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13章

 研修がはじまって二週間ほどが経った。だいぶ慣れてきたし、任される仕事も増えてきた。
 しかし、半日しかセンターにいられないというのはなんだか歯がゆい。
 普通のクリニックなんかと同じで、また一週間後に来てくださいね、程度だったら予約は必要ないのだが、きちんと治療に向けて通院する場合は予約が必要だ。そういう本格的な治療が必要な再診組の予約は殆ど午後にまとまっている。
 つまり佐伯と子供の初診で奇跡的に俺が担当にでもならない限り、同じセンターに出入りしていたとしても綺麗に入れ違いになる可能性が非常に高いのだ。
 ううむ。やっぱり受付が最強だったか。それとも保育士だったかな? でも今更遅い。保育士の資格は持っていないし、受付に至っては研修の枠自体ないし。

「君はどうしてこの仕事を目指したのかな」
「え」

 今日診察時に使った資料やらを戻して、チェックを入れている最中だった。これが終わったら着替えて昼ご飯を食べて、今日は終了だという段階だ。
 俺の指導をしてくれている伊藤先生が、何かのメモをとりながらそんな質問を投げてよこした。

「子供の頃センターで長く入院していてお世話になったので、同じような子の精神的な支えになれたらな、と……」
「ああ、そうか君もここの出身なのか」

 ああ、って……面接のときも先生にこの話はしたのに……。
 ちょっと切なくなりながら先生の話に耳を傾ける。伊藤先生は誰に対しても優しく子供を相手するようにおっとり話してくれる。おかげで診察にはだいぶ時間がかかるが、その分正確だし子供にも好かれている、尊敬できる先生だ。

「入院というと……、治療をしたのかな?」

 長く入院してする治療といえば、ちょっと倫理的に危なそうなアレだ。
 全く知識のない一般人ならともかく、先生は当然どんなことをするのか知っている。大人が卒倒する激しさだ。なんとなくそれを知られるのは恥ずかしい。気を遣われるのは好きではない。
 「まあ」となんてことないように返した。

「そうか……、治療を受けた子が治す側に回るようになったか……」

 なにやら感慨深そうだ。俺が治療を受けたのは当時最先端の技術だったはずだ。そもそも治療が受けられる状態にいる子供が今よりさらに少なかったせいで、なかなか治療方法を編み出しても試すことができなかった時代だ。俺の数年後から自然型の子供が……というか能力者自体の母数が増えたおかげで、一気に研究が進み始めたのだ。
 だからまだ治療を受けた子供の寿命が本当に延びたのか、効果を実際に確かめた者はいない。俺がこの先寿命で死ぬまでわからない。こればかりはマウスで実験もできないしな……。
 それに、長期入院した連中はセンター自体に拒否感を示すことが多いらしい。独特の匂いとか、雰囲気があるんだよな。俺も佐伯とのことがなければ特殊脳理学を学ぼうとは思わなかった。普通はもうこりごりなのだ。
 というわけで俺が初の治療経験者の働き手らしい。

「あの、父親がいない子のための新しい治療方法ってまだ発見されてないんですよね?」

 この父親というのはもちろん血の繋がった父親のことだ。

「そうだねえ。まず、その子に適した治療方法を見つけなければいけないのは変わらないし、そのためには子供たちには圧倒的に時間が足りない。間に合わせるためにはどうしても乱暴な処置をするしかないからね」
「じゃあ治療法をもっと早く見極められるようになったら可能性はあるということですか」
「いいや、そもそもの検査のために子供の成長を待たなくてはいけないことに代わりはないからね。父親がいるならその時間を解析に回せるだろう。そちらよりコールドスリープの研究を活かす方が現実的ではないかな」
「なるほど……」

