13章
翌日も変わらず仕事がある。若干浮ついてしまいそうになるが、ここで崩れてはいけない。自分に言い聞かせる。うん。切り替えないと。
「何かいいことでもあったのかな」
全然切り替えられてなかった。
伊藤先生はこちらを見もせず、パソコンでこのあと来る予定の子供のデータを整理しながらそう言った。
「えっ、わ、わかります?」
先生を見たあと、助手の土田さんとに目を向けると、黙って頷かれた。
なに考えてるかわからないと言われる、とは一体なんだったのか。
「昨日利用者の方と入り口で揉めていたと報告があったが……」
「あ……」
そ、そうか、報告がいってたのか。そりゃあそうだよな。大騒ぎってほどでもないが、男が大泣きしてたら何事かと思うだろうし。
「その……長年音信不通だった知人と再会して、感極まってつい……。すみません、時と場所を考えず……ご迷惑をおかけしました……」
さっきまでご機嫌が漏れ出ているようなやつの謝罪なんて薄っぺらいにも程がある。は、恥ずかしい……。
もっと落ち着かないと。
「なるほど、それはよかった。しかし他の利用者の方がどのように受け取るかはわからないよね」
「……はい、おっしゃる通りです……」
「ご友人との交流を控えろとは言わないけれど、君はここの職員の一人として顔も知られているのだから、くれぐれも慎重にね」
「はい……」
そのあとも、決して厳しくはないが、窘めるように身の振り方の注意をされた。
大人同士の関わりだけならそれほど口酸っぱく言われることはないのだが、俺たちが見ているのは子供で、そしてその保護者だ。そうなると自分自身のとき以上に保護者はこちらの対応に敏感になる。
そして父親が亡くなっている未亡人の割合も高いことから、やはり職員との恋愛関係に発展するだとか、それを怪しむということも多いのだそうだ。
そう言った関係になったら当然、研修は打ち切りとなるらしい。まあ、それよりまず勉強に集中しろって段階だもんな……。
成績優秀な君を逃すのはこちらも惜しいんだよ、とフォローするように付け足してくれた。
……しかし、少し、その期待に応えるのは難しい気がしている……。
俺がここから佐伯と恋愛関係になるかはまったく別の話だとして。でも、俺と瞬くんの血の繋がりは消せないのだ。
これが別の仕事だったら、まだよかったのかもしれない。
しかし瞬くんの治療のためには俺の血が必要なのだ。それさえすれば、負担の大きな入院や治療をしなくたって薬でなんとかなるのだから、やらないなんて手はない。一切ない。あんなしんどい思い、しないで済むなら絶対にしないに越したことはないのだ。 しかし、そのためには当然親子関係を証明する検査をしなければならない。俺たちの関係は先生たちに隠しようがないのだ。
まず、佐伯に話してからだけど、近いうち先生にも報告しなければならないことだ。しかし佐伯との繋がりがバレてしまっているのなら、今言った方がいいのだろうか。しかしもうじき診察がはじまるし、とても5分やそこらで終わる話じゃないだろう。ううーむ……。帰りに時間をもらうか……それともやっぱり佐伯に話を通してからにすべきかな……。旦那さんの意向もあるだろうし……。
……でもこれじゃ、ここで働くのは厳しいよなあ……。
治療経験者で研修にきたのは俺が初めてらしいし、職員が利用者側になるっていうのも前代未聞だろう。今後は普通にありうることなのかもしれないけどさ。俺は先駆けなのだ。
研修だって続けられないよな……。はあ、どんな処分が下されるのか。まったく想像がつかない。一体何の罪にあたるんだろう。
研修中に恋愛関係になったわけではないからその点はいいとしても、そもそも高校生のうちに子供を作っている時点で人としての周りからの評価は下げられても文句は言えまい。そんな状況であってもきちんと責任とって二人で育てていたのなら話は違うが、この年まで音信不通だったのだ。端から見れば俺が逃げて子供を相手に押しつけたというように取られるだろう。ろくでもない男だ。
先ほどまでは浮ついた気持ちだったのに、だんだん頭が冷えてくるようだった。
まず、今から就職活動をはじめて間に合うのか。何ができて何は手遅れなのか。多くは三年の段階で就活に向けて動き始めていたし、出遅れなんてもんじゃないだろう。すでに内定が出てる知人も多いし……。ただ一般の企業とは若干システムが違うから、説明会とかもないし、そう考えると今からでもなんとかなる……のかな。
