このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

11章

 五月の半ば。
 ある日とうとう俺の能力は消えてしまった。
 目が覚めた瞬間「あっ」と気付いたのだ。そのくらい明確な違いだった。少しだけ体が重たいような、でもだるいのとは違うような、むしろしっかりと抵抗なく筋肉が働いているような、そんな感覚。
 ここ数年きちんと体を鍛えていたおかげかもしれない。生まれたときから慣れ親しんできた感覚が失われてしまったというのに、予想よりもずっとすんなりと俺の体は重たい空気に馴染んでいた。
 もちろん言いようのない寂しさとか心細さはある。だって、いざというとき、もしも高所から落ちてしまったら死んでしまうんだぞ。そんなの考えられない。恐ろしすぎる。
 もしも一瞬自分の力がもうないことを忘れてしまってぴょいっと飛び降りたら、と思うと怖いよな。
 そういうミスを少しでも減らすためにも、親は普段から口酸っぱくやたらと能力に頼るなと言ってきたのだ。気を引き締めないと。
 もし俺が父のように治療していなかったら、きっと朝一で病院送りだったんだろう。そしてそこから数年かけて徐々に衰弱していって、二十代のうちに死んでいた。
 ……でも、今はそんなこと思いもしないほどピンピンしている。
 よかった。
 本当に治療した甲斐はあったのだと確信できた。
 ちゃんと普通通りに学校に通って、卒業して、仕事ができて、年をとることができるのだ。……嬉しかった。

---

 お酒が飲めるようになったので、大学の友人に遊びに連れ出される機会が若干増えた。
 その関係から友人のサークルで仲良くなった相手とかその先輩とか、他の大学の誰それとか、よく知らない相手と同じ空間にいることも増えた。まあ、そこは俺という人間なので、そこから親密になったりなんてことはないのだが。
 なるほどなあ。こういうところで知り合って付き合うもんなんだな。

「桐谷くん最近ぐっと大人びたよね~、もしかして大人の階段登った?」
「……まさか。セクハラはやめてください」
「あはははそっか~! まあまだ若いから! チャンスはいつでもあるから!」

 うんうん、きっとこういうやりとりを繰り返したら彼女ができるんだなあ……。参考になるなあ……。
 まあ、活かされることはないんだが……。
 本日は男友達にしつこく飲みに誘われて、まあたまには息抜きでもとついてきたのだが、その内容は実は合コンみたいな集まりだったらしい。当然のように女性集団が合流してきてから誘ってきた友達は一切目を合わせてくれなくなった。騙された、と気付いた。女性のうち一人は知り合いだったからさらにちょっと気まずかったし。知り合いの先輩程度の仲だったのに酒が入るとめちゃくちゃ親しげな人だった。現在絡まれている状態である。
 合コンのノリというのは当然わからないし、わかったとしても俺にこなせるとは思えない。
 簡単な自己紹介でもなんか違う……。あ、違うな、この人……と悪い意味で一目置かれたのを肌で感じた。
 な、なんで連れてきたんだ……こうなることはわかっていただろ……。
 まあ、さすがに俺も女性が相手だからといって昔のようにいちいち動揺するわけでもないし、彼女たちもやはりもう大人だ。こんな場違いな男にもちゃんと話を振ってくれるしリアクションを返してくれる。お互い気を遣い合っているのを感じてなんだか苦しくなってくるけどな。大丈夫だ。絶望的ってわけじゃない。

 ……それも最初のうちだけで、知り合いの女性があっという間に酔っぱらって、その相手を押しつけられてしまったのだが……。
 残りの男女四人はきゃっきゃと最近流行始めたらしいSNSの話なんかをしていて、同じ座敷にいるはずなのになぜか隔絶されている気がする……。まあ、わからないけどさ、そんな話……。

「ねえ桐谷くーん聞いてよー、幼なじみがさー大学入って変な宗教にハマったんだけどーどうしたらいいと思うー?」
「は、話が重い……素面のときにしましょうよ……真面目に考えるんで……」
「あはははっこれおいしー」

