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13章

 佐伯の嫁いだ先は、何の仕事をしているのかはわからなかった、とのことらしい。おそらく土地を管理しているとか、不労所得なんかがあるんだろう。
 元旦那は結婚当初で37歳。ひっくり返りそうになった。親子の年の差だ。おい。頭おかしいだろ。37歳と、17歳が結婚だぞ。恋愛結婚だって多くの人が反対するだろう。それがろくに顔を合わせないまま結婚って、何時代の話だよ。
 とはいえ引っ越して、子供を産んでしばらくするまでは離れで暮らしていたそうだ。食事のときや、暇なときは話しかけたりはしたそうだが。
 その間旦那の母、つまり義理の母にあれこれ家事をしこまれたんだという。これが非常に厳しく嫌味な人だったそうだ。
 それでも子供のことは大事に思ってくれたらしく、お腹にさわるような嫁いびりはなかったそうなのが救いである。ちなみに佐伯は義母のことをおばあちゃんと呼んでいた。いや、そりゃそんな年だろうけどさ。瞬くんからみたらおばあちゃんだけどさ。嫌味言ってくる義母におばあちゃんって、なかなかの度胸だ。
 高校中退しての妊娠についてあれこれ言われたものの、言いがかりのような罵倒もされたものの、家事への文句は図星だったので大人しく聞いていたそうだ。俺だったら盛大に喧嘩して家出してると思う。
 それでも佐伯の人懐っこさは折り紙付きだ。どこに出したって恥ずかしくない。
 要領もいいし、人の敵意なんかを削ぐのがうまい。
 そのお陰もあって、瞬くんが生まれる頃にはだいぶ打ち解けていたらしい。厳しい人なのは変わりないが、やたらに文句を言われることもなくなり、叱られるのは納得できることばかりになっていたそうだ。

 そこであるときどうして自分を引き取ってくれたのか尋ねたそうだ。するとこう答えたらしい。
 あの子はもうまともな相手なんて期待できないから。とのこと。なんとも失礼な話だ。佐伯がまともじゃないって? なんなんだ。ムカつく。
 旦那というのがまあ、彼女いない歴イコール年齢、というタイプの人種だそうだ。そう聞くと、正直俺も他人事とは思えない。佐伯がいなければこじらせまくってたろうからな。
 とまあそんな息子だが一人息子なので、金を払ってでも嫁が欲しかったんだそうだ。子供がいるなら都合がよかった。今後も子供が産めるのなら尚いい。どうせ自分は息子より先に死ぬのだから、その先も息子の面倒を見てくれる若い相手が都合よかったわけだ。
 そこに佐伯だ。若くて元気な上世間を知らないから教育のしがいもあるし、身よりもないから逃げられる心配もないと踏んだのだろう。というのは俺による下衆の勘ぐりだが、遠からずだろう。

 佐伯の推測らしいが、旦那は幼い頃から厳しく両親に育てられてきたようだ。やる気がない、というかやっても無駄だと思っているように見えたそうだ。多分いちいち両親に心を打ち砕かれてきたんだろうと。親のことを嫌っているようなのに、かといって逃げることもしない。家の中でも少し距離を置き、佐伯が義母といるときは寄りつかなかったそうだ。
 佐伯は佐伯で、せっかく夫婦になったわけだし、これから一緒に生きていくのだからと積極的に話しかけていったのだという。佐伯らしい話だと思うが、ちょっと俺はここでへこんだ。

「最初はね、かなりいい感じだったんだよ。妊婦は恐ろしかったみたいで、でもそれがちょうどいい距離感だったんだと思う。会話自体は年の離れた友達みたいな感じで、ちょっとずつ仲良くなれてた……と、思うよ」

 とのことだ。嫉妬しちゃうな。全く。
 そうしているうちに瞬くんが生まれた。初めてのお産、佐伯が小柄なのもあって早めに入院もしたらしい。しかしなかなか難産だったようだ。

「もうね、ほんとならこんなこと一生経験することなかったわけでしょ。なのになんで? なんでオレこんなことしてんの? おかしくない? って、ちょっとね、参ってたね。瞬の世話をするようになってからはそんなこと考える暇もなくなってたけど、それはそれで全然寝れないからしんどいし」

 考えるだに恐ろしい。はなから女性として生まれていても出産なんて恐ろしい出来事だろう。生々しい説明に股間が痛くなった。

 はじめのうちは大変だったものの、調子が掴めてくるようになると瞬くんはほとんど泣かず、寝付きもよく、非常に育てやすい子だったそうだ。義母のサポートもあったのも大きい。
 瞬くんが一歳の誕生日を迎える頃、まるで本当の家族のようだったそうだ。旦那は子育てに関与しないが、血の繋がりがあるわけでもないししょうがないと諦めていたらしい。
 しかしもし次の子ができたら扱いに差がでるんじゃないかとずっと恐れていたという。こういう話は、さすがに俺も聞いてて胸のあたりがむかむかしてくる。気分はよくない。

