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13章

「間宮、間宮……さん」
「……うん」

 ファミレスの一席。
 結局、佐伯はなんとか俺に押し切られてくれて、歩いて5分ほどの距離にあるファミレスについてきてくれた。センターの中に食堂や喫茶店など一通り揃っているから、わざわざ利用者の人はここを使うことはそうそうない……と思う。佐伯はセンター内にそんなお店があることを知らなかったらしいけど。
 俺は生姜焼き定食、佐伯は肉うどん、瞬くんはお子さまランチだ。
 それにしても間宮か……言い慣れないな……。佐伯は佐伯なのに。心の中では佐伯って呼んでてもいいよな。

「えーと……下の名前は……?」
「……千紗だよ」
「千紗……」

 千紗。ちさ。間宮千紗。
 小さく繰り返すがひとつもしっくりこない。全く知らない名前だ。当然だけど。

「……瞬くん、おいしい?」
「……」

 瞬くんは若干警戒するような目をこちらに向けながらコクンと頷いた。ちょっとだけ心を開いてくれたような気がしていたのに、さっきの醜態でリセットされてしまったのだろうか。

「……ごめん、人見知りしちゃう子で……」
「ああ、ううん大丈夫だよ。しっかりした子だよね。ね、さっき一緒にお絵かきしたもんね」
「……」

 コクンとまたひとつ頷き、佐伯に向かって内緒話をするように顔を近づける。

「あのね、さっきねこちゃんまんかいてもらったよ」
「そうなの。ありがとう言えた?」
「ゆったよ」
「そっか。よかったねえ。おうちに帰ったらママにも見せてくれる?」
「いいよ」

 ああ……親子の会話してる……。お母さんだ……。

「ちょっと、……なんでまた泣いてるのさ」
「だって、だって……」

 だめだもう涙腺が馬鹿になってる。
 だって佐伯はすっかりお母さんなのに、俺への喋り方は昔と変わってない。

「何回も夢で見たり、頭の中で考えてたんだ……佐伯との会話。もし会えたらなんて話そうって、何千回もシミュレートしてたのに、実際直面したら、なんにも出てこなくて……」

 もう鼻が詰まってしまって生姜焼きの味もあまりしない。
 泣きながらご飯を食べるなんて何年ぶりだよ。
 佐伯はやっぱり眉尻を下げて困った顔をしていた。呆れているんだろうか。ものすごく懐かしい顔だ。
 しかし昔の活気とか、愛想の良さなんてものはない。まあ、この状況じゃ仕方ないかもしれないけど。でもやや頬が痩けたかもしれない。メイクのせいなんだろうか、幸が薄そうにすら見えた。しかし瞬くんに向ける表情は記憶となんら変わりがない。佐伯だと確信できた。

「桐谷は……、あそこで働いてるの?」
「ううん、俺はまだ大学四年で、研修で通ってるんだよ。給料も出てないし」
「そっか。四年生か……」

 四年。そう言われると長い。佐伯と離れていた時間はええと、正確には四年四ヶ月か。

「さ、さえ……じゃない、間宮、さんはどう……してたの? いつこっちに?」
「うんと、今月の頭に。それまで○○市で暮らしてて……」
「ええ!? 隣!?」

 嘘だろ!? そんな近くにいたのか!

「あっ、いや、そっちに引っ越したのも、えっと瞬が二歳になったあとだから……一年半? 前? かな。それまでは××県にいたから……」
「……そ、そうだったんだ……」

 やはり、遠く離れた土地だ。俺が裕子さんたちと訪れた場所とは全く違う。
 それにしても、色々苦労してきたんだろうか。深い事情は……さすがにこんなところで瞬くんの前で聞くのは憚られる。
 服装や髪型などはシンプルというか、オシャレは二の次で機能性を重視したように見える。昔は長い前髪を肩に垂らしていたけど、少し短くなっていて横に流していた。でもそのくらいだ。肌は綺麗だし、子供を産んで育てているんだから実年齢より老けて見えてもおかしくないのだが、大学の同級生と比べても幼く感じるほどの素朴さだ。

「……桐谷、すごく変わったね。全然わかんなかったよ」
「えっ!? そ、そうかな? どの辺が? あっ、身長?」

 名前を呼ばれて思わず口角が上がる。今の俺は相当気持ち悪いかもしれない。
 
「身長もだけど……、体格とか、顔つきとか、ちゃんと大人の男の人になってるからさ……、名前見るまで、全然……」
「もしかして前の方がよかった……? ごめん、勝手にこうなってて……」
「ふふっ、ううん、そんなことないけど……」

 わ、笑った!! 笑ったぞ! 佐伯がようやく!
 それにしてもよかった……。佐伯と再会したとき幻滅されないように、よかれと思って今まで頑張ってきたけど、全部裏目に出てたらもうどうしようもないもんな。