 なんで……? 笑われた……。しかも興味が完全に枝豆に移った……。
 まだ一時間経ってないのになんでここまで出来上がれるの……? ただ酔いにきたとしか思えない……。
 まあ俺も飲みにきたんだが……。はたしてこのペースで酔って楽しいのか……? もうそろそろくたばるのではないだろうか。経済的ではあるけど……。

「ごめんねーその子いつもめちゃくちゃ酔うの早くて。多分もうすぐ寝るから転がしといて。そろそろ遅れてる子来るはずなんだけど……」

 なんだと……。こいつがくたばったら一人で粛々と飲んでいようと思ったのにまだ援軍が来るらしい。っていうかほんとに酔って寝に来たのか? 男もいるって言うのに、危機感が足りないんじゃないか。

「あ、お疲れー」
「ごめんなさい、電車乗り間違えちゃって……」

 謝りながら入ってきたのは、まあよくいるいいとこのお嬢さん風の女子大生である。垢抜けていてすらっと細身でスタイルがいい。愛想笑いを浮かべているものの、そんなに普段はヘラヘラしてなさそうな、どことなく理知的な印象を受けるのは何故だろう。

「……あれっ小野さんじゃん」
「えっ」

 ぽろっと口から出ていた。それから頭が追いつき、一年以上前の記憶が一気によみがえる。
 小野さんはぽかんとして俺の顔をまじまじとみたあと

「誰?」

 と一言。
 あ、これ、結構ショックだな……。

---

「男の子ってわかんなくなるものね、女の方がメイクで化けると思ったけど」
「うん、ぱっと見は全然わからなかったよ。俺は高校出てから成長期きたみたいだから、それでかな」

 結局、俺が名乗るとすぐに思い出してくれた。存在を忘れていたわけではなく、本当に見た目ではわからなかったらしい。たった一年で、俺は様変わりしてしまったのだろうか。毎日見てる顔だから自分ではわからないけど。

「それにしても小野さんがこんな集まりにくるとは思わなかったな。俺は騙されて連れてこられたんだけど」
「ああ、なるほど。私も普段はこないよ、お酒まだ飲めないし。数合わせにどうしてもって言われただけ」

 たしかに、高校時代ギャルではあったが、今の小野さんはあまり遊んでいるような雰囲気はない。
 周りの酒を勧める声にも一切乗らないようであった。
 迷惑そうな顔に気付かないのか、固いこと言わず……と同調圧力で押し通そうとする男どもからジョッキを奪って一気に飲み干し興味をそらした俺は今日一で男前だったと思う。特に誰も惚れてくれなかったけど。
 男どもはへこたれずに小野さんにあれこれ話しかけていたが、彼女の対応には出会い目的で来てはいないのが透けて見えた。

「ごめん私あんまりリップサービスとかしないタイプなんだよね。今日は夜ご飯食べにきただけだから」
「綾加~もうちょっと可愛げ出しても損しないよ~?」
「そうかな? 変に勘違いされない分得じゃない?」

 呆れられつつも小野さんはその姿勢を崩すつもりはないらしい。わかる、わかるぞ……その気持ち……。
 お互いこの場のノリに合っていないことを理解して、自然と二人で固まっていた。

「小野さんは何勉強してるんだっけ」
「薬剤師目指してるの」
「ああ! なんか小野さんらしいね。得意そう」
「そう? まあ性に合ってるかもね。桐谷くんは特脳だっけ。意外かも。結構まだふわふわしてるじゃない? ほら、就職先とか、特殊じゃん」
「胡散臭い仕事とかもたまにテレビで見るもんね。子供時代センターに世話になったから、それがなければ全く別の道選んでたかも」

 小野さんは高校時代と比べると格段に話しやすくなっていた。
 うん、盛り上がるだとか、共感だとかよりも情報伝達を優先した会話という感覚で、気が楽だ。

「ねー小野さんは彼氏いたことあるー?」
「高校の時に。今はいません。忙しくて、とても余裕ないです」

 ずばっと袈裟斬りされた音が聞こえるような回答だった。
 ご、合コンなのに。
 俺が言えた口じゃないけどさ。

「……やっぱり薬学部って忙しいんだ。確か六年あるんだよね」
「うん、そうだよ。一年の時は余裕あったけどね。今も本当は試験勉強してたい気分。桐谷くんのところも暇じゃないでしょ」
「あー、うん、まあ、それなりにね。うちも一年のときは楽だったよ」

