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13章

「……わかったでしょ? 私、ほんと、疫病神みたいなんだ……、桐谷に気遣ってもらえるような人間じゃないんだよ」
「え?」

 佐伯は視線を横に向けて、吐き捨てるように言った。
 疫病神……。自分でそう思ったのだろうか。それとも誰かにそう言われたのだろうか。

「何言ってんだよ、誰も不幸になんかなってないのに疫病神もなにもないよ」
「だって……私がいなければ、おばあちゃん達は前の家に今も住んでいられたし、おじさんが手を怪我したのも私がやってきてからで……」

 一体何を言っているのか。そのどれも佐伯によるものではないじゃないか。時間の問題である。
 うーん、よくないな。真剣に言っているらしい。

「その結果だって、なるべくしてなっただけで悪いもんじゃないよ。むしろ家から解放されてよかったかもしれないし、手の怪我なんて誰だってするときはするよ。河合さんなんて車に轢かれて手足骨折したんだよ?」
「えっ!? な、なにそれ! 大丈夫なの!?」

 あ、いらん情報与えたな。

「い、いやもう完治しててぴんぴんしてるんだけどね。とにかく、事故みたいなもんはしょうがないんだから、気にするだけ損だよ」

 気が抜けたのだろうか。
 思い詰めたような佐伯の表情が、少しだけ緩んだ気がする。
 ねっ大丈夫、と追い討ちをかけると、佐伯は困ったように微笑んだ。懐かしい。

 さて、長年の空白を埋めることができた。
 そして俺と佐伯の関係については、とりあえず保留だ。
 しかし俺と佐伯は他人だが、瞬くんは違うのである。
 佐伯も、それが気がかりだったようだ。

「その……瞬の治療のこと……さっき話してたよね」
「ああ、うん。とりあえず……瞬くんの状態を教えてもらえる?」

 えーとと呟きながら佐伯はバッグを漁る。

「んーと、来週正式な検査結果が出てから確定するらしいけど、ほぼ決定してるみたいなものだからって、この前パンフレット貰って説明受けたよ」

 佐伯は検査結果の紙と何冊かの冊子、それから説明に使われたのだろうメモ書きを出した。
 ほぼ決定している、というのはそもそも父親がいない時点で薬の治療ができないからだ。あとは度合いを調べるだけ。だがそれも大体もうわかっているのだろう。佐伯はそもそもその選択肢も知らないのだ。俺の体質のことだって知らないんだろうし。
 俺はまだ父親のいない重症の子供の診察を見たことがない。見慣れたパンフレットではあるものの、ざっと内容を確認する。能力の影響範囲が小さい場合は定期的な検査だけで十分である、ということが安心させるように最初にイラスト付きで描かれている。

「将来長期入院が必要になる可能性が高いけど、ただ治療すれば命には別状ないって、言われたんだよ」

 それはそうだ。命だけは守ってくれるさ。

「佐伯、脅すような言い方になっちゃうんだけど、多分瞬くんは発散治療というのを受けなくてはいけなくなると思う」
「発散治療? あ、なんかさらっと言われたかも」
「……ごめん、俺の体質のせいなんだ。俺も子供の頃入院して治療を受けたんだ」

 佐伯は首を傾げて話を聞いている。
 一般人との知識の差が俺はまだよくわからない。先生は説明するときかなり初歩的なところからはじめている。しかし一応母親も父親の能力を知っていて事前に知識を入れてきていることが多いのである。だから時折うちの祖母のように能力者の情報について極端に疎い人がいると、どこから話すべきなのか、俺はきちんと説明できるのか少し不安になる。

「特殊能力を持つ子供が、父親からの遺伝でどんな力を持つのか決まるのは知ってる?」
「え、あ、そうなんだ。でもうちの親父はなんもないよ?」
「ん? いや、佐伯の話じゃなくて、瞬くんの父親は俺でしょ?」
「あ。うん」

 佐伯はコクコクと頷いている。なんだか瞬くんの仕草を思い出した。親子だな。

「それでね、俺や俺の父親がそうだったんだけど、ごく稀に能力によって健康を害する人っていうのがいて……」

 そこから、三十分くらいかかった気がする。丁寧に今まで得た知識を佐伯に伝えた。
 高い確率で、このままだと大がかりな治療を行わなければいけなくなるだろうということ。その治療を受ければ俺と同じように少し成長は遅れるし、長いこと入院もしなければいけないが普通の体になれるであろうこと。しかしその治療は非常に子供への負担が大きいということ。そしてそんな思いをして欲しくないという訴え。俺が父親として認められれば、その血を使って投薬治療ができるということを、佐伯は口を挟まずじっと聞いていた。
 センターでは、やはりまだ治療方法自体について突っ込んだ説明はなかったらしい。父親がいない場合、もしくは父親が自分の体の状態を自覚していなかった場合、寿命が短い、なんて言われても親に実感はないわけで、その段階でショッキングな治療内容を聞かせてもそれを受けようという親はなかなかいない。
 実際、治療を受けずに民間療法やまじないめいた手段を選ぶ保護者は意外と多い。センターで行っているのはまだ導入されて数年しか経っていない治療法だし、むしろそれを怪しむ人間も多いのは仕方のないことだろう。それでなんとかなればそれに越したことはないが、やっぱり効果ありませんでした、となってはもう何もかも手遅れだ。
 それに俺は治療の効果を誰よりも実感している。幼少期に比べると治療後は格段に能力の衰えを感じた。そして少しずつ長い年月をかけて普通の体というのに近づけた気がしている。そして俺の父親という治療を受けられなかった例も知っているのだ。