「さ……間宮さんは、あんまり変わってないね。若々しくて……。あっでも大人っぽくはなってるか」
「……ありがと」

 特に嬉しそうではないみたいだ。難しい。

「本当によかった……また会えて……」

 しみじみ繰り返す。だってそれ以上に言いようがないんだ。
 それから瞬くんを眺める。可愛い……まだ小さいのに……立って歩いてフォークを使って食事までできるなんて! 天才じゃないか……?
 さすがに、今この状況で父親面なんてできないけど。ちゃんと佐伯の現状を理解して、俺の話も聞いてもらって、それからだ。でも心の中で堪能する。
 しかし佐伯は目を伏せ、難しい顔をしている。

「……ごめんなさい……、私たちのことはほっといて……関わらないでほしい……」
「えっ」

 きゅっと心臓が掴まれたような感覚がする。
 瞬くんはおまけについてきたおもちゃを開封しながら佐伯の表情を注意深く見守っている。

「あ、……だ、……い、いや……ごめん……それは……できない」
「……」
「それはできない……よ、ごめん、あの、無理に俺に優しく接して欲しいとか、そんなことは思ってないから、事務的でもいいから、ただ改めてきちんと話はさせて欲しい。これには俺の願望も、もちろんあるけど……話さなきゃいけないこともあるんだ。特に彼の治療のことで」

 己の衝撃を悟られないよう、言葉を連ねる。
 瞬くんはまさか自分の話をしているとは思っていないだろう。
 佐伯は瞳を揺らして、やや目線を下げ、それから「わかった」と呟き頷いた。

「そうだ、連絡先交換させてよ」
「……あ……う、うん……」

 佐伯は視線をうろつかせる。できることならそれは避けたい、という表情だった。
 まあ、佐伯の気持ちが離れている可能性も考えてはいたけど……ちょっと……やっぱりへこむな……。いや、でもここで引くわけにはいかない。瞬くんが俺の息子であるということに代わりはないんだ。それなら逃げられたら困るのはお互い様のはずだ。

「……やっぱり旦那さんはよく思わないよね。ごめん、でも頼むよ。さっきも言った通り、日を改めて話したいこともたくさんあるからさ」
「あっいや、それは、大丈夫なんだけど……。……うん、わかった、いいよ」

 佐伯は鞄からスマホを取り出した。
 正直、前向きな印象はなく、観念しただけのようだけど。
 それでもやっぱり安心する。
 さすがに嘘の連絡先を教えてまで距離を置こうとはしないだろう。どうせセンターを張ってたら会えるんだから。そんなことしたくないけどさ。
 連絡先交換をしている間、瞬くんは大人の会話がつまらないのか、それともお腹が膨れて眠くなったのか、佐伯に寄りかかって大人しくしている。
 ご飯も食べ終わったし、今日のところはこれまでかな。

「ねえ、和泉たちに再会できたこと伝えていいかな?」
「……それは……ちょっと、待ってくれると嬉しいかな」

 あ、既視感だ。佐伯と付き合ってるとき、和泉たちに報告したいって話をするとこんな感じで先延ばしにされたんだよな……。
 でもまだ佐伯と腰を据えて話せたわけではないし、そのあとでもいいのかな。どっちにしろ和泉はこっちにすぐ帰ってくるわけにはいかないし。

「……じゃあせめて裕子さんには報告させてよ。あの人、忙しいのに休みの日にはお前を探すために、年に何度も、何日もかけて田舎巡って聞き込みしてるんだよ。絶対すぐにでも連絡してあげなきゃだめだと思う」
「えっ……」

 佐伯は目を見開き、絶句していた。
 そりゃそうだ。佐伯がいなくなってから四年。佐伯の元思い人で、しかも忙しい裕子さんがそんな地道で途方もないことをしているとは夢にも思わなかっただろう。
 あれは正直言って地獄だ。やる必要がないなら即刻やめさせるべきだ。
 佐伯は一瞬、泣きそうな顔になって、しかし瞬くんの頭を撫で、すぐに持ち直した。

「わかった。裕子さんには……いいよ」
「……今電話かける? すぐ出てくれるかはわからないけど……」
「ううん……、それは、もっと落ち着ける状況で……今は桐谷から伝えておいてもらっていいかな」

 今は、ということはいずれはちゃんと自分から連絡してくれるということだ。佐伯はそんな人を期待させるような嘘を言うやつではない。うん。大丈夫だ。

 食事代をやや強引に俺が払うと、佐伯は少し恐縮していた。ちょっと恩着せがましかっただろうか。でも払いたかったのだ。だって佐伯とその子供のために今までバイトして貯金してきたんだ。少しでも使いたかった。さすがに、そんなことペラペラ話したら重すぎて引かれるかもしれないから言わなかったけど。
 別れ際、やっぱり急に怖くなった。これは夢なんじゃないかとか、ここからまた雲隠れしないかとか。

