13章
研修期間中、レポートを書いたり資料をまとめたり、先生から課題を与えられたり、なんやかんやの書類を書かなきゃいけなくなったりでそれなりに忙しい。同期の子は帰ってから趣味をする気力も時間もないのが苦痛らしい。休日に時間ができても、ずっと仕事のことがちらついて集中できないんだそうだ。
そう考えると俺はなかなか神経が太いようだ。
しかし研修がはじまってからは河合さんの顔を見れていない。やっぱり俺たちは連絡無精なんだよな。去年はそのお陰で河合さんの状況を知るのが遅れたし、ちょっと覗いてみるか、とその日はお店に立ち寄ってみた。
再開した河合さんのお店は長いこと休んだので、掃除がてら配置換えを行ったのだ。俺も手伝った。古臭いよくある古書店からまあまあ小綺麗なお店にバージョンアップしたのである。だいぶ入りやすく、目当てのものが探しやすくなったと思う。
河合さん曰く、この店の見どころはだいぶマニアックなものらしく、見る人が見れば宝の山だそうだ。
その日も俺が店につくと、ホクホクとした顔で紙袋を抱えた老紳士が店を出ていくところだった。
ちょうどいいタイミングだったようだ。客がいる目の前で話し込むのはさすがにできないからな。
「儲かった?」
「ぼちぼち」
よしよし、河合さんは怪我ひとつしていない。元気そうだ。
短く切っていた髪もようやくボブくらいに伸びている。うん、やっぱり髪の毛は長い方が河合さんらしい。短いのも似合ってたけどさ。
「どうなの? 研修って」
「ぼちぼち。面白いよ、子供の相手はうまくできないけど」
「はあ、わたしには考えられないわね。きっとストレスで胃がねじ切れちゃうわ」
「そうだねえ、河合さんはそうだろうねえ」
うんうんと頷くと、河合さんは自分で言い出したくせにふくれっ面になった。
しかしそれもただのポーズで、すぐに誤魔化すように少し笑う。
「まあ、楽しそうでなによりだわ。もっとへとへとで死にかけてるのかと思ってた」
「ええっ、そんな心配してくれるなら連絡してくれてもよかったのに」
「だって、疲れてる上にわたしの相手までさせるとしたら可哀想じゃない」
なるほど。
まあ、ここはお互い似たような連絡不精だ。気持ちはわかる気がする。
ちょっとしたメールのやりとりを非常に面倒くさく感じるからやらないのだ。相手にそんな面倒なことさせられないという気遣いである。多くの人はメールくらいなんの労力とも思わないのだろうけど。
「そうだ、河合さんSNSやらない?」
「えっ、えす……なに?」
「ネットに投稿する日記みたいなやつ。ブログみたいなしっかりしたやつじゃなくて……他の人の投稿みたり、チャットみたいにやりとりもできるんだって。それならわざわざ連絡とらなくても相手の近況はわかるでしょ?」
「ふうん……?」
「和泉に誘われたりしてない?」
河合さんの顔には「?」が浮かんでいる。
俺もあまりネットには詳しくない。パソコンは完全に勉強道具だ。
ただ和泉は人の写真を見たり、自分が投稿するためにアカウントを作ったそうで、報告してくれたのだ。
それに大学の友人たちにも何度かやってないのか聞かれたことがある。
「ああー……、言われてみれば、なんか言ってたかもしれない。でも見るだけなら登録しなくたってできるんでしょ? わたし和泉のURL知ってるわよ」
「そうだけど、わざわざページ開かなきゃ見れないし、面倒じゃない? アカウント取得したら自分の画面に勝手に流れてくるんだって。楽じゃん」
「うーん」
河合さんの腰は重い。まあ、そりゃそうだ。こういうの誰よりも興味なさそうだもんな。俺だって人のことは言えないけど。
「まあ登録はタダなんだし、やるだけやってみようよ。俺も始めるつもりだからさ」
スマホを取り出してああでもないこうでもないと河合さんと苦戦しながらもなんとか登録をすませる。
アプリの使い方も調べつつ、河合さんとフレンド状態になって一通りの操作を試してみた。
「あ。和泉オシャレなケーキ食べてる」
「ほんとだ、生意気だね」
二人で和泉にフレンド申請すると、すぐに承認とコメントが返ってきた。
『ハンネつけろや(笑)』
「ハンネ?」
「ああ、ハンドルネームのことよ。ほら、ネットゲームやったとき設定したじゃない。わたしはありきたりな名前だし、知り合いいないからいいけど、桐谷はすぐ桐谷だってバレちゃうわよ」
「バレちゃだめなの?」
たしかに和泉の名前もイニシャルだけだ。
河合さんは少し言葉に詰まって「だめよ」と続ける。
「ほら、だって、ストーカーとかいたらあなたの情報ダダ漏れになっちゃうでしょ? それに桐谷がネットで変なことをしたら、桐谷の個人情報もすぐわかっちゃうでしょ、晒し上げられるわよ」
「えっ怖い」
「そうよ、怖いのよ」