ううーん……これは色んな人に相談してみた方がいいか。センター以外まったく考えていなかったから、圧倒的に就活に関する情報が足りない。
とにもかくにも、佐伯と会って今後の予定を決めて、それから伊藤先生に報告してから考えよう。先回りして考えたって全部無駄になるかもしれないし。
午前中はまだよかった。仕事中はあれこれ考える暇なんてない。
ただ苦痛なのは午後だった。
今はもう授業がだいぶ少なくなっているし、自主勉強は考え事があると身が入らないものだ身が入らないものだ
やっぱり、いろいろと考えてしまう。
佐伯はやっぱり、俺のことはもうどうでもいいのかな、とか。
今どんな暮らしをしているのかな、とか。
でも元気そうだったのは安心した。ちょっと心配になるくらいほっそりとはしていたけど、まあ病的ってほどでもないし。
ちゃんといいお母さんしてるみたいだったな。子供のことを一番に気にかけているのが伝わってきた。佐伯はそういうやつだと思っていたけど。
でもやっぱり、旦那さんがいるとしたら迷惑……なんだろうな……。
瞬くんの治療のためとはいえ、昔の男と連絡をとって、子供も一緒に会うなんて普通のやつは気分がいいもんじゃないだろう。もしそれが原因で亀裂が入ってしまったら……それは……さすがにダメだよな……。
まあ、別に顔を合わせて一緒にセンターに行かなきゃいけないわけじゃないんだ。父親の採血に付き添いは必要ない。ただ血を抜かれて、それで終わり。それでも十分だ。
うん、これで十分……だと思う……。
思うが、思うけど、でもやっぱりへこむな……。
きちんと堂々と父親として二人と一緒にいたいという欲が消えない。
……でも、瞬くんはどう思うかな。急に現れた男がパパだよーだなんて、やっぱり嫌かな。
うちのときはどうだったかな……瞬くんよりもう少し大きい頃に今の父と会ったはずなんだが、あんまり覚えてないんだよな……。
瞬くんが嫌がったら、ダメだよなあ……。
「はあ〜……」
佐伯と再会できて嬉しいのに、喜びだけに浸っていたいのに、そう簡単にはいかなかった。
考えなきゃいけないことは山ほどある。そのどれもが、とりあえず佐伯と離さなくては進展しないことなのだが、だからといって頭から出ていってはくれない。
佐伯と会える土曜日までこれは続くのだろう。
週末までいつもより何十倍も時間が長く感じた。
「何かいいことでもあったのかな」
全然切り替えられてなかった。
伊藤先生はこちらを見もせず、パソコンでこのあと来る予定の子供のデータを整理しながらそう言った。
「えっ、わ、わかります?」
先生を見たあと、助手の土田さんとに目を向けると、黙って頷かれた。
なに考えてるかわからないと言われる、とは一体なんだったのか。
「昨日利用者の方と入り口で揉めていたと報告があったが……」
「あ……」
そ、そうか、報告がいってたのか。そりゃあそうだよな。大騒ぎってほどでもないが、男が大泣きしてたら何事かと思うだろうし。
「その……長年音信不通だった知人と再会して、感極まってつい……。すみません、時と場所を考えず……ご迷惑をおかけしました……」
さっきまでご機嫌が漏れ出ているようなやつの謝罪なんて薄っぺらいにも程がある。は、恥ずかしい……。
もっと落ち着かないと。
「なるほど、それはよかった。しかし他の利用者の方がどのように受け取るかはわからないよね」
「……はい、おっしゃる通りです……」
「ご友人との交流を控えろとは言わないけれど、君はここの職員の一人として顔も知られているのだから、くれぐれも慎重にね」
「はい……」
そのあとも、決して厳しくはないが、窘めるように身の振り方の注意をされた。
大人同士の関わりだけならそれほど口酸っぱく言われることはないのだが、俺たちが見ているのは子供で、そしてその保護者だ。そうなると自分自身のとき以上に保護者はこちらの対応に敏感になる。
そして父親が亡くなっている未亡人の割合も高いことから、やはり職員との恋愛関係に発展するだとか、それを怪しむということも多いのだそうだ。
そう言った関係になったら当然、研修は打ち切りとなるらしい。まあ、それよりまず勉強に集中しろって段階だもんな……。
成績優秀な君を逃すのはこちらも惜しいんだよ、とフォローするように付け足してくれた。
……しかし、少し、その期待に応えるのは難しい気がしている……。
俺がここから佐伯と恋愛関係になるかはまったく別の話だとして。でも、俺と瞬くんの血の繋がりは消せないのだ。
これが別の仕事だったら、まだよかったのかもしれない。