 久しぶりに会う元同級生との会話……というのはレアな経験かもな。なんというか、不思議な感覚だった。当時はこんなに話さなかったのに、きっと今からタイムスリップしても、やっぱり会話なんてしないと思う。ただ時間が経って、そしてこれから別に仲良くやっていくわけではないという距離感だからこそ気兼ねなく会話ができている気がする。
 クラスメートだと、周りの目とか今後の付き合い方とか考えるとどうしても危ない橋は渡りたくないし、妙な壁があった。特に小野さんは和泉に対しても河合さんに対してもおっかない人だったし。
 でもそういった面倒なしがらみを取っ払ってみると小野さんは話しやすい人だった。言葉はかなりさっぱりしているけど、その表情なんかはにこやかで嫌な感じがない。他の男からするとその飾り気のなさ過ぎる口振りから冷たい印象のようだけど。まあ、口説こうと思ったら難関かもな。

「それにしてもほんと、見違えたね、桐谷くん。ちゃんと同級生の男の子に見える」
「……それ、ようやく普通レベルに育ったってことかな……。ど、どの辺が変わった?」
「物腰とか。もちろん見た目もだけど、私の知ってる桐谷くんは酔っぱらった他校の女子を苦笑しながら宥める人ではなかったな」

 ……まあ、そこは確かに反論できないけどさ……。

「小野さんも落ち着いた感じになったよね。高校の時はちょっと怖かったもん」
「それは桐谷くんが変わったんだよ。大学の大人しい男の子には今でも怖がられてると思うし」

 ふむ。たしかに高校時代の俺が突然この小野さんと食事することになってもこんな風に話しかけることなんてできなかったかもしれない。そして勇気を出して話しかければ小野さんは当時からある程度会話はしてくれたのだと思う。俺が意識していたほど小野さんは俺のことなど気にはしていないのだ。
 身の回りにいる親密な女性というのが河合さんくらいしかいなかったから、小野さんは友人も多いし、河合さんと比べると一般的で多数派の女性なのだと思いこんでいた。ギャルだったし。
 しかし改めて他の女性たちと混じっているのを見ると彼女も彼女で少し浮いているように思えた。それはそれで受け入れられているんだろうけど。
 多分、それは小野さんのことを多少知っているからだろう。もっと離れたところから見れば女性の集団のひとかたまりにしか見えないのだ。かつての俺はそうだった。個人の印象がぼやけて、なんとなく全員をまとめて自分とは相容れない存在であると認識してしまっていた。
 そしてこうして小野さんと比較すると極めて常識的で一般的なマジョリティであるように映る他の女性たちも、その人個人を知れば個性的に見えるのだろうと感じた。
 本当に無個性で平均的な人間なんてそうはいないのだ。その方がきっと希少なのだ。
 なんだか今更そんなことを実感して、不思議な気持ちになった。大学生でこんなことに気付くなんて、遅いんだろうか。
 まるでどんな相手とも向き合えばわかりあえるのではないだろうか、みたいなそんな錯覚すら抱いた。まあ、合わない相手と向き合うのが大変なんだけどな。

 そのあと、席替えといって小野さんの周りの席を奪われてしまったので特に二人で会話するということはなかった。
 他の女子と適当に話をして、学校での小野さんの話なんかも聞きつつ、あとはお互い距離感をはかるような毒にも薬にもならない会話をして。
 たまに恋愛の話を振られて困っていると他の男に軽くいじられて、やれやれだ。
 やはり向いていない。小野さんもすべての会話を適当に斬って捨てているようである。それにしても、俺がいなかったらろくに話し相手もおらず、本当にただご飯を食べるだけになってたんじゃないだろうか……。
 一体何故こんな場に出てきたのか不思議に思っていると、女子が席を立った間に文句を言われてわかった。どうやら男の内の一人が小野さんを紹介して貰いたがって、小野さんの同級生である女友達にお願いしてセッティングされた場であるようだった。小野さんはそんな事情は知らず、ひたすら頼み込まれて最終的にタダ飯につられて承諾したんだそうだ。女友達の方も代わりに気になってた男を連れてきてもらうという約束だったらしいが……、それじゃあ俺完全にお邪魔虫じゃないか。先に言えと思う。わかるわけないだろ。
 それなら俺だってもっと一人で飲んでいたさ。まったく、知らない間に人の色恋に巻き込まれるなんて、煩わしいったらないな。


