚えている人はいまい。
 そして頻繁に通う人というのは大体数年単位で利用するから、センター周辺に住んでいる可能性も高いだろう。佐伯のように利用者限定で貸してくれる住居もあるし。そのあたりに近寄るのはさすがに見てくださいというようなもんだ。しかしそこを避ければだいぶリスクは減る。

『……私、まだこっちに帰ってきたばかりでお店とかは……』
「そ、そうだよね……そりゃそうだ……。うーん、お店ねえ……」

 子供でも入れて、かつ他の親子連れに会う可能性がない場所……。

「あっ……あるかも、ちょうどいいとこ……。佐伯次第なんだけどさ……」
『えっ? オレ?』

 気が緩むと出てくるらしい「オレ」を聞くとやっぱりほっとしてしまった。
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