でもハンドルネームだと友達にフレンド申請しても俺だとわかってもらえないじゃないか。……まあ、今度あったときなんかに説明すればいいか。
ネットリテラシーだ。授業でやったことある。
二人でうんうん唸ったが、結局昔ネットゲームをしたときの適当な名前にすることにした。ちょっと恥ずかしい。
「ほら、みんな結構どうでもいいことばかり投稿しているよ。お昼ご飯何食べたとか。この雰囲気を真似すればいいんだよ」
「真似して一体どうするのよ」
……たしかに。
うん、まあ、そうだな……。わからないけど……。
「和泉は河合さんが生きてるってわかって安心するよ」
「……」
ううーん、しかしそうは言っても俺も投稿したい内容は特に思いつかないな。仕事内容に関することは外部に漏らしてはいけないし。
日記だって、高校時代にプレゼントされたものを今でもつけているから、わざわざネットで公開する必要はないし。
なにか趣味があれば気の合う人を探したり投稿する内容もあるんだろうけど。
しばらくは和泉の投稿をただ眺めるアカウントになりそうだ。
「それにしても、ネットやパソコンにはとことん弱かった桐谷が自分からこんなことはじめるなんて……」
しみじみとした顔をされる。たしかにゲームは苦手だけど、俺だって今時の若者なのだ。このくらい余裕だ。
河合さんはいつの間にか使いこなしているようで、趣味の映画や漫画についての公式アカウントとかいうのにフレンド申請を送っていた。興味がないだけで、俺よりこういったことはずっと得意なのだ。
「なるほど。お店とか企業の広報アカウントもあるのね。これはわたしも使えるかもしれないわ」
河合さんはにやりと笑う。なるほど。河合さんはあまり宣伝したりアピールするのが上手ではない。まあ、わかりきったことだけど。
店に来るのも新規の人は滅多におらず、ほとんどが常連さんらしい。
ネットで宣伝できれば若い人もきてくれるかもしれないもんな。最近は河合さんの趣味のお陰でお店のラインナップも変わってきたし。
勧めた俺より河合さんの方がよっぽど使いこなせそうだ。
河合さんはさっそくネットでのお店の宣伝をするためのノウハウを調べ始めたので、俺は邪魔にならないよう退散することにした。
でもお店の広報アカウントになるなら結局河合さんの近況はそれほどわからないんじゃないのか……?
……まあいいか。更新されたらとりあえず無事は確認できるし……。
それに、ネットで変な人に付きまとわれたりしたらどうしようという心配もあったのだが、この調子なら大丈夫そうだ。まさか昭和のにおいがする古書店の店主があんな美人な女の子とは誰も思わないだろうな。
そう考えると俺はなかなか神経が太いようだ。
しかし研修がはじまってからは河合さんの顔を見れていない。やっぱり俺たちは連絡無精なんだよな。去年はそのお陰で河合さんの状況を知るのが遅れたし、ちょっと覗いてみるか、とその日はお店に立ち寄ってみた。
再開した河合さんのお店は長いこと休んだので、掃除がてら配置換えを行ったのだ。俺も手伝った。古臭いよくある古書店からまあまあ小綺麗なお店にバージョンアップしたのである。だいぶ入りやすく、目当てのものが探しやすくなったと思う。
河合さん曰く、この店の見どころはだいぶマニアックなものらしく、見る人が見れば宝の山だそうだ。
その日も俺が店につくと、ホクホクとした顔で紙袋を抱えた老紳士が店を出ていくところだった。
ちょうどいいタイミングだったようだ。客がいる目の前で話し込むのはさすがにできないからな。
「儲かった?」
「ぼちぼち」
よしよし、河合さんは怪我ひとつしていない。元気そうだ。
短く切っていた髪もようやくボブくらいに伸びている。うん、やっぱり髪の毛は長い方が河合さんらしい。短いのも似合ってたけどさ。
「どうなの? 研修って」
「ぼちぼち。面白いよ、子供の相手はうまくできないけど」
「はあ、わたしには考えられないわね。きっとストレスで胃がねじ切れちゃうわ」
「そうだねえ、河合さんはそうだろうねえ」
うんうんと頷くと、河合さんは自分で言い出したくせにふくれっ面になった。
しかしそれもただのポーズで、すぐに誤魔化すように少し笑う。
「まあ、楽しそうでなによりだわ。もっとへとへとで死にかけてるのかと思ってた」
「ええっ、そんな心配してくれるなら連絡してくれてもよかったのに」
「だって、疲れてる上にわたしの相手までさせるとしたら可哀想じゃない」
なるほど。
まあ、ここはお互い似たような連絡不精だ。気持ちはわかる気がする。
ちょっとしたメールのやりとりを非常に面倒くさく感じるからやらないのだ。相手にそんな面倒なことさせられないという気遣いである。多くの人はメールくらいなんの労力とも思わないのだろうけど。
「そうだ、河合さんSNSやらない?」
「えっ、えす……なに?」
