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13章

 そして土曜日。佐伯と約束していた日だ。
 その日ばかりはかなり早い時間に目が覚めた。こんなときくらいは遅刻なんてしないのだ。必要なものはないか再三確認したし、待ち合わせの30分前に到着することができた。快挙である。
 先にカラオケ店に入り、部屋をとって、メールを入れて待つ。すると先ほど瞬くんを預けたのでこちらへ向かうという返信が来て、心底ほっとした。
 メールしたし、ちゃんと約束した。佐伯は約束を破るやつじゃない。どれだけ考えても、もしかしたら来ないんじゃないか、全部夢で、今目が覚めてしまうんじゃないか。それか全部幻覚でも見てるんじゃないかという不安が拭えない。
 もしかしてこれがトラウマというやつなんだろうか。
 いいや、だって、そんなの仕方がない。だって四年ぶりに再会して、まだ一度しか会ってないんだ。そりゃあまだ夢見心地さ。すぐ慣れる。佐伯とつきあい始めたときだって、もしかして夢なんだろうかと何度も思った。でもそのうちそれが日常になったのだ。
 大丈夫だ。大丈夫。じっとアイドルが自己紹介をしているテレビを睨みながら、自分に言い聞かせた。
 もはや時間の感覚なんてなくなっていたが、数十分だかが過ぎ、ようやくドアが開いて思わず俺の体が跳ねた。

「お、お待たせ……」

 佐伯がいた。反射的に立ち上がって、全身を見る。
 髪は下ろしていて、前回会ったときより高校の時の印象に近かった。柔らかい生地でできたフード付きの半袖に、下はデニムのズボン。足下はスニーカー。ボーイッシュとまでは行かないが、相変わらずシンプルで動きやすそうな格好だ。でもそれが佐伯らしくも思える。
 それから前と同じ、大きいショルダーバッグ。小さい子を連れたお母さんがよく持っているようなやつだ。あまり荷物を持たない主義だったから、これが一番大きい変化かもしれない。

「さ、佐伯だあ……」
「それこないだもやった……わっ、ま、待って、ストップ!」

 感動のあまりいつのまにかにじり寄っていた。佐伯はぴんと手を出し、俺は静止させられる。

「あ、ご、ごめん……」

 一瞬正気を失ってたかもしれない。
 そ、そうだよな。俺はずっと四年前と変わらずにいるけど、普通それだけ時間が空いてたら、同じ調子にはいかないよな。
 佐伯の表情は引き攣っているようにすら見える。

「き、桐谷、おっきいからちょっと……怖いよ……」
「えっ! あ、そっか! ごめん……!」

 それは自覚してなかった。慌てて飛び退いて距離を置く。佐伯は背中をドアにぴったりひっつけていた。しまった、追いつめてしまっていたのか……。
 たしかに、佐伯は記憶よりだいぶ小さく……というか俺がでかくなったのか。長身とはとても言えないが、高校時代と比べると10センチくらいは伸びたし、あまり自覚はないけど腕とかも太くなっているはずだから、距離が近いと威圧感があったのかもしれない。

「ちょ、ちょっと、佐伯のこと実感したくて……まだ夢みたいだからさ……あっごめん、今は間宮……さんだっけ」
「……いいよ、今は佐伯でも。外では気をつけてくれれば……」
「わ、わかった!」

 う、嬉しい……。
 佐伯の家の事情があるとはわかりつつも、やっぱり佐伯は佐伯だし、佐伯って再び呼べるときを心待ちにしていたのだ。
 もうこれだけで胸がいっぱいになる。

「さ、佐伯……あ、会いたかった……」

 本当はもうなにも考えずに抱きしめたかった。和泉が河合さんにするように。でもきっと怖がらせるのだろう。そんな葛藤で、二歩くらい離れた位置でそう言いながら涙を拭うしかできない。
 滲んだ視界の向こうで佐伯も泣きそうな顔をしているような気がしたし、それは俺の気のせいなような気もした。