「……あのね、結局子供はできなかったんだ。おばあちゃんが言うには多分……あの人の方が子供ができにくい体なんじゃないかって……」

 なるほど。一応佐伯は子供が産めることが実証されてるんだしな。とはいえ、それだけで原因がどちらにあるか判断するのは早計だと思うが。
 とにもかくにも、子供はできなかったらしい。それはしょうがない。お互い問題なくたって相性というのはある。
 しかしそうなると段々と旦那は佐伯にきつく当たるようになってきたらしい。
 それに関しては佐伯が言うに、どうも義母の存在が大きいようだ。
 長年行動を制限され、厳しくしつけられて、逃げることすらできなかった義母相手に、たった数ヶ月であっさり打ち解けてしまった佐伯に対して、旦那ははじめ戸惑っていたようだ。
 しかし子供ができないことで、義母が佐伯ではなく実の息子にあれこれ嫌味を投げかけていたのが決定打となったのだと思われる。そんなやりとりがあったこと自体は佐伯は後から知ったそうだが。
 そうしていつの間にか佐伯は旦那にひどく憎まれるようになったのだという。どういう了見だよ。ふた周り近く若い嫁さんができて、血の繋がりはないとはいえ子供もできて、働かなくたって生活できて、家事だってやってくれる。そしてやることが逆恨みか。
 そうして瞬くんが二歳になったというとき、旦那の浮気が発覚した。
 ネットで知り合った女性と出会い、その相手を家に迎え入れて結婚するのだという。だから離婚して出て行けと、一方的に言われたんだそうな。

「なんだそれ、今までモテなかったくせに、調子乗ってんな」

 佐伯は同調もせず、ちょっとだけ笑った。
 しかし、とんでもない話だ。いくらもともと愛がある結婚ではないにしろ、それなら不満がでたときに離婚して、それから次の女性にいけばいい話なのだ。家で世話してもらいながらすることではない。第一佐伯は帰る家もないし、まだ幼い子供だっているのに突然出て行けというのはない。……そりゃあ、自分の子供じゃないけどさ……それははじめから納得の上じゃないか。
 佐伯はいっぺん殴ったっていいと思う。
 しかしそれに怒りを露わにしたのは義母だった。

「おばあちゃんね、オレと瞬を庇いながらすーっごい怒鳴ってたんだ。怖かったけどかっこよかったよ」

 しかし長年母親のいいなりになっていた男が、人生ではじめて反抗したのがそのときだったという。目を覚ますタイミングがおかしい。もっと早くになんとかならなかったのか。

「で、結局離婚ってことになったのさ。もー……、オレ、情けないったらないよ。普通若い奥さん放って浮気して、そんで離婚する? 相当魅力ないじゃん、私。恥ずかしくて申し訳なかったな……。結構うまくやれてたと思うんだけどな……」

 佐伯は自虐して笑っていた。一人称が混在しているのに気付いていないようだ。
 愛情があるわけではない結婚生活にむなしさを覚えたんだろうか。童貞卒業して調子に乗ったんだろうか。佐伯とちゃんと向き合っていれば、きちんと家族にはなれたんじゃないかと思う。でもそれじゃ何かが足りなかったんだろうな。

「オレは二年間病院以外ほとんど外にも出てなくてさ、世間のことわかんないし、中卒だし、勘当されてるし……だからおばあちゃんが代わりに色んなことしてくれたんだ。財産分与とか慰謝料とか。結婚生活たった二年ちょいだし、あんまり貰っちゃ悪いって思ったんだけど、瞬は自分の孫だから苦労させたくないって……ツンデレだよね」

 佐伯が離婚したあと義母は自ら施設に入ったそうだ。はじめて息子に反抗されて、家を守ることを諦めたのだろうか。そこは俺にはわからない。
 ま、旦那は母親の呪縛から解き放たれて真の愛を見つけたわけだし、佐伯だって自分を嫌ってる男から逃げられるわけだし、大団円じゃないか!
 ただその際元旦那と子供との親子関係がないということを証明するための調停があったりして、なかなか気力が削られたそうだ。……そりゃあ、遺産相続とか色々厄介な事情がある家だろうし、当然のことなんだろうけど……。