 酔っぱらいに絡まれることほど不毛で面倒くさい時間はないな。一緒に酔ってしまえば楽しめるのかもしれないが、俺だけいつまでも現実世界に取り残されたままだ。
 アルコールへの強さも遺伝で決まるんだよな。たしかアルコールを毒性の強いアセトアルデヒドに分解し、さらにアセトアルデヒドを酢酸に分解する。分解するための酵素が活性型か、低活性型か、不活性型かによって酒の強さが決まるらしい。日本人の多くはアルコールの分解は速いが、アセトアルデヒドの分解は苦手な場合が多いそうだ。だから吐いたりなんだりする。
 そして俺は活性型なんだろうな。両親共に強いのだろう。お酒を飲むところは見たことないから知らないけど。
 まあ、強いからって飲み過ぎていいものではない。外国人なんかは酒に強い分依存症の割合も高いと聞くし。俺はそれを警戒しているのである。程度がわからないのは恐ろしいことだ。
 人の反応というのは自分の身を守るためにあるのだ。これじゃ信号がバカになってるのと同じだ。
 ……まあ、おいしい飲み物が飲めると言われれば、やっぱりついてきてしまうところはあるのだが……。おつまみもおいしいし……。

「あーやばい吐く、ちょっとトイレ……」
「いやそれ俺の鞄ですけど!」

 ……やっぱり飲み会は向いてないかもしれない。

---

「じゃあ私、先輩送り届けて帰るね」
「大丈夫?」
「うん。どっちにしろ同じ方向だから」

 小野さんはさすがにしっかりとしていた。吐き気を訴える先輩を俺の鞄から引き剥がし、なんとかトイレに連れて行ってくれたのも小野さんである。この人は酒を飲んではいけない人だと思う。
 小野さんの乗ったタクシーを見届け、終電なくなりそうだという女性を走れ走れまだ間に合うと追い立て、ようやく俺は帰路についた。

 ……疲れた。人の多い席はやはり苦痛だ。
 それでも小野さんと再会できたのはよかったか。なんとなく、悪い気分じゃなかった。
 それに他の女性陣もなんだか優しかった気がするし……。
 能力を失ってからだろうか。自意識過剰なだけかもしれないが、ちょっとだけ女子の距離が近くなった気がする。もしかしてこれが都市伝説にある、寿命短い人ほどよくモテる現象なのだろうか。あれ、大丈夫だよな? 俺の寿命延長したはずだよな……?
 もしかして寿命延びつつもフェロモンだけ出てるんだろうか。そんなお得なことあるだろうか。
 ……いやいや、いくらモテたってしょうがない。他人と恋愛する気など毛頭ないのだから。
 この世界のどこかに佐伯はいて、俺の子供もいるというのに。何を一人遊びに耽ろうというのか。
 無下にしたら相手を傷つけるだろうとか、全く他の女性を知らないのは却って佐伯も重たく感じるんじゃないかとか、自分に都合のいい方向に揺らぎそうになる思考回路に嫌気が差す。
 ……多分、今だけだ、こんなのは。そのうちみんな俺が人に興味を持てないつまらない人間だと気付いてまた距離を置くだろう。
 そうだ。事実、その場の流れとか勢いとか、なんとなくの印象だけで距離を詰めてくる女性ばかりだ。俺の内面は誰も知らない。俺個人のことは恐らく認識していない。俺だって相手のことを何も知らない。恋愛ですらないじゃないか。
 頭を悩ますだけ無駄だな。俺が断ったってきっと相手はすぐ別の相手に切り替えるだけなのだ。うん。
 俺の心の内を打ち明けない限り、佐伯とのように誰かと親密な関係になるということはないのだろう。
 よそ見をするんじゃない。自分に言い聞かせた。
 とりあえず合コンの誘いには二度と乗るまい。
4/12ページ
スキ