「ご、ごめん感極まっちゃって、ほら座ろう。あっ飲み物いるよね。ドリンクバー行こうか」
「いいよ、私入れてくるから、顔拭いてな。何がいい?」

 私。私って言った。

「あ、じゃ、じゃあジンジャーエール」
「わかった。あ、タオルあるよ、使う?」
「いやっ、ちゃんと見越して持ってきたから。そうだ、この間借りたのも洗って持ってきたよ!」

 鞄から自分用のハンドタオルと、この前俺の涙でびちょびちょにしてしまった佐伯のフェイスタオルを取り出す。
 佐伯は驚いた顔をして、そのあとふふっと笑った。眩しそうな、控えめな笑い方だった。

「相当泣く気だね」
「はは……」

 そういって佐伯は部屋を出て行った。
 俺はわしわしと顔面を拭う。落ち着け。これじゃまた瞼がパンパンになるぞ。
 俺は落ち着くためにも鞄からノートを取り出す。カンペである。
 この日のために今回どういった話をするのかまとめてきたのだ。聞きたいことと話したいこと。言わなきゃいけないこと。謝るべきこと。どうせ佐伯を前にしたら頭が真っ白になってしまうというのはわかりきっていた。ちゃんと段取りを確認する。ものすごく情けない姿だが、あとで後悔するより良い。
 まず、今どういう状況なのか聞いた方がいいな。それから別れた後どんな風に生活していたのか……。それから俺の話……いや、そんなの聞きたいか? うーん。佐伯のために頑張ってきました! なんて重たいよな……。そんなことより、忘れずに瞬くんの治療の話も聞かなくては。
 あとは……、和泉たちの近況とか? これは時間があったらでいいか。本人から聞いた方がいいだろう。
 それから佐伯は俺ともう一回やりなおしてくれるかどうか……。恐ろしいけど、でも聞かないと先に進めない。まあでも旦那さんのこととか聞いてからだよな……。無理だとしてもせめて瞬くんの養育費だけでもなんとか受け取って貰って……。

「なにこれ、すごいびっしり」
「うわああっ!」

 いつの間にか佐伯が横からノートを覗き込んでいた。慌てて閉じてのけぞる。
 すると佐伯も驚いたのか「ひゃっ」と叫んで一歩引いた。

「び、びび、び……」
「ご、ごめんね? 大丈夫、中身は見てないから」

 心臓がバクバクいってる……。
 いつの間にかテーブルの上にはジュースが入ったコップが置かれていた。まったく気づかなかった……。
 佐伯は正面の席に座って、メロンソーダに口をつける。

「あ……ありがとう」
「ん? ううん」

 やばい。全部飛んだ。頭真っ白になった。
 とりあえず落ち着くために俺もジンジャーエールを飲む。

「カラオケなんて久しぶりだよ。桐谷たちと行ったとき以来だな」
「えっ! そ、そうなんだ……。べ、別に変わってないでしょ? 四年やそこらじゃそんな、ね」
「カラオケ屋さんはね。でもこの辺のお店とかは結構変わっちゃったよね」
「あー……そう、だっけ……」

 そうか、佐伯はあれから出産して、それから瞬くんの育児に追われて、今は大きくなったとはいえまだ幼い。それに知らない土地で友達もいないだろうし。多分ママ友とかができたとしても、カラオケに行く仲になるのは難しそうだし……。旦那さんとかに協力して貰って時間作らないと行くことないよな。
 俺はカラオケだの、ボーリングだの、飲み屋だのに好き勝手行っていたのに……。

「……実は瞬をよそに預けたのもはじめてでさ……、ちょっと、不安なんだよね」
「え、あ、そ、そうだったんだ……ごめん、瞬くんには悪いことしちゃったな……」
「ううん、来年からは保育園に通う予定だから、今のうちに子離れする練習しとかないといけないし……」

 しかし初めて離ればなれになるって、結構大変なことなんじゃないだろうか。お母さんと離れて数時間余裕で泣いてる子とかいるし……。預けるときも今生の別れのように泣き叫んでる子もいる。

「だ、大丈夫だった? センター出るとき泣いてるお母さんとかたまに見るよ」
「瞬は落ち着いてたよ。でもあの子は多分大丈夫なふりしてるだけだと思うから……今頃はどうかな……」
「そっか……、彼、賢そうな子だよね。優しいし」
「あ……ありがと」