「ネットに投稿する日記みたいなやつ。ブログみたいなしっかりしたやつじゃなくて……他の人の投稿みたり、チャットみたいにやりとりもできるんだって。それならわざわざ連絡とらなくても相手の近況はわかるでしょ?」
「ふうん……?」
「和泉に誘われたりしてない?」
河合さんの顔には「?」が浮かんでいる。
俺もあまりネットには詳しくない。パソコンは完全に勉強道具だ。
ただ和泉は人の写真を見たり、自分が投稿するためにアカウントを作ったそうで、報告してくれたのだ。
それに大学の友人たちにも何度かやってないのか聞かれたことがある。
「ああー……、言われてみれば、なんか言ってたかもしれない。でも見るだけなら登録しなくたってできるんでしょ? わたし和泉のURL知ってるわよ」
「そうだけど、わざわざページ開かなきゃ見れないし、面倒じゃない? アカウント取得したら自分の画面に勝手に流れてくるんだって。楽じゃん」
「うーん」
河合さんの腰は重い。まあ、そりゃそうだ。こういうの誰よりも興味なさそうだもんな。俺だって人のことは言えないけど。
「まあ登録はタダなんだし、やるだけやってみようよ。俺も始めるつもりだからさ」
スマホを取り出してああでもないこうでもないと河合さんと苦戦しながらもなんとか登録をすませる。
アプリの使い方も調べつつ、河合さんとフレンド状態になって一通りの操作を試してみた。
「あ。和泉オシャレなケーキ食べてる」
「ほんとだ、生意気だね」
二人で和泉にフレンド申請すると、すぐに承認とコメントが返ってきた。
『ハンネつけろや(笑)』
「ハンネ?」
「ああ、ハンドルネームのことよ。ほら、ネットゲームやったとき設定したじゃない。わたしはありきたりな名前だし、知り合いいないからいいけど、桐谷はすぐ桐谷だってバレちゃうわよ」
「バレちゃだめなの?」
たしかに和泉の名前もイニシャルだけだ。
河合さんは少し言葉に詰まって「だめよ」と続ける。
「ほら、だって、ストーカーとかいたらあなたの情報ダダ漏れになっちゃうでしょ? それに桐谷がネットで変なことをしたら、桐谷の個人情報もすぐわかっちゃうでしょ、晒し上げられるわよ」
「えっ怖い」
「そうよ、怖いのよ」
でもハンドルネームだと友達にフレンド申請しても俺だとわかってもらえないじゃないか。……まあ、今度あったときなんかに説明すればいいか。
ネットリテラシーだ。授業でやったことある。
二人でうんうん唸ったが、結局昔ネットゲームをしたときの適当な名前にすることにした。ちょっと恥ずかしい。
「ほら、みんな結構どうでもいいことばかり投稿しているよ。お昼ご飯何食べたとか。この雰囲気を真似すればいいんだよ」
「真似して一体どうするのよ」
……たしかに。
うん、まあ、そうだな……。わからないけど……。
「和泉は河合さんが生きてるってわかって安心するよ」
「……」
ううーん、しかしそうは言っても俺も投稿したい内容は特に思いつかないな。仕事内容に関することは外部に漏らしてはいけないし。
日記だって、高校時代にプレゼントされたものを今でもつけているから、わざわざネットで公開する必要はないし。
なにか趣味があれば気の合う人を探したり投稿する内容もあるんだろうけど。
しばらくは和泉の投稿をただ眺めるアカウントになりそうだ。
「それにしても、ネットやパソコンにはとことん弱かった桐谷が自分からこんなことはじめるなんて……」
しみじみとした顔をされる。たしかにゲームは苦手だけど、俺だって今時の若者なのだ。このくらい余裕だ。
河合さんはいつの間にか使いこなしているようで、趣味の映画や漫画についての公式アカウントとかいうのにフレンド申請を送っていた。興味がないだけで、俺よりこういったことはずっと得意なのだ。
「なるほど。お店とか企業の広報アカウントもあるのね。これはわたしも使えるかもしれないわ」
河合さんはにやりと笑う。なるほど。河合さんはあまり宣伝したりアピールするのが上手ではない。まあ、わかりきったことだけど。
店に来るのも新規の人は滅多におらず、ほとんどが常連さんらしい。
ネットで宣伝できれば若い人もきてくれるかもしれないもんな。最近は河合さんの趣味のお陰でお店のラインナップも変わってきたし。
勧めた俺より河合さんの方がよっぽど使いこなせそうだ。
河合さんはさっそくネットでのお店の宣伝をするためのノウハウを調べ始めたので、俺は邪魔にならないよう退散することにした。
でもお店の広報アカウントになるなら結局河合さんの近況はそれほどわからないんじゃないのか……?
……まあいいか。更新されたらとりあえず無事は確認できるし……。
それに、ネットで変な人に付きまとわれたりしたらどうしようという心配もあったのだが、この調子なら大丈夫そうだ。まさか昭和のにおいがする古書店の店主があんな美人な女の子とは誰も思わないだろうな。