 まあ、おおむね予想通りの答えだ。表に出ていないところで何か画期的な研究や実験が行われていたりしないかと思ったんだけどな。ま、あったとしてもただの研修生に教えるわけはないか。
 先生が言っているのはデータを解析している間、子供の成長を止めるということだ。コールドスリープの研究というのは能力者が、強烈なストレスから身を守るために特殊な眠りにつく状態を、一般人にも適用できないかという目的で進められている。
 現在、外部からの影響を受けやすい自然型の能力者はさであれば薬で眠りにつかせることは可能だし、入院すればその状態を半月くらいなら維持することができるし、その期間も薬の副作用の強さも何年改善されつつある。
 その期間を一般人相手に、そして数年単位に引き延ばせるようになったら、画期的な医学の進歩となるだろう。数百年眠れるのだったらある意味未来にタイムスリップできるようなもんだし。不治の病の場合は最悪治療法が見つかるまで眠っている、という手段が使えるようになる。維持設備は必要だが、エネルギー補給も活動状態と比べると数十分の一に抑えられるから、食糧難の回避にもなる。色んな方面から注目されている研究なのだ。
 長門や筒井さんが研究しているのが確かそのあたりだったはずだが、まだまだ解明にはほど遠いだろう。ましてや実際に導入されるなんて何十年も先になりそうだ。

「やっぱり経験があると、尚更治療を受けている子供を見るのは辛いだろう。我々には計り知れないよ」
「……それは……まあ……」

 とはいえその子の命を救うための行為だ。あまり辛いだの酷いだのの文句を、診断を下す先生に伝えたくはない。まるで酷い仕打ちを恨んでいるみたいじゃないか。
 一通りチェックが終わった。先生からの最終チェックも貰い、今日の仕事は終了だ。

「あ、そうだ……、あの、ここ数年の利用者の情報を閲覧することってできませんか?」
「個人情報を入手する権利は君には与えられていないよ」
「……そ、そうですよね……。失礼しました……」

 はい……当然だよな……。
 氏名に住所、血縁関係に両親の病歴まで、さすがにただの研修生が見られるはずがない。わかってるさ。ダメもとだ。もしかしたらって思っただけさ。
 大学を卒業しても最初の二年は研修だ。今と違って給料はでるけど。少なくともその間は個人情報を自由に見るなんてことはできないだろう。つまり職権乱用して佐伯を見つけるっていうのは当分無理だということだ。ま、前科持ちにならないで済んでよかったと思おう。
 結局自力で見つけるしかない。今日もご飯を食べたらロビーで子供たちと戯れるとするか。
 うーん。やっぱり俺が言うと変質者みたいなんだよな……。

---

「桐谷くん、お疲れ……」
「お、飯島だ。本当に疲れてそうだけど大丈夫?」
「ちょっと……早退することになって」
「え! 大丈夫?」

 さあ帰ろうとロッカーで着替えていると、飯島が見るからに疲れた様子で声をかけてきた。
 いつもならにこやかに応対する彼だが、どう見ても顔色が優れない。本当に体調が悪いんだろうか。
 免疫力の低い幼い子供を相手にするから、センターは体調不良にはかなり厳しい。すぐに休んで診察を受けるように言われるはずだ。

「ううん体調は平気なんだけど、精神的にちょっと……」
「えええ? なんかあった? 話聞こうか、それともそっとしといた方がいい?」

 なにか失敗して説教でも受けたか。しかし軽く励ましてなんとかなるレベルでもなさそうだ。
 飯島はきょろきょろとあたりを見回した。今ロッカールームには他に誰もいない。話してくれるのかと思って荷物を置いて向き直ったが、それでもなにか躊躇しているようだった。

「……いやあ……ううん……気分悪くすると思うから……」
「飯島の個人的なこと?」
「そうじゃないけど……、そうじゃないからこそっていうか……」

 話したくないというわけではないのか。ただこちらを気遣って言わないだけか。

「えっ! ど、どうしたの!?」

 ふと視線を戻すと飯島は鼻を赤くして、あっと思ったときには腕で顔を隠すように目元を拭っていた。
 泣いている……。男が泣くところなんかこんな間近で見ることない。女子が泣いても困るが、これはこれで動揺する。
 慌てて、とりあえずハンカチを渡した。