「さえ……、ま、間宮さん、また話せる、よね」
「……大丈夫だよ。ちゃんと話す。わかってる……。ちょっと、整理する時間ちょうだい。……ごめんね。……瞬、お兄ちゃんにばいばいして」
「せんせ、ばいばい」
「うん、ばいばい。またね」

 また。またがあるんだ。
 電話は難しいけど、メールなら返せるって言ってた。夜、瞬くんが寝てから。メール。メールだ。送っていいんだ。ちゃんと送ったら返ってくるんだ。
 結局そんな状態で大学に寄れるわけもなく、河合さんの前でも平静を保っていられる自信などなく、ぼんやりとした気持ちのままいつの間にか家に帰っていた。
 そのまま自室に籠もり、ベッドで仰向けに転がる。

 佐伯、佐伯に会えた。会えたんだ。瞬くんも。あの子が俺の子供。俺の子供!
 目がしばしばした。乾いてる気がするのに涙は出てくる。
 よかった。本当に。
 ああ俺、人生ではじめて、もう死んだっていいと思ってる。
 いいやだめだ。まだまだ佐伯とは話し足りない。
 でも佐伯はそこまで喜んでなかったな。やっぱり、急に昔の男が現れても迷惑なだけなんだろうか。悲しいはずなのに、それより再会できた喜びが勝る。
 あ、でも旦那さんにもしも浮気を疑われたらどうしよう。そういえば指輪はしてなかった。別れたのかな。でも彼氏なんてすぐできるだろう。見た目はほとんど変わってなかったが、それでも仕草やメイクの影響もあるんだろうか。より女性らしく、綺麗になっていた。
 そんなの、男がほっとくわけないよな。
 ああでも佐伯、佐伯に会えたんだ。
 嬉しい。本当に。俺が幽霊だったら絶対成仏してるだろう。
 よかった……。

 その日の晩、九時前のことだ。待ちに待っていた佐伯からのメールがきた! よし、夢じゃないことを噛みしめる。

 間宮千紗
『今日はありがとうございました。心配かけてごめんなさい』

 相変わらずメールはシンプルだ。心情は読めない。
 ともかく返信だ。改めて話ができる機会を設けたい。

『こちらこそ驚かせたみたいでごめん。近いうち改めて話せないかな? 色々聞きたいし話したいです。特に瞬くんの体質や治療について、お話しておきたいことがあります。』

 ……若干がっつきすぎかもしれないが、まあ、佐伯は許してくれるよな……。なんて、俺が知っているのは昔の佐伯なのにな。
 じっと返信を待つ。ベッドの上で、することもなく。
 十五分ほど経って、やっとスマホが震えた。恐ろしく長い十五分だった。

『桐谷の予定に合わせるよ。センターの託児受け付けてる時間なら』

 ああそうか。瞬くんには聞かせたくない内容もあるよな。
 うーん、仕事終わりならいつでも空いているが、話が長くなるかもしれないし午前中の方がいいかな……だとすると土曜か。日曜はたしか託児施設もお休みだったはずだ。
 その旨と日時の提案を伝えると、佐伯はなんの文句もなく納得してくれたようだ。あの様子だと、佐伯の家で話を……というのはいやがられそうだな。かといってうちにくるのだって嫌だろう。個室のお店って近くにあるのかな。うーん、ここに来て外食不足が仇となった。
 長時間居座れて人に話を聞かれず、多分俺が泣いたりしても周りにわからない場所って……だめだ。カラオケしか出てこない。高校時代から成長がない……。
 でもかっこつけなんかよりもじっくり周りを気にせず話ができる方が優先だ。
 結局、土曜日にカラオケ屋で、現地集合となった。
 佐伯は託児施設を利用するのがはじめてのようで、予約のやり方や必要なものなど聞かれた。それに答えられるのが少し誇らしかった。
 ちゃんと役に立ってるじゃないか、俺!

 きちんと約束を取り付けられたので安心して裕子さんに連絡することにした。まだきちんと日取りを決めるまでは、もしかしたらまた会えなくなるんじゃ、という不安がどうしても消えなかったのだ。
 今日電話できないかとメールを送ると、すぐに着信がきた。

「もしもし、裕子さん? 今大丈夫でしたか?」
『な、なに?』

 何か感づいたのだろうか、裕子さんの声は緊張に張りつめているようだった。
 もしも撮影の合間だったらあまりかき乱すことはしない方がいいかと思ったのだが、そんな裕子さんの声を聞くと話さずにはおれなくなる。

「さ、佐伯……見つかったよ」

 何度も何度もこう言えるときを想像してきた。
 ようやく、実感できた気がする。
 見つかったんだ。佐伯が。
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