 俺の散らばらせた紙を、わざわざ佐伯の手をふりほどいてまで戻って拾ってくれたことを思い出す。優しい子は多いけど、ちゃんと周りを見て気づいて行動できる子は多くない。特に彼は恥ずかしがり屋なようだし、勇気がいることだろう。

「あ、あの」

 佐伯の教育の賜だな~と言おうと口を開いたところで、佐伯が俺の思考を遮った。
 和やかな雰囲気から一変、佐伯の表情は真剣なものになっていた。
 呆気にとられていると、佐伯はすうっと息をついてから席を立ち、テーブルから一歩距離を置くと止める間もなく床に膝をついて頭を下げた。
 理解が遅れたが、これは所謂土下座だ。

「ごめんなさい……」
「ええっ!?」

 慌てて立ち上がって俺も膝をつく、が、どうしていいのかわからない。肩を掴んで顔を上げさせようと思ったが、触れるのに躊躇して手は空中をうろついた。

「ちょっ! や、やめてよ、なに!? 顔上げて……」
「だ、だって、ほんとは私、桐谷に合わせる顔なんて……」
「い、いいから! 座ってから聞くから!」

 そろそろと、佐伯は顔をあげる。

「ほら、髪に埃ついてるよ……、掃除なってないね、この店」

 まあ、掃除してる方もまさか土下座されるとは思っていなかっただろうが。
 見えないだろうと手を伸ばすと、佐伯はぎゅっと目を瞑り肩を竦ませて耐えるように小さくなった。そっと埃を取って、いいよ、というとほっとしたように肩の力を緩ませる。

「ごめんなさい……ありがと……」
「ううん」

 虐待を受けた子供に見られる行動に近いと思った。頭が少し冷える。
 思えば、佐伯の雰囲気は昔とだいぶ違う。昔だって、色々あったせいで男時代と比べれば落ち着いていたけど……。……やっぱり、嫁ぎ先での扱いは、よくなかったのだろうか……。
 ……いや、ただ自分より遥かに大きな男が近寄ってきたことに怯えただけかもしれない。しれないけど……。気になる、が、不躾にそこを深掘りしても、余計警戒されるだけだろう。順序を考えよう。まず、ちゃんとお互い冷静に話せる状況に移らないと。
 佐伯がゆっくり席に戻るのを見て、俺も再び座る。

「謝るのは俺の方だよ。何も知らずに全部佐伯に押しつけちゃって、なんの責任もとれなかったんだから」
「そ、それは全部わた……オ、オレが隠したせいだから……」
「さっきからずっと私って言ってたよ?」
「あ、う、うう……」

 今更気付いたんだろうか。
 すっかり女性らしくなった見た目でオレというのは少し不思議な光景だったが、でもやっぱりそれが佐伯らしく感じてホッとする。ちゃんと佐伯なのだ。

「……ごめんなさい……、何も説明せずに、逃げちゃって……」
「……そりゃあ最初に和泉から事情を聞いたときは、なんで教えてくれなかったんだってちょっと恨めしくは思ったけど。でも考えれば考えるほど、あの頃の俺じゃとても頼りにならないってわかるから……、佐伯は謝ることないよ」

 佐伯の口は僅かに震えていた。泣きそうなのを堪えるように。
 俺の涙とは全然種類が違うもののように感じた。
 キョロキョロと視線を動かして、目があったと思ったら逸らされる。

「でも、オレ、あのときはそれが一番いいって思ったんだよ……。桐谷は、もっと普通の子とちゃんとした人生の方がいいって……。それに、子供のことが一番だったんだ。絶対に産みたかったの。それだけは守りたかった……から……」

 途中、口を挟みたくなったのを堪える。
 そして佐伯に別れを告げられたときのことを思い出した。
 あの時は一体何が起こって、何の話をしているのか全くわからなかった。ただ覚悟を決めているのは伝わってきたのを覚えている。とても諦めることなんてできないけど、何を言っても聞いてくれないとわかったのだ。
 佐伯は息が続かないように、必死で呼吸を整えながら、それでも言葉をなんとか続ける。