「ご、ごめん、ちょっと……」
「いいよ、一旦座ろうよ」

 ろくに前も見えていなさそうなので腕を掴んで、入り口のそばにあるベンチに移動させる。誰のとも知れない荷物をどかして、座らせた。
 なんとなく隣に座るのは気恥ずかしくてやめた。俺がついてるぜ、なんて言える仲でもないし。
 気まずさを抱えながら、じっと見下ろす。どういう対応が正しいのかさっぱりわからない。

「ありがとう……これ洗って返すから」
「ああ、別にいいけど」

 こういうの、普通女子とするやりとりなんじゃないのか……?
 いや、いいんだけど。異性だったら怪しまれそうだし。

「……こういう仕事してると……たまにあることらしいんだけどね……」

 ため息混じりに、飯島は弱々しい声を吐いた。

「よくうちに来てた子が……亡くなったって……さっき、他のお母さんから知らされて……」
「えっ……」
「他の先生もショックを受けてたけど……僕ほどじゃなくて。年に何度かは必ずこういうことはあるからって……」

 能力者の子供の事故率は高い、という知識は当然ある。もちろん飯島もそうだろう。そして親の危機意識も低いことがある。聞き分けよく、理解力も高く大人しい子供の割合が高いからだ。それでもやっぱり子供だから、突拍子もない行動をしたり、後先を考えずに動いてしまうことは当然あるのだ。能力を使える分、危険な行為の範囲も広がる。また、他の能力者の子から被害を受けるということだってないことじゃない。
 俺の母親はむしろかなり過保護だったが、俺が一度も大怪我なんかを負っていないのはそのお陰だろう。そしてそれだけ目を光らせて守っていても防げないときはきっといくらでもあるのだ。
 知識としては今まで何度も授業で触れてきたはずだ。研修のはじめでも、病院ではないとはいえ、命と密接に関わる仕事なのだと何度も注意された。

「僕、この仕事、ダメかも知れない……。ずっと亡くなった子のことが頭から離れないんだ……」

 かける言葉が見つからない。
 飯島の気持ちも当然だ。ちょっとした知り合いが亡くなったってきっと心は持って行かれるだろうと思う。それが、幼い子供だったら尚更だろう。
 それでも仕事は変わらずある。子供たちに悟られないように相手をしなければいけないなんて、飯島の状態からはとても考えられない。でもそういう仕事だ。
 研修生には、正式に子供が亡くなったという情報が伝えられることはないそうだ。でも託児施設を利用していた子なら、どれだけ情報を伏せられていても毎日来ていた子がこなくなれば気付くだろうし、飯島のように他の保護者から聞いたんじゃ防ぎようがない。
 俺は、どうなんだろうか。やっぱり、仕事どころではなくなるんだろうか。それでもいつかはきちんと折り合いがつけられるようになるんだろうか。

「きっと誰だって落ち込むよ……。今は仕事のことは考えなくていいからさ、しんどいようなら、カウンセラーさんに話を聞いて貰った方がいいよ。こういうときのためにいるんだし」
「……うん……ごめん、嫌な気持ちにさせちゃって」
「いいってば」

 ろくな言葉をかけられないまま、俺は青白い顔の飯島を見送った。
 その日はお昼を食べた後、キッズスペースには寄らずにセンターを後にした。ロビーでは顔なじみの子供の何人かが、先生バイバイと声をかけてくれる。それに応えながら、亡くなった子供のことをぼんやり考えていた。
 これから、センターで見かけなくなった子供のことを、俺の知らないどこかで亡くなったのではないかと疑うようになるのだろうか。ただセンターに用がなくなっただけかもしれないのに。通わないで済むならそれに越したことはないのに。
 飯島もきっとそうだろう。他の職員の人たちはどうなんだろうか。こんなの、はじめの内だけなんだろうか……。
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