 義母は知り合いの伝手を使って、佐伯と瞬くんが住む場所の手配なんかもしてくれたんだという。
 もらったお金はあるものの、食い潰すわけにはいかないと佐伯はどうにか働けないかと相談したらしい。

「というか、その段階でこっちに帰ってくればよかったじゃないか。俺の家とか、和泉の家とか、いくらでも住めるし支えられるのに……」
「そんなことできないよ……みんなの反対押し切って出て行ったのに、たった二年で帰ってきてまた迷惑かけるなんて……」

 ま、佐伯ならそうなるよな……。さすがに想像つくことだ。
 そんなわけで義母に相談したところ、住み込みのバイトが見つかったそうだ。
 義母の古い友人で、洋食店を営んでいる夫婦が受け入れてくれたらしい。そこは無口な店主と、喋り好きの奥さんで経営していたのだが、奥さんが転んで足を骨折していて人手を探していたんだという。
 瞬くんはおしめもとれたし、イヤイヤ期まっただ中であるはずなのにわがままも言わず遊び方も大人しいので、佐伯がお店に出ている間、足が不自由な奥さんが進んで世話を焼いてくれたらしい。といっても同じ建物の中で、いつでも様子が見られる距離感だ。
 しかもそれは隣の市である。やはり生まれ故郷のそばというのは落ち着くそうだ。かといって生活圏は離れているから俺たちにばったり会うということもそうそうないということで好都合だった。
 そこで一年半ほどお世話になっていたという。
 その生活が終わったのは、店主である旦那さんが長年の仕事が祟って手を痛めてしまったからだ。手術が必要で、リハビリのことも考えると料理なんてとてもできない。もう年も年だし跡継ぎもいないということで、店を畳むことになったんだそうだ。
 そこで問題になってくるのが佐伯の行き先だ。

「それでね、検診行ったときにちゃんと検査を受けなきゃいけないってなってて、それでセンターの管理してるお部屋に空きがありますよーってオススメされて、引っ越すことにしたの。瞬のタイプだったら、多分無料かすっごく安く借りられるって聞いたから……」

 どちらにしても幼稚園や保育園に通うためにも正式な検査は必要で、今年中にセンターにいくつもりだったらしい。ちょうど良いタイミングだったのだ。
 まず先月頭に経済状況などの審査を受け、支援を受けられることが決まりすぐに住む場所の手配をして貰ったそうだ。スムーズに引っ越し先は決まった。
 そして引っ越して、治療に向けての再検査をして、ざっくりとした今後の方針などを聞いていたのだと言う。

「で、そのときに俺に見つかったと」
「……そんな感じ」

 佐伯はふう、と小さく息をつく。
 たった四年、といえど佐伯は色んなことを経験したようだ。俺がぼんやり大学に通っているうちに、二回も引っ越して、ちゃんと子育てして働いていたのだ。

「瞬は環境変わっちゃって戸惑ってるし、だいぶ補助みたいなのも貰えるみたいだから、来年瞬が保育園に入園するまでは貯金切り崩して二人で過ごそうかなって思ってたんだ」
「へえ……」
「その間勉強して……、来年はパートしながら高認取ろうと思って。そしたら多分もっと働けるところ増える……でしょ?」

 そうか……ちゃんと考えてるんだ……。
 でもやっぱりお金の問題は大きいよな……。子供を十分に育てるとしたら、いくらあっても無駄にはならないだろう。
 俺との関係がどうなるんであっても、とりあえず今まで貯めたお金は受け取ってもらいたい。でも今ドンと渡したらまるで手切れ金みたいに映らないだろうか。どうしたもんかな。

「とにかく、無事でやってくれててほんと、よかったよ……」

 思わずため息が出た。
 そりゃあ、苦労は色々しただろう。最初の姑からのいびりなんて佐伯だからうまく転がったものの、ストレスで体を壊したっておかしくない。旦那の浮気や離婚だって、いくら愛がなくてもそんな不誠実な扱いされたらダメージ0とはとてもいかないはずだ。
 佐伯は苦労話をするタイプでもないし、もしかしたら話していないだけで他にもトラブルがあったりもしたかもしれない。
 それでも、なんてことないようにこの四年を振り返る佐伯の顔を見ていると、安堵してしまう。

「……ごめんね、心配かけて……」
「ほんとだよ。これからは心配じゃなくてもっと迷惑かけてほしい」
「……ええー……?」
「いや、そりゃ、俺自身は迷惑だなんて思わないよ? でも、世間一般に迷惑だとされることでも、俺はそれを引き受けたいって言うか……一緒にやらせて欲しいって言うか……」
「ああ……」

 それならわかる、と佐伯は呟いた。
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