「でも、でもね、向こうに行ってから、もしも桐谷がどこかで子供のことを知ったら、それか、昭彦に桐谷と付き合ってたことがバレて、桐谷がいろんな人に怒られたり、嫌われたりしたら、どうしようって思ったんだ。そしたらオレ、もう庇うことなにもできないって、そう気付いてすごく後悔した……」

 口を手で隠すようにしながら、顔を伏せ、くぐもった声で佐伯は何度もごめんなさいと繰り返した。悲痛な姿だった。

「落ち着いて、大丈夫だから……」

 身を乗り出して、そっと肩に触れたかった。背中をさすってやりたかったし頭を撫でてやりたかった。佐伯が昔してくれたように。
 でもきっと、今は逆効果なんだろう。
 佐伯は顔を押さえて、何度か呼吸を意識して、それから少しだけ落ち着いた表情で再びこちらを見る。俺はゆっくりと座り直した。
 佐伯は一人でも大丈夫なのだ。

「ほんとに……ごめんなさい……自分のことしか考えてなかった……」
「……大丈夫だよ、そりゃあ色々あったけど、不当に怒られたりなんかしてない。幸い嫌われたりもしてないよ。……河合さんには説明するのが遅れてちょっと怒られたけど」
「……そうなの?」
「タイミング逃しちゃって……去年ようやく打ち明けたんだ」
「それは……だいぶ寝かせたね……」

 お恥ずかしい話だ……。そもそも付き合ってること自体を佐伯に口止めされてたのが発端なんだけどな!

「オレ、てっきり新学期に入る頃にはもうみんなに知れ渡ってるものだと思ってたよ……。急に学校やめるなんてそういうことだと思うでしょ?」
「俺の知る限り変な噂は何もなかったよ。っていうか、俺も数ヶ月後に和泉に教えて貰うまではただ転校したんだとばかり思ってたから……」
「ああ、そっか……」

 佐伯はようやく少し落ち着いたようだ。鼻は少し赤いが、佐伯は涙をこぼしはしなかった。

「そうだ、瞬くんの誕生日っていつ? 多分そろそろだよね。ごめん、計算がよくわからなくて」
「あ……再来月、九月二十四日だよ。四歳になるんだ」
「そっか。四歳かあ……」

 瞬くんの話をすると佐伯の表情は途端に綻んだ。
 なんだか嬉しい。すごくお母さんの表情だ。四年も、俺がただ勉強して遊んでいる中、ずっと面倒を見てくれていたんだ。

「……ありがとう、産んでくれて」
「……え?」
「あの子を守って、産んでくれて、ありがとう……。ほんとに……、あ、お、俺のためじゃないのはわかってるんだよ! ただ、ほんと、嬉しくて……ごめん、なんか偉そうに……」

 この感情をどうすれば適切に表現できるのかがわからない。とにかく、佐伯の手を取って感謝したい気持ちをぐっと抑えて顔を上げた。
 すると、佐伯は驚いた顔をしていて、そしてあれほど必死に我慢していたのにぽろぽろと頬を涙が伝っていた。

「えっ、ご、ごめん、やっぱりなんか変なこと言ってるよね俺!」
「あ……ううん」

 佐伯自身驚いたように自分の頬をそっと指で触れている。

「オレ……てっきり……。いや……」
「何?」
「……勝手に……子供を産んじゃって……、その……、お、怒られると、思ってたから……」
「怒る? 俺が?」

 まあ、勝手に知らない土地へ行って、という部分に関しては確かにちょっと怒ってもいいのかもしれないが……でもさっき言ったように、昔の俺じゃロクに支えてやれなかったという自覚もある。情けない話だが。逃げられるのもしょうがない。

「だって、だってさ、ニンチ……? とか、男の人は嫌がったりするでしょ? よくわかんないけど……もっと……遊びたいでしょ……?」
「あ、ああ……? いや……そういう人もいるかもしれないけど……」

