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13章

 写真で見る瞬くんは、先日とは打って変わってどれも楽しそうな笑顔だった。
 佐伯にはこんな顔を見せるのか。どこをとったって、愛情をいっぱい注がれて過ごしてきたのだと容易に察せられる。
 俺は改めて佐伯に向き直った。

「瞬くんの気持ちもあるだろうし、急に出てきて父親として接して欲しいというのはおこがましいと思っているよ。でもどんな形であれ、ちゃんと責任は果たしたい。いいよね?」

 いいよね? っていうか、そのつもりしかないんだけど、という気持ちを押さえつつ、あくまでも低姿勢だ。
 しかし佐伯の反応は、芳しくなかった。戸惑うような、言葉に詰まるようにしている。
 そしてはた、と思い出す。

「あっ! そうか、ごめん、旦那さんのことすっかり忘れてた……。瞬くんってもしかして跡取り息子ってやつなのかな。だとしたら俺って超邪魔だよね……」

 失念していた。ちらちらと思い出しては自分を落ち着かせていたというのに、佐伯を目の前にするとそんなこと消え去っていたのだ。
 そうだ、そもそもそのために佐伯を嫁として迎え入れたんじゃないか。その場合どうしたら……? 俺はもうさっぱり忘れて生きろって言われるのか……? 絶対無理なんだが……。

「う……うん……」
「そ、そっか……そうだよね……」

 あ、結構これ、心にくる。
 つらい。
 い、いや、ショックを受けている場合じゃない。それはそれ、これはこれだ!

「うん。ごめん、うまくやってるならいいんだ」
「……え……うそ、泣いてるの……?」

 慌てて服の袖でがしがしと目元を拭う。

「ち、違うよなんでもない! え、ええと……あ、でもこの前旦那さんいなかったよね? センターで父親について尋ねられなかった?」
「……えと……血の繋がった父親と連絡つくかどうかっていうのは、問診票にあったよ」

 よしよし、大丈夫だ、涙は落ち着いた。
 父親がいれば投薬治療ができる。いなければできないのだから、いないとわかっている相手にわざわざできない治療の話はあまりしないはずだ。
 だから佐伯もそもそもそんな選択肢があること自体知らないのだろう。

「……瞬くんは、将来入院が必要って言われた?」

 すると佐伯の表情はあからさまに曇った。それからこくんと頷く。

「そうか、俺のせいで……ごめん。でも、血の繋がった父親の血液があれば、投薬治療でずっと楽に治せるんだよ」
「……えっ?」

 きょとんと、佐伯はこちらを見上げる。
 ……なんか、宗教か何かの勧誘でもしているような気になってきた。この水を飲めば癌が治るんですよ〜! この塩があれば無病息災!

「……と、とにかく、実の父親の協力があれば、子供への負担を何十分の一にでも減らせるんだよ。投薬治療で済むなら、100%その方が良いんだ。あ、別にだから復縁しろとか父親面させろとか、そういうつもりじゃないからね! それとこれとは別だから……、別に協力自体は会わなくてもできるし……」

 でもできることなら……と思うのだが、それでは本当に脅しになる。

「だけど旦那さんにも話しを通さないといけないよね、それに養育費のこととか……もし邪魔でなければ俺も力になりたいからさ、改めて話し合いの場を……」

 と、佐伯の顔が少し青白いのに気付く。

「ど、どうしたの? 大丈夫?」
「いや、ううん……ううん、平気……。ただ……」

 考えるように口に手を当て、じっと壁を見つめて、眉間に皺を寄せている。
 身を捩るようにして、なにか思い悩んでいるような仕草だ。
 それからはあ……と深い溜息をついた。

「……ごめんなさい……嘘ついた……。話し合いとか、いらない……私……あの……離婚……したから……」
「えっ!」

 やったぜ! と思わず笑顔で膝を叩きそうになった。危ない危ない……ちゃんと理性が働いたので気取られなかったはずだ。
 佐伯は自嘲気味に笑う。

「へへ……22歳バツイチ子持ち……最悪でしょ……」
「そんなことないよ……か、彼氏は……?」
「そんなの作る暇ないよ」
「じゃ、じゃあ俺……よ、よくない……?」
「えっ……」

 佐伯は顔をひきつらせる。
 な、なんでだ? なんの障壁もないじゃないか。
 そ、そりゃあ、佐伯は俺みたいに気持ちが続いてなかったりするのかもしれないけど……。

「……オレたち、一年しか付き合いないんだよ? 恋人として付き合ったのはそのうち数ヶ月だけで……。それから四年も空いてたら全然、知らない人だよ、もう。子供がいるからとか都合がいいから付き合うとか、できない」
「それは……そうだけどさ……」

 きっぱり、ズバッと切り倒された。
 だめだ、泣きそうだ。堪える。嬉しくて泣くのはいい。けど悲しくて泣くのはもうたくさんなのだ。
 佐伯はテーブルの上に置いた自分の手を見つめている。そして口を開いた。

