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12章

 あれから数ヶ月かけて、河合さんの怪我は順調に癒えていった。
 殆ど毎日、河合さんの家に寄って無事を確認とちょっとした家事の手伝いをした。殆どの日は洗濯物の取り込みと、あと数日に一回掃除機をかけるくらいだから、それほどの手間ではない。
 河合さんのぐうたらぶりというと見事なものだった。心配しなくとも安静にしてくれた。病院にいく日は付き添った。看護師さんに恋人だと勘違いされたのは困ったけど……友人だと訂正してもあらあらみたいな反応されるので気にしないことにした。
 リハビリがはじまると河合さんは登校拒否ならぬ通院拒否を示していたが、無理矢理連れていくとおとなしく従ってくれた。
 車の免許を取っていて良かったとつくづく思う。母の車を借りて病院の送り迎えするとなにより感謝された。電車やバスだと、立ってバランスを取るのは当然難しく、かといって人に席を譲られるのも申し訳ないそうで非常に神経をすり減らされるらしい。
 俺も単位は問題ないし、病院の待ち時間でも十分勉強はできた。実習の時期に被っていたらとても手が回らなかったが、それ以外ならあとは自分で予定を詰め込んでいただけで、特別のっぴきならない予定など俺にはないのだ。……いや、高校時代の俺からしたら体力的には無理がでる生活ではあるのかな。
 あの頃は人に会うのも、出かけるのも、色々な提出物や締め切りに追われるのも、ひとつひとつがしんどかった気がするが、今となってはそれが日常だ。成長を感じる。

 しかし問題は和泉だった。河合さんのことがあって以降、和泉とも最近はちょくちょく連絡を取るようになっていた。もちろんやつの目的は俺から河合さんの様子を聞くためだ。

『おれ情けねえよ……河合が今人生で一番助けを必要としてるってのに何もできないなんてさ……』
「それをわかった上で海外に行くことを決めたんじゃないの? しょうがないよ。両方とるなんてできっこないんだし」

 とても個人的な理由だが、思うところがあるので若干刺々しい言い方になってしまった。
 和泉はちゃんと自分のやりたいことのために頑張っているだけだ。俺に文句を言われる筋合いはない。
 それに和泉は家事スキルは申し分ないが、動きが雑だから、怪我人の世話を預けるのは危なっかしいしな……。

「……で、和泉は卒業後どうするつもりなの? まだ考えるには早いかもだけどさ」
『あー……それなあ……』

 とはいえ、もう三年生だ。俺の周りではもう就職活動に向けて動き始めているやつもいる。でも和泉から聞く限り、むこうの大学では就活する気配はないそうだ。それより学校の課題でそれどころではないらしい。たしかに、海外の学生が日本の就活生みたいにスーツ来て面接受けたりするイメージはないような気がするけど。
 日本とは違って入学は簡単でも卒業は難しいと聞くし、かなり状況が違うようだ。
 決まった流れがないからこそ、卒業後に何をするのかは自分で考えないといけないだろう。俺は和泉が何をしてもいいと思うが、せめて日本に帰るのかどうかくらいは聞いておきたいもんだ。

『悩んでんだよな……。写真の先生いるって話したじゃん。先生にくっついて色々旅してえなってずっと思ってたんだけど、おれの作風とはまた違う気もしてきたし……。でも作風どうこうの前にまず経験積てえし……』

 そうなると今度はいつこっちに帰ってくるかわからなくなるわけか。

「あんまり自由にするようなら、河合さんを縛るのはやめなね。河合さんが自分の意志で和泉を待つっていうならともかく、お前から河合さんを待たせるのはどうかと思うよ、俺」

 そうは言うが、河合さんは和泉を待つに決まっているのだ。
 でも世の中なにが起こるかわからない。どこで誰と出会うかなんてわからない。俺がいい例だ。
 そのときに河合さんが和泉のことを考えて端っから拒絶するのだったら、そして和泉が何年も帰らないのであれば、それはあまりにも不憫だ。そんな展開を恐れて和泉は河合さんに付き合おうだのなんだの言っていたのだが、これじゃ釣った魚に餌をやらないという状況そのものじゃないか?
 和泉がマメに連絡を取っているのはわかるけど……。河合さん自身が遠距離は向いていないと自分のことを言っていたのだし。

『そうだよなあ……なんかおれ軽く考えてたわー』

 お前に説教される筋合いはない、と言われてもしょうがないくらい俺は偉そうな口を叩いていたのだが、和泉の態度はしおらしかった。口ぶりは軽かったけど。
 とにかく真剣に考えてみる、と和泉は言って電話は終わった。
 和泉も今回のことは堪えているようだし、追い打ちをかけるようなことをしてしまったのかもしれないという不安も少しあったが、あれであいつはちゃんと頭を使って考えられるやつだ。多分大丈夫だと、思う。

 そこから冬が過ぎ、少し寒さが和らいできた頃、河合さんはすっかり日常生活に問題がなくなっていた。腕の方が先に治り、そうなると俺が河合さん宅に通う必要性はがくんと減った。話し相手と移動手段くらいしか役目がなくなり、そしてこの度足の方も完治となったわけだ。もうじき仕事も再開する。俺もお役御免だ。

「ご馳走を食べに行くわよ!」

 意気揚々と河合さんは自由になった腕を腰にあて、俺に宣言した。

「桐谷にして貰ったことを考えるとご飯程度じゃ足りないんだけど、それは追々として……」
「や、やめてよ、俺だっておじさんにちょこちょこご飯やおやつ貰ってたし、大したことはしてないしさ……。ガソリン代だってくれてたじゃないか。気にしないでよ」
「だめよそんなの、いいから行くわよ」

 ここ数ヶ月、接する機会がぐっと増えたお陰で河合さんも俺にはとやかく言わずに行動を促した方が早いと気付いたらしい。ちょっと強引になった気がする。もちろんご馳走が食べられるなら嬉しいけど……!

「安心して、働いてないけどお金ならたんまりあるわ」
「あっそうか、慰謝料?」
「そんな感じ。やりとりは全部パパがやってくれたからよくわからないんだけどね」

 それならまあ、ちょっとくらいおいしいものを食べさせて貰っても罰は当たらないか。
 と、二人で外食に繰り出したはいいものの、河合さんは外でご飯を食べることが殆どない。お店の知識などあるはずもなく、その場で調べてくれたもののどこも予約が必要だったりすでに席がいっぱいで、結局お寿司屋さんにつれていってくれたものの河合さんは生魚がだめなようで終始難しそうな顔をしていた。
 そして俺も俺で値札がついていないのが不安で、自分の食欲に任せて食べる勇気は出なかった。まだまだ俺たちには早かったようだ。まあ楽しかったからいいけど。
 ついでにやや早めの誕生日プレゼントと言ってお酒をくれた。
 河合さんはお酒が全くわからない。なんでも飲むでしょと見た目だけで選んでくれたらしい。基本的に大雑把な人なのだ。しかしありがたいプレゼントだった。
 俺は酒が好きだが、飲み会の雰囲気はあまり好きではない。そしてわざわざ自分で飲むために買うかといわれるとそこまでの行動力はなかった。酔っぱらいはしなくても酒を飲みながら勉強しても締まりがないし。何も考えずに飲む暇があるなら勉強がしたかったからだ。
 でもこれでちょっとした楽しみができたな。
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