 まあ、確かに結婚前に子供ができて、すぐ堕胎するように言ったり、そもそも逃げ出す男だっているらしいが……。
 それは真剣に結婚することまで考えてなかったから逃げるんだろう。俺はそういう気持ちで付き合っていたつもりはないから、あまり一緒にはしないでほしい。
 つーか、誕生日迎えたら結婚できるねエヘヘなんて馬鹿みたいなこと言ったじゃないか! ……まあ、責任もなにもわかっていない頃の恥ずかしい発言である。

「でも、俺と佐伯の子だよ? 嬉しいに決まってるじゃないか。怒るわけないよ。そりゃあ、親に面倒見て貰ってるときにああいうことになっちゃって、それ自体は怒られることだろうけど、でも産んでくれたことを怒るなんてあるわけないよ」

 佐伯はどこか力が抜けたように深くソファに座った。タオルが必要なほど泣きはしなかった。
 もしかすると、今だに俺に、なんで産んだんだ、とか言われると思っていたんだろうか。俺の人生設計をめちゃくちゃにしやがって! ……みたいな? そう思ってたらわざわざ佐伯に追いすがったりしないと思うのだが……。
 いや、俺が未だに、いつ佐伯が消えてしまうか不安であるように、佐伯もずっと募らせていた考えが消えないんだろう。そう考えると少し気持ちはわかる。ちょっと俺の人間性を見直してほしい気持ちはあるが。

「避妊に失敗しちゃったこと、謝るよ。本当にごめん。もっとちゃんと気を遣っておくべきだった。行為自体、ちゃんと責任とれるときまで我慢すべきだったんだ。ごめん」

 佐伯はかぶりをふる。さらさらと髪が揺れた。

「やめて、妊娠してなかったら瞬に会えてなかったんだよ? そんなの考えたくもないよ……」
「それはたしかに、そうなんだけどさ……」

 今となってはそうかもしれないけど、そんなのは結果論だ。
 無事に出産できて、ここまで育ったからよかったものの、まだ成熟しきってない体での妊娠や出産は不安定な部分が多かったはずだ。子供が流れてしまったり、佐伯が命を落としてしまう可能性だってあったんだ。
 そんなリスクを背負って、それを佐伯一人に押しつけるなんて絶対あるべきじゃなかった。
 ……でもそんなことを今言ったってしょうがないか……。どうであれ、瞬くんが生まれない世界の話なんて佐伯は聞きたくないんだろう。

「……赤ちゃんのときの写真見る?」
「えっあるの!? 見たい!」

 佐伯はスマホを取り出して、遡って見せてくれた。ざっと見ただけでも写真はすべて瞬くんを写したもののようだ。

「うわ、ち、小さいね……。触ったら壊れそう」
「ね。髪の毛も全然生えてなくてさ、他の子はもっとふさふさなのに、一人だけハゲなの。ふふ」
「へえ……、あ、ちょっと生えたね」
「うん、今はね、むしろすぐ伸びちゃって困るくらい。あ、これ、一歳の誕生日で……」

 嬉しそうに話す佐伯とふと目が合った。

「……ご、ごめん、人の子供の話ってつまんないよね」
「人の子!? 俺の子でしょ!?」
「あっそ、そうなんだけど……、だって急にあなたの子です、なんて言われても実感湧かないでしょ……?」

 お、おお……そういうことか……。
 父親面するなということかと思ってちょっとビビった。言われてもしょうがないんだけどさ。

「実感っていうか……、そりゃあ姿とかはわかんなかったけど、ずっと佐伯と俺の子がどこかにいるんだって考えてたからさ。瞬くんが息子だってわかって、この子かーってしっくりきたよ。目元とか佐伯に似てるよね」

 でも性格は俺寄りなんじゃないかと勝手に思っている。
 佐伯は訝しげな顔をしている。

「……もしかして桐谷ってすごく器が大きいの……?」
「え、今更気付いた? 遅くない?」

 そう返すと佐伯はうっすらと微笑んだ。別にボケてはいないのだが。
 どうもこいつは俺のことを過小評価しているな。まあ、低いハードルでいちいち見直してくれるならむしろ都合がいいかもしれないな。
 佐伯の笑顔は記憶にあったよりも穏やかで、慎ましげだった。それがなんだか今までの距離を感じさせて、少しだけ寂しくて切ない。
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