「……それ、協力する桐谷は大丈夫なの?」
「俺は血液を提供するだけだからなんでもないよ。元々今も定期的に検査受けてるから慣れてるし」
「でも、桐谷はセンターで働いてるじゃない。どう……なの? それって、やっぱりよくないんじゃ……。子供いることだってバレちゃうんでしょ?」
「なに言ってるんだよ。お前、自分の立場が悪くなるから子供に我慢して貰おうなんて、そんな風に思える? 俺のこと、そういうやつだと思ってるの?」

 佐伯はきゅっと口を結んで、小さく首を横に振った。

「ね、協力させてほしい。っていうかしなきゃだめだと思う。やらなくていいつらい思いは絶対しないほうがいい」

 あの治療の苦しさは俺が一番知っているのだ。そして俺が見た他の子の治療はもっと壮絶だった。正直、人格形成にだって影響があるはずだ。そしていい影響を与えられた覚えはない。おかげさまでひねくれた人間になってしまったし。
 佐伯は手を何度もすりあわせて、視線をうろつかせていた。
 やはり、こんな話はまるで脅しているような気分になる。
 どうすれば素直に思ったことが伝えられるんだろう。立場とか、相手への気遣いとか下心とか、色んな事情さっ引いて、ただ俺の気持ちを伝えたいのにうまく届かない。
 高校時代、佐伯は、佐伯が俺のことを好きなのと同じくらい、俺も佐伯を好きだってわかってる、なんてことを言ってくれた。多分それは自己評価の低い佐伯にとって最上級の言葉だった。
 あの頃みたいにシンプルに気持ちを伝えたいし、受け取って欲しいのに、それは俺のわがままでしかないのだ。
 別にまだまだ大人になったつもりはないんだけどな。あの頃から、成長はできたつもりだけど、気持ちとしてはなんら変わっていないと思っている。けど、そうじゃないのかもしれない。
 佐伯は覚悟を決めたように、口をへの字にしてまっすぐこちらを見た。

「……よろしく、お願いします……」
「……あっ、こ、こちらこそ……」

 机を挟んで、お互いにお辞儀する。今の距離感を表しているようで少し悲しかった。

「……俺は瞬くんとは父親として接したい……けど、それは佐伯に任せるよ。佐伯が他人のふりをして欲しいならそうする。それで検査に協力しないってことは絶対ないから、大丈夫だからね」
「う、うん」

 佐伯は一度に色んな情報が出てきたせいでまだ頭がついてきていないようだ。顔が白くなっている。
 そうだよな……あなたの息子さん、このままだと大人になったら死にますよ! 治療にはとてつもない負担がかかるんですが、でも大丈夫! 桐谷くんの血液を使えば全部解決! ……なんて我ながら下手な詐欺師の手口としか思えない。

「でもさ、桐谷、まだ学生でしょ? 子供のこととかバレて大丈夫なのかな……。こう、処分とか、ないのかな?」
「そ、それはわからないけど……。でも大学なんて子持ちの人だっているでしょ。主婦の人とかいるし」
「あ、そ、そっか……。未成年じゃないんだもんね。高校とは違うのか」

 研修の方には差し支えるだろうが、大学に報告っているのか……? 妊娠した女性が休学するために報告するというならわかるんだが。
 とにかく、まずは伊藤先生に報告と相談だ。それからどうなるかを決めよう。
 いつの間にか時間は三時を回っていた。そろそろ迎えに行かないと、という佐伯に従い、帰る準備をはじめる。
 俺としては一緒に迎えに行きたいが、さすがに騒ぎになりかねないので我慢する。
 そして忘れずに次に会う約束の話を切り出す。メールだと時間がかかるからな。

「桐谷のご両親にもちゃんと挨拶にいかなきゃいけないよね……」
「あー、まあ、そうかもね。でも急ぐ必要ないよ」

 そ、そうか……。そりゃあ、佐伯の立場からしたらそうなのかな。
 挨拶って、どんな挨拶をするのだろう。よくわからないけど。

「……ありがと、瞬、あんまり人に会うの得意じゃないから、まずは桐谷と打ち解けてからの方がいいと思うんだ……」

 さらりと言われて、少し反応が遅れた。

「い、いいの? 会っても……」

 佐伯の反応を考えると、当分会わせてはもらえないと思っていた。
 だって、瞬くんへの影響を一番気にしていたのに。
 治療の話を聞いて考えが変わったのだろうか。

「……うん、帰ったらちょっと瞬の反応見てみるね。父親だとかは……多分瞬気を遣っちゃうから、伏せるけど……それから考えさせて。ダメだったらごめん、すぐは無理。治療のことを説明したら多分わかってくれると思うけど……。私の一存で会わせないってするのは……違うと思ったから……」
「……わかった、ありがとう。こっちは先生に相談して、段取りとかわかったら報告するよ」

 ありがとう、と佐伯は笑った。力ない表情にも見えたが、それだけで十分だ。
 多分俺も上手に笑えていたと思う。
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