「昔はさ、別にいいやーって思ってたんだ。失敗したならしたで、傷つくのは自分だけだし、嫌なことは忘れるタイプだし」

 女になってからは、結構痛い目みたけど、と付け加える。
 苦い気持ちになる。
 大人になってから思い返してみても、散々な目にあってたんだもんな……。
 そして佐伯を振り回した男の中に俺も入ってしまっているのである。

「でも、今は瞬がいるんだよ。軽い気持ちで失敗なんかできない。絶対あの子を巻き込んじゃう。桐谷のことをダメだっていうんじゃないんだ……、でも、もし瞬を不安な気持ちにさせたらって思うと、やっぱり……」

 佐伯は不安そうな顔をしていた。
 瞬くんはたしかに、繊細そうな印象はある。引っ込み思案だし、周りの動きに敏感に気付く子のように思える。多分気が遣える子なのだろうと思う。あの写真の数々の笑顔が、俺が家庭に侵入することで曇ってしまうと思うと……。

「でも、俺の子供でもあるのに……」

 思わず、言ってしまった。言ってから、しまった! と気付くがもう遅い。
 まるで責めるような言い方をしてしまった。佐伯の言い分には納得がいったじゃないか。
 しかし俺が謝るよりも佐伯の方が早かった。

「ご、ごめん……! そ、そうだよね、もし桐谷がほんとに瞬のこと……だ、大事に思ってくれてるなら……独り占めするなんておかしいよね……。私だったら、耐えられないもん……」
「いや、こっちこそ、よく考えたら子育ての苦労ひとつも知らないくせに、すごく都合のいい話だと思うし……ごめん、ほんと」

 いつの間にか謝り合戦になってしまった。
 佐伯は当然瞬くん第一なのだ。俺がどれだけ一緒にいたい、息子よ! なんて思っていたって、佐伯や瞬くんの気持ちは全く別だ。俺だって瞬くんに無理させてまで一緒にいたいなんて思わない。
 すべては瞬くん次第だ。どう言ったタイミングで会えるかはわからないけど、せめてどうにかチャンスが欲しいんだけど……佐伯が拒絶するなら従うしかないよな……。
 佐伯はやはり懸念が残るらしい。渋い顔をしている。

「……だってさあ……、正直、母親が男の人と一緒にいたり、恋愛してるとこなんて見たくないでしょ。そういう親、嫌いなんだ……」
「……えーと……うちの親再婚なんだけど……」
「え……っ!? ごめん! そ、そんなつもりじゃ……」
「いや、いいんだけど……」

 元々佐伯は潔癖なところはあった。両親が離婚したと聞いたことがあるから、何か嫌な思い出があるのかもしれない。
 ……まあ、俺だって母親ががっつり恋愛してるとこなんて見たくはないけど。親だって人間だとは思いつつも、やっぱり幻想を抱いてしまうもんだ。

「……ごめん、ちゃんと子供のこと考えて恋愛もできる人もいるよね……。……でも、桐谷はまだ若いのに、年相応の付き合いだってできないと思うから……子持ちと付き合うなんて……」
「そんなこと十分承知の上だよ……。いや、まあ、いいよ、俺も急ぎすぎた。ごめん」

 多分今話が進展することはないだろう。
 佐伯が言うことももっともだ。
 わざわざ瞬くんを預けて二人きりで、というのもこんな込み入った話をするんでない限り、できるだけやりたくないし、かといって瞬くんも一緒に……となると瞬くんの反応がわからない限りどうしようもない。
 実際は、そんな事情関係なしに俺との付き合いはお断りしたいのかもしれないし……。

 すっかり昼時になってしまったので、一休みするため食事を頼んだ。
 俺はカレー、佐伯はピザだ。

「……瞬、ちゃんとご飯食べれてるかなあ……」

 佐伯はしきりに瞬くんのことを心配しているようだった。そりゃあそうだよな……、ずっと一緒だったんだし。
 俺よりずっと佐伯との付き合いは長いのだ。
 きっと佐伯はこんなところさっさと終わらせてすぐにでも迎えに行きたいんだろう。
 ……でももう少し付き合ってもらわなければ。本当は丸一日あったって話足りないくらいなんだけど。

「……ねえ、こっちを離れてからさ、どう過ごしてたのか、聞いてもいい?」

 ずっと気になっていたことだ。きっとそれなりに苦労したんだろうとは思う。
 俺が馬鹿みたいな顔で学生生活を送っている間、知らない土地で母親として頑張っていたのだ。話したくないかもしれないけど、できれば全部知りたかった。これこそ、瞬くんの前では聞けないことだし。

「……あんまり、面白い話なんてないよ」
「いいよ、それでも知りたい。ずっと佐伯が今どうしてるかって考えてたからさ」
「……ほんと、もの好きだよね……」

 な、なんで呆れられたんだ……。

「……わかった、えっと、聞きたくなくなったら言ってね」

 佐伯はしっかり前置きをした上で、話し始めた。
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