しかし瞬くんの治療のためには俺の血が必要なのだ。それさえすれば、負担の大きな入院や治療をしなくたって薬でなんとかなるのだから、やらないなんて手はない。一切ない。あんなしんどい思い、しないで済むなら絶対にしないに越したことはないのだ。 しかし、そのためには当然親子関係を証明する検査をしなければならない。俺たちの関係は先生たちに隠しようがないのだ。
まず、佐伯に話してからだけど、近いうち先生にも報告しなければならないことだ。しかし佐伯との繋がりがバレてしまっているのなら、今言った方がいいのだろうか。しかしもうじき診察がはじまるし、とても5分やそこらで終わる話じゃないだろう。ううーむ……。帰りに時間をもらうか……それともやっぱり佐伯に話を通してからにすべきかな……。旦那さんの意向もあるだろうし……。
……でもこれじゃ、ここで働くのは厳しいよなあ……。
治療経験者で研修にきたのは俺が初めてらしいし、職員が利用者側になるっていうのも前代未聞だろう。今後は普通にありうることなのかもしれないけどさ。俺は先駆けなのだ。
研修だって続けられないよな……。はあ、どんな処分が下されるのか。まったく想像がつかない。一体何の罪にあたるんだろう。
研修中に恋愛関係になったわけではないからその点はいいとしても、そもそも高校生のうちに子供を作っている時点で人としての周りからの評価は下げられても文句は言えまい。そんな状況であってもきちんと責任とって二人で育てていたのなら話は違うが、この年まで音信不通だったのだ。端から見れば俺が逃げて子供を相手に押しつけたというように取られるだろう。ろくでもない男だ。
先ほどまでは浮ついた気持ちだったのに、だんだん頭が冷えてくるようだった。
まず、今から就職活動をはじめて間に合うのか。何ができて何は手遅れなのか。多くは三年の段階で就活に向けて動き始めていたし、出遅れなんてもんじゃないだろう。すでに内定が出てる知人も多いし……。ただ一般の企業とは若干システムが違うから、説明会とかもないし、そう考えると今からでもなんとかなる……のかな。
ううーん……これは色んな人に相談してみた方がいいか。センター以外まったく考えていなかったから、圧倒的に就活に関する情報が足りない。
とにもかくにも、佐伯と会って今後の予定を決めて、それから伊藤先生に報告してから考えよう。先回りして考えたって全部無駄になるかもしれないし。
午前中はまだよかった。仕事中はあれこれ考える暇なんてない。
ただ苦痛なのは午後だった。
今はもう授業がだいぶ少なくなっているし、自主勉強は考え事があると身が入らないものだ身が入らないものだ
やっぱり、いろいろと考えてしまう。
佐伯はやっぱり、俺のことはもうどうでもいいのかな、とか。
今どんな暮らしをしているのかな、とか。
でも元気そうだったのは安心した。ちょっと心配になるくらいほっそりとはしていたけど、まあ病的ってほどでもないし。
ちゃんといいお母さんしてるみたいだったな。子供のことを一番に気にかけているのが伝わってきた。佐伯はそういうやつだと思っていたけど。
でもやっぱり、旦那さんがいるとしたら迷惑……なんだろうな……。
瞬くんの治療のためとはいえ、昔の男と連絡をとって、子供も一緒に会うなんて普通のやつは気分がいいもんじゃないだろう。もしそれが原因で亀裂が入ってしまったら……それは……さすがにダメだよな……。
まあ、別に顔を合わせて一緒にセンターに行かなきゃいけないわけじゃないんだ。父親の採血に付き添いは必要ない。ただ血を抜かれて、それで終わり。それでも十分だ。
うん、これで十分……だと思う……。
思うが、思うけど、でもやっぱりへこむな……。
きちんと堂々と父親として二人と一緒にいたいという欲が消えない。
……でも、瞬くんはどう思うかな。急に現れた男がパパだよーだなんて、やっぱり嫌かな。
うちのときはどうだったかな……瞬くんよりもう少し大きい頃に今の父と会ったはずなんだが、あんまり覚えてないんだよな……。
瞬くんが嫌がったら、ダメだよなあ……。
「はあ〜……」
佐伯と再会できて嬉しいのに、喜びだけに浸っていたいのに、そう簡単にはいかなかった。
考えなきゃいけないことは山ほどある。そのどれもが、とりあえず佐伯と離さなくては進展しないことなのだが、だからといって頭から出ていってはくれない。
佐伯と会える土曜日までこれは続くのだろう。
週末までいつもより何十倍